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116 結姫

「お姉ちゃんは、元気? こないだ樹が病院に来たって、聞いたわ」

 樹はタバコを踏み潰して、チッ、と舌打ちをする。

「またシャチョーか。俺のことは言うなって言ってんのに」

「あたしには筒抜けよ」

 ユーキはくすくすと笑う。

「顔色が良くなってる気がする。相変わらず・・・・・・だけどな」

 揉み消したタバコに再び力が加わると、フィルターがその身を露にした。樹の愛用するタバコの、独特の苦い香りは、風に吹かれていく。

「結姫、そろそろ眠ってるのも疲れただろうに」

「そうね・・・・・・」


 

 *  *  *



 結姫が事故に遭ったのは、5年前のことだった。樹は当時ナンバーワンだった稜を確実に追い詰めていて、ユーキはまだ、東京にはいなかった。

「娘さんが事故に遭って、病院に運ばれました」

 確かそれは、警察からの電話だったと思う。その日は1限から大学の講義があって、ユーキがちょうど起きたところに、電話が目覚めの良い音楽を鳴らしたのだ。

 結姫が搬送されたのはもちろん東京の病院で、ユーキと、勘当していた両親も、さすがに、向かわざるをえなかった。

 病院に着いたのは、2時間くらい経ったころ。先に警察が手術室の前で待っていて、ユーキは、その口が重く開かれた瞬間、ブルッと身悶えした。

 

「結姫さんは、自ら道路に飛び出しました」


 その事実は、誰かによって覆されることがなかった。

「飛び出したように見えた」ではなくて、目撃していた誰もが、決定的に、「飛び出した」のだと、言い切ったのだという。



 それから5年。結姫は、生きている。


 かろうじて。体中に穴が開けられるほどのチューブをつけて。


 それでも、生きている。



 *  *  *



「シャチョーがまた嘆いてたぞ。俺以外は誰も来ないってな」

 樹の言う「シャチョー」とは、病院の看護師長のことだ。50歳を過ぎたおばさんで、釈さんという。初めは「釈師長」と言っていたのが、「めんどくせぇ」と、「シャチョー」になった。

「そうね。あたしも、前に行ったのは1月だったから」

 病院は東京から離れたところにあって、なかなか行くこともできない。ユーキは1か月に1回か、2か月のうちに1回行ければいいほうだ。樹は週に1度、愛車を走らせて見舞いに行っているらしい。

 だが、両親は、一度も来ない。そこには、昔、勘当同然で出て行った姉と両親の確執があるのだと、ユーキは悟っていた。おそらく、「遠いから」だけでは済まされないような、何かが。

「何で4か月も、見舞いに行ってやらなかった?」

 樹はタバコを取り出した。2本目のタバコは、ジッポの火が風に揺らされて、なかなかフィルターを焦がさない。

「確信がなかったから、今まで樹にも言えなかったんだけど、」

 と、ユーキはためらいがちに切り出して、

「2月の初めに、稜の噂を聞いたの」

 と、言った。

 




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