129 始まりの合図
さっきから隣がうるさい。有名人か誰か、いるのだろうか。景色に見惚れていたユーキは、きゃあきゃあと騒ぐ声を耳障りに感じ、舞台を去ることにした。
そういえば入り口でも、人だかりができていたのを思い出す。ユーキが一瞬だけそちらを見やると、カメラなどの大きな機材が見えた。
何か撮影でもしているのだろう。確かに、そう思ったのに、それが、どうして朱葵に結びつかなかったのか。
「さあ、行かないと」
ユーキは、階段を降りていく。すると、横から「ユーキさん?」と、自分を呼ぶ声がした。
「え?」
ユーキがふっと顔を向けると、そこに、東堂がいた。
「東堂さん」
「もしかして、朱葵に会いに来たんですか?」
ユーキが京都にいる理由なんて、それしか思いつかない。東堂は、朱葵のほうを見た。朱葵はユーキが舞台から去ったのにまだ気づいてはいなくて、ファンたちに囲まれている。
「東堂さんがいるってことは、朱葵くんもいるんですね、ここに」
「まだ会ってないんですか?」
東堂がそう尋ねると、ユーキは、「ええ」と、軽く笑った。
「映画の最終ロケで、今は夜待ちなんです。そういえば、東京に戻る日も決まりました。ああ、もう知ってますよね」
朱葵には昨日の夜に、来週には東京に戻ることを告げた。当然、ユーキにも話していると思ったのだが――。
「へぇ、そうなんですか」
と、ユーキは言った。
東堂は、驚いた様子でユーキを見る。
「朱葵から、聞いていませんか?」
ユーキはその言葉に押し黙り、ゆっくりと、ひとつ、瞬きをした。東堂にはそれが、「YES」の合図なのだと分かった。
「もうすぐ陽が落ちますね」
薄暗い、黒にも似た藍色が、空に広がっていく。雲はいつの間にか遠ざかって、目を凝らせば、星型の光が見える。あちらにもこちらにも、光の花が咲いている。
「じゃあ、あたしは帰ります」
「待ってください」
くだり坂に向いたユーキを、東堂は引き止める。
「朱葵に会って行かないんですか? そのために来たんでしょう?」
ユーキはピクッと、肩を震わせる。
「だってそれは、ルール違反なんじゃないですか? 映画の撮影のうちは朱葵くんと会ってはいけないって、東堂さん、言ってましたよね」
「僕はそんなことは言ってません。『朱葵を見送ることができますか』って、言ったんです」
「そういうの、屁理屈って言うんですよ」
そうだ。確かに東堂は、ユーキに「会うな」と言ったわけじゃない。けれどあのとき、あの言葉には、そういう意味が込められていた。それはユーキにだって分かっていたし、東堂だって、そう思っていた。
だけど、
「今は、違うんです。僕にだって分からないけれど、あなたと朱葵がずっと繋がっていられるのなら、それでもいいと思っています」
と、東堂は言った。
「・・・・・・もっと早く、その言葉を聞きたかった」
「え?!」
ユーキは、ふぅ、と息を漏らした。
「朱葵くんに会うのは、これで最後。あたしはそう決めて、京都に来ました」
東堂は、ユーキの言葉を理解して何か言いかけたが、ユーキが先に声を上げたので、口を噤んだ。
「東堂さん。お願いがあるんですけど、今日、撮影のあとに、朱葵くんの部屋に行ってもいいですか?」
そこですべてが終わる。
東堂は、そう確信した。




