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第六話 【密着】メンバーで同棲生活はじめたらカオスすぎて楽しすぎたww 

 くじらさんの言葉通り、一宮さんは翌日の合同練習に平然と現れた。

 一宮さんなりに思うところがあったのか、あの日以来、一宮さんが練習中に私に嚙みついてくることはない。

 そして、一宮さんの変化はそれだけじゃなくて、


「あ、一宮さん、お風呂沸いたけど、どうする?」

「あー。うん、ありがと。あたし後で入るから、あんた先入っちゃっていいわよ」

「…………」

「なに? 人の顔をジロジロ見て。どうかしたの?」

「いや……一宮さん、私の後は嫌がると思ってたから。それに今、ありがとうって……」

「……あんた、あたしのことなんだと思ってるのよ。別にそんなことで嫌がったりしないし、ありがとうくらい言うわよ。普通に」

「そ、そうよね。ごめんなさい……」

「別に怒ってもないし、こんなことで一々謝らないでいいわよ」


 ……すごい普通だ。

 いや、こんな感想を抱くのはおかしいって自分でも分かってるんだけど、この間の一件から一宮さんとの会話がやたら普通で、いっそ穏やかですらあるのだ。

 少し前までは私の何気ない一言に一宮さんが嚙みついてきて、毎日のように勃発していた小学生の喧嘩みたいなくだらない言い争いも、最近は殆ど起きていない。


 本来であれば、それは喜ばしい変化のハズなんだけど……何故だろう、現状の私たちの関係に、物凄くモヤモヤしている自分がいる。

 理由はわからないけどこのままじゃいけない。

 そんな気はするんだけど……。

 結局、言語化できないモヤモヤを抱えたまま、何も出来ずに時間ばかりが過ぎていき——


「——はいっ。ワン、ツー、スリー、フォー、合わせてターン」


 十月中旬、某日。『A;ccol❀aders』のお披露目ライブまであと一週間を切った午後二時半の昼下がり、レッスンルームにくじらさんの掛け声が響く。

 流れる楽曲と手拍子、弾ける汗と靴裏と床の擦れる擦過音に、身体も心もどこまでも深く、深く、沈み込みように没入していく感覚。

 気の遠くなるような反復の果てに意識せずとも音に合わせて動くようになった身体を、けれども私は、その操縦桿を決して手放さないよう強く深く意識する。

 冷静に心を研ぎ澄ませて足先から指先まで掌握し、ありとあらゆる動作に意図を持って正確に作動させ、けれども熱く滾るように大きく表現する。

 徐々に上昇していくボルテージに呼吸を合わせ、リズムを刻みステップを踏んで、それらが最高潮に達したその瞬間——


「——いたっ……!」

「くっ……⁉」


 私と一宮さんは交錯するその瞬間にぶつかり転倒、その場に尻餅を付いてしまう。


「——ストップ、そこまで。二人とも大丈夫? 怪我はない?」


 曲を止めたくじらさんが駆け寄ってきて私たちの無事を確認する。

 私も一宮さんも頷いて、すぐその場で立ち上がった。

 一宮さんにも怪我はないようで、私は内心ホッと胸を撫でおろす。


「……うーん、やっぱり同じところで詰まるわね~」


 考え込むように顎に手を当てるくじらさん。彼女の言葉からも分かるように、この失敗はこれが初めてではない。今日だけで既に十数回、全く同じ要因での失敗が続いていた。


「ごめん、くじ姉。今のところ、頭からもう一回お願い」


 今、私たちがやっているのはライブの最後に披露する楽曲の合わせだ。

 ライブ終盤の見せ場となるラストのサビの部分で、私と一宮さんは交錯する瞬間に互いのポジションを入れ替えるように上手くステップを踏みターンしなければいけないんだけど……今日は最初の一本目に成功して以降、一度もうまく決まっていなかった。

