第十七話 アーコレード ~冬に咲くぼくらの~/A;ccol❀aders [Official Music Video]
——A;ccol❀aders
『——桜咲く乙女満開姉妹系アイドルユニット「A;ccol❀aders」の叶メグムと』
『一宮華燐です』
『今、ライブ後に緊急でカメラを回していて……多分、早ければ今夜か、明日? ライブの翌日あたりにこの動画が公開されていると思います』
『このタイミングで動画を撮っている理由については、ライブに来て下さった方なら何となくお察し頂けていると思うのですが……今回、私たちのデビューライブで起きてしまったトラブルに関してファンの皆様に謝罪をさせて頂きたいと思い、事務所の許可を取って謝罪動画を撮る機会を設けさせて頂きました』
『今回、私たちのパフォーマンスが原因で、ライブをご覧になったファンの皆様を嫌な気持ちや不安な気持ちにさせてしまったかと思います』
『ファンの方々に楽しんで貰うためのライブでこのような事態になってしまい、本当に申し訳ございませんでした』
『申し訳ございませんでした』
『今後は今回のようなことがないよう、私も華燐もより一層気を引き締めてレッスンに励んでいきたいと思います』
『それから……今回のライブをご覧になった方の中には、トラブル直後の華燐の様子や華燐と私の関係について、不安な思いをさせてしまった方も沢山いらっしゃったかと思います。今回はその件についても私の方からお話をさせてください』
『私は……私と華燐は——付き合ってはいません』
『……⁉』
『確かに私たちは現在一つ屋根の下で同棲しています。ですが、そもそも一宮さんは未成年ですし、私たちはそういう関係ではなく、あくまで健全な——』
『ちょっと待てストップ! あんたいきなり何を口走ってるのよ⁉』
『え? だって、私たちの動画を見てくれてるファンの方って、私たちにそういうのを期待してるのよね? だったらまずはそこから誤解を解いていくべきかなって……』
『確かにそういう需要があるのは事実だけど、だからってそんな直球勝負する⁉ 求める側はこっちがなにもしなくても勝手にそういう解釈するだけなんだから、私たちからわざわざそこに言及する必要はないの!』
『あ、そういうものなんだ?』
『そういうものなのよ……というか、あんたは謝罪動画で一体何の話を……』
『……そうでした。すみません。話を戻しますね』
『私、皆さんにお伝えしたいことがあるんです。一人のアイドルとして、伝えなきゃいけない、あるアイドルの話です。ですから、もう少しだけ皆さんの時間をください』
『私の相棒の話……一宮華燐の話です』
『もしかすると彼女は、皆さんが想像していたようなアイドルじゃなかったかもしれない。先程のライブを観て信じてたのに裏切られた、騙された。そう思った方もいたかもしれない』
『ですが、そんなことは絶対にあり得ないって私が保証します』
『彼女は……一宮華燐はあなたたちファンを絶対に裏切らない。だって、誰よりもファンのことを考え、愛し、行動するのが彼女——一宮華燐というアイドルだから』
『私は……叶えたい夢があってアイドルになりました』
『勿論、私を応援してくださるファンの想いに応えたいという気持ちは大きいです。ですが、私がステージに立ち続ける最大の理由は、やっぱり叶えたい夢があるからなんです』
『私、叶メグムは自分の夢のためにアイドルとして努力を続け、ステージに立っています。でも、一宮華燐は違いました』
『彼女はいつだって自分を応援してくれるファンのことを考え、ファンの想いに応えるためにアイドルであろうとしています。己を削って、皆さんの為にステージに立っています』
『私は……そこまでファンの方々に真摯になれません。自分の想いを総て押し殺して、ファンの皆さんに全てを捧げるなんてことはきっと出来ません』
『今回のトラブルは、私の独りよがりで安易な考えから独断専行に走ってしまったことが原因です。ファンを誰よりも大切にしている華燐が、私の独断専行に怒りを露にした結果が、皆さんが目にした一宮華燐です。皆さんのために、一宮華燐は怒ったんです』
『そんな彼女を私は——って、華燐あなたどこへ……え? 耐えられないからあとは編集で誤魔化しておいて? あ、ちょっと! ……はぁ、このタイミングでどこか行くとか本当に信じられない。私だって恥ずかしいのに……仕方ない。私をアップにして……』
『……えっと、何が言いたいかって言うと、私は一宮華燐というアイドルを尊敬しています』
『腹が立つほどに。些細なことで言い合いになってしまうほどに。認めたくないと心が駄々を捏ねてしまうほどに。彼女の輝きに、一宮華燐というアイドルに魅せられています』
『そんな彼女が相棒だから……敵わないなぁ、悔しいなぁって、彼女の隣に立つ度に思います。自分の至らなさを、たった十四歳の少女の真剣な横顔に思い知らされます』
『何度も何度も』
『私と華燐は同棲しています。ですが、皆さんが思っているほど仲は良くないかもしれない』
『年齢も考え方も価値観も性格も信念も主義主張も趣味趣向も何もかもが違っていて、言葉を交わすと喧嘩ばかりで、意見があったことなんて数えるほどしかなくて、些細なことで言い合いになって何日も口を利かなかったことだってあります』
『正直、人としてはどうかと思うところも沢山あります。口は悪いし傲慢だし我儘だし私のことをいつも小馬鹿にしてきて……毎日、いえ毎秒、凄く頭に来ます。私も負けじと言い返すから、多分、華燐も同じくらい私に腹を立ててるんだろうなって思います』
『けど、今こうして華燐のことを話していて……ふと思ったんです。本当に頭に来るし腹立たしいし、華燐のことで悩んでばかりだったけれど……私、華燐と一緒に過ごす中で一度も華燐と離れたい、ユニットを解散したいと思ったことはなかったんです』
