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2-2

「……はぁ、何故私が……」

 レーヴェンは教会の扉を見上げて鬱々と呟いた。何故というならルーナの勅命だからであり、そして黒蛇と一般人をそのまま置いておくには不安だからであり――あの小娘が黒蛇の弱点と成りうるのなら、押さえるべきであるからだ。

 どこからか鳥の鳴き声がする。やたらと不気味だ。そして先ほどから香る甘い菓子の匂いも、そぐわないから気味悪い。森の奥にある暗い教会から誘うように菓子の匂いがするなんて、まるで童話のようだった。

 しかしルーナ直々の命令である。司教代々の護衛騎士であるレーヴェンには断る身分もなく、そして理由もない。

 『黒蛇とあの子供の様子を見ること』『子供に【月の慈雨】について教育すること』

 この二つを使命として胸に抱き、彼は一歩扉にちか――

「さっさと入ればぁ、聖騎士?」

「!」

 反射的に腰に手をやる。が、視界に入った黒い布で思い出し、柄からは手を離さずに身体を向けた。

「……黒蛇か」

「やあ。元気かい? そこでゆっくりしてたけどここに用があるんじゃないのぉ? 森が揺れたから誰かと思えば……約束を果たしに? それともあれを殺しに?」

 ぶわりと殺気がもれる。右手が反応しかけたが相手は黒蛇。本当に相対する気なら殺気すら出さずに殺す。つまりこれは試しているようなものなのだろう。

「約束を果たしに、だ。荷物をあらためるか? 背嚢に入っているのは聖書と食料くらいだが。鎧を脱げというのならそうしよう」

「……ふうん。どうでもいいよ。どうせ殺せる……」

 へらへらとした笑いを浮かべたまま、黒蛇は優雅に一礼してみせた。

「いらっしゃい、聖騎士サマ。【飽きた夜の森】へようこそ」


「ああ、黒蛇さん! タルト生地が焼き終わって、後で生クリームを泡立てるのを手伝って欲しくて……あ、あと肉まんはいくつ蒸しますか? とりあえず五つ蒸し始めてて、明日はあんまんやカスタードまんも作ろうかなって」

 聖堂へ入って早々、調理場から雰囲気をぶち壊すような声と匂いがした。この空間も黒蛇が近くにいることもどこまでも非日常なのに、あのシスターとしてここに居座っている子供が作り出すのは日常ばかりだった。甘くて温かい香りがして、レーヴェンは無意識に肩から力を抜いた。

「……騒がしいな」

「あれが居ると本当に飽きない」

 いやにしみじみとした声になんとなく内心で同意する。奇妙な小娘であることには心底同意だった。だからこそレーヴェンがまたこの教会に立つことになったのだから。

「聖騎士も食べる?」

「いや、結構だ」

 そんなやり取りをしながら進んでいると、ふと調理場からの声が不安に濡れた。

「あれっ、黒蛇さんっ? い、いない? かえ、帰ったんですか? 黒蛇さん!」

 迷子のように叫んで、ぱたぱたと軽い足音がして「うわっ」となにかにつまずいたのか盛大な物音がする。

「いるから焦るな動くな」

 前を歩いていた黒蛇が瞬きの間に調理場へ入っていて、レーヴェンも慌てて後を追う。

「おまえね、怖いのは分かるけど動揺しすぎ。料理中にはいなくなったことないでしょ? 材料ひっくり返さなかったから良かったけど、怪我をしなかったから良かったけど」

「で、でも、読書中にいなくなったことはありました」

「おまえのメシを食わずに消えない」

「……黒蛇さん、呼ばれたって言って急にどこか行くから」

 静かに沈んだ声だった。諦念というには手を引くようなさみしさに満ちていたが、それでもどうにもならないと理解しつつも発された音だった。

「……だから、焦るしかないんです」

 そういう、保護者のような真似をしている黒蛇と、確かに黒蛇に保護をされているらしい子供とのやりとりを聞いていた。なんともいえない感情になる。あそこでやや困ったような空気をしている男はしかばねの山を積むことを仕事にしているような存在で、拷問を子守歌代わりにするような概念で、ぬるりと這い寄る死の象徴だ。対する子供は教会が保護するような迷子で、どうしようもないほど訳ありで、本来ならきっと父親以外の男性と会話なんかしないような令嬢だ。

 正しくないとそう思うが、かといってこの二人がどうあれば正しいのかなんかわからない。規格外であるものが二つ、あってはならない森の教会で暮らしている、これ以上の正解がどこかにあるのだろうかと、レーヴェンはぼんやりと思っている。

「俺が居ないことが怖い?」

「っ」

 息を呑む音がして、意識を戻す。

「それとも一人が怖い?」

「……」

 黒蛇がひたりと子供の首筋に手を置いていた。レーヴェンは思わず駆け寄ろうとして、黒蛇の視線で足を止める。

「ひ、とりが、怖いです。朝起きたら誰もいないのが怖い。また、知らない場所に居るのかと混乱して、怖い。日常が壊れるのがいやです……」

「そぉ」

 震えた告白を簡単な相槌で済ませて、黒蛇はレーヴェンを見た。

「じゃあ聖騎士を置くからそれでいい?」

「え」

「は?」

「えっ?」

 子供がこちらを向く。目が合ったと思えば一瞬で顔を赤くして、「うわあ」と細く悲鳴を上げてうずくまった。レーヴェンは燃えるような激情を抱えてつかつかと黒蛇へ寄り青筋を立てる。