 何とか修正しようとするけど、回数を重ねる事に改善されるどころかズレは少しずつ酷くなっていた。とはいえ、理由は誰の目にも明白だ。


「華燐ちゃん……気持ちはわかるけど、少し休んでからにした方がいいわ」


 多量の汗を拭う一宮さんに、くじらさんは少し言いづらそうに声をかける。


 失敗を繰り返してしまう要因は幾つか考えられた。

 まずは振り付けそのものの難易度の高さ。

 ターン時のステップの複雑さもだけど、ハイテンポな楽曲に合わせなければいけない以上、当然動きは速く激しく難しくなる。


 もう一つは私と一宮さんの連携ミス。

 先述したステップの難易度に加えて、二人の動きが完璧にシンクロする必要があるので、タイミングは当然シビアになってくる。


 様々な要素が完璧に噛み合わなければいけない為、失敗の確率は他と比べて当然高い。

 でも実際は、ステップの完成度とかタイミングとかそれ以前の問題で、楽曲終盤のテンポ感や激しい動きに、一宮さんの身体が全く付いて来れていないのだ。


「これは単に技術的な問題じゃないわ。華燐ちゃんの体力的に、もう——」

「——分かってない! くじ姉に、あたしの気持ちなんて分かるわけ……っ」


 心配するくじらさんの言葉を、一宮さんは怒鳴り散らすような大声で遮った。

 ギョッとして視線を向けると、苦痛と後悔に歯を食いしばり、お人形のようなきれいな顔を余裕なく歪めている様が目に映る。


「……大声をあげてごめんなさい。でも、ここはライブのラストで一番盛り上げなきゃいけない場面だから、疲れている状態でも完璧にこなせるようにならなきゃいけないの」

「……それは、確かにその通りよ。だけど華燐ちゃん、あなたは……」

「——大衆は今でも虹坂桜花を求めている」


 一宮さんの言葉にくじらさんが言葉を詰まらせた。

 私もまた、一宮さんの口から出てきた名前に虚を突かれたように固まっていた。

 そんな私たちの反応に気付いた様子もなく、一宮さんはさらに言葉を続ける。


「誰よりも完璧に大衆(ファン)の求めに応え続けた偶像(アイドル)を。失われたあの日から、今でもずっと……」


 その時私が目にした一宮さんは、妄執に憑りつかれた亡霊めいた顔をしていて——どうしてだろう、初めて見たはずのその表情におかしな既視感があって、胸の奥がソワソワと妙に落ち着かない気持ちになる。


 まるで、割れた鏡面に触れようとしているかのような、儚い危うさがあって——


「……くじ姉、あたしは最強のアイドルにならなきゃいけないの。大衆に応え続ける完全無敵の偶像——第二の虹坂桜花に。こんなところで躓いていられない……!」


 結局、有無を言わさない一宮さんの気迫に押される形でレッスンは続いた。

 けれど、その日のうちに私たちがもう一度ターンを成功させることはなかった。


 そして、翌日以降も状況は変わらない。


「……チッ、今のじゃダメね。もう一回、頭からいくわよ」


 その日の私たちは、くじらさん不在の中で例のターンの部分を重点的に練習していた。

 外はバケツをひっくり返したような土砂降りで、楽曲が止まる度にレッスンルーム内には耳障りな雨音がうるさく響いていた。


「ちょっと、どうしたの? 曲、もう始まってるんだけど? なんで動かないのよ」

「……ねえ、一宮さん。少し、相談があるんだけど」

「相談? もしかしてもうバテたの? 本番じゃ疲れたからって休憩はできないのよ?」

「休憩……そうね、それも必要かもだけど違うわ。もっと根本的なことよ」


 ……一宮さんの動きは決して悪くない。

 経験値がある分、私のほうが細かい所まで意識した繊細な動きができている自負はあるけど、動きのキレやダイナミズムでは彼女の方が評価されている。

 でも、一つだけ絶対的に足りていない部分がある。


「じゃあなに? レッスンを止めてまで話すようなこと? そうじゃないなら——」

「——ラストの振り付け、今からでも変えたほうがいいと思う」

「なにそれ。あんた、ライブで……お金払ってあたしたちを見に来てくれるファンを前に手を抜こうって、それ本気で言ってるワケ?」

「一宮さん。今のあなたに、この強度のパフォーマンスを最後まで維持する体力はないわ。それはあなた自身が一番よく分かっているはずよ」


 体力。

 一宮華燐には、高い強度でライブをやり切るだけの体力がない。

 練習で最初から最後まで一本通す程度なら、一宮さんは問題なくこなす。

 けれど、たとえ練習であってもそれが二本目、三本目と回数を重ねていくと、一宮さんのパフォーマンスは目に見えて落ちはじめる。


 一宮さんのこの弱点に気付いたのは、実は最近のことだった。

 元々、一宮さんは私とのレッスンを拒んで一人で練習をしていたし、二人での合同練習が始まってからも、私との言い争いが原因でレッスンが中断したり中止になることが多く、気づくのがここまで遅れてしまった。 


