126 過去の解放
面会時間はもう終わりだった。コンコン、と病室の外から、現実を呼び覚ますノックの音が聞こえる。
「ああ・・・・・・もう終わりだ。お前も、俺を憎んでいたなら、それでもいい。だけど、もう終わりにしろ。お前は、誰かのために自分を犠牲になんてするな」
稜は、ユーキを見上げて、言った。
「そんなことがあったなんて、知らなかった。あたしはずっと・・・・・・あんたのせいだと思ってた」
「俺のせいだよ」
稜の口調が早くなる。
「結姫が何で自分から車に飛び出したか、分かるか?」
「え?」
「結姫が飛び出す直前に言った言葉の意味。結姫が事故に遭ってすぐ、分かったよ」
稜は、事故直前に振り向いた、結姫の笑顔を思い出す。
「私ね、すごく真面目な人生を送ってきたの。今だってそう。几帳面で、心配性で」
「準備万端、用意周到。私はいつも、そう言われてた。前は、ちょっと嫌だったの。『決まったレールしか歩けない』って言われてるみたいで。だから家を飛び出して、変わりたかった。そういうところは結局変われなかったけど。でも、今初めて、そんな自分で良かったって、思ってる」
思えばあれは、自分にも稜のためにできることがあったという、喜びだったのかもしれない。
「手術中、警察が来たんだ。何を言ってたかなんて全然覚えてないけど、その後に来た黒服の男の言ったことは覚えてる。そいつは、保険会社のやつだった」
「保険?」
「結姫は、生命保険に入ってたらしい。死亡かそうじゃないかで保険金も変わってくるからって、ベラベラと喋ってた。元々他人なんて信用してなかったけど、俺は耳を疑ったね。手術中の結姫と、それが無事に終わるのを待ってた俺の前で、『死』なんて言葉、平気で口にしてたんだから」
稜は、当時のことを今でも覚えていると、はっきり言った。
「そいつが突然言ったんだ。『保険金の受け取り人はあなたです』って。なぜか俺は、それを冷静に受け止めてた。『結姫は真面目で几帳面だから、将来もし何かあったときのためにコツコツと貯金して、生命保険にも入ってたんだ』って、納得してた。その流れで、結姫は俺の借金を自分の命で返そうと思ったんだって、分かった。そう考えれば、あいつらしい選択だったよ」
稜はその場ですべて納得して、病院を後にしたと言った。
結姫に、「お前、やっぱり馬鹿な女だ」という言葉を置いて、去っていったのだと。
* * *
振り返ると警察病院は、もう遠くなっていた。車は速度を遅くして、ゆっくりと、離れていく。
「樹。稜は・・・・・・どうなるの?」
「さあな。俺には分からない。でも、稜は、分かってると思う」
2人きりになった病室で、稜は、樹に言った。
普通の生活ができない。1人で生きていけない。
「結姫が、稜のすべてだったんだろうな。生命保険の権利を放棄して、『ナイトメア』で働いてまで、借金を返そうとしてたんだから」
「うん・・・・・・」
ユーキは頷く。
結局、結姫は死んでいないから、生命保険が稜に渡ることはなかったけれど――。
稜はそれを知る前から、受け取りの権利を放棄したのだという。
結姫を自分のせいで死なせてしまって、そのお金を自分のために使うことなどできなかったのだ。
「稜も、結姫が生きてることをもっと早くに知っていれば、こうなってなかったかもしれないな」
樹はタバコを咥え、火をつけると、車の窓からそれを投げた。
警察病院へと続く道の途中に、タバコはジリジリと焦げ付いて、痕を残した。
「ユーキ。お前はこれからどうする?」
「樹はどうするの?」
と、ユーキは樹に問いを投げ返す。
「俺は、ここで生きていく。今さら迷ってないさ」
「そう」
まもなく車は都心に到着するところだった。ユーキは、樹に「東京駅で降ろして」と、告げる。
「稜が言ってた通り、あたしはもう、稜を憎むのは、終わりにする。だけど、あたしだって今さら、引き返せないわ」
誰かのために自分を犠牲にするな、と、稜は言った。
でも、ユーキには、そうすることしかできない。
「だってあたしとお姉ちゃんは、馬鹿な姉妹なんだもの」
朱葵のために、自分の幸せは、捨てる。
「京都に――。朱葵くんに、会いに行く」