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幕間

時系列としては、2章が始まるまでのどこかという感じ

祈り


「それ、飽きないねえ」

 スミレは固く結んでいた手をほどいて顔を上げる。声は天井から落ちてきて、音もなく着地した。

「黒蛇さん」

「いいとこのお嬢サマは、祈りが趣味?」

 ――祈り。スミレがここに来て、シスターのなりをするようになってから欠かさず行っていること。

 女神像の前で跪いていたスミレは立ち上がり、困ったように笑う。

「いいえ。こんなにちゃんと祈ったことはありません。神様なんて、あんまり信じてないし」

「でも祈る」

「だって、仮にもシスターですし……あと、お願いしますと言い続けるのは、気休めくらいにはなりますから」

「誰に」

「え?」

「誰に願う?」

「……誰にですかね……私、この女神様を知らないですし……とりあえず、神様って呼んで、お願いしてますけど」

「誰の為の祈り?」

 言いにくそうに話していた彼女だったが、その問いに対しては安心したように笑い、迷わず言った。

「私のためです」

「ふうん」




末期の契約


 それは教会の外、けれど森に入るよりも浅いところで起こったことだった。

「お前が黒蛇か」

 黒尽くめの男の声。同業者だが首輪は無い。つまり程度としては低い殺し屋だ。

「お前が邪魔な人がいる」

 そうだろうな、とだけ思う。そして記憶から消す。どうでも良かった。殺せるから殺しているだけで、恨まれようと崇められようと利用されようと、どうでも。

 だから大した躊躇いも驕りもなくいつものように〝仕事〟をしようとして――

「く、クロヘビさんっ」

 背後の、脆く弱い存在を思い出した。純白をまとった女。

「……」

 刃先が鈍ったことを自覚した。だから首すじを切るんじゃなくて、眼球を貫いた。深く、深く差し込む。そしてそのまま抜かずに足を引いた。

「なんでこっち来たの、お前」

 ぐらり、と声も上げないまま死体が倒れた。血はあまり流れない。そういうふうに殺した。

「だ、だって」

 真っ青な顔色で、それでも彼女は黒蛇に近寄った。横の死体をちらりと見て、目元に涙を滲ませる。

「外から気配がするから行ってくるなんて、心配になるじゃないですか! 危ないって言われても、それはクロヘビさんも同じでしょうっ? 心配くらいしたって――」

「あのね、前も言ったけど。俺は殺す側なんだから心配なんかしなくていいよ」

「いつ、いつ死ぬか分かんないじゃないですかっ!」

 悲鳴に似た声だった。泣きそうな顔をして、けれど唇を噛んで耐えて、そしてまっすぐに黒蛇を見ている。その真っ黒な瞳が薄く張った涙の膜で揺れて星のように光る。黒蛇は瞬きをして見返す。

「く、クロヘビさんがとても強いのは知っていますけど、死って、突然来ます、たぶん。私の世界が急に壊されたのと、同じように」

 吐き出すような言葉に、ああ、怯えてるんだなあとやっと気付いた。そういえばこの女は、どことも知れぬ場所から来たのだと思い出す。黒蛇が心配であるのは本当だろうが、しかし命綱である存在を失うことへの恐怖もあるんだろう。黒蛇の心配と、自分の心配をしている。人間らしいと思う。この聖女のような女の弱く強かな部分を知るのは黒蛇だけだった。

「だから、私、クロヘビさんに死んで欲しくな――」

「安心しな」

 この女にしか使わない単語だった。これまでも、きっとこれからも。


「死ぬ時はちゃんとおまえも連れて行くから」

 それに、彼女は驚いたように息を飲んで。そうして花のように笑った。




どうか



「そういえばさ、おまえ、発音がおかしい」

 ひき肉のパイをさくさくと食べている黒蛇が、唐突にそう言った。

「発音、ですか?」

 スミレはパイだけでは足りないだろうと考えて、追加のペンネを茹でているところだった。

 ――発音というのなら、言葉が通じてること自体がおかしいけど……

 そんなことを考えながら黒蛇の方を見ると、彼は無表情でパイを口にいれ、目を細めたり丸くしたりしている。

「俺の呼び方」

「クロヘビさんの?」

「それ。俺は黒蛇。発音、ちょっと違う。俺は飼われた黒い蛇。絡んで気付かれぬまま殺す蛇」

 ああ、とスミレは納得する。たぶん、意識の違いだ。

「私はクロヘビってのを名前だと思って呼んでるんですけど、違うってことですよね? 偽名というより、役職名……」

「ウン。だから、呼ぶなら黒蛇。それだと名前を呼ばれているような気になって、気持ち悪い」

 茹で上がったペンネをザルにあけて、温めておいたミートソースにからめる。仕上げにチーズをどっさり入れればスミレ好みで、たぶん黒蛇好みだ。

「気持ち悪いんですか」

「……」

 この沈黙、説明をめんどくさがってる沈黙だ。もしくは言っても仕方ないと思ってる。

 黒蛇に言われるがままに教会で暮らし始めて日が経って、なんとなく彼のことが分かるようになってきた。

「いえ、別にこだわりとかある訳じゃないですからいいんですけどね。はい、黒蛇さん。ミートソースペンネ、出来上がりました」

 いつの間にか空になっている皿を回収して完成した料理を運ぶ。無表情なのに瞳だけが素直な彼は、目に見えて明るい色をして頷く。

「ウン」

「パイ、美味しかったですか?」

「ウン」

 大盛りの大皿を前に緑混じり茶色の瞳が輝く。くすりとスミレは笑った。ペンネを食べ始めた黒蛇は、パチパチと瞬きして、そして無音ながらやや勢いよくフォークを進める。

「そんなに気に入ったのならまた作りましょうか、ペンネ。次はホワイトソースとか」

「ウン。ありがと」

 手を止めないまま、黒蛇が小さく言う。まともなひとではないと知っていても、どうにもこういうところが可愛くて、スミレは逃げ出そうなどとは思わずにいる。

 元々料理を作るのは好きで、そして自分の料理を食べるひとを見るのが好きだ。その点黒蛇はひどく純粋に好きを態度に出してくれる。この教会が世界で一番安全だと思っている訳ではない。そう思えるほど知らない。でも、こういう生活を続けていられるなら。

「なら、次来るときは美味しい牛乳とバターを持ってきてくださいね」

 噛まない蛇と暮らす日々なら、どうかこのままで。



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