125 恋の終わり
かなり長くなってしまいましたが、過去はこれで終わりです。
次回は「稜との対面」最後です。
「私、稜のためなら何だってできるわ」
と言ったのは、結姫が稜のマンションを3度目に訪れたときだった。
「初めて会ったのが3日前だろ。もうそんなこと言えるのか? 俺のこと、何も知らないくせに」
「確かに稜は自分のこと話してくれないけど、でもね、体で触れ合って分かることって、たくさんあるのよ」
「例えば?」
「ん〜・・・・・・」
「ないんじゃん」
「違う。難しくて、言葉にできないのよ。でもただひとつ言えるのは、『稜のためなら何だってできる』ってこと」
そのときは結姫を馬鹿にして、「あんたが俺のためにできることなんて、何もないよ」と、言った。
「稜。私、嘘をついたことないし、私にだって、できることはあるのよ」
“稜のためなら、何だってできる”
命さえ、投げ出せる。
* * *
春になろうとしていた。風はまだ冷たいけれど、昼時には空がいっぱいに澄んで、爽やかな空気をもたらす。
季節が終わり、季節が始まる。季節が始まれば、季節は終わる。
「それが時の流れってやつだよ」
と、稜は当たり前に言う。
「ふ〜ん。何か詩みたい」
「馬鹿なこと言うな。世界は回ってる。ただそれだけだ」
「また馬鹿って言うんだから、もう」
歌舞伎町に、いや、夜の世界に、ある噂が広まっていた。
“歌舞伎町最大のホストクラブ「トワイライト」のナンバーワンが交代する”
それはナンバー2だった樹の猛追と、稜の失敗が、原因だった。
稜の失敗――。上客だった女が、稜に借金したまま、消えてしまったのだ。
時にホストたちは、お客の支払えなかった分のお金を、自分が肩代わりするときがある。本来そこにはお客とホストの信頼関係というものがあって、それで、借金という形が生まれるのだ。
稜は、お客との間に、信頼など持ったことはない。だけどそのとき、稜は、焦っていた。これまで築き上げてきた不動の地位を奪われてしまう、ということに。
「稜、ごめん。調子に乗ってお金使い過ぎちゃった。明日払うから、今日の分代わりに払っておいてくれない」
その日は月締め日で、ギリギリまでナンバーワンを競っていた樹を突き放すために、そのお客は稜に500万をつぎ込んだ。
お客が稜の指名客になって1年。その間に、1億円以上もかけてきた。だからといってお客への信頼はないが、稜は、自分への信頼がある。ここまでやってきた経験と自信が、稜にはあったのだ。
だけど。
お客は消えた。稜は、500万を、払いきれなかった。
その月、稜は何とかナンバーワンを守れたが、お客に裏切られたという現実は酷く重く、稜に圧し掛かっていた。どのお客にも、いつものような接客ができなくなった。
――自分以外に信じられるものなし。
その気持ちがいっそう強まり、接客態度にも、滲み出てしまうようになったのだ。
お客は稜から去っていった。稜は、ナンバーワンから転落した。
「稜・・・・・・お金はどうするの?」
「さあな」
「返さないといけないんでしょう?」
「お前に関係ないだろ」
「稜・・・・・・」
結姫の手を、稜は払い除ける。
2人は朝早く、歌舞伎町にいた。ゲートの前で、結姫が、稜を待っていたのだ。
人影はちらちらと、疎らに見える。だが、周囲が2人を気にする様子はない。人はそれぞれ、自分の目的だけを果たすために、行動している。
「稜。私に何か、できることはないの?」
「言ったろ。お前できることなんてねえよ」
結姫は俯いて黙り、しばらくして、ぱっと顔を上げた。
「稜。私ね、すごく真面目な人生を送ってきたの。今だってそう。几帳面で、心配性で」
結姫はそう言って、稜に背を向け、歩き出す。仕事終わり、そのまま急いで来たのだろう。仕事のときにしか履かないと言っていたハイヒールの踵が、カツカツと音を立てていた。
「準備万端、用意周到。私はいつも、そう言われてた。前は、ちょっと嫌だったの。『決まったレールしか歩けない』って言われてるみたいで。だから家を飛び出して、変わりたかった。そういうところは結局変われなかったけど、でも、今初めて、そんな自分で良かったって、思ってる」
稜は、結姫が話す後ろ姿を、ただ見送っている。
だが・・・・・・。
結姫の歩みは、交差点まで差し掛かった。向こうからは、早朝で車も少ないせいか、速いスピードで、車が走って来ている。
「おい・・・・・・?」
稜が声を掛けると、結姫はくるっとこちらを向いた。にこっと、満面の笑みで笑うから、稜は、結姫へと走り出した歩みを止めた。
すると結姫は、再び稜に背を向けると、交差点の真ん中まで、走り抜けていった。
止める間もなく、一瞬で、事故は起きた。
「・・・・・・お前・・・・・・馬鹿じゃねえの?」
「ふふ・・・・・・。また・・・・・・ば・・・・・・かっ・・・・・・て、言う・・・・・・ん・・・・・・だか・・・・・・」
結姫はゆっくりと手を伸ばす。稜の頬に当たった指先は、朝だからという理由では済まされないほど、冷え切っている。
「りょ・・・・・・、わ・・・・・・わた・・・・・・あ・・・・・・しの、す・・・・・・き?」
声を震わせて、結姫は言った。
――稜、私のこと、好き?
「ああ・・・・・・。好きだよ」
結姫が、そう聞いたのかは分からない。
だけど稜は、結姫に何度も「好きだ」と、伝えた。
結姫の瞳が、稜を捉えている間。意識が途切れないように、ずっと。
季節が終わり、季節が始まる。季節が始まれば、季節は終わる。
時の流れに則って。
恋が始まり、恋が終わる。
なぜ結姫が自ら飛び出したのかは、次回分かります。
「真面目な性格で〜」という部分が関係してます。