「な、え、え? なん、ん? 前来た教会のひと、ですよね? 黒蛇さん、どういう、え?」

「貴様、初めからそのつもりか! この私を呼びつけておいてどういうつもりかと思えば……! おかしいと思ったのだ、ここを囲うだけの場にするのなら、真似事のシスターとさせるのなら教育など不要だと! 黒蛇め、護衛騎士を軽んじるか!」

「あー、あー、あー。俺のコックから先に答えるけど、そう。こいつは以前の聖騎士。司教の専属。でもこれからはここの騎士サマになる。良かったね、おまえの騎士だよ」

「よくなくないですかっ?」

「勝手に決めるな!」

「勝手じゃあ、ないよぉ」

 軽い動作でレーヴェンの鋭い視線をはねのけて、黒蛇はへらへらと笑う。

「俺は司教にこう言った――『土産をくれるのなら、また来てもいい』」

「それがどう――」

 彼ははっとして黙り、眉間にシワを刻む。そしてイライラとしたように指先を鎧に打ち付けだした。青い瞳が不機嫌に細くなるが、考え込むように何も言わなくなった。

「心当たりがあったらしいねぇ。じゃあ、そういうことさ。ねえ、腹減った」

 うずくまったままの子供がその言葉にびくりと揺れて、反射のように立ち上がる。

「う、あ、あとで説明してくださいね!」

「ンー」

 また軽い足音を立てて彼女は蒸かしていた肉まんに向き直る。混乱した表情のまま肉まんの様子を見て、作っていたゼリー液をタルト生地に注いで、途中でこぼしかけて慌てている。

「……おい、黒蛇」

「ン」

「〝土産〟とは私のことか?」

「心当たりがあるんでしょ?」

「また来る時は土産がある時……つまり私がそれだということだな」

 思い当たる節は、確かにあった。いとまを貰った。最近代替わりで忙しかったからと、少しゆっくりするといいと。首を切られたのかと思ったがそうでもなく、ただ休んできてくださいとルーナはいつもの笑顔で言っていた。思い返せばルーナから黒蛇への手紙を預かったときに小娘をよろしくとも言われたのだ。そういえばあれもいやそれも……とレーヴェンは思考の渦にはまっていく。

「そんなんだから任されたことになったんだと思うけど、俺として都合が良い。前に同業者が入ってきたこともあったからさあ。ちょうどいい。この森の教会に記憶を無くした令嬢シスターと訳ありの聖騎士なんて物語みたいだ、ねえ聖騎士サマ」

「いけしゃあしゃあと!」

 噛みつくように叫んで、はたと我に返る。

「同業者が入ってきただと?」

「ン。どーせ教会に入った時点で気付くけどぉ。でも俺がいない時もあるからねえ。俺はあれを失いたくない。だから、おまえが居るなら安心できる」

「……私があの小娘を害するとは思わんのか」

「聖女になる器を壊すの? それも記憶無しっていう条件の揃ったような、司教から誘われたような人間を聖騎士が駄目にするなんて思えない。いくら黒蛇のシスターだとしてもねえ」

「……」

 レーヴェンは黒蛇から視線を動かし、調理場で動く子供を見た。初めの時腕を掴んだだけで泣きだした弱い人間。それなのに黒蛇に懐いていて、ルーナに名前を答えようとするほど無防備だ。

「ルーナ様より封書を預かっている」

 背嚢から取り出した真っ白なそれを渡す。月から雨が降っているデザインの封蝋をはがし、茶色まじりの緑の瞳が文字を読む。

「……じゃあ、ここにある通り、聖騎士はここに居てくれるってことだね?」

「ルーナ様の命令とあらば。レーヴェンの名にかけて、あの娘を守ろう」

 右手を胸に当てて深い礼をする。司教に対してより浅く、けれど挨拶よりはずっと深く。

「よろしく、聖騎士」

 黒蛇はいつもの顔で、人質のように封書を揺らした。




「これうまいね」

「気に入ったのなら良かったです」

 山盛りの肉まんを前に頬張り続ける黒蛇と、にこにことして見守るスミレ。そして眉をしかめて壁際に立つレーヴェン。

「……えっと」

 ふと、スミレはうかがうように隅の鎧を見た。

「れ、レーヴェン、さんは、食べないんですか? あの、黒蛇さんのとは別に用意してあるので、良かったら……」

「私の分は不要だ」

毒を警戒したのはもちろん、やや潔癖のケがある彼は他所で食事をするのを好まない。だから断っただけで他意はない。が、スミレは不安定に表情を崩して顔を下げた。

「す、すみません……」

「あれが怖い?」

「いっ、いえ、その、別に、そういうわけではないです」

「以前泣かせてしまった件については謝罪しよう。それで君の気が済まないのなら顔を見せずに護衛する」

「あっ大丈夫です! あなたが怖いとか、嫌とか、それは無くて」

 細かく首を振り、スミレは頬を赤くして恥ずかしそうに言う。

「断られたのが初めてだったので、それが悲しくて……でも、普通に考えたら良く知らない相手の手料理なんて食べないよねって思って……」

 両手で顔を隠してスミレは続ける。

「黒蛇さんは最初から食べてくれたからなんか勘違いしてて……そうですよね、違うところの食べ物なんて変に見えますし、それをどうぞって言われても食べませんよね……もうほんと恥ずかしい。素人の料理だしおいしいって言ってくれるひとがいるだけで嬉しいのに無理にすすめるなんてよくない」

