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幕間2

祈り


「シスターは神様っていると思ってますか?」

 ルチは唐突に聞いてみた。予想通りシスターは目をまん丸にしてオニギリとかいうものの調理を止める。黒い瞳が自分だけを見ている優越感。

「オレ、シスターの真似して祈ろうかと思ったんすけど、どうしても祈ってるうちに相手が神様じゃなくてシスターになっちゃうんすよね。あと祈りってなに考えればいいか分かんねーし」

 祈りというのはどうにも馴染みが無かった。おのれの力でなんとかするのが常だったし、神に願うほど曖昧な人生を知らない。それで救われるような生ではない。神とやらがいるのならどうして自分はスミレを手に入れることが出来ず、腕も目も失うことになったのか。

 神サマっていうのは選ばれた人にだけ見える縋る先なんだと思っている。

「うーん、私はいっぱいお願いごとを言ってますよ。明日も晴れますようにとか、ごはんが美味しく作れますようにとか。いい子でいるから見守っていてください、みたいな」

 だから、シスターが照れたように笑った時、呆気にとられてうっかり黙り込んだ。

 ああこの女、ホントにちげぇ場所から来たんだ、と思った。神に対しての思想から違うんだ。

「それが、シスターの祈り?」

「はい。自分で出来る範囲の外のことって言えばいいんですかね。あなたが幸せでありますようにって思ってます」

 いたずらっぽく笑っている女への渇望がわく。シスターと話すたび、笑ってくれるたび、心のどこかが満たされる。それが欲しいと思う。

「……じゃあ、オレは、シスターがずっと側に居てくれますようにって、シスターが……しあわせですようにって、祈ります」

 この、彼女に手を伸ばしたくて堪らない感情を、どこかに閉じ込めてしまいたい衝動を、けれどそうしてしまえば笑ってくれないんだろうなという悲しみを、縋るような求愛を、ルチは祈りとして抱いた。

「ありがとうございます」

 彼女が嬉しそうに笑うから。







祝福



「ルチ。教えて欲しいことがあるんですけど」

「なんすか?」

「お祝いの時って何を食べるんですか?」

「は? お祝い? なんのすか?」

「ええと、お誕生日の。前、レーヴェンさんが雪の日に生まれたっていう話を聞いて、今の季節に近いから誕生日パーティーをしようと思ってまして」

 夕日の髪と海の目を持つ騎士様を、スミレはとびきりの感謝をこめて祝いたかった。誕生日ってお祝いだ。祝福だ。生まれてきてくれてありがとうの日で、出会ってくれてありがとうの日。

「私の感覚だと、ケーキと、美味しいごはん。あとプレゼント。それが誕生日パーティーなんですけど」

「はあ……なるほど。そりゃ、オレみてえなド底辺に聞くことじゃあないですね。クソ蛇にでも聞けばいいと思いますよ」

「? それでもお祝いはするでしょう? それに、黒蛇さんが普通の家庭が分かるとは思えないです」

「あー、そ、すね」

 ルチは口元に、スミレでも貼り付けたと分かる笑みを作った。そのまま、出来るだけ柔らかくなるように意識しているんだろうなという声色で

「でも、オレよりはあいつのが適任だ」

 と言った。それにスミレは言いたくないことなのだという理解をして、大人しく頷く。


「で、俺のとこに来たんだぁ?」

「はい」

 スミレは小腹が空いたという黒蛇のため、すいとんを作りながら言う。具はキノコとごぼうと昨日の残りのつみれ。味付けは味噌で、すいとんの生地にはいりごまを入れるのが好み。どこから材料を手に入れているのか、ルチがここに来てから加速度的に日本風の料理を作れるようになってきた。それが喜ばしくて、けれど微妙に味が違うから郷愁を煽る。

「誕生日のお祝い、ねえ。そりゃあれには遠い話だ」

「普通はお祝いしないんですか?」

「しないね。王族くらいじゃない? 簡単なやつならするかも知れないけどさあ。生まれてきてくれてありがとうじゃないね。そんなのはないよ」

「はあ」

「必要なものねえ。必要なものは、この国だと金貨の埋まったパイ。隣の国は山程の贈り物。反対隣は、なんだったかなあ、ああ、親族の髪と聖なる火。ついでに祝辞。どうでもいい?」