 ……いや、今になって考えてみると、一宮さんはこの弱点を隠すために私の誘いを断って一人で練習をしていた節がある。

 私に弱みを見せたくなかったのか、体力不足が露見したらライブに出られなくなると思ったのか。

 理由は分からないけど、一宮さんが自身の体力を自覚していない訳がない。


「……っ、だから練習をして、体力を付ければ——」

「体力は一朝一夕で身に付くものじゃないわ」


 練習と本番とでは体力の消耗具合がまるで違う。

 ましてや、一宮さんはライブ未経験の新人。経験値がある私よりも本番中の消耗は激しくなる。

 肉体的にも精神的にも高い負荷が掛かる『初ライブ』という環境下で、今の一宮さんがトップパフォーマンスを維持し続けることは難しい。そう判断せざるを得なかった。


「それは……! でも、私は……っ」

「一宮さん。ファンの皆はお金を払って私たちのライブを観に来てくれるのよね?」

「ええ、そうよ。だから今から振り付けを変更してクオリティを下げるなんて有り得ない」

「ええ、一宮さんの意見は間違ってないわ。アイドルとしてそうあるべきだと私も思う」


 『アイドルは需要に応える商品』そう断言した一宮さんのことを、私はもっと現実的で冷めたものの見方をする子だと思っていた。

 だから、彼女のレッスンへの想定外の熱量はある意味嬉しくもあった。けど……。


「でもね、お客さんはお金を払って〝ライブという商品〟を購入しているの」

「……!」


 一緒に練習をしていく中で、その熱量が単なるやる気や情熱と言った言葉では片付けられないものなんじゃないか——私は、そんな疑念を抱くようになっていた。


 例えば、現状不可能な高難度の振り付けへの固執。

 我が身を顧みないオーバーワークや、失敗への異常なまでの忌避感。

 絶対に弱音を吐かず、見せない。完璧であることへの強い拘り。

 そして、元トップアイドル虹坂桜花への執着を伺わせる言動。


 顧客の需要に応える商品——彼女の言うそれが、〝完璧なパフォーマンスをするアイドル〟を指しているだけなのかもしれないけど……理路整然と企画の意図を説明しアイドルを商品だと割り切る現実的でシビアな一宮さんと、頑なに弱さを拒み感情論を剝き出しにしてレッスンに打ち込む鬼気迫る一宮さんとが、私の中でどうしても重ならない。


 ……いや、仮に彼女の中でその二つが同じものだったとしたら?


