10円の作戦会議
気づけば、俺は彼女のポケットの中にいた。
暗い。
柔らかい布の感触。
歩くたびに揺れる。
これ、完全に不審物ポジションだよな……。
数分後、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー」
「おかえりー」
女性の母親らしき人の声。
靴を脱ぐ音、バッグを置く音。
ポケットから取り出され、机の上に置かれる。
視界が開けた。
扉を開ける音。
六畳くらいの部屋。
観葉植物。
ベッドの上にクッション。
壁にはカフェの写真。
そして目の前に、彼女。
近い。
普通にかわいい。
いや待て俺、10円玉だぞ。
「……なんで今日に限って10円なんだろ」
彼女は財布を開きながら小さくつぶやいた。
「5円だったら縁起いいのに」
いやそれ言う?
俺は覚悟を決めた。
「こんばんは」
彼女の手が止まった。
沈黙。
「……え?」
「こんばんは」
「……」
彼女はゆっくり部屋を見回す。
誰もいない。
「疲れてる……?」
「いや、下。机の上」
視線が、俺に落ちた。
10円玉。
俺。
「…………」
三秒。
五秒。
十秒。
「……は?」
「落ち着いて聞いてほしい」
「いや怖い怖い怖い怖い」
彼女は10円玉をつまみ上げ、ひっくり返す。
「しゃべった?」
「しゃべってる」
「え、なにこれ、動画?ドッキリ?スピーカー?」
「違う。君にしか聞こえてない」
ぴたりと動きが止まった。
「……どういうこと?」
「俺は今日、モテたいって願ったら10円玉にされた人間です」
「はい?」
「そして君の願いを叶える存在らしい」
「無理無理無理無理」
彼女は10円玉を机に置き、両手で頬を叩いた。
ぺちぺち。
「夢。うん、夢」
「現実だよ」
「やめて!ちゃんと怖い!」
俺もちょっと怖い。
「……とりあえず確認なんだけど」
俺はなるべく冷静な声を出す。
「さっき“告白うまくいきますように”って言ったよな?」
彼女の肩がびくっと跳ねた。
「なんで知ってるの」
「聞こえた」
「……」
沈黙。
長い沈黙。
「……盗聴?」
「10円玉がどうやって盗聴するんだよ」
「たしかに」
納得するな。
彼女はベッドに腰を下ろし、じっと俺を見る。
「……本当に、私にしか聞こえてない?」
「たぶん」
「外で試す?」
「やめろ通報される」
彼女は少しだけ、笑った。
その瞬間、空気が少し変わった。
怖さが、ほんの少しだけ好奇心に変わる。
「……じゃあ、ほんとに願い叶えてくれるの?」
「らしい」
「“らしい”?」
「俺も今日なったばっかなんだよ!」
「ポンコツじゃん!」
ぐうの音も出ない。
彼女は天井を見上げた。
「明日、告白なんだよね」
声が少し弱い。
「バイト先の先輩」
あー、俺もモテたい、うらましい。
「成功させたい?」
「そりゃ……」
少し間。
「でも、正直自信ない」
俺は考える。
願いを叶えるって、どうやるんだ?
強制的に両想いにするのか?
それとも状況を整えるのか?
「具体的に、どうなれば“成功”なんだ?」
「え?」
「OKもらうこと? それともちゃんと気持ち伝えること?」
彼女は黙る。
しばらくして、小さく言った。
「……ちゃんと伝わればいい」
お。
なんか急に真面目な空気。
「じゃあ作戦会議だ」
「10円玉と?」
「10円玉と」
彼女はふっと笑った。
「なにそれ」
「まず、告白はどこで?」
「バイト終わり、公園」
「時間は?」
「夕方六時」
俺は妙な高揚感を覚えていた。
俺、10円玉なのに。
なのに今、誰かの恋を応援してる。
しかもライバルの可能性あるのに。
「服は?」
「え?」
「印象大事だろ」
「……」
彼女は立ち上がり、クローゼットを開けた。
服を一枚一枚当てる。
そのたびに俺に聞く。
「これどう?」
「ちょっと強すぎる」
「じゃあこれ」
「それ、優しそう」
「なんで分かるの」
「分かるんだよ、10円玉だから」
「意味わかんない」
でも彼女は笑っている。
気づけば三十分。
普通に、会話していた。
独り言みたいに。
たぶん外から見たら完全に不思議な人だ。
「……なんか」
彼女がぽつりと呟く。
「ちょっと、緊張減ったかも」
「よかったな」
「うん」
沈黙。
「……ありがとう」
その言葉に、胸が少しだけきゅっとなる。
いや俺、金属だけど。
その瞬間。
かすかに、体が熱を持った。
カチ、と小さな音。
視界が一瞬、白くなる。
――条件確認。
――願い受理。
理の声が、遠くで響いた。
俺は、気づいた。
これ、本当に叶うかもしれない。
そして同時に思う。
……これ成功したら、俺どうなるんだ?
価値、上がるのか?
そのとき彼女が言った。
「明日、ポケットに入れていくね」
「は?」
「だって、作戦参謀でしょ?」
俺は10円玉のまま、固まった。
……よりによって。
告白現場、同伴確定。
なんだこれ。
俺のモテ人生、いきなりハードモードじゃね?
―――美咲はふと天井を見上げた。
「……ちょっと、緊張減ったかも」
「よかったな」
「うん」
沈黙。
「……ありがとう」
その言葉に、胸が少しだけきゅっとなる。
いや俺、金属だけど。
その瞬間、かすかに体が熱を持った。
俺の視界も、音も、時間も――ほんの一拍だけ、白く溶ける。
美咲がパジャマに手をかける。
「……じゃあ寝る準備するか」
俺(10円)は思わず叫ぶ。
「ちょ、待て!そこで着替えるな!俺は男だぞ!」
「え?10円なのに?」
「関係ねえ!男の意地だ!」
美咲は思わず吹き出す。
「変な子」
「変なのはお互い様だ」
美咲は笑いながら、服を着たままベッドに横になる。
「じゃあ、ポーチに入れるね。明日までよろしく」
「……仕方ないな、頼むぞ」
俺はポーチの中で揺れながら、明日の告白に備える。
外は静かに夜が流れる。ポーチの中で、10円の俺は少しだけ誇らしい気分で眠りについた。