「ええと、いえ、参考になりました。つまり――好きなようにしていいってことですよね?」

「そう! それがいいよお、おまえはどうせ落としモノなんだ、なぁんも気にする必要が無い」

 薄い笑み。けれどスミレはそれに勇気づけられて、ぐっと拳を握った。

「よし! 好きにします!」


***


「というわけで全部いいとこ取りにしました!」

 キッチンに入りきらなかったから聖堂にテーブルを持ってきてまで広げられた料理と、小さなプレゼントボックスがひとつ。

「ケーキと、ごはんと、金貨の入ったパイと、プレゼント! レーヴェンさん、誕生日おめでとうございます! 生まれてきてくれてありがとうと、出会ってくれてありがとうのパーティーです」

 聖騎士は呆気にとられて黙り込んだ。こんなに驚いたのは人生初ではと思うほどに動揺した。

 彼女がせっせと仕込んでいたのは知っていた。手の込んだものばかり用意しようとしていて、また黒蛇に頼まれでもしたのかと思っていた。あまり頻繁に起こるようなら叱ろうかと考えていた、のに。

 彼女はレーヴェンのためだという。

 並べられた食事の中に、彼の生まれ故郷のものがあったり【月の慈雨】の信徒が好んで食すものがあったりするのはきっと黒蛇の入れ知恵だ。

 貴族の祝い事で必要な飾りやプレゼントの包装の仕方なんかは恐らくルチが教えたんだろう。

 なにも言えないまま、彼女はニコニコと嬉しそうにレーヴェンを見ている。そのまなざしの優しい色。

 軽い足音が寄ってくる。菓子の甘い匂いがする。黒い髪と黒い目の、異世界の子供。

 黒蛇へ、商人へそしてレーヴェンへ、純な親愛を向ける愚かもの。

「嬉しくなかったですか……?」

 不安でかげった彼女にようやく我に返り

「感謝する」

 とだけ、かろうじて言う。かすれた声で。

 それにぱあっと光みたいに笑って小さな包みを差し出した。

「レーヴェンさん、これ、プレゼントです。あなたは自分の瞳の色が嫌って言っていましたけれど、私にはこんなに綺麗に見えてるって伝えたくて。海の色のブローチ!」

 受け取った重みに胸が詰まった。瞳の色の贈り物は求婚と同じだぞという言葉すら出て来なくて、レーヴェンは目の前の子供がこぼしていたいつかの郷愁を思い出す。海色の瞳、見渡す限りの深い青。司教ルーナの色とは違う、けれど彼女が美しいと言うそれ。

「……そうか」

 ブローチの出来がどんなものであろうと感謝を言う心持ちをして――

「は?」

「へえ、海の雫か。こんな大粒なの初めて見た」

 転がり出てきた石が国王すら持っていないような高価な類だったのでレーヴェンはひっくり返った声しか出せなかった。

「いい細工だね。台座は聖銀か。メフェロの遺作にあったね、こういうブローチ。未発見だったはずだけど」

「待て、待て! 海の雫? 未発見のメフェロの遺作? 本物かっ?」

 淡々と黒蛇が言うので嫌な汗をかいて彼は問い詰める。極東に居るという巫が千年かけて清める、海の神秘を抱く宝石 海の雫。銀で出来ている宗教都市からとれる聖銀。鉱石の声を聞くことが出来たという細工師メフェロ。全てがおとぎ話の世界の話で、レーヴェンの手にあるのはホラ吹きですら言わないようなシロモノである。

「ナメんな本物だわ」

「流石ルチの名を持つだけあるね」

 くらりとする。これは一介の貴族が持つようなものじゃない。本来なら王族に献上する、しかもその上で大切に仕舞われ代々受け継がれるタイプのものだ。

 何故そんなものが実在したのか。そしてルチが手に入れることができたのか!

 どうせ小娘は『海色のブローチが欲しい』しか言っていないに違いない。おのれの権威を見せつけようと、掘り出し物をとってくる犬のように駆けずり回ったにきまっている!