 考えてみれば、彼女の極端すぎるオンとオフの二面性だってそうだ。

 相反する矛盾を、矛盾なくその小さな身体に抱え込んでしまっていることそのものが、彼女の歪さの証明のように思えてならない。


 ……そう、歪。

 一宮華燐という少女はどこか酷く歪なのだ。

 夢を追う少女の一人でありながら夢を否定する彼女は、致命的にバランスを欠いている。

 あるいは、夢を追うからこそバランスを失い、夢を否定してしまっているのか。

 傲慢で我儘。常に強気で勝気で攻撃的な振る舞いを見せる天才少女に……何故だろう。時折、道端で途方に暮れる迷子のような危うい脆さを感じるのは、もしかすると——


 ——……いや、よそう。これ以上、私が彼女に踏み込もうとするべきじゃない。

 不可侵不干渉。それが私たちのルールだったはず。

 一宮さんだって、嫌っている私に内面に踏み込まれることは望まない。そのはずだ。


 彼女にどんな事情があるのかは知らないけど、私だって今回のライブにはアイドルとしての生き残りが掛かっている。

 夢や理想を追うためだからこそ、半端なライブをすることは許されない。


「……ねえ、一宮さん。商品である以上、それは完成品でなければならないわ。例え、アイドルとしては未完成だとしても、一つのライブとして完結している必要がある」


 だからこそ、今は仕事の話をするべきだ。


「アイドルは『商品』であるべき——そう言った一宮さんなら、この意味が分かるわよね?」

私の言葉に、一宮さんはしばらくの間悔しげに歯を食いしばっていたけれど、

「……、…………そうね。あんたの言う通りだわ」


 やがて、自分に言い聞かせるように深いため息を吐いてから、絞り出すように頷いた。


「今のあたしに、最後まであんたに付いてく体力はない。あたしが間違ってるって、認める」

「そう、だったら——」

「……でも、私のせいでライブのクオリティが下がるのは有り得ない」


 一宮さんは私の言葉を遮るようにそう言うと、心を落ち着けるように瞳を閉じて息を長く吐き出しながら、何かを逡巡するような沈黙を重ねた。

 そうして身体の中の酸素を吐き出し切ると、今度は勢い良く目を見開いて殺意にも似た強い意志を宿した瞳で私を睨み付けて、


「だから、終盤ラストの盛り上げ所はあんたがソロでやりなさい」


 私を毛嫌いしているはずの彼女が、そんな提案をしてきたのだった。


「……ソロ? わ、私の?」

「ええ。あんた一人ならパフォーマンスのクオリティは下げずに済むでしょ? 死ぬほど悔しいし自分に腹が立つけど、その条件なら……飲むわ」


 突然の提案に動揺する私に、一宮さんは苦虫を嚙み潰したような表情で言う。

 ……でも確かに、一宮さんの言う通りかもしれない。私一人なら問題なくこなせる振り付けなんだから、ソロにしてしまえば振り付けを変える必要はない。

 勿論、ソロパート周りは構成を含めて多少いじる必要はあるけど、くじらさんに相談すれば対応してくれるだろうし、少しの変更であれば私も一宮さんもすぐに覚えられる。

 体力的にも技術的にも問題はない。うん、問題はないはずだ。何も問題は——


 ——『君さぁ、困るんだよね、こういうの。暗黙の了解っていうか、大人の事情っていうかさぁ……言わなきゃ分かんないかなぁ?』 


 問題は、ない。はずだ、けど——


 ——『正直言って誰も求めてないんだよね、君のことなんて』


「…………っ」

「? ちょっと、なに黙ってんの? あたしの話、聞いてた?」

「……え、ああ。うん。大丈夫、聞いてる。けど……」

「けど、なによ」

「いや、それは……どう、なんだろうなって」

「……は? なによ、それ。どういう意味?」


 私の返事が予想していたものと違っていたのか、一宮さんは驚く声に訝しむような色を混ぜながら尋ね返してくる。


「……『A;ccol(アーコ)❀aders(レード)』は仲の良さとチームワークが売りの姉妹系ユニットだって、一宮さんも動画内でよく言ってるでしょ? だったら、どちらか片方ばかりが目立ってしまうのはコンセプト的にあまり良くないんじゃないかなって思って……」


 動画内でも、同棲する私たちの仲の良さへの好意的なコメントは増加傾向にある。

 一宮さんの言葉を借りるようだけど、そういう需要が私たちにはあるということだ。

 ……そうだ。だから私のソロパートは、ファンが『A;ccol❀aders』に求めているモノとはきっと違う。

 なら、私がすべきことはきっとソロじゃない。


「クオリティって話なら、私たち二人——『A;ccol❀aders』というユニットとしての完成度をより高めるべきなんじゃないかしら? そもそも私はセンター向きじゃないし……うん、そうよ。やっぱり、私のソロを入れるより、振り付けを変えたほうがいいと思う」


 それに、くじらさんはああは言っていたけれど、一宮さんを私と組ませた理由には、経験豊富な私が才能の塊である一宮さんをサポートして上手に引き立てて欲しいという側面が間違いなくあるはずで……だから、主役の座に立つべきはきっと私じゃない。


