127 最後の舞台
手がカタカタと震えている。
「あぁ、着いたの・・・・・・」
どうせ心の準備が必要になるだろうと思ってわざわざ各駅停車を選んだのに、やっぱり新幹線は速かった。
――心の準備なんていらない、って、ことかしら。
そうだ。もう心は決まっていた。今さら考えることなど、何もないのだ。
京都は近い。こうして実際来てみたら、分かる。会いたいと思ったときに会いに来ることなど、実は簡単だったのかもしれない。
でも、それができなかったのは、行けないと思い込んでいたから。会いたくても、仕事もあるし、新幹線に乗って行かなければならない。すぐにできることじゃない。そういった先入観が、ユーキを、縛っていたのだ。
――あぁ。でも、あたしだけがそれに気づいても、しょうがないのよね。それに、もう・・・・・・。
「『俺の傍にいて』って、言ったくせに」
――もう、遅いんだから。
* * *
撮影に入って、まもなく3か月が経つ。だけど珍しい春の雨に見舞われて、撮影はいくつか先延ばしになったため、まだすべてを撮り終えていなかった。
「朱葵、今日は清水寺での撮影だ。大一番だからしっかりな」
「分かってるよ。でも、それ終わったら撮影も終わりだね。せっかく楽しくなってきたのに」
朱葵は、パラッと台本をめくった。分厚い台本が、書き込みや折り目でさらに膨張し、夏を終えた朝顔のように、しわしわになっている。
朱葵は役者として、一皮剥けた。監督もスタッフも、東堂も、朱葵の成長を実感している。
「映画の撮影が終わったらすぐに東京に戻って、今度はアニメ映画の吹き替えの仕事が入ってる。難しいぞ。声だけで感情を伝えなければいけないからな」
「へえ、面白そうだね」
朱葵は満足げに笑みを漏らした。
東堂は、気づいていた。朱葵が、ユーキのことを話さなくなったこと。そして、ユーキを忘れてしまうほど、演技にのめり込んでしまっていることに。
――これで、いいんだろうか?
朱葵が役者として前向きな姿勢を見せるのはいい。今まではどこか、「演技=仕事」と割り切っているところがあったから。
だけど、朱葵とユーキの付き合いを認め、2人のこれからを見ていきたいとも、思う。
東堂は、対立する2つの葛藤に遊ばれていた。
午後5時。ゴールデンウイーク明けの京都は比較的観光客も少なく、見学者は大勢いたものの、撮影に支障が出ることはなかった。
「じゃあ陽が沈むまで待ちになります。とりあえず1時間後を目途にしておいてください」
あとは夜のシーンだけ。それまで朱葵は、清水寺を歩いて回ることにした。以前はユリのペースにすっかり巻きこまれてしまって、ゆっくり景色を見ることができなかったのだ。
――こうして景色を見るのも、久しぶりだな。
雨で撮影中止となった日々。スキャンダル直後ということもあり、朱葵は、外出を控えるようにと東堂に言われていた。それをきっかけにして、ユーキに見せたい景色を探して歩くのも、いつの間にか、なくなっていた。
朱葵は、清水の舞台に立つ。落ちていく陽をバックにして、少しだけ紅い、青々とした緑の葉が、さわさわと揺れている。
春には桜色をして、秋には紅く染まる木々を、朱葵は、柵に肘を立てて、じっと見つめる。心地良い風がふわりと肌を撫でて、体をすり抜けていく。それを目で追うようにして、朱葵は、隣を向いた。
「え?!」
清水の舞台に立って、朱葵と同じように春風を感じながら、ユーキも、そこに来ていた。