第三話 【密着】メンバーで同棲生活はじめたらカオスすぎて楽しすぎたww
あらゆる意味で衝撃的な出会いとユニット結成から三日。
諸々の手続きや引っ越しの準備を済ませた私は、住み慣れた新宿のアパートで過ごす最後の一日で自室の大掃除を行っていた。
明日にはここを出て事務所の寮に入寮し、いよいよ正式に『ブルーオーシャン』所属のアイドルとしての活動を開始することになる。自分の中で区切りをつける為にも、研修生時代からお世話になった部屋を綺麗にしていくことは私には必要な儀式だった。
『——叶ちゃん、風の噂で聞いたで。新しい事務所、決まったんやって? しかも早速新ユニットまで結成したとか。確か……『A;ccol❀aders』、やったか?』
そんな最中、突然電話を掛けてきた瀬良さんは何故か事務所移籍の件を知っていた。
『水臭いやないか叶ちゃん。新しい事務所決まったら教えてくれるって約束しとったのに、なんで教えてくれへんの? お姉さん、悲しいわ』
「教えるも何も、移籍が決まってまだ数日ですよ? 私が話す前に瀬良さんが勝手に嗅ぎつけちゃったんじゃないですか……」
事務所をクビになった時もそうだったけど、この人は本当に神出鬼没というか何というか……瀬良さんとは長い付き合いだから、だいぶ私も慣れてしまった感があるんだけど、ジャーナリストって人種はみんな〝こう〟なのだろうか?
『なんや嗅ぎつけたて。人を猟犬みたいに言いよってからに……そんな褒められても何も出せへんでウチは。なにせ三六五日、常に金欠やからな!』
「すみません瀬良さん。全然褒めてないです」
『そうなんか? まあええわ。とにかく、独占取材の約束、忘れんどいてな。叶ちゃんの新ユニットでの初ライブ、楽しみに待ってんで! ほなな』
「あ、瀬良さん? ……切れちゃった」
こちらの都合などお構いなしに突如現れ去っていく……相変わらず嵐のような人だ。
「楽しみに待ってる、か……」
瀬良さんの言葉を反芻すると、脳裏に浮かぶのは明日から共同生活を送ることになる同居人の顔だった。
「……私、あの子と上手くやっていけるのかなぁ」
そんな不安を抱えながら迎えた入寮当日、寮の前で中に入るのを躊躇っていると、
「——中、入らないのかい?」
「うびゃあ!」
ふいに背後から声を掛けられ、私の声帯からアイドルらしからぬ変な悲鳴が漏れた。
羞恥と驚きに後ろを振り返ると、
「アンタ、うちの事務所に何か用? 必要なら、姐さ——社長を呼んでくるけど?」
一重まぶたの切れ長の瞳にゴリゴリに開けられた耳のピアス。内側を刈り上げツーブロックにしたスキンフェードの黒髪を高い位置で結び、長身痩躯のパンツスタイルに気だるげで中性的な雰囲気を纏った、やたらパンクな格好のカッコイイ美女がそこにいた。
「あ、えと……ごめんなさい私、今日からここの事務所でお世話になるもので、叶メグ——」
不審者を見る目の彼女に、私は弁明するように自分が何者なのかを語ろうとして、
「なるほど、アンタが……ああ、そういうことか。くじらの姐さんも酷いことを考えるな」
私が名乗り切る前に何かを納得したように呟くと、彼女は私の理解を置き去りにして、
「……諦め悪く足搔き続けるヤツは好きだよ、私は。でも、そういうことなら今は急いだほうがいい。上で、わがまま姫がアンタの到着を首を長くして待ってるだろうからね」
そんなことを言いながら、事務所の中へ入っていってしまった。
「えーっと……一応、自己紹介中、だったんだけど……」
……私、本当にここでやっていけるのかなぁ。
そんな出会いもあり、膨らむ不安と共に新居へとやってきた私に、
「……あんた、本気でここに住むつもりなの?」
同居人は開口一番そう言った。
「……仕方ないでしょ。そういうルールなんだから」
そういう契約書に、誰かさんが読まずに勝手にサインしちゃったんだし。
