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翔太ヒビんなよ

翔太は100円を机に置いたまま、じっと見つめた。

まだ涙の跡が乾ききっていない頰を、袖で拭う。

「……翔太」

100円の声が、いつもより少し低く響いた。

「お前の願いは、もう叶った。

俺の役目は、ここで終わりだ。

だから……俺を使え」

翔太の指が、ぴくりと止まる。

「使えって……どういう意味?」

「自販機でも、コンビニでも、何でもいい。

俺を『使う』ことで、俺は完全に消える。

お前は、もう一人で歩けるようになる」

翔太は100円を握りしめた。

冷たい金属の感触が、胸に刺さる。

「……分かった。

使うよ。

約束する」

100円の声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。

「ありがとな、翔太。

それでいい」

それから数日が過ぎた。

翔太はポケットに100円を入れ続けた。

学校帰りにコンビニの前を通っても、

自販機の前で足を止めても、

結局、指は動かない。

「まだいいや」

「明日でいいか」

そんな言い訳を繰り返して、ずるずると。

100円は、毎日話しかけてくる。

「……翔太、そろそろ使えよ」

「なあ、今日こそどうだ?」

でも、翔太の耳には、もう届かない。

声は、だんだん遠くなり、

水の底から響くようにぼやけ、

やがて、かすかな風の音みたいにしか聞こえなくなっていた。

翔太は気づいていた。

聞こえなくなっていることに。

でも、認めたくなかった。

ポケットの中で、100円は静かに冷たくなっていく。

もう、熱も、光も、ない。

ただの金属の塊。

ある夜、翔太はベッドに転がって、

ポケットから100円を取り出した。

指でなぞる。

「……ごめん」

声は震えた。

「使えなかった。

お前がいなくなるのが、怖かった」

100円の声は、少しずつ遠くなっていた。

最初は気のせいだと思った。

聞こえにくいだけだと。

「……翔太」

呼ばれる。けれど、前みたいにくっきりじゃない。

水の中から聞こえるみたいに、ぼやけている。

「なぁ、なんでだよ」

机の上の100円を握る。冷たいはずなのに、指先が熱い。

願いは、叶った。

勉強もついて行けている。

母親ももう溜息をつかないし。

友達に笑われることもない。

だからなのか。

「もう、終わりってことか?」

返事はない。

ただ、かすかな気配だけがある。

翔太は首を振った。

「嫌だ」

即答だった。

認めてもらえた。

でも、認めてくれた声がいなくなるなんて、そんなの聞いてない。

「お前がいないと……」

言葉が詰まる。

強くなったはずだった。

ひとりで立てるはずだった。

なのに。

「まだ、無理だって」

100円を耳に当てる。

もうほとんど聞こえない。

焦りが胸を締めつける。

使えばいい。

使えば終わる。

でも、最後に何か言ってくれるかもしれない。

声が消える前に。

立ち上がった。

夜。

翔太は走った。

「ハァハァ…」

息が詰まる。

肺が焼けるように熱い。

街灯がぼやけて、足元が揺れる。

それでも止まらない。

ポケットの中で、100円を握りしめた。

「間に合えよ……」

自販機の前に立つ。

何を買うかなんて、どうでもいい。

震える手で、投入口に100円を入れる。

カチン。

乾いた音。

それだけだった。

「……なぁ」

何も聞こえない。

ボタンを押す。

ガコン、と落ちる音。

取り出し口に手を入れる。

缶の冷たさが指に触れる。

でも。

声は、ない。

「……おい」

何もない。

本当に、何も。

胸の奥が空っぽになる。

遅かったのかもしれない。

翔太は缶を握ったまま、その場に立ち尽くした。

涙が勝手に落ちる。

「……バカ」

どっちがだよ、と自分で思う。

もっと早く決めればよかった。

もっと早く、ちゃんと別れればよかった。

自販機の明かりが滲む。

そのとき。

耳の奥で、ほんのかすかに。

「……翔太」

心臓が跳ねる。

息が止まる。

 一拍。

静寂。

そして。

「ビビんなよ」

それだけだった。

もう熱もない。

光もない。

ただの100円は、もうどこにもない。

翔太は涙を拭う。

ゆっくり、息を吸う。

「……うん」

返事は、もう聞こえない。

でも今度は、不思議と怖くなかった。

コンビニの外に出る。

夜風が頬を撫でる。

翔太は缶を開けた。

プシュッという音が、小さく響く。

ひと口飲んで、空を見上げる。

「ビビんねぇよ」

誰にでもなく、そう言った。

もう声はしない。

でも、足は前に出た。

それで、十分だった。

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