「……違う、あたしはそんな理由を聞いてるんじゃない」


 そのはずなのに、一宮さんは信じられないものを見るような表情で首を横に振って、


「ソロパートよ? あんたが主役(ヒロイン)になれるのよ?」

「だから、私一人が主役になるより、二人の完成度を高めた方がファンも喜んで——」


 瞬間、彼女の猜疑と困惑が、軽蔑と失望、そして怒りに塗り替わった。


「なに……言ってるの?」

「え?」

「ソロのチャンスを自ら拒むなんて……そんなの、トップアイドルを目指してる人間の言葉じゃない」


 がつんと。

 その言葉に私は、頭を鉄パイプで殴られたような衝撃を受けた。


「夢なんじゃないの? あんたの理想は、『約束』はどこいったのよ……っ⁉」

「っ、それは……! 私はただ、『A;ccol❀aders』のメンバーとしてライブを成功させるために今すべきことをって——需要と供給を、ファンに求められていることを理解して実行すべきだって言ったのは一宮さんでしょう?」

「……もういい、あたし一人でやる。あんたみたいな嘘つきの裏切り者に一瞬でも期待して頼ろうとしたあたしが馬鹿だった……!」

「ま、待ってよ一宮さん! 急にどうしたの? 私、そんなにおかしなこと言った?」 


 出口へ向かう一宮さんを止めようと伸ばした私の手を、一宮さんは振り向きざまに乱暴に振り払って、


「触んな! ……噓つき、なにが『約束』よ! トップアイドルになるつもりなんて、やっぱりハナからないんじゃない……!」


 そう叫ぶと再び反転し、叩きつけるようにレッスンルームの扉が閉められた。 


「……何なのよ。意味、分からない」


 私はただ、私なりに考えて『A;ccol❀aders』のライブを成功させようとしているだけなのに、どうしてここまで言われないといけないのだろう。


 ——『なにが『約束』よ! トップアイドルになるつもりなんて、やっぱりハナからないんじゃない……!』


 一宮さんの言葉が脳裏にこびりついて離れない。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、胸の奥がむしゃくしゃする。