「……なによ、その何か言いたげな責めるような目は。契約書のことなら謝ったじゃない。それをいつまでもネチネチねばねばとゴキブリホイホイみたいにしつこい女ね。その粘着網に厄介ファンばかり引っかかって、イ〇スタのコメ欄に地獄を形成するがいいわ!」
「まだ何も言ってないのによくそこまで言えるわね……」
別にこっちは喧嘩をしにきた訳じゃないのに、これから一緒に暮らす相手に対してどれだけ好戦的なのだ、この子は。
「それよりさ、一宮さん」
「なによ」
「そろそろ開けてくれない? 私、中に入りたいんだけど……」
一宮さんはかすかに開けた扉の隙間から顔を覗かせていた。私がくじらさんから鍵を渡されているのを知っているからか、ご丁寧にドアチェーンを掛けての応対だ。
私を中に入れたくないという熱い思いが伝わってきて、感動のあまり涙が溢れそうだ。
「チッ……十分だけ待って」
一宮さんは舌打ちを残して中に引っ込む。途端、ドタバタと慌ただしい物音が響き始めた。
……あの子、私が来ないと高を括って部屋を片付けてなかったな。
騒音が響き始めてから二十分後、ようやく寮の中に入れて貰えた私は、不承不承と言った様子の一宮さんに寮の中を一通り案内して貰った。
玄関から中に入って扉を一つ開けると共有スペースとなるリビング——小さめのキッチンと座卓にそれを囲うソファ。動画編集用のパソコンが置かれた作業用デスクなどが置かれている——があった。あれだけ大急ぎで片付けていたからさぞ散らかっているんだろうと思ったリビングは、キッチン周りを含めてしっかり整理整頓されている。
リビングの奥には扉が二つあって、それぞれ畳敷きの個室へと繋がっているらしい。
ちなみに手前の扉二つはそれぞれ洗面所とトイレ、脱衣所と浴室に繋がっていた。
この個室が私と一宮さんの私室みたいだけど、隣り合うように並んだ部屋は薄い襖で仕切られているだけで、ベランダも繋がっているので簡単に行き来出来てしまいそうだ。
互いの生活音も筒抜けだろうし、プライバシーが守られているとはちょっと言いにくい。
一宮さんもこの件に関しては大層不満なのか、私を部屋に案内した際も不機嫌げな表情のまましきりに自分の部屋の方をチラチラ見てソワソワと落ち着かない様子だった。
……なるほど。魔境なのはリビングじゃなくこっちだったか。
そうして北側の個室に案内(放置とも言う)された私は、持参した大きめのスーツケースの中身をある程度整理し終えると、早速共有スペースに一宮さんを呼び出した。
「……それで、話ってなに?」
座卓を囲むように配置されたソファに腰を下ろした一宮さんは私へ対する敵意と不機嫌を隠そうともせず、顔を真っ赤に怒らせそっぽを向いたまま目も合わせてくれない。
私は挫けそうになる心を奮い立たせ、精一杯のアイドルスマイルを浮かべて、
「あのさ、一宮さん。本題に入る前に一ついいかな?」
……私には後がない。
アイドル・叶メグムはくじらさんに運よく拾って貰えたからアイドルとして延命できたのであって、本来であれば前の事務所をクビになった時点で終わっている存在だ。
そんな私がこれから先もアイドルを続けて桜花との『約束』を果たす為には、ユニットを組む相棒——私を毛嫌いしている少女、一宮華燐ともうまく付き合っていく必要がある。
「……なに」
「昨日も聞いたんだけどさ、どうしてそこまで私のことを毛嫌いするのかな?」
「……昨日も言ったでしょ。あれが全てよ」
「そんな意地悪言わないで、これから一緒のユニットでやっていくんだし、せめて具体的な理由を教えてくれない? 私、一宮さんが気にしてる部分を治せるように努力するから」
「目障り。存在が嫌。近寄らないで裏切り者、噓吐きと歳寄りがうつるから」
「うぐ、ぐぐぐぐぐ……っ」
こちらが下手に出ているのをいい事に言いたい放題の一宮さんに、抑えようと思っていても頭がぐわーっと熱くなってしまう。
