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50円の家庭教師


俺は、50円玉だった。

暗くて狭い。革の匂いと、微かな汗の匂いが混じる。

財布の小銭入れの奥。カードの隙間に挟まって、揺れている。

持ち主は中学生くらいの男の子だ。

名前はまだ知らない。

でも、財布を開けるたびにため息が聞こえる。

重い。

どんよりとした、諦めみたいな重さ。

期末テストがあと10日。

夕方、部屋に戻ってきた彼は、制服のままベッドに倒れ込んだ。

鞄を放り投げて、天井を睨む。

「はあ……」

財布が机に置かれる。

少し開いて、光が入る。

俺は小銭入れの端から、彼の顔を覗き見る。

目が赤い。

泣いたあとみたいだ。

「もう期末テストかよ……」

独り言。

声が震えてる。

スマホをいじって、友達のグループLINEを開く。

スクロールする指が止まる。

『期末そろそろじゃね?まだ勉強まだしてねーけど前は余裕でオール80点超えだったわw』

『マジ?おれは英語90超えたけどな』

『お前ら頭良すぎだろwww俺は面倒くさいから勉強せんけどw』

彼はすぐに画面を閉じた。

スマホを投げて、枕に顔をうずめる。

「……はぁ」

そのとき、俺は小さく声を出した。

「よお」

彼の体がびくっと跳ねる。

「……え?」

ゆっくり顔を上げる。

誰もいない部屋。

でも、確かに聞こえた。

「今、誰か……?」

俺はもう一度、はっきり言う。

「ここ。財布の中。小銭入れの50円」

沈黙が5秒。

彼は恐る恐る財布に手を伸ばす。

俺をつまみ上げて、目の前に持ってくる。

「……しゃ、喋った?」

「喋ってる」

「うわっ!」

50円を机に落とす。

カラン、と跳ねて止まる。

「待て待て! 落とすなよ!」

「ご、ごめん……! え、なにこれ。スピーカー? おもちゃ?」

「違う。俺は50円玉だ」

「……は?」

「正確には、元人間の50円玉」

彼はしばらく固まっていた。

それから、急に両手で頭を抱える。

「やばい……俺、頭おかしくなった……」

「頭おかしくなってない。現実だ」

「現実って……こんなのありえねーよ!」

「ありえるんだよ。俺、昨日まで人間だった」

彼は俺をじっと見つめる。

疑いと、好奇心と、ちょっとした恐怖が混じってる顔。

「……で? なんで俺の財布に?」

「俺は願いを叶える存在になったんだ。

価値が上がるごとに、俺自身も少しずつ変わっていく」

「願い……?」

「うん。お前、今何が欲しい?」

彼は目を逸らす。

「……別に」

「嘘つけ。

期末テスト、赤点取りたくないだろ」

彼の肩がびくっと震えた。

「……どうして知ってんの」

「財布の中から、ずっと聞いてた。

ため息も、独り言も、全部」

彼は机に突っ伏す。

「……どうせ勉強しても変わんねーよ。

俺、頭悪いし。

英語とか意味わかんねーし、数学とか一生使わねーし」

「本当は?」

「……」

「本当は、いい点取りたいだろ。

親に褒められたいだろ。

友達にバカにされたくないだろ」

彼の背中が、小さく震えた。

「……うるせーよ」

声が詰まってる。

俺は静かに続ける。

「だったら、俺が教えてやるよ」

「……は?」

「家庭教師だ。50円の家庭教師」

彼はゆっくり顔を上げる。

「50円が……?」

「額面じゃないって。

さっきも言ったろ。価値は額面じゃねえ」

彼は俺を指でつつく。

「痛えよ!」

「ごめん……でもさ、ほんとに教えてくれんの?」

「教えてやる。

ただし条件がある」

「……どんな?」

「本気でやるって約束しろ。

言い訳禁止。

俺の言うこと、全部やる」

彼はしばらく黙っていた。

それから、小さく頷いた。

「……わかった。

やってみる」

俺は少しだけ、光った気がした。

「よし。じゃあ今から始めるぞ。

まずは机の上に教科書全部出せ」

彼は渋々立ち上がる。

鞄から教科書とノートを引っ張り出す。

英語の教科書を開く。

「……これ、わかんねー」

「どこが?」

「全部」

「具体的に言え」

「……ここ。be動詞とか過去分詞とか、頭に入んねー」

俺は息を吐く。

「じゃあ最初からだ。

be動詞の基本からいくぞ」

彼は目を丸くする。

「50円が英語教えてんの?」

「元人間だっつってんだろ。

高校までちゃんとやってた」

「……マジかよ」

それから2時間。

俺は彼に、be動詞の使い分けを、過去分詞の形を、

文法の「なぜ」を、ひとつずつ噛み砕いて教えた。

「なんでこんな覚え方すんの?」

「覚え方より、理解しろ。

理解すれば忘れにくい」

彼はノートにびっしり書き込む。

時々「へえ……」って声が出る。

夜9時。

「今日はここまで」

彼は机に突っ伏す。

「……疲れた」

「疲れるだろ。

本気でやってんだから」

「……なんか、初めてわかった気がする。

be動詞って、こんな感じだったんだ」

俺は小さく笑う。

「明日もやるぞ。

数学も英語も、国語も」

彼は俺をじっと見つめる。

「……なんでこんなに親切なの?」

「俺も、選ばれなかった側だったからかな」

「……?」

「なんでもねえ。

お前が本気なら、俺も本気で教える。それだけ」

彼は少し照れた顔で、俺を財布に戻す。

「……ありがと、50円」

「まだ50円だぞ」

「うるせーよ」

でも、声に少しだけ力が戻っていた。

その夜、彼は珍しく教科書を開いたまま寝落ちした。

俺は財布の中で思う。

――この子が本気で変わったら、俺の価値はまた上がるのかな。

そして、ふと思う。

――俺自身も、変わっていくのかな。

期末まであと9日。

まだ始まったばかりだ。


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