10円の勇気
翌朝。
「……おーい?」
ポーチの中から、俺は呼びかけた。
沈黙。
「聞こえてるよな?」
ジッ、と何かを探る気配。
ポーチのファスナーが開き、光が差し込む。
彼女が、俺――10円玉をじっと見ていた。
「……やっぱり、聞こえる」
小声。
「気のせいじゃないよね、これ」
呟く。
「お母さんに、聞こえないよな……?」
俺は少しドキドキしながら尋ねる。
「たぶん大丈夫……今、台所行ってるし」
美咲はふう、と息を吐いた。
「なるほど。安心しろ。仕様だ」
「仕様って何」
「細かいことはいい」
彼女はしばらく俺を見つめ、ふっと息を吐いた。
「……夢じゃないよね」
「たぶんな」
「最悪」
「なんでだよ」
「今日、告白なんだよ、私」
少し間を置いて、俺は言った。
「そういえば、名前」
「え?」
「教えてくれよ。持ち主の名前くらい知っときたい」
彼女は少し迷ってから言った。
「……美咲」
小さな声。
「美咲、ね」
口に出してみる。妙に、現実感がある。
「そっちは?」
当然の質問だった。
「え?」
「あなたの名前」
俺は少し黙った。名前はある。でも、願いを叶えたら消える。
「ただの10円に、名前なんてないだろ」
軽く笑って言う。
「……あるでしょ、本当は」
「ない。今は10円だ」
「変なの」
「お互い様だ」
少しだけ空気がやわらぐ。美咲はベッドに仰向けになる。
「今日さ」
「うん」
「うまくいくと思う?」
「思わない」
即答。
「は!?ひどくない!?」
「告白はギャンブルだ。成功率五分五分もない」
「やめてよ怖いこと言うの!」
「でもな」
俺は続ける。
「うまく“いく”かどうかと、願いが叶うかどうかは別だ」
「……どういう意味?」
「お前の願いは何だ?」
美咲は天井を見つめたまま、小さく言う。
「……告白うまくいきますように」
「“うまくいく”って何だ?」
沈黙。
「付き合えること?」
「それだけか?」
「……」
少しだけ、呼吸が乱れる。
「ちゃんと、伝えたい」
ぽつり。
「ずっと好きだったって。ちゃんと、逃げずに言いたい」
俺は、ほんの少し震えた。それだ。
「じゃあ第二回作戦会議だ」
「え?」
「成功率は知らん。でも“ちゃんと伝える”確率は上げられる」
美咲は起き上がる。
「……10円のくせに偉そう」
「価値は額面じゃない」
「それ言うの10円はダサい」
うるさい。
「まず、長文やめろ」
「え」
「緊張したら飛ぶ。だから一文にしろ」
「一文?」
「好きです。前から。これだけでいい」
「シンプルすぎない?」
「感情は足さなくていい。乗る」
美咲は小さく練習する。
「……好きです。前から」
震えてる。
「声が小さい」
「無理!」
「相手の目見ろ」
「それが無理!」
「じゃあ一瞬だけでいい。目を見てから言え」
美咲は何度も繰り返した。
好きです。前から。
少しずつ、震えが減る。
俺は気づいていた。この願いは、“成功”じゃない。
“勇気”だ。
夕方。俺は美咲の服のポケットの中にいた。
バイト終わり夕方の公園
足音が近づく。
男子の声。
「どうしたの?」
緊張が伝わる。鼓動が早い。
「いまだ」
小さく言う。
美咲が一歩前に出る。
一瞬だけ、目が合う。
そして。
「好きです。前から」
はっきりと。声は震えていない。
沈黙。
男子は困った顔をした。
「ごめん。今は、誰とも付き合う気なくて」
空気が止まる。
胸の奥がきゅっとなる。
でも、美咲はうつむかなかった。
「そっか」
小さく笑う。
「言えてよかった。ありがとう」
それだけ言って頭を下げた。
男子は驚いた顔で去っていく。
校舎裏に、風だけが残る。
美咲は深呼吸し、ポケットの中の俺をぎゅっと握る。
「……振られた」
「だな」
「でも」
少し笑っている。
「ちゃんと言えた」
俺は震えた。体の奥が熱くなる。光が走る。
願いは、叶った。
付き合えなかった。
でも――
“ちゃんと伝えたい”は、叶った。
俺の視界が白く染まる。
金属の感触が変わる。
穴が開く。
「……え?」
美咲が俺を取り出す。
そこにあったのは、10円ではなかった。
「50円……?」
理の声が、遠くで響く。
「価値上昇。第一段階、成功」
俺は思った。
これ、意外と――悪くないかもしれない。
そして美咲は、まだ知らない。
俺の名前を。
そして、いずれ忘れることを。
でも今は。
ただの、50円だった。