……だいたい裏切り者ってなんなのよ。初対面でいきなりそんなこと言われても心当たりなんてある訳ないし、理由を聞いても話してくれないしでこんなのどうしようも——……ダメよ、叶メグム。冷静にならないと。ここで怒りに身を任せたら前回の二の舞だ。
私は意思力を振り絞って湧き上がる怒りを懸命に抑えると、全力全開のアイドルスマイルを浮かべたままソファから立ち上がって一宮さんの後ろへ素早く回り込む。
「え~、そんな意地悪言わないでよー。せっかくユニットを組めたんだから~、私、一宮さんと仲良くしたいな~」
「ひにゃう……っ⁉」
後ろからぴたりと密着し、頬ずりできるくらいの超近距離スキンシップを図る私に、驚いた一宮さんが悲鳴みたいな変な声をあげた。
「あ、華燐ちゃんって呼んでいい? いいよね? ね? わ、華燐ちゃん肌凄いすべすべー」
「あ??? え、あ、あ……っ⁉ ちか、なに。や、やだ。も、やめ……っ!」
ふん。そっちの言うことなんて誰が聞くか、顔だけは可愛いやつめ。
こうなったらヤケだ。やけくそだ。アイドルなんて自分を好きなファンのことが好きな生き物なんだから、どれだけ拒絶されようと徹底的に可愛がって可愛がり殺してやる!
「ち、ちちちちち近いって言ってんのーっ!」
「いったぁ……っ!」
耳元で絶叫が響いたと思った次の瞬間、凄まじい衝撃に襲われて強制的にスキンシップを中断させられた。
暴走も止まり正気に戻った私の額では、鈍痛が脈を打っている。
ぐぅううっ。こ、この子、アイドルのおでこに頭突きをしたな……!
「あ、あなたねぇ、アイドルが暴力って何考えて……っ」
「うるさい変態! そっちこそ何考えてるのよ変態痴漢痴女ドル! それ以上私に近寄ったら未成年淫行で逮捕よ逮捕! 訴えてやるんだからッ!」
よほど頭にきているのか、一宮さんは荒い息を吐きながら耳まで真っ赤にして涙目になって激怒していた。
「ああもう最悪だわ……これだからあんたとユニットなんて組みたくなかったのよ!」
「ご、ごめんごめん。一宮さんがあんまり意地悪するものだからつい……」
「だからってやりすぎなのよバカ! ふ、普段から誰彼構わずあんなことしてるワケ⁉」
「え、いや……するわけないでしょ、あんな失礼で常識のないこと……正気?」
そんな、くじらさんじゃあるまいし。
「なんであんたが引いてるのよ! てか、自覚あるならあたしにもするな!」
「すごい。あの一宮さんがとても真っ当なことを言ってる。今日は記念日ね、おめでとう」
「……あんた、本当はあたしに喧嘩売ってんでしょ。買うわよ言い値で今すぐに……!」
ともあれ、可愛がり殺し作戦は失敗。一旦仕切り直しだ。
「そんなわけで本題なんだけど……」
「まるで何事もなかったみたいな顔で……釈然としないわね」
私だってあなたみたいな年下の子に訳も分からず嫌われてボロクソに罵倒される現状に関してまったくもって釈然としてないんだからお互い様だ。
「私たちは今日から共同生活をするわけじゃない? それにあたって、共同生活のルールを決める必要があると思うの」
「……確かにそうね。さっきみたいなセクハラを会う度されたらノイローゼになるし」
「しないわよ……根に持つなぁ」
「ふん。どうだか」
あれだけ嫌がられたのだから本当にもうするつもりはないんだけど、一宮さんは疑いの眼差しをむけてくる。どうやら私は信用を完全に失ったらしい。
「それで、早速だけど一宮さんは何か意見ある?」
「そうね……じゃあ、まずこれだけはハッキリさせておくわ」
彼女は氷のような表情で私を見て……いや、見るというより射殺すように睨みつけて、
「あんたとの同棲はあくまでユニットとしての仕事。互いの私生活や私情……プライベートなことにはお互い一切干渉しないこと。当然、お互いの部屋にも侵入禁止。どう?」
「分かりやすくていいんじゃない? 私も異論はないわ」
一宮さんの言う通り、私たちの関係はあくまでビジネスだ。
同棲も、その様子を配信するのも、そういう契約だから。