 どうしてこんなにも感情を搔き乱されているのか、自分でも理解ができなくて。自分自身に納得がいかなくて——それが余計に行き場のない苛立ちを加速させていく。


「トップアイドルになる為には、ライブを成功させる為には、これが正解じゃない……」


 ……本当に、なんなんだ。こんなのおかしい、理不尽だ。

 一宮さんの怒りは酷く見当違いで正当性がなくて、どう考えたって彼女の言葉は不可侵の一線を超えている。

 干渉しないで——そう私を拒絶したのは一宮さんなのに。その一宮さんが私の心に土足で踏み入ろうとするのは……卑怯だ。


 そもそもの話、嫌いな相手がソロパートという絶好のチャンスを拒んだのだから、いつもみたいに鼻で笑って馬鹿にして、内心で私の愚行を喜んでいればいいだけのはずなのに。


 ——『噓つき』


 それなのに、どうしてあんなに哀しそうに——


「……ぜんぶ、あなたには関係のない話じゃない」


 それからライブ当日まで、私と一宮さんが動画の撮影以外で口を利くことはなかった。



 私たち『A;ccol(アーコ)❀aders(レード)』は一か月の動画投稿で、目標だった動画の合計再生数計十万回を見事に達成することができた。

 もう一つの目標だったフォロワー数三千人には届かなかったものの、これで私と一宮さんは事務所をクビにならずに済み、お披露目ライブも開催できることになったのだ。


「——二人とも、準備はいいかしら?」


 十月下旬、某日。

 ライブ当日。開演を目前に控えた私と一宮さんにくじらさんはそんな風に声をかけた。


「……問題ないわ」

「ええ、大丈夫です」


 短く頷く私たちは、互いに視線を合わせようとすらしない。

 ……ううん、あの日からずっと、私たちはろくに会話すらしていなかった。

 ユニットとして、私たちが最悪な状態にあることは誰の目にも一目瞭然だ。

 でも、時間はいつだって平等に不平等で、足を滑らせ躓いた誰かを待ってなんてくれなくて……だから何の解決策も見出せないままに、開演の時間はやってきてしまう。


 それでも、ステージに立ったならやるしかない。

 私が『A;ccol❀aders』でやるべきことは、何一つとして変わらない。


 そんな私たちの様子に、くじらさんはほんの一瞬、不安と心配の色を瞳に浮かべる。

 けれどすぐに、そんな感情なんてなかったみたいにいつもの笑顔を浮かべて、


「——よし。それじゃあ二人とも、『A;ccol❀aders』としての初ライブ。精一杯、全力で楽しんで来るように……!」

「「——はい!」」


 幕が上がる。

 くじらさんに背中を押され、私たちはステージへ。


 『A;ccol❀aders』のはじまりを告げるライブが、はじまる。



 今回開催される『ブルーオーシャン』の定期ライブは『A;ccol❀aders』のお披露目ライブと銘打たれてはいるものの、頭から終わりまで全部私たちだけでやり切る訳じゃない。

 そもそも結成したての『A;ccol❀aders』のオリジナル楽曲は三曲のみで、カバー曲で間を持たせようにも練習期間が一ヶ月では仕上げられる楽曲の数に限界がある。

 なので実際には、事務所の先輩たちがトークイベントで場を盛り上げ、新人ユニットを紹介するという形で私たちがステージへ上り、オリジナル楽曲三曲と先輩たちのカバー曲二曲を披露するミニライブを行う。という流れになっていた。


「——会場のお兄ちゃーん、お姉ちゃーん、はじめましてー! 華燐たちは……」

「先ほど先輩方のご紹介に与りました、桜咲く乙女満開姉妹系アイドルユニット——」

「「——『A;ccol(アーコ)❀aders(レード)』です!」」


 楽曲のイントロが流れ始まると同時に、私たちはステージ中央へと躍り出る。

 事務所の先輩がたのトークによって会場は既に適度に盛り上がっており、初ライブである私たちのコールにもしっかりとレスポンスを返してくれる。

 ……うん、いい感じ。温かい雰囲気で、すごくやりやすい。


 ブルーオーシャン専用劇場『Blue Garden』は、インディーズアイドル——所謂〝地下アイドル〟と呼ばれるライブ活動を中心としたアイドル事務所が個人で所有する箱としては最大規模の劇場で、最大で七百人が収容可能となっている。

 毎月開催される事務所の定期ライブでは、常に会場のおよそ六、七割が埋まるらしく、私たちのお披露目ライブにも五百人前後ものファンが訪れているという計算だ。


 劇場全体の雰囲気としては、学校の体育や武道館をスケールダウンさせ薄暗くしたような感じ。基本全て立ち見席なので、ステージと客席との物理的な距離も近く、アイドルとそのファンがより身近に互いを感じられる会場になっている。

 勿論、第一線のトップアイドルたちがライブを行うアリーナやドームと比べれば控え目かもだけど、私みたいな地方の営業がメインだった底辺アイドルにとっては、五百人ものファンが目の前にいるこの状況は十分に圧巻の光景だった。