「……レーヴェンさん、嬉しくないですか?」

「ぐ」

 もはやそういう次元ではなく。レーヴェンは手のひらにある値段のつけられないブローチの扱いに困っている。本当なら手放すべきだ。しかし根掘り葉掘り聞かれるだけで済むなら御の字だし、黒蛇やルチほどの目利きもそうはいない。信じてもらえたとて最悪隠していたとして投獄沙汰である。

 つまり。

「……」

 レーヴェンは心の中で女神に向けてありとあらゆる言い訳を並べつつ、ブローチを胸につけた。保護の魔法でも掛かっているのかやたら煌めいていて、スミレの瞳と同じ輝きをしていた。

 ――肩を下げてふっと笑う。何をもらおうと、どうせこの顔を曇らせることは出来ないのだ。

「感謝する。大切にすると誓おう」

「えへへ、どういたしまして!」


「ところで商人がこれを用意するのに、おまえは何を支払ったの?」

 勝手に料理を食べていた黒蛇がかくりと首を傾げた。

「それは――」

「オレがシスターに依頼したンだよ、その報酬」

 スミレが答えようとしたのをルチが淡々と切る。彼女はちょっと困った顔をして、黒蛇は緑混じりの茶の瞳を細めた。

「どう考えても釣り合っていないだろう、それは」

 レーヴェンはぼやきながら席につく。主役が食べる金貨入りのパイは流石にまだ齧られていなかったので、ザクザク切り分けてスミレの方にも置いておいた。放置すると黒蛇に空にされるので。

 彼女はありがとうございますと言って黒蛇の隣へ座る。そしてフォークに指をかけて、パイの欠片を頬張った。

 そのさまを蛇が見て、もう一度聞いた。

「何をしたの?」

「ええと、ルチに本の読み聞かせをして、私の故郷の話をして、ルチが好きなおやつのレシピを書いて渡しました」

 今度はルチが止める間もなく答えられてしまったので、彼は天を仰いで乱暴に座った。罵倒はかろうじてこらえる。スミレに苛立っているんじゃない、目端の効きすぎる蛇が不快なだけ。

「ああ、それは使い方によっては足りるねえ――商人、後でお話し合いね」

「……うい」

 椅子を斜めに傾けて不機嫌に舌打ちしたルチを無視して黒蛇は料理に向き直る。おろおろしていたスミレも飼い主がそれ以上何も言わないのを見て彼と自分の皿にサラダを盛った。

「ねえ、これ、うまい」

「良かった! 前にレシピを読んで試してみたかったやつなんです。お口に合ったなら嬉しい」

「並べられているので全てか? 黒蛇の腹におさまりそうだが」

「あとはデザートが同じだけ、あ、ルチの好きなシチューもあります」

「……欲しいっす」

 彼女は席についたかと思えば立ち上がって、また座ってとせわしなく動き回る。けれど楽しそうだったので三人とも手伝わずぼんやりと眺めていた。


 誕生日。生まれてきてくれてありがとうで、出会ってくれてありがとうの日。

「……祝うのはこちらだろうに」

 落としモノで黒蛇専属のコック。奇跡を織るような確率でいま目の前で笑っている女。

「レーヴェンさんも良かったらどうぞ」

「いただこう」

 後で彼女の誕生日を聞こう。その日には海を描いた絵を贈る。ついでに黒のアクセサリーの一つでもやって、教典を読んでやる。レーヴェンの出来ることの全てを渡す。彼女が渡してくれるから。

「ありがとうございます、レーヴェンさん」

 同じだけの感謝を返す。黒蛇やルチだけが差し出すのは少々癪なので、彼女が驚くほどのものを返すのだ。






お話し合いの様子



「で、どう扱う気? 黒蛇に嘘はバレると知ってる? その瞳、丸呑みにしたっていい」

 片目しかないことを分かってそう脅してくる蛇男にルチは思いっ切り顔を顰めた。シスターが見れなくなったら死ぬ。

 なのでぼそぼそと告げる。

「……あー……故郷の話は知り合いの作家に売る」

「遠い国の話だって言って?」

「脚色の多い奴だから問題ねぇだろ」

「完成したら読むよ。で、レシピ、見せて」

「はいよ」

「……ふうん。変なとこは無いかな。あ、誤字。ここは文法が違うね。うん、いい勉強になったみたいだ」

「それは隣国の貴族に。偏執狂の美食家野郎だ、知ってんだろどうせ」

「知ってるよ。彼の人の為に仕事をしたこともある。金払いがいい、執着が無いから」

 ――つまり、ルチが売るのは〝おとぎばなし(異世界の情報)〟だった。本の読み聞かせは甘やかされたいルチの趣味だけれど……シスターの故郷の話もレシピもこの世界には存在しないものだ。そしてそういう与太話は殊の外高く売れる。未知は金では買えないから、手に入るとなると金を出せる人種が何処までも出すのだ。