アイドルでいるために仕方なく従っているに過ぎない。
「そ。ならこの際だしこれも言っておくけど……」
そう前置きすると、一宮さんは一度瞑目してから再度私を目力で射殺そうとする。怖い。
「あたしはあたし以外のアイドルは全員殺すべき敵だと思ってるから」
「……戦国武将かなにかなの?」
えぇ……こわ。とドン引きする私の呟きを、一宮さんは聞いた上でしっかり無視した。
「ユニットを組むあんたも例外じゃないわ。だからあんたと馴れ合うつもりはないし、仲間だとか友達だとかそういうくだらない勘違いもやめて、迷惑だから」
「全員敵って……流石にそれは大袈裟なんじゃない? 少なくとも私たちはユニットである以上、同じ目標に向かって協力して進んでいくことになるんだし……」
「は? トップアイドルになるのはあたしなんだから、邪魔するやつは全員敵に決まってるでしょ? 同じユニットだろうと関係ないわ、全員殺す。最強はあたし。わかる?」
取り付く島もなし、と。私は諦めたようにひらひらと手を振って、
「……わかった、わかったわよ。あなたと私は殺し殺される敵同士。これで満足?」
せめて、その全員殺す発言が何らかの比喩表現であることを願うばかりだ。
じゃないと私が第一の被害者になりそうだし。
「ねえ、ところでそれってさ、この前の私の宣戦布告への意趣返しだったりするの?」
ムキになってやり返してるなら年相応な感じでちょっと可愛いじゃない。などと思ってからかうように尋ねると、一宮さんはおぞましい芋虫でも見るような目つきになって、
「……最悪だわ。これだからあんたとユニットなんて組みたくなかったのよ。単に事実を口にしただけなのに勝手に勘違いして盛り上がって自意識過剰も甚だしい、頭おめでタ〇コプターなの? そのまま天高く宙まで舞い上がってフェードアウトする気? いいわよ別に、あんたが消えてくれたらそのままユニットも解散できるし」
「ほ、本当に好き放題言ってくれるわねあなた……」
そんな調子で、私たちは時折言い争いつつも共同生活のルールを決めていく。
主なものは、さきほど決めた互いのプライベートへの不可侵不干渉。とくに襖を勝手に開けるのは絶対に禁止という話になった。
それから、一緒に暮らす上での家事当番や、個人の飲食物には名前を書くなど冷蔵庫の使い方、お風呂の順番など生活に関する細かいルールを一通り決めることができた。
「ひとまずはこれくらいかしらね? あとはその都度足りないと思ったルールを話し合いで追加していけばいいと思うんだけど、一宮さんはそれでいい?」
「いいわよ、それで」
私の確認に投げやりに頷くと、一宮さんは席を立ってリビングを後にしようとする。
「あ、一宮さんちょっと……」
「なに? 話し合いはもう終わりでしょ? 配信は明日からでいいってくじ姉も言ってたし、あたし今日はもう部屋で休むから。ルールでしょ、不干渉。話しかけてこないで」
突き放すようにびしゃりと言い放ち、一宮さんは部屋にこもってしまった。
「その配信のことを話したかったんだけど……」
とはいえ、ルールであれば従うほかない。
「……目標を達成できなかったら二人揃ってクビなのに、こんな調子で大丈夫なのかなぁ」
私の記念すべき『ブルーオーシャン』移籍一日目は、終始グダグダな調子で幕を閉じた。
そうして、翌日から私の『ブルーオーシャン』所属アイドルとしての活動が始まった。
私たちのデビュー自体は一か月後のお披露目ライブになる予定で、ライブまでの一か月後はその準備期間という扱いになっている。とはいえ、やることは山積みだ。
歌やダンスのレッスンは当然として、私にとって目下最大の難題は一か月後のライブへ向けた動画配信による宣伝活動だった。
なにせ、パソコンやネットに疎い私にとって動画配信は全く未知の文化だ。
動画の編集方法は元より、どういう内容の動画を撮るべきなのかも正直全く分からない。かと言って、一宮さんに任せてみるっていうのも違った意味で恐ろしい。
