残り0日目の約束
期末まで残り5日。
毎日机の前で、俺たちは格闘を続けていた。
英語はまだマシだったけど、数学の二次関数で翔太は完全に詰まった。
「もう無理! y=ax²って何の意味あんだよ!」
鉛筆を投げ捨てて、机に突っ伏す。
俺は財布から声をかける。
「落ち着け。
頂点の座標が(-b/2a, f(-b/2a))になるって話だろ。
グラフ描いてみろよ」
「描いてもわかんねーって!」
俺を睨む。
「……50円のくせにうるせーな」
「額面じゃねえって」
「うるせー!」
そのまま教科書を閉じてベッドに倒れ込む。
俺は黙って待つ。
30分後。
ぼそっと。
「……ごめん」
「別に」
「……怒った?」
「怒ってねーよ。
ただ、お前が投げ出したら俺の価値も上がらねえだけだ」
俺を取り出して、手のひらで転がす。
「……なあ」
「ん?」
「お前、名前あんの?」
俺は少し間を置く。
「……あったよ。昔は」
「今は?」
「今はただの50円だ」
俺をじっと見て、ぽつり。
「……どうして名前、聞かないの?」
「知りたいよ。
でも、聞くタイミングってあるだろ」
小さく笑って、俺を机に置く。
「じゃあ今教えるわ。
翔太な(しょうた)」
「……翔太、ね」
妙に、現実味が増した。
「よろしく、翔太」
翔太は照れくさそうに頭をかく。
「……よろしく、50円」
それから、少し空気が柔らかくなった。
でも、ケンカは続く。
残り3日。
古文の助動詞でまた翔太が爆発。
「『なり』の活用覚えらんねー! 一生使わねーし!」
「使わねーって決めつけるな。
古典読むとき役立つぞ」
「読まねーよ!」
「じゃあ一生、赤点でいいのか?」
「うるせー!」
翔太は俺を財布に突っ込んで蓋を閉めた。
暗闇。
翌朝。
財布を開けた翔太の声が申し訳なさそう。
「……昨日はごめん」
「別に」
「……続き、やろうぜ」
「よし。
『なり』の連体形・已然形から復習な。
一つずつ潰すぞ」
翔太は頷いてノートを開く。
残り2日。
英語の長文読解で翔太が集中切れ。
「もう頭パンク……」
「休憩しろ。
5分だけ深呼吸」
「5分じゃ足りねーよ」
「じゃあ10分」
「……わかった」
俺の提案を渋々受け入れる。
残り1日。
数学の問題で翔太が間違えて、俺が指摘。
「ここ、符号間違ってるぞ」
「うるせー! お前が説明下手なんだよ!」
「説明下手ならお前が質問しろよ」
「質問したくねー!」
またケンカ。
でも夜には翔太が財布を開けて。
「……悪かった。
もう一回教えて」
「よし。
今度はゆっくりな」
そんな繰り返し。
教えるのも本当に苦労した。
翔太は頭が悪いわけじゃない。
ただ、プレッシャーで集中力が散漫になる。
俺の説明が長くなると「もういい」ってなる。
でも、翔太は毎回戻ってきた。
俺も、諦めなかった。
そして、期末まで残り0日。
テストのプレッシャーがピークに達した朝。
翔太は早起きして勉強していた。
そして翔太は机の前に座ったまま、動かなくなる。
「……50円」
「ん?」
「答え教えてくれよ」
声が少し掠れてる。
俺は静かに返す。
「どの教科?」
「全部……いや、英語と数学。
これだけ赤点じゃなければ、平均は保てるはずなんだ」
俺は少し間を置く。
「……テスト当日に、直接答えを教えるってことか」
「うん。
お前、俺にしか声聞こえないんだろ?
カンニングじゃないじゃん。
誰も気づかない。
俺の頭の中にだけ、答えが流れてくる……みたいな」
翔太は俺を財布から取り出して、手のひらに乗せる。
指先が少し震えてる。
俺はゆっくり言う。
「……できなくはないよ」
翔太の目が一瞬輝く。
「マジで?」
「マジで。
俺、問題見て答えを即座に言える。
お前が問題見ながら『これ何?』って心の中で聞いてくれれば、俺が耳元で……いや、頭の中に直接答えを囁く。
完璧にカバーできる」
翔太は息を飲む。
「……それでいける?」
「いける。
赤点は避けられる。
70点くらいはいくかもな」
でも、俺は続ける。
「でもさ、それでいいのか?」
翔太の手が、ぴたりと止まる。
「……」
長い沈黙。
俺は軽く笑って、フォローする。
「まぁ、俺もお前なら同じこと考えるけどな!」
翔太が、ぷっと鼻で笑う。
「たよな!」
「あぁ。
人間だもんな。
楽したいよな。
今までの努力全部ぶち壊して、一発逆転したいよな」
翔太は俺を握ったまま、机に視線を落とす。
「……でもしないだろ?」
「しない」
翔太がまた小さく笑う。
「聞いただけ」
「ビビってるのか?」
軽く聞く。
「ビビってねーよ!」
「だよな!」
俺たちは、二人して小さく笑った。
金属の体が、ほんの少し温かくなった。
翔太は深呼吸して、俺を財布に戻す。
「……じゃあ、今日は自分でやるわ。
答え、聞かない」
「よし」
「でもさ……もし、ヤバい問題出てパニックになったら……」
「そのときは、俺が『落ち着け』って言うだけだ。
答えは教えない。
お前が自分で解くのを、手伝うだけ」
翔太は小さく頷く。
「……ありがとな、50円」
「まだ50円だぞ、あとヒビるなよ!」
「うるせー」
翔太は笑いながら立ち上がる。
鞄を背負って、玄関へ向かう。
俺は財布の中で思う。
――翔太が本気で変わったら、俺の価値はまた上がるのかな。