 だからあのブローチの代金としては十分釣り合う。物が文字になるだけで希少性は変わらないからだ。

 売り方と相手さえ選べるのなら。

「……黒蛇サマのお許しは出たか?」

 そしてそれを為せるのがルチだ。今回の件は有能さの証明にもなるのでプラスの方が大きかった。聖騎士と黒蛇に使える駒だと思われて損は無い、シスターの側に居るためには。彼女は清貧を美徳とする質なのか宝石もドレスも望まないので、せっせと欲しがる食材を貢いでいたがそろそろ大きく信頼を勝ち取りたかった。今回の件は商談としてルチの大勝。

「別に止めようなんか思ってなかったよ。おまえのことだから下手な使い方はしないだろうし。ただ興味があっただけ」

「んなこと言っといてオレが嘘ついたら殺しただろ」

「当たり前でしょ?」

 ちらちらと灯りを返す目は暗い。首輪にある石は深紅。これは人間ではない。人を殺すのが趣味の毒ヘビだ。シスターはなんでか、懐いているけれど。

 邪魔くせぇ、と心底思う。シスターが黒蛇のお手つきでさえなければとっくにルチのものだったのに。蛇はとぐろを巻いて財宝を隠し、聖騎士は生真面目さに欲を混ぜて剣を抜く。

 嫌になる。欲しいだけなのに。ルチだけの特別できれいなおんなのこ。甘い匂いのする天使さま。汚した果てでも笑っていてほしいひと。

「二度目の警告をされたい?」

「心読むな異常者」

 べーっと舌を出して威嚇し、ルチはずかずかと部屋へ戻った。シスターが用意してくれたルチだけの部屋。ふかふかのベッドは暗い森の中のくせにあったかい匂いがするので、まあまあ気に入っている。

 諦められやしない。嫌になる。







あなたの名前、私の名前


「黒蛇さん」

 スミレは彼が満腹になったタイミングを見計らって、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「ウン」