一宮さんの才能は認めるし歌もダンスも上手いとは思うけど……その才能を鼻にかけたような傲慢で攻撃的な彼女の振る舞いは、信用して仕事を預けるのを躊躇う理由としては充分過ぎるくらいに酷いものがある。
結局、動画の企画担当を自ら買って出た私は、くじらさんに基本的なことを教わりながら、宣伝用の動画をいくつか撮影し、編集も自分で行ったものを投稿することにした。
自分で言うのもなんだけど、初挑戦にしては良い動画になったんじゃないかと思う。
人気のアイドルグループの動画を参考にしたから、そこまで大コケすることもないはずだし、一宮さんも撮影中は私に協力的で思った以上にスムーズに撮影出来たし……うん、この調子なら、案外彼女とも上手くやっているかもしれない。
次はもっと、再生数が伸びるように他のアイドルの動画も研究して——
「——……貴重な練習時間を削って何やってるんだろう、私」
思わず、溜息と共に気づかないフリをしていた本音が零れてしまう。
大手芸能事務の『JASTEK』にいた頃は、こういった裏の作業は事務所が全てやってくれていて、アイドルとしての活動だけに集中することが出来ていた。
それだけに、現状とのギャップにどうしても戸惑いが生まれてしまう。
今の私は『ブルーオーシャン』所属のアイドル。くじらさん個人が経営するインディーズの事務所である以上、自分でやれることは何でもやるべきだって頭では分かってる。
分かってはいるけど……いえ、そうよね。今の私に弱音を吐いてる暇なんてない。トップアイドルになる為なら、動画配信だろうと何だろうとやるしかないのだ。
そんな風に、私は私なりに『A;ccol❀aders』としての活動に意欲を燃やしていたんだけど、
「あんたの企画、ゴミね」
……くじらさん。やっぱり無理です。私、この子とやっていける自信がありません。
夜。既にその日のノルマ分の動画を撮り終え個人レッスンも終えた私は、お風呂上りにリビングで投稿した動画の確認をしていた。
そんな折に、普段オフの時間のほとんどを自室に籠っている一宮さんが珍しくリビングに現れたかと思ったら一言目にこれだ。
「なに黙ってるのよ。聞こえなかった? あんたが企画担当した動画、悉く絶望的につまんないわねって言ってるんだけど……もしかして、加齢性難聴? 病院行く?」
啞然として固まる私に、一宮さんはこてりと可愛いらしく小首を傾げて毒を吐く。
その動作と顔だけは、小動物めいていて本当に可愛いらしい。
「……だから、私はまだ二十二だって何度言えば……っ!」
「なんだ、聞こえてるじゃない。返事くらいしなさいよ、無礼なやつね」
「あなたにだけは人類の礼節の何たるかを語られたくないわよ!」
この子はとぼけた顔で本っ当にふざけたことを……まだ二十二歳の女子に加齢性難聴とか尋ねてくる人間以上に失礼な人間なんてそうはいないだろうが。
私は湧き上がってくる怒りの感情を外へ吐き出すように大きなため息を一つして、
「……ねえ一宮さん。私も一々こんなこと言いたくないんだけどさ、一生懸命やってる人に対して、もう少し言い方ってものがあるんじゃないかな、普通は」
「は。なにその弱者の理論。あんたの普通を押し付けられても迷惑なんだけど。居候のくせに押し付けがましいやつね、図々しい」
「誰が居候よ。ちゃんと家賃も生活費も折半してるでしょうが。だいたい、私があなたと同棲する羽目になったのはあなたが契約書に勝手にサインしちゃったからでしょ?」
「あたしのせい? は。むしろ、あたしのおかげの間違いでしょ?」
的確に一宮さんの急所を突く一手……だったはずが、私に契約書のことを指摘された彼女はむしろ勝ち誇ったように嗜虐的な笑みを浮かべた。
「あんた、事務所をクビになって家賃を払えなくなってたって、くじ姉から聞いたわよ」
く、くじらさんめ。余計なことを……!