 手を伸ばせば届きそうな位置で輝く煌びやかな綺羅星(ペンライト)の大海原に、ともすれば自分達の人気を勘違いしてしまいそうになる。


「メグちゃんたら、ちょっと硬すぎ! せっかくの華燐たちの初ライブなんだよ? もっとテンションあげて、盛り上げていこうよ!」

「ええ、急にそんなこと言われても……私、そういうのはあまり得意じゃないし……」

「あ、ダメだよ? いくら台本があるからって、全部台本通りに進めているようじゃ、お兄ちゃんやお姉ちゃんを本当に楽しませることなんてできないんだから」

「ちょっと、華燐ちゃん⁉ そんな台詞台本にないわよ⁉ というか、そんな露骨に台本台本って言っちゃダメじゃない……!」

「あはは☆ でも華燐よりメグムちゃんの方が台本台本って言ってるよ?」


 ……分かっている。

 形式上、私たちのミニライブがメインイベントになっているものの、実際に劇場に集まったお客さんの大半は、先輩たちのトークイベントを楽しみにして来てるって事くらい。

 私たちの薄っぺらな掛け合いに笑い声があがるのも、劇場に集まってくれたお客さんが『ブルーオーシャン』所属アイドルとしての私たちを応援してくれているからだって事も。


 いかに投稿した動画が多少バズって知名度が上がったところで、本当の意味で私たちを応援してくれるファンの数が激増した訳じゃない。

 それは、動画の伸び具合と比較してあまり増えなかったチャンネル登録者数やSNSのフォロワー数が、何よりも雄弁に物語っている。


 でもその事実は、『A;ccol❀aders』に魅力がないことを示している訳じゃない。


「ええっと、グダグダでごめんなさい! 何分、私たちは今日が初ライブなもので少しだけ大目に見て貰えると……!」

「でも、緊張でガチガチよりは、こっちの方がお兄ちゃんお姉ちゃんたちも楽しめるよね☆」


 ただ、世界はまだ知らないだけなのだ。


「……もう、華燐ちゃん? いい加減にしないと怒るわよ」

「あはは☆ 怒られちゃった。ごめんなさいメグちゃん。でも……そうだね。そろそろ——真面目にやろっか」


 彼女の歌を。



「——いくよ、『少女偶像、桜色(イデア/カラーズ)』」



 一宮華燐というアイドルの原石の煌めきを。


 掴みは完璧だった。

 唐突にスイッチが切り替わった——そう錯覚する、一宮華燐による目の醒めるようなタイトルコール。

 それにより生じた刹那の間隙、静寂——直後に弾けた闇夜を切り裂くアップテンポなポップロックサウンドに乗って響き渡る、一宮華燐の可憐な容姿からは想像できない力強く伸びやかなハイトーンボイスの歌声。燃え上がる炎のように苛烈なキレのあるダンス。

 

 会場に集まった烏合の衆——同じ『ブルーオーシャン』所属のアイドルだからという理由だけで『A;ccol❀aders』の〝味方〟ではあった観客たちの心を、一宮華燐はその圧倒的なパフォーマンスで一息に掴み、熱狂的な〝ファン〟へと変貌させていく。


 彼女に吞み込まれていく観客席。一拍遅れて一斉に沸き立つ光のウェーブと、歓喜と興奮の大歓声。肌をも焦がす圧倒的な熱量に、私はステージ上で肌が泡立つのを抑えられない。

 ……うん。悔しいけど、やっぱり一宮さんは凄い!


 このままいけばライブは間違いなく成功に終わる。

 けれど同時に、絶対にそうはならないことを私は知っていた。

 何故なら、まだ一曲目の終盤でありながら既に一宮さんのパフォーマンスの質が——ダンスのキレが徐々に落ちはじめている。

 歌声も、不安定さが増してきた。


 いつもより消耗が早い。彼女のパフォーマンスに魅せられている観客はまだ気付いていないようだけど、今のペースだと確実に最後までは持たない——


「——みんなぁ、ありがとうーっ! 四曲目は『乙女前線☆邁進中!』でしたぁー!」


 四曲目……先輩たちのカバー曲を二、三曲目に挟みつつ、ここまでは何とか誤魔化せた。

 でも、これから歌う五曲目には、一曲目以上に激しくスピーディーで複雑な振り付けと、あれから一度も成功しなかったラスサビの高難易度ターンという鬼門が待ち構えている。


「名残惜しいけど次が最後の曲です。聞いてください——『Bad Buddy Girls !』」


 〝叶メグムのソロパート〟という一宮さんの提案を断って以来、一宮さんは私との話し合いに一切応じてくれなくなった。

 だから多分、失敗が許されないこのステージで、一宮さんは一発勝負の賭けに出るはずだ。

 十中八九失敗するであろう、体力が切れた状態での高難易度ターンに。

 一宮さんがソロを拒んだ私にどうしてあそこまで怒っているのか、正直私には意味が分からないし、今更彼女の無謀を止めるつもりもない。

 そんなに私のことが嫌なら好きにすればいい。

 一宮さんが勝手にやるのなら、私も好きにやらせて貰うだけの話だ。

 

 ……大丈夫、やるべきことはわかってる。

 くじらさんが私を事務所に入れてくれた理由。

 芸歴八年目の売れないアイドルが『A;ccol❀aders』を、才能の原石である一宮華燐を任された訳——私に求められているものを、守るべき暗黙の了解(ルール)を履き違えるな。