「黒蛇って、役職のことなんですよね?」

「そうだよ」

「それって……つまり、私は黒蛇さんのことを、例えば部長さんって呼んでることになりますよね?」

「ン?」

「ああ、えっと、騎士さん、とか」

「ウン」

「その――変じゃないですか?」

「なにが?」

「私、黒蛇さんに名前を聞いたのに。役職で答えるって、変ですよね? それに、こんなにお世話になってる相手を役職呼びし続けるのも、やっぱりなにか変ですよね?」

 かくりと黒蛇は首を傾ける。

「それが普通だよ」

「でも、ルーナさんとかレーヴェンさんとかルチとかは名前ですよね?」

「それを名前と呼ぶならば」

「?」

「本名じゃない。先代の司教もルーナという。その側近の聖騎士は代々レーヴェン。商人のあれは屋号。だからそれを名前というなら、黒蛇だってそうだよ」

「……えっと、よくわからなくなってきたんですけれど」

「ウン」

「名前って、そのひとだけの大事なものじゃないんですか?」

「大事だから隠すのさ」

「……」


 そういう会話をした後日のこと。

「黒蛇さん!」

「ンー?」

「前、名前について教えてもらったじゃないですか! だから、クロさんって呼んでもいいですか?」

「説明」

「はい! えっと、黒蛇は役職だからって言ってて、他のみなさんも名前じゃないなら、私が黒蛇さんのことを好きに呼んでも同じかなって思いました!」

「……」

「だから、クロさん! 嫌じゃなかったら、今度からそう呼びたいです」

「……」

「あの……」

「……」

「い、いやでしたか? 馴れ馴れしい?」

「……おまえ」

「! はい!」

「馬鹿だね」

「?!」

「いいよ、好きに呼びな。どうせおまえだけだから、俺のことを呼ぶなんて」

「――やったあ! ありがとうございます! じゃあ、これからもよろしくお願いしますね、クロさん!」

「……ン」





黒蛇とスミレ


「かくれんぼしませんか?」

 ここ数日ずっとそわそわしていたスミレがそう言い出したから、黒蛇はまた呆れて首を傾ける。

「ン?」

「あ、えっと、かくれる側と隠れた子を見つける側に分かれて、っていう遊びです」

 その呆れを分からないからだと受け取ったらしい。欲しい説明はそこじゃない。

「うん、知ってる。兎と狼でしょ? おまえ、俺とそれをやって勝負になると思ってる?」

 国家の殺し屋。天下の人殺し。蛇のように無音で人を殺すから、黒蛇。闇夜にもかかわらず見えているかのように追うからそう呼ばれるのだ。

 その黒蛇に、一般人より弱い女が見つけてみろという。

 馬鹿なの? と彼女を見つめていると、スミレは慌てたように手を振った。

「違います! 思ってないです! なので、物を隠したので。クロさんが探してください」

「物?」

「前にクロさんが食べたいって言ってたお菓子と、ルチに買ってもらった美味しいお酒です」

「飲んだの?」

「飲んでないです! お酒はルチとレーヴェンさんが決めてくれました」

「ふうん」

 食べたいと言ったお菓子はなんだろう、と思う。心当たりが無い。だって彼女が口にした料理名の全てに食べたいと返しているから。そう言ったことが多すぎて、逆に心当たりが無い。

 でもスミレの作るものは全て美味しい。だから何が来ても美味しいだろう。

「見つけたらくれるんだ?」

「はい! 難しいところに隠したので、がんばって見つけてください!」

「ウン、じゃ、まずおまえのポケット。甘い匂いがする」

 スミレの身につけているエプロンのポケット。ミルクみたいな、焦げた砂糖みたいな、甘い匂いがしている。

 彼女はぎょっとしたように目と口を丸くして、そして眉をしかめたあと観念したようにそれを取り出した。

「に、匂いで分かるのはちょっとずるいです」

「それを考えてないのが悪いね。瓶にでも入れたら気付くのが遅れたかも」

 菓子は小さな包み紙に入っていて、だから匂いが防がれずにただよう。

「あー、なるほど……次はそうします……」

「ン。それは?」

「キャラメルです。牛乳と砂糖を煮詰めたもの……みたいなやつです。歯にくっつきやすいので気をつけてください」

 手のひらにいくつか転がされたそれを掴んで自分のポケットに入れる。きっとこれは一部でまだあるに違いない。だから残りをさっさと見つけてしまおうか。

「酒ね。おまえが隠しそうな場所って言ったらどこかな」

「言いませんからね」

「おまえの部屋? キッチン? あいつらの部屋は違う? 聖堂のどこか? あー、ああ、俺の部屋?」

 じっとスミレの顔を見ている。正しくは表情を。そして黒蛇が口にした単語の一つでわずかに歪んだ目元を見逃さなかった。

「聖堂ね」

「なんで分かるんですか!」

「表情を読んでるから」

「……表情……?」

 教えたところで対策がとれるとも思わないから教えてやる。黒蛇が身につけている技術の全ては人殺しの為に磨かれた一級品だ。人は嘘を嘘と思って話す時、必ず身体に反応が出る。商人みたいな人種はそれがとても小さくなるけれど、全く出ないことはない。表情ではないところにあらわれたりもする。例えば魔力の揺れだとか。

「聖堂のどこだろう」

 黒蛇が歩き出すと彼女の軽い足音が続いた。やや早足になっていたので歩みを緩める。隣に沿って女の体温がある。

「教壇の下? 椅子の上? 柱の影、シャンデリアの中?」

「か、顔が見えなければバレないですよね」

 そう言って両手で覆っている。こけるよ馬鹿。

「教壇の下」

「なんで?!」

「あはっ」

 変なの、と思った。まんまるの瞳。どうしてなんでとブツブツ呟く口。真っ白な修道服。甘ったるい匂い。素直な人間。

 喉に噛み付いて絞め殺せば自分だけの物になるだろうか。火を通して腹におさめてしまえば。そうすればこれは世界で俺だけのもの?

