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薔薇贈さんの日常

作者: 昼月キオリ
掲載日:2026/03/31

薔薇贈さんは交差点が好き


朝の七時。

彼女の名前は薔薇贈塔子(ばらおくりとうこ)


薔薇贈さんは二十七歳。

広告代理店で働くOLだ。

毎日遅くまで残業し、帰宅は夜の十時を回ることも多い。

友達は少ない。恋人もいない。

休みの日は本を読んで過ごすか、交差点を見に行くだけ、というちょっと変わった女性だ。


長い黒髪を風に揺らしながら、彼女は今日も信号が赤に変わるのを待っていた。

車が止まり、人々が足早に横断歩道を渡り始める。

彼女はその光景を見て笑みを浮かべる。


やっぱり私は交差点が好きだ。

 

交差点は、

出会いと別れ、喜びと悲しみ、この世界のすべてがこの四角い枠の中に収まっている気がした。


今日も、いつものように公園のベンチに腰を下ろした。

近くのコンビニで買った温かいコーヒーを両手で包み、息を白く吐く。

冬の風が冷たいに、彼女の指先がかじかみ赤くなっていた。

交差点を渡る人々の姿を見るのが、彼女のささやかな楽しみだった。


サラリーマンが疲れた顔でスマホを見ながら歩く。

学生が友達と笑いながら駆け足で渡る。

母親が子供の手を引いて慎重に進む。

老人が杖をつきながらゆっくりと歩いていく。


みんな違う何かを背負って、同じ交差点を渡っている。

それが、薔薇贈さんが好きな瞬間だった。


ある日、雨が降っていた。

彼女は傘を差し、交差点を見つめていた。

信号が変わるたび、水溜まりに光が反射して、まるで宝石のように輝く。


その時、たまたま近くにいた職場の後輩、五十嵐が話しかけてきた。


「薔薇贈さん、信号、青になりましたよ。」


「ええ。」


二人同時に渡る。


「大丈夫ですか?なんかボーっとしてましたけど。」


「大丈夫よ、変なとこ見られちゃったわね。

私、ここが好きなの。」


「ここ?」


「交差点。」


「へぇ、珍しいですね。交差点が好きなんて。」


「でしょう?」


薔薇贈さんが微笑んだ。

五十嵐は戸惑いながらも、隣を歩いた。

どうやら向かう先は同じらしい。


二人は無言で、雨の中を渡る人々を眺めた。

車が水しぶきを上げ、信号の光が雨で滲んでぼやけた。


世界がキラキラして見えた。

こんなこと初めてだ。


「僕も、交差点好きになりました。」


「そう?それは良かったわ。」


五十嵐君が肯定してくれた。

初めて理解してもらえたような気がした。


それ以来、二人は時々その交差点で会うようになった。

気にかけるようになったことで視界がクリアになったのだろう。

交差点の話をきっかけに、いつの間にか薔薇贈さんが五十嵐君の目に止まるようになっていた。

 