「……ち、ちゅうがくせいの華燐ちゃんにはまだわからないかもしれないけど、そういうのって、人として当たり前の思いやりとか常識っていうんだよ? わかるかなぁ?」
「ふーん、中学生に気を遣って貰ってお世辞を言われて喜ぶのが社会人の常識なのね」
「ぐぬぬぬぬぬ……っ」
だめだ勝てない! この子、なんでこんなにレスバ強いのよ⁉ 、
「……あのね、分かってないようだから言わせて貰うけど、この動画企画にはあたしたちのアイドル生命が掛かってるの」
「そ、そんなこと、私だって分かってるわよ……」
「なら、礼儀だとか一生懸命だとか常識だとかそんなくだらない事は心底どうでもいいって分かるでしょ? そんなことより、肝心の再生数は伸びてるの?」
「うっ。それは……」
一宮さんの指摘に、私は今まで以上に言葉を詰まらせる。
あれから数日、私たち『A;ccol❀aders』は『ブルーオーシャン』所属の新ユニットとして始動し、デビューライブに向けて準備する様子を毎日動画で配信していた。
いわゆる〝箱推し〟の人達はチャンネル登録もしてくれて、再生数も多少は増えてきたけど……くじらさんが提示する目標には遠く及ばない。
「『芸歴の長い私の方がファンが求めるものを分かってる』なんて自信満々に言うから動画の企画を任せてみたけど……それでこのザマとはね」
私の反応に全てを察した一宮さんは呆れたように嘆息して、
「とくに一本目なんて最悪ね。自己紹介だっつってんのに何でこんなクソ真面目に長ったらしく自己紹介してるだけの動画にしちゃったワケ?」
「……え? 自己紹介動画なんだから、自己紹介をするのが普通なんじゃ……」
「あんた、バカなの? 自己紹介動画で馬鹿正直に自己紹介するアホがいるか」
「だ、ダメなの? 自己紹介動画なのに……⁉」
「……はぁ。あんたさ、五分の楽曲と三分の楽曲、どちらも同等のクオリティで聞いた際に同じだけの感動を得られるとしたら、どっちを聞きたいと思う?」
「え? 同じクオリティで同じ感動なら五分の方が長く楽しめるし、そっちなんじゃ……」
「はいそれ。その感性がもう古臭いって言ってるのよ、オバサン」
「お、オバ……⁉ あ、あなた仮にもアイドルに向かって言って良い事と悪い事が……いえそれより、長い曲と短い曲のどっちがいいかなんて、そんなの個人の好みによるでしょ」
あまりの暴言に爆発しかかった私は、その寸前で冷静さを取り戻し何とか反論を試みる。
「ま、それはそうでしょうよ。けど、スマホ普及による可処分時間の奪い合いによって、現代の娯楽はより手早く片手間に楽しめるものが求められるようになってきてるわ。当然、アイドルもね。なんならエビデンスもあるけど?」
「ソース……エビ? え、なに。なんて? お昼ご飯の話? えっと、お腹空いたの……?」
急によく分からないことを言い出した一宮さんにそう尋ねると、何故か露骨にガッカリした表情で溜息を吐かれてしまった。な、なんで……? どういうこと?