 ――でも、二度と声を聞けやしない。料理を食べられない。笑顔を見られない。泣いても慰められない。

 それは勿体ないなあ。

「足音で分かるよ、そんなの」

 胃袋を掴まれた黒蛇は自分の変化に気付かない。自分が笑っていることに気付かない。彼女といるときはいつも薄く微笑んでいることに気付かない。仮面代わりの薄笑いではなくて。もっと穏やかな。雛鳥を見守るような色。

 世界の誰だろうと殺せる黒蛇は、彼女だけは殺せない理由を知らない。




 黒蛇が教壇を除き込むと想像通りに瓶が置いてあった。

「ほらあった」

「うう、正解です……」

「悔しそう。喜ばない?」

「見つけてくれたのは嬉しいですが、それはそれとして悔しいです」

 黒蛇に挑むのが間違いだろうにと思っていれば、つまらなさそうな顔をして足を組んでいるルチが舌打ちをしていた。レーヴェンは肩をすくめている。

「だぁからやめときましょうって言ったんすよ、シスター。そいつ相手に隠し事は向かねぇ」

「まさか紅茶を淹れるより早く見つかるとは思っていなかったがな」

 キッチンからキャラメルと茶の匂いがする。

「本当は夜ごはんの時のためだったんですが……そのお酒、おかしにも合うんでしたっけ」

「【黒真珠】か。ウン、メシにも菓子にも合うよ。趣味が良い。どっちが選んだの?」

「私だ。飲んだことがあったか?」

「まあね。でもいいよ。これの料理と食べればまた味は変わる」


 落としモノと黒蛇と、レーヴェンとルチの茶会はキャラメルと紅茶で囲まれる。あと、ホットサンド。黒蛇が足りないと言ったのでハムとチーズ、照り焼きチキンの二種類のサンドイッチを山のように作ってみた。

 スミレは紅茶にレモンを入れた。黒蛇は黒真珠を手酌で飲む。レーヴェンはストレート。ルチはスミレ特製のホットミルクでキャラメルを溶かすように飲んでいる。

「どんな味なんですか?」

 スミレはうずかせた好奇心のまま、キラキラと黒蛇を見つめる。黒真珠という名前なのにどこまでも透き通った水のような酒だったから味が気になった。プレゼントは二人に一任したので、味も何も知らない。実は一本で庶民が半年遊んで暮らせる額なのだがもちろん知らない。

「ン? 飲む? 舐めるだけだよ」

「あーシスター、やめておいた方がいいすよ」

「……まあいい経験にはなるだろうが」

「え、美味しくないんですか」

「美味いよ」

 差し出されたグラスを受け取る。匂いもない。だから好奇心は増すばかりでそろそろと口を付け――

「っ、う、あ゛っま!」

 思いっ切り顔をしかめて叫んだ。

「やはり甘くなったか。それはな、魔力の多寡で味が変わるんだ。一般に少ないほど甘くなる。だからこその王室御用達だな。パーティーなどで力の誇示の為に出されることが多い」

「酒に人生賭けた気狂いが作ったシロモノで、魔力が多いと、そのイカレ野郎曰く黒真珠の味がするそうです」

 返されたグラスをゆっくり傾けている黒蛇をうかがうが彼は訂正せずにいる。話すより食べるのに忙しいらしい。

「く、黒真珠の味?」

「噂によると、とろみがあってほんのり甘く、しかしくどくはない、だったか?」

「それは気になりますね」

「オレが飲んでも喉焼けるくれぇに甘ぇから、シスターに教えてあげられないんです」

「そうですか……レーヴェンさんも?」

「一度だけいただいたことがあるが……飲めなくはない程度だったな。本物には程遠かろう」

 ますます気になる。この場では黒蛇しか知らないのだ。

 ホットサンドイッチを一人で何枚も食べている黒蛇へ、スミレは眉を下げてお願いする。

「ねえ、私が飲んでも甘いだけだから……教えてくださいよ、クロさん」

「ンー」

 ちろ、と黒蛇は彼女の方へ視線を動かした。かなり度数の高い酒なのに簡単にグラスを空にして、そして酔った様子は無い。光の無い目はゆっくりとまばたきをしてスミレを見ている。

「シスター、味の記憶でよければ売りますよ」

「味の記憶?」

「小娘に妙な知識を与えるな、商人」

 なんとなく黒蛇が隠したままでいたので、シスターの気を引きたいルチが[王室御用達である黒真珠の味の記憶の売買は裏御用達で、そしてそれを取られた者は廃人になる]という話を始めようとした。彼女にはすべきでない話。

「パールの味を知りたい?」

 だからわざと音を立ててグラスを置き、スミレの真っ黒な瞳が向くのを待つ。

 黒蛇を見つめる濡れたように鮮やかで、きらきらとしていて、無垢で純粋で愚かで、生きるのに必死なちいさな光。

「おまえの眼球を舐めたのと同じ味がするだろうね」

 そうに違いない。


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