「はいはい。考え込むのも良くない。食え」

「むぐ」

 レーヴェンはひそかに呆気にとられて目を伏せた。なるほど、本当に奇妙な人間らしい。善性だけを煮詰めて幼い子供に与え続けたらこのような人間が出来るのだろうか。それにしては偶に鋭い発言をする。

「……私は他人の手料理を好まんだけだ。別に君だけの話ではない」

「この教会でそれは致命的じゃない? 俺はメシを作れない。おまえは作れるの、貴族なのに?」

 ぐ、と唸って黙る。

「侍従を連れてくれば――」

「この森に? 何人居ても足りないだろうね」

「……私が料理を覚える」

「今から? 気の長いことだ。それに、教えられるのは結局これ。どこかのタイミングでは食べることになるけど」

「……」

「外に買いに行くのはダメなんですか? 前、黒蛇さんがサンドイッチを買って来てくれたみたいに」

「森と外の行き来と聖騎士の主義じゃあ釣り合わない。おまえは知らないだろうけれどね、この森は飽きるほどの夜を越さないと出られないから【飽きた夜の森】なんだよ。魔力が渦巻き独特な生態系をつくった森を抜けるのは難しい」

 黒蛇の淡々とした声にレーヴェンは不快そうに眉間のシワを深くして、スミレは不思議そうに首をかしげる。

「でも、ルーナさんたちも来たことがありますし、黒蛇さんはよく来ますよ?」

「……あー」

「……黒蛇さん、面倒になってますね?」

「特例ってしといて。後で本を教えるから」

「……はい。ありがとうございます」

 とりあえずは静かになったスミレは不服そうな顔をして、黒蛇の前に置かれた肉まんを一つ取って食べだした。

「……」

 そして更にはっきり不満げな顔をしたレーヴェンが、黙ったまま肉まんを一つ取り、かじってから舌打ちする。

「……貴様、どこの生まれだ。このような食べ物、私は見た事も聞いた事も無いが」

「き、きさま呼び……えと、記憶が無いのでわかりません……おいしくないですか?」

 レーヴェンは嫌な顔をしてまたかじる。

「美味いから言っている」

 ぱっと明るい表情をしてスミレは嬉しそうに笑った。

「良かった!」


 肉まんに加えてゼリータルトまで平らげて、黒蛇はスミレの淹れた紅茶を飲む。

「ごちそうさま」

「おそまつさまでした」

「……美味かった」

「ありがとうございます!」

 彼女は喜びを隠さずに鼻歌まじりで食器を片付ける。作り手として空になった皿ほど嬉しいものは無い。

じゃかじゃかと皿を洗う音がして、調理場のテーブルで黒蛇とレーヴェンが向かい合って座っている。

「交渉成立?」

「何が交渉だ。私はルーナ様の命に従っているのみ」

「おまえに旨みが無いのは俺の主義に反する。あれを守ってくれるなら、それに釣り合うものを返さないと気が済まない」

「ルーナ様や私に手を出さないことで成っているだろう」

「何を勘違いしてるのか知らないけど、俺は無駄な殺しはしないよ」

「……あの子供は本当に記憶が無いのか」

「それを賭ける?」

「護衛するというのならば対象について知っておかねばあるまい」

「ふうん。じゃあそれで成立ね」

「……」

「あれはたぶん【落とし子】だ」

「! 異界からの、か?」

「そうでもないと理由がつかない。知識と警戒の偏りが異常だ。魔力の概念すら知らずに育つ人間なんていない」

「……本当に存在したのか。それこそ空想上のものだ」

「俺の推測だから確実じゃないけどね。おまえもこれから見ているといい」

 皿を洗いながら偶にはにかむ姿。先ほどから聞こえる鼻歌は耳にしたことのない調子。真っ黒な髪と瞳と象牙の肌はどこの国でも見ない特徴。食べた事も見た事もない料理。特異な人間。てらいなく笑う子供。黒蛇に懐く女。

 ふと、レーヴェンはあの小娘とも、黒蛇とも長い付き合いになりそうだと思った。いつの日か他人の、小娘の作る料理を食べることが当たり前になって、教会で教師と生徒のように勉強して、訪れる黒蛇の相手をする。そういう非日常が続く生活。

「そうだな」

 答えた声が思ったよりずっと淡くなって、教会の聖騎士は嫌そうに眉をしかめた。




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