「とにかく、あんたの企画は古臭くて話にならない。ハッキリ言って視聴者舐めすぎ」
「別に私は、舐めてなんて……」
「は。どうだか。大方、練習時間を削って何やってるんだろ……とでも思いながら撮ってたんでしょ。あんたのやっつけ仕事の編集から透けて見えてんのよ、そういうの」
「そ、それは……」
「ほら、図星じゃない……はぁ、本当に最悪だわ。これだからあんたとユニットなんて組みたくなかったのよ。今時、動画配信の重要性も分からないとか、エンタメに関わる人間として終わりねオワリ。加齢でアンテナ感度逝っちゃってんじゃないこの老害アイドルが」
こ、この子。こっちが強く出ないのをいいことに好き放題言ってくれて……!
「……そ、それだけ人のことをこき下ろせるんだから、一宮さんが考える企画はさぞ面白くて再生数も伸びるすごい動画になるんだろうなー。まあ? 何も知らない勘違い素人さんの机上の空論が実際に通用するかって言われるとちょっと疑問だけど……」
まだライブもしたことがないポッと出の新人にここまで言われて、笑顔ではいそうですねごめんなさいと引き下がれるほど私は大人ではなかったらしい。
引き攣った笑顔の隙間から、ついそんな怒りの籠った皮肉が漏れ出てしまう。
となれば当然、一宮さんが黙っている訳もなく……。
「はぁ? なにあんた、自分の企画がちょっと批判されただけで八つ当たり? ダッサ。アイドルとしてとかそれ以前の問題ね、人としての浅い器が知れるわ。ああ、だからアイドルとしても業界の浅瀬でちゃぷちゃぷしてるだけだったのね浅瀬ちゃぷちゃぷ女」
「その自分は棚上げしてひたすら人を叩く腐った精神性、ネットの匿名掲示板に貼り付く陰湿アンチにそっくりね。素人気分のまま業界に迷い込んじゃったのね可哀想に……」
「驚いた。あんたみたいなアナログ原人の口からネットの匿名掲示板なんて言葉が出てくるなんて……でも未だに匿名掲示板なんて使ってる人間はネット黎明期から掲示板にこびり付いてる老害か性格ゴミクズの人間産業廃棄物くらいだけど大丈夫? ああ、あんたはどっちにも当てはまるのか」
「あー、はいはい。またワンパターンな年齢マウントね。やっぱり勘違い素人ちゃんは一回ウケると一生そのネタ擦り続けちゃうのよねー。まあ勘違いしただけの素人なんだからつまらないのは当然なんだけど。その勘違いっぷりが露見して恥かくまえにお家に帰ったほうがいいわよ? 大丈夫? 道わかる? お姉さんが送ってあげようか?」
「……っ、あったまキタ! いいわよ、そこまで言うなら見せてやろうじゃない。あんたとあたしの格の違いってヤツを。もしあんたの企画に負けるようなことがあったら、家にでも何でも帰ってやろうじゃない!」
「私だって、あなたみたいな勘違い素人に負けるようなことがあったら罰ゲームでも何でもやってやるわよ!」
「……言ったわね? なら、『負けた方は勝った方の命令を一つ聞く』ってルールでどう」
「その勝負、乗った」
「「……ふんっ」」
こうして私たちは、再びの口論の果てに、罰ゲームを賭けて互いの企画した動画の再生数で勝負をすることになったのだった。
……一宮さんとはできるだけ仲良くするはずだったのに、どうしてこうなった?