と言っても同じ方向へ渡るだけなのだが。


春が来たある日、交差点を一緒に渡っていた五十嵐が言った。


「薔薇贈さん。他の交差点、一緒に見に行きませんか?」


「勤務外よ、五十嵐君。」


そう言って薔薇贈さんは黒髪を翻して別の方向へ去っていった。








薔薇贈さんはモーニングが好き


薔薇贈さんは、いつものように喫茶店「ル・シエル」の扉を押した。

鈴の音がチリンチリンと鳴る。

店内はコーヒーの香りと、焼きたてのトーストの匂いで満たされていた。


「おはようございます。」


カウンターの向こうから、マスターの穏やかな声が飛んでくる。

白髪交じりの髪を後ろでまとめ、いつも同じエプロンを着けた彼は、もう二十年この店に立っているという。


「おはようございます」


薔薇贈さんは小さく頭を下げ、いつもの席、窓際の二人掛けのテーブル席に腰を下ろした。

窓の外では、桜が散り始め、淡いピンクの花びらがアスファルトの上を滑っている。


交差点はあいも変わらず人混みでごった返していた。


メニューは見る必要がない。


「いつものお願い。」


「はい。」


薔薇贈さんのいつものとは、

あんバタートーストとサラダとブラックコーヒーのこと。

出勤する日は毎朝これを食べないことには一日が始まらない。


マスターは微笑みながら、厨房へ入る。


薔薇贈さんは鞄から文庫本を取り出し、静かにページを開いた。

表紙は少し色褪せた『星の王子さま』。

何度読んだかわからないのに、毎朝ここで開く。


やがて、トレイが運ばれてきた。


厚切りのトーストは、表面が黄金色に焼け、バターが溶けて染み込んでいる。

あんこが乗っていて美味しそうだ。

コーヒーは湯気がゆっくりと立ち上っている。


薔薇贈さんは、コーヒーカップを両手で包み込んだ。

温かさが指先に染みる。


一口飲む。

コーヒーの苦さが朝の眠気を覚まさせた。


次にあんバタートースト。

まずはナイフで半分に切る。

バターとあんこの香りが鼻をくすぐる。パリッとした音を立ててかじると、歯の間に小さな欠片が落ちた。


彼女は目を細めた。


この瞬間が好きだ。

誰とも話さなくていい。スマホも見なくていい。

ただ、静かに流れる時間。


薔薇贈さんは二十七歳。

広告代理店で働く、普通のOLだ。

毎日遅くまで残業し、帰宅は夜の十時を回ることも多い。

友達は少ない。恋人もいない。

休みの日は本を読んで過ごすか、交差点を見に行くだけ。


だけど、通勤時間の朝だけは違う。


毎朝六時半に起き、軽く身支度を済ませて、この店に来る。七時から七時半まで。

喫茶店「ル・シエル」

ここは彼女の聖域だった。


「薔薇贈さん、今日は少し疲れてる顔してるね」


マスターがコーヒーのおかわりを注ぎながら、そっと言った。


「そう見えますか?」


彼女は小さく笑った。


「最近、プロジェクトが立て込んでて。

クライアントが毎日のように仕様を変えるんです。」


言葉が自然とこぼれた。

普段は誰にも言わないのに、この店では不思議と本音が出る。


マスターは頷いた。


「大変だね。でも、朝ごはんはちゃんと食べてね。

栄養は大事だよ。」


「ええ。」


薔薇贈さんは、残りのトーストを口に運ぶ。

窓に桜の花びらが一枚、風に乗ってひらりと舞い落ちてきた。


彼女はふと思った。


このモーニングセットは、たったの600円。

昔から変わっていないそうだ。

ここで過ごす三十分は彼女にとって何よりも豪華でかけがえのない時間だった。


時計の針が七時半を指す頃、薔薇贈さんは静かに席を立った。


「今日もありがとうね。」


「ごちそうさまでした。」


「行ってらっしゃい。」


彼女は小さく会釈をして店を出た。

外へ出ると、

薔薇贈さんは天に向かって背伸びをする。


外の空気はまだ少し冷たい。

桜の花びらが、彼女のコートの肩に一枚、そっと乗った。


それを指でつまんで、掌の上に置いた。

また風が吹き、花びらが舞っていく。


今日も一日、頑張ろう。

明日も温かいモーニングが待っているから。


薔薇贈さんは微笑むと歩き出した。








薔薇贈さんは五十嵐君が好き


「おー、薔薇贈さん、いつもすまないね。

資料完璧だったよ。」


「いえ。」


薔薇贈さんは二十七歳。

広告代理店で働く、普通のOLだ。

毎日遅くまで残業し、帰宅は夜の十時を回ることも多い。

友達は少ない。恋人もいない。

休みの日は本を読んで過ごすか、交差点を見に行くだけ。


のはずだった。


薔薇贈さんは上司に媚びることなく短く返事をすると席に着いた。

会社では、口数は少なく愛想もなかったが、

容姿端麗で成績優秀なこともあり、上司たちからは絶大な人気だった。


ところ変わって・・・。


「五十嵐君、この資料、こことここ間違えてるよ。

最近ミス多いよ、気をつけて。」

 

五十嵐「わああ!すみませんすみません!」


五十嵐が慌てて頭を下げる。


薔薇贈さんは、あわあわしている後輩を見た。

五十嵐君が上司に怒られている。

全くもう・・・可愛いわね。


薔薇贈さん、実は五十嵐君のことが大好きだった。


「五十嵐君」


「はい!何ですか薔薇贈さん!」


まるで犬ね。

五十嵐龍樹(いがらしたつき)、二十四歳。

短めのふわふわとした茶髪。

さながらトイプードルってところかしら。


「最近ミスが増えているようだけど、何か悩みごとかしら?」


「え!えーと・・・僕、実は好きな人がいて。

その人を誘ったんですけど断られちゃって・・・。」


好きな人・・・?五十嵐君に?

ちょっと待って、想定外だわ。


「そうなの。その人は見込みなさそうってこと?」


「はい・・・。」


「なら諦めてさっさと次に行くのね。」


「え!?いや、僕はその人のことしか考えられないので・・・それは無理です。」


なんて健気なの!!

こんな可愛い子を振るなんてどこの誰よ。出て来なさい。

※あなたです。


その後、薔薇贈さんまでミスをしてしまったらしい。


「薔薇贈さん、少し休んだ方が良いんじゃないか?

いつも率先してやってくれて助かってはいるが・・・。」


「いえ。すみませんでした。少々考え事を・・・以後気を付けます。」


「珍しいね。薔薇贈さんが考え事なんて・・・とにかく、無理はしないようにね。」


「ありがとうございます。」


はぁ、嫌だわ私ったら。

五十嵐君の好きな人とやらに気が逸れて仕事でミスをしてしまうだなんて・・・。

気を付けなくては。


後日。


「薔薇贈さん、今日は定時で上がれそうですか?」


「ええ。そうね、今日は上がれると思うわ。」


「じゃあ、仕事終わったら薔薇贈さんのモーニングの喫茶店連れって下さい!

七時までなら間に合いますよね?」


「五十嵐君、そういうお誘いは好きな人に勘違いされてしまうわよ?」


「勘違いじゃないです!僕は・・・。」


「おーい、二人とも手を休めないように〜。

二人で喫茶店行くんだろう?

早く終わるもんも終わらなくなるぞー。」


上司が自分のパソコンの画面を見ながら声を掛ける。


「「は、はい!!」」


普通にバレてた。


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