ビビってねーし
期末テスト当日。
朝、翔太は玄関前で深呼吸を繰り返していた。
「今日……自分でやるから。
頼らないって決めたし……
でも、もしヤバくなったら……」
俺は静かに返す。
「ヤバくなったら、『落ち着け』って言うだけだ。
答えは教えない。
約束だろ?」
翔太は笑う。
「……うん、約束」
迷いが滲む。
「…てかビビってないから一人で大丈夫だし」
翔太は財布から
50円を取り出し玄関の靴箱の上に
置く。
「留守番よろしく」
鞄を背負う手が、少し震えてるのがわかった。
玄関のドアを開ける瞬間、翔太は振り返って俺に小さく言った。
「行ってきます……
50円」
「あぁ頑張れよ…」
ドアが閉まる音が響いて、部屋に静けさが戻った。
俺は棚の上で、ただ待つしかなかった。
翔太の心臓の音が、まだ耳に残ってる気がした。
学校に到着する。
翔太は席について、問題用紙を受け取る。
英語からスタート。
最初の問題を見た瞬間、頭の中に俺の声がよみがえる。
「be動詞の過去形……was/wereだろ。
主語が複数ならwere」
翔太は鉛筆を握り直して、心の中で呟く。
(よし……よし)
唇の端が、わずかに上がる。
長文読解のところで、少し詰まる。
でも、俺が教えたポイントが、次々と浮かぶ。
「ここ、becauseの後だから理由説明だ。
文脈読めばわかる」
(よし、よし……これ、わかる)
翔太はニヤッとしてしまう。
周りの子が集中してる中、自分だけが妙に落ち着いてる。
数学。
二次関数の問題。
「頂点の座標……(-b/2a)……」
グラフを描きながら、翔太は心の中で何度も繰り返す。
(よしよし……これ、俺が自分で解けてる)
初めての感覚。
「わかる。
これもわかる。
ほぼ……全部、わかる」
他の教科も同じだった。
躓きそうだったところほど、俺の説明が頭に残ってて、スラスラ解けた。
逆に「これ簡単だろ」と思ってたところほど、意外と忘れてて焦ったけど……
それでも、なんとか乗り切った。
テスト終了のチャイムが鳴る。
翔太は答案用紙を提出しながら、胸の中で呟く。
(……できたかも)
帰宅。
ドアを開けて、翔太は鞄を放り投げる。
まっさきに、靴箱に駆け寄る。
俺はまだそこにいる。
すこし悪ふざけを思いついた。
翔太は俺を手に取って、部屋に駆け込み、笑顔で話しかける。
「50円!
聞いてくれよ!
数学、二次関数全部わかったんだ!
英語も長文、躓きそうなとこ全部……
よしよしって心の中で言いながら解いてたわ!
他の教科も、苦手なとこほどバッチリで……
初めて、こんなに『できた』って思った!」
翔太は俺を顔の前に持ってきて、目を輝かせる。
「……50円?」
俺は黙ってる。
翔太の笑顔が、ゆっくり凍りつく。
「……50円?」
もう一度、呼ぶ。
返事がない。
翔太の声が、少し高くなる。
「え……?
50円?」
俺を耳に近づける。
「……聞こえないのか?」
焦りが一気に広がる。
翔太は俺を両手で包み込むように握って、震える声で言う。
「おい、50円?
おい!」
俺は小さく息を吐く。
「ビビったか翔太!」
翔太の体がびくっと跳ねる。
「まじっ……!
ヒビらせんなよ!!」
翔太は安堵で力が抜けて、机に突っ伏す。
俺は笑う。
「ふつう、50円は喋らんぞ」
翔太は俺を握ったまま、顔を上げて笑う。
「うるせー!
お前が喋るからだろ!」
俺も返す。
「うん。
で、どうだった?」
翔太は深呼吸して、ゆっくり言う。
「……結構、できた。
平均、いけるかも」
俺は静かに頷く(金属だけど、頷く感じで)。
「……よかったな、翔太」
翔太は俺を机に置いて、照れくさそうに頭をかく。
「……まだ結果出てないけどさ。
でも、今日の俺……
なんか、変わった気がする」
俺は思う。
――願いは、まだ完全に叶ってない。
でも、翔太のこの顔を見たら……
もう、価値は上がってる。