 スパートとばかりにより強く、より激しく刻まれるビートと、それに呼応するように上昇していく観客席のボルテージ。

 それらとは裏腹に、私は自由に飛翔(とび)たがる心を冷たい氷の鳥籠の中へ閉じ込めていく。


 ……多分だけど、一宮さんは私がやろうとしていることに途中から気づいてたと思う。

 まあ、最も盛り上がる終盤に向けてギアをあげていかなければいけない場面で、徐々にパフォーマンスの強度を落としていったんだから怪しまれるのは当然か。


『なんで』


 彼女の口がそんな風に動く。

 なんでもなにも私たち『A;ccol❀aders』は二人組のアイドルユニットだ。二人組である以上、どうしたってその評価は相対的になる。

 

例えば、片方が極端にクオリティの低いパフォーマンスをすれば、もう片方が特に褒めるべき点のない凡庸なパフォーマンスだったとしても、その評価は相対的に高くなるだろう。


 なら策は単純。体力切れで強度が落ちる一宮さんのパフォーマンスより、さらに一回り強度が落ちる低調なパフォーマンスを披露して悪目立ちし、悪印象を上書きする。


 簡単な話がスケープゴート。

 必要なのは役割分担で、要は納豆パンでバズった時と同じことをすればいいだけだ。


 だってそれが、才能の原石と売れ残りの底辺アイドルを組ませたくじらさんの真の狙いのはずで、ファンが期待しているのは納豆パン頭の道化ではなく天才少女の輝かしい未来のはずで——それこそが、この世界に生きる私が死守すべき、暗黙の了解(ルール)のはずだから。


 そうして、楽曲はいよいよ最終盤へと差し掛かり——


「——あ」


 必ず失敗に終わるはずだったラスサビの高難易度ターン。そこに至るまでの流れは、ほぼ私の想定通りだった。


 けれど唯一誤算だったのが、鬼門の最終盤で一宮さんの動きが唐突に持ち直したこと。

 結果、突然強度をあげた一宮さんのパフォーマンスに今度は私が即応できず、練習時と同様の結末を招いてしまったことだった。


 つまり——


「——きゃっ⁉」

「く……っ!」


 衝突、転倒。

 ラストへ向けて高まっていた客席のボルテージが冷水を浴びせられたように一気に冷め、まさかのトラブルに不安とざわめきが客席を伝播していく。


 身に覚えがありすぎる失敗と挫折と落胆の味——取り返しのつかない失敗を犯してしまった事実に、内蔵がきゅっと縮み上がり頭の中が真っ白に染まりかける。

 全てが瓦解するように足元の感覚も消え去って——ダメ、呆けるな叶メグム! 楽曲はまだ終わってない。プロとしてこのまま思考停止することだけは許されない……!


 私はすぐさまその場で立ち上がると、アイドルとして最低限の仕事を果たす為、何事もなかったかのようにライブを再開しようとする。

 しかし、その時気付いてしまう。

 視界の端、ステージで倒れている一宮さんがまだ起き上がっていないことに。


 まかさ……怪我? それも、すぐには立ち上がれないほどの? 足を挫いた? それとも倒れた際に頭を打った? 私のせいで一宮さんが……!


 思考は一瞬だった。

 でもその一瞬は、パフォーマンスを続けるにはあまりにも致命的な一瞬だった。


「……っ、一宮さん……!」


 プロ失格かもしれない。

 それでも私は、気付けば倒れた一宮さんに駆け寄っていて、そして——


「大丈夫? 立てる? ごめんなさい、私のせいでこんな……今スタッフさんを——」

「——触らないで!」


 助け起こそうとした私の手を振り払う彼女の絶叫が、ステージ上に響き渡った。


「……やめて。助けなんていらない。あたしは……大丈夫。大丈夫じゃなきゃいけないの。……あたし、あたしはもう、弱くなんか……強く、ならなきゃ……お姉、ちゃん……」

「……一宮、さん……?」


 多分、うわ言めいたその呟きを耳にしたのは近くにいた私だけだったと思う。

 でも、その意味を彼女に問うことはできなかった。


「……っ!」


 ざわめき——心を挫く致命的な不協和音が、劇場全体に広がってしまっていた。


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