136 東堂の部屋
今回だけではまとまりきれず、次回も京都です。
量はいつもより多めですが、会話が多いのでさらっと読んで頂けるかと思います。
東堂のあとをついて入った部屋は朱葵の斜め向かいで、ユーキは一瞬、朱葵の部屋のドアを盗み見た。「1797」のプレートが金色に光っているだけ。しん、としていて、部屋の中に朱葵がいないようにも思えた。
「さて」
東堂は溜め息と荷物をソファに降ろすと、無造作に、ネクタイを解き始めた。
「ユーキさん、あなたは奥のベッドにどうぞ。あと着替えは・・・・・・ローブでよければ、バスルームに」
「ええ、ありがとうございます」
東堂はネクタイをハンガーに掛けると、上着を脱いで、それも掛ける。ユーキは、東堂の初めて見る姿に、少し戸惑いを覚える。
ドキッとした、と、言ってもいい。東堂の“男”の部分に、ユーキは、敏感に反応していた。
「何か?」
「え?」
「そんなところに立ったままだから」
ユーキは部屋に入って、2つ並んだベッドの前に、立っていた。
「いえ、別に。ただ、東堂さんがそうしてると、普通の男の人に見えて」
と、ユーキが言うと、東堂は顔を下げ、自分の姿を確認するように左右に目をやった。
「ああ、部屋に戻ると仕事から解放された気になって、つい寛ぎたくなるんだ」
「話し方も変わるんですね」
「え? あぁ、そういえば、そうだ」
ユーキはくすくすと笑い、奥のほうへと歩いていく。奥のベッドは荷物置きに使っていたのか、真ん中だけ、皺になっている。
「何だか、不思議。東堂さんとこんな風に話すのなんて」
ユーキは皺のついたところに腰を下ろした。ベッドは思ったよりも弾力があって、トン、と勢いをつけて沈んだ腰は、すぐに弾み、また沈んだ。それが気持ちよくて、ユーキも、つい普段の話し方になってしまう。
「・・・・・・あたし、シャワー、先に借りても?」
つい、朱葵をからかっているときのような、挑発的な言葉を、口にしてしまう。
「え?・・・・・・あ、どうぞ」
東堂は動揺しながら、バスルームを指す。
ユーキは思い通りの反応に面白がり、笑った。
ユーキがバスルームを出ると、東堂はメガネを掛け、パソコンに向かっていた。ユーキのいない間にすっかり冷静を取り戻したようだ。
「お風呂、ありがとうございます」
控えめに声を掛けると、東堂はユーキに気づき、メガネを外す。東堂は普段、コンタクトをしているらしい。バスルームで、ユーキはコンタクトケースを見つけていた。
「東堂さん。あたしの顔、見えてないでしょう」
と、ユーキは言ってみる。
「そうだな、全体が白くて、上だけ水色」
「やっぱり」
全体が白いのは、真っ白なバスローブを着ているから。上だけ水色というのは、髪に、水色のタオルを巻いているからだ。
「メガネ、掛ければいいのに」
と、ユーキが笑うと、東堂はパソコンを閉じて、言った。
「メガネを掛けたら、あなたの姿がはっきり見えてしまうから」
「え?」
コンコン。
と、不意に、ドアをノックする音が聞こえた。ユーキはビクッと肩を震わせ、ドアのほうを見る。東堂の視線も、ユーキから、ドアへと向けられた。
「東堂さん、いる?」
それは、朱葵だった。
ユーキは思わず「あっ」と声を漏らし、口を手で覆う。まるで、東堂の部屋にいる自分を朱葵に見透かされてしまったみたいな気分になった。体が動けなくなっている。
「・・・・・・朱葵か? どうした」
東堂はユーキの横をするりと通って、ドアの前で歩みを止めた。
「うん。ちょっと、いい?」
「悪い。今、シャワーを浴びようとしてたところなんだ。このままでもいいか?」
とりあえず朱葵を部屋に入れることはできないので、東堂は、ドア越しに話しかける。
「あ、ごめん。すぐ済むからさ」
「いや。・・・・・・で、どうした?」
「うん、あのさ・・・・・・」
朱葵は、言いづらそうに言葉を濁す。ドアの向こうで朱葵の息を呑む音が、こちらにまで、伝わってくる。
「あのね、俺、ユーキさんに『もう終わりにしよう』って言われたんだ・・・・・・」
両手で口を押さえていたユーキは、それを緩め、ドアに顔を向ける。
「何もかも一方的で・・・・・・信じられなくて、受け入れられなくて。ユーキさんが帰ってからも、追いかけることもできないで、ぼーっと、考え込んでたんだ。俺は、何がいけなかったんだろう、って」
ユーキは、口を覆っていた手を、するっと下ろした。
「だけど答えは出なくてさ、今もそうなんだけど・・・・・・。でも、確かに俺はユーキさんを苦しめてたんだよね。俺は、そんなユーキさんに気づいてあげることもできなかったんだ」
ユーキは、叫びたかった。口を押さえつけているものは何もない。声を出せば、朱葵に届く。「違う。あたしは、朱葵くんに苦しめられてなんかない。ただ、自分の運命に、苦しんでるだけなの」と、言えばいい。
だけど、声が、言葉をつくってくれない。
「だから俺、ユーキさんを待たせるのは、やめる。ユーキさんが待っていてくれるって思う気持ちを失くして、自分には何もないって、そう思って仕事する。これから、頑張るから」
朱葵は、ユーキを失って、それを仕事にぶつけていくと、決めた。
それが朱葵に選んでほしかった道であり、ユーキ自身が決めた道のはずなのに。
上質なカーペットに、涙はぽたぽたと零れて、染みついていた。