35日目
35日目――
あかぎれも痛いし、それほど痩せないし、この国の男たちは男尊女卑ですぐ怒鳴るし。
前世に戻っても死ぬというなら、いっそここで……。
見下ろした川はごうごうと音を立てて流れている。
昨日まとまった雨が降ったせいだ。
(昨日は城内清掃だったから助かったけど、これだけ降ってても洗濯はサボれないんだもんね)
城の他のメイドたちも気の毒である。
石鹸の質も悪いから、汚れも落ちないし。
普通の洗濯はまだマシだけど、騎士の汗だく泥だらけの臭い下着とか靴下とか最悪。
あとやっぱり事後処理、最悪。
(そういえば、いつも私に仕事を押し付けてきたナカコは元気かな)
元の世界の同僚に思いを馳せた。
パソコンの調子が悪くなれば私が後ろを通ったからだと難癖をつけ、ちょっと奮発して豪勢な弁当を食べてると、その弁当にそれだけの価値はあるのかと隣の席からネチネチネチネチ。それから、終わらなかった仕事を私に押し付けて最初に帰るのに、次の日にはその仕事はナカコがやったことになっていて。
(今となっては、ナカコの性格の悪さなんて大したことなかったな。本人は美女を気取ってたけど、変なおっさんにしかモテてなかったし)
召喚された夜は、次の日が休みだからお酒を大量に飲んで寝ていた。
家族の全てを五年前に無くし、恋人もおらず、親しい友達とは疎遠になってしまい、孤独だった。
それでも平和だった。
幸せかと問われれば、首を振るような人生ではあったけれど。
(諦めていた人生が終わったのなら、そこで終わりでよかったのに。こんな世界に転移されたって、結局もっとつらくなっただけじゃん……)
どうせ元の世界で死んでるのならば、いっそこの川に飛び込めば――
「やめときなよ。たぶん、苦しいだけで君は助かるよ」
「え?」
振り返ったら、背の高いヒョロリとした遊牧民のような青年が私を見下ろしていた。
随分と痩せていて、手足がやたら長い男だが、顔立ちは日本人のようなアジア系の顔だったので懐かしさを感じる。
これだけ痩せていれば罪人ではないだろう。
「あなたは?」
「通りすがりのスン君とでも」
ヤバい人だろうか。
なんとなく無視したくなって、洗濯の続きをはじめた。
あかぎれは痛いし、汚れはちっとも落ちないし、辛い。
「コレ、ちょっとずつ食べるといいよ。肌の調子がよくなる」
「なにその怪しいサプリメントみたいな謳い文句は」
「……何を言ってるのか意味はわからないけど。ただのナッツだよ」
スン君はナッツの入った袋を私の脇に置いて城の方へ歩いて行った。
その夜、どうせ死のうと思っていたんだから食べて死ぬかもなんて気にしなくいいということに気付いて口に入れた。
「あぁ、結構美味しい」
転移前なら食べなかったと思う。
塩気が足りないし、湿気を含んだような味もする。
それでも今は美味しく感じる。
そのぐらい飢えていた。
ここの食事は大抵何かが足りない。
塩分だったり糖分だったり食感だったり。
このナッツよりもっと美味しくないのである。
「結構、お腹が膨れるわ」
そして私はナッツを食べても死ななかった。
むしろ、次の日起きてみたら疲れが取れていた。
「魔法のナッツ? なんてことはないか。私、頭おかしくなったかな」
自嘲しながら顔を洗った。
いつもなら洗濯や掃除で痛めた腰にひびく体勢だ。
うん、やっぱり腰も痛くない。