悪人
悪人の定義は?
現代では法律違反の犯罪者だろうか
罪を犯さなくても、悪人とされる行為は多々ある
仏教の五戒は、殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒
命を奪わない、盗まない、不道徳な性的関係を持たない、嘘をつかない、酒を飲まない
人間皆、ほぼ全員悪人である
子どもだって嘘をつく
言葉をまだ喋らない乳児でさえ、前世での行いを含めたらアウト
嘘をついたことのない人間なんていないと思われる
優しい嘘や方便でも言う
つまり、人間全員悪人である
人間という存在は、罪深き彷徨える子羊たち
自分は善人だと信じて疑わない
愚かな罪人
私は善でありたいし、性善説派である
それでも人間である限り、カルマを背負った不完全な存在
親鸞聖人の言葉
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
善人でさえ往生できる、ましてや悪人なら尚更だという意味
阿弥陀仏が全ての人々を救済してくれるという前提での言葉
救われない悪人こそ往生できる、と
ここで言われているのも、結局人間皆悪人ということ
自分で善人だと思っているだけで
善人も、悪人も、罪深い業の人間だから
赦しなさい、というキリストの教え
神は全てを赦す
自分のために人を赦しなさいと説く
これも、罪人である人を赦すことは罪人である自分も赦されることになるからである
人を赦し自分を赦し、全てを赦す
自分と自分以外、生まれや美醜、健康や環境、生き方考え方…
外側は何もかも違っても、内側の心は皆同じ
今回の人生で生まれてからの行いが善人だったと本人が思い込んでいるだけ
人を殺めた前世を忘れて生きているのかもしれない
あるいは、善人は自分の大切な人間の命を守るために人を殺めないとどうして言い切れる?
自分の子どもの命が奪われるくらいなら、私は悪人になるだろう
阿弥陀仏もキリストも、全てを赦し慈悲の心で受け入れてくれている
悪人も罪人も愚かな善人も彷徨える子羊も全ての存在を
認めて愛して赦している
それが神の、仏の、大いなる意思の心だから
宇宙の源に存在を赦された全ての存在
我々人間もその中の一部
それら全ての存在は、源と同じ
神である源に近づこうと生きることで進化向上する
神のように仏のように赦す
怒り裁き罰を与えるのは神のみ
人間が人間へ、怒ったりジャッジしたり、傷つけるなど思い上がりである
悪人が人を指差して悪人だと糾弾する
滑稽な姿は神からはほど遠い
赦す意味をわかっていない
善人として悪人を赦すのではない
人を赦すとは、悪人である自分を赦しているのである