『私は、アイドルって、見ていて思わず自分の夢や理想を重ねてしまう……そんな特別な存在だと思うんです。私もそうなりたいし、そう在りたい』
『でも、一宮華燐はそれだけじゃ終わらない。あの子はきっと、皆さんが夢や理想を重ねるだけの存在じゃない。いつか皆さんの夢や理想そのものになって、一緒にソレを叶えてしまう——そんな凄いアイドルになるんじゃないかって思うんです』
『少なくとも、私は確信しています。だからきっと、いつまでも華燐の隣を離れたくないんです。私だってあの子の隣で、あの子に負けないアイドルになりたいから』
『ええっと……結局、何が言いたかったのかって言うと、一宮華燐は皆さんから愛されるに足る、素晴らしいアイドルだってことです』
『だから、今日のライブを観てくださった皆さんには信じて欲しいんです』
『一宮華燐というアイドルを。私が彼女へ抱いているこの想いを』
『謝罪動画と言いながら私的なことで皆さんのお時間を頂いてしまい、すみません。ですが、最後まで聞いてくださった皆さんには私が届けたかった想いが届いていると信じています』
『改めまして、本日はご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした』
——A;ccol❀aders
動画が終わると共に、客席にざわめきが広がっていく。
「なに今の」「どういうこと?」「なんで突然『A;ccol❀aders』の動画が流れたんだ?」
映像を見て顔を見合せるファンの表情には軒並み困惑の色が浮かんでいた。
そして、そんな彼らの困惑は直後にさらに大きく増すことになる。
「……おい、アレ見ろよ。ステージに立ってるのって……」
スポットライトが闇を切り裂く。
そこに、先ほどまで居たはずの『RustiRe:ca』メンバーの姿はなくて——
——@nao:誰 @なすb:俺たちの納豆頭ちゃんww@ポテト:納豆頭ちゃんキタ━(゜∀゜)━! @わらび餅:納豆出すなら一宮華燐連れてこいよw @シロクロ:どうでもいいからRustiRe:ca出せ @MIMI:は? なにコイツなぐも様は? @豆太:面白くなってまいりましたwwww @nao:誰 @ブルオ箱推しP:なぐも様が許可出したからメグちゃんはステージに立ってる。文句言ってるやつはRustiRe:caのファン辞めろ @赤二才:長文キッショ——
「……なに、やってるのよ」
加速するコメント欄と画面の中の光景に、あたしは暗い部屋の中、呆然とそう零す。
「……どうして、この動画が流れるの。なんであんたが、そこにいるのよ……っ」
ライブを、観てくれと言われたのだ。
勝負に負けた罰ゲームだと。命令だから必ず観てくれと。
あたしがこうなった以上、『A;ccol❀aders』がライブに出られる訳がないのに。あたしたちに……あたしに、未来なんてないのに。
それなのに、メグムは襖越しにあたしにそう告げてどこかへ出ていった。
まるであたしを、信じているかのような言葉を残して。
でも、今のあたしにメグムの言葉に素直に従う理由なんてない。
だからあたしは、ライブが始まる時間になっても布団にくるまったまま。目を閉じ耳を塞いで、時間が過ぎ去ってしまうことをただ祈っていた。
アイドルなんて……ライブなんて、二度と観たくないし関わりたくない。
それなのに、ライブがそろそろ終わろうかというタイミングで配信画面を開いてしまったのは、あたしの中に僅かに残ったほんの少しの矜持か強がりか。
自分でもその衝動の正体は分からない。ただ……。
『……初めまして。「A;ccol❀aders」の叶メグムです』
『まず、「RustiRe:ca」のライブを観にきて下さったファンの方々——すみません。突然よく知らないアイドルが出てきて困惑しますよね。当然だと思います。私だって、もし皆さんの立場だったら、いきなり出てきた私に野次の一つでも飛ばしているかもしれません』
『それでも……私たちに時間をください。「RustiRe:ca」の皆さんが快く譲って下さった時間を使うことを、私たちに許してください』
——@わらび餅:お前じゃねえよ納豆 @ナッツ:ネガコメしてるヤツらは嫌なら見るな。迷惑だ @なすb:納豆臭くなってきた @ゆた:会場ポカーンで草 @dull:シンプルに萎える @nago:誰 @もりそば:許さないから帰れ @MIMI:なぐも様差し置いて出しゃばってんじゃねえよドブス @nago:誰 @豆太:いいぞww 誰だか知らんがもっと燃えろwww——
「——るさいっ! 黙れ! お前ら全員、カナメグのこと何も知らないくせに……っ!」
悪意をもってメグムを嘲笑するコメント欄に、気づけばあたしはそう叫んでいた。
怒りで頭が真っ白に白熱し衝動的に手にしたスマホを叩き付ける。布団の上を跳ねたスマホは暗闇に消えて、ライブの音声のみが暗い部屋の中で流れ続けた。
『ここ最近のネットニュースで、私たち「A;ccol❀aders」を知って下さった方は多いと思います。ネット上で私たちに関する様々な意見が飛び交っていることもご存じでしょう』
……もう嫌なのに。これ以上何も聞きたくないし感じたくないし考えたくない。配信を閉じて何も見なかったことにして、あたたかで孤独な闇の中に逃げ込んでしまいたいのに。
『そこで言われていることに関して……特に、私の相棒への言葉に対して、言いたいことがないと言えば噓になります。けど、ここで私から皆さんに何かを言おうとは思いません』
声が、止んでくれないのだ。
『だって、私たちはアイドルで……あの日憧れ夢見たステージに、今。立っているんだから』
あの日、あたしが憧れた大好きなアイドルの言葉が、こんな絶望的な状況でも希望を諦めない強く凛とした優しい声が——その陰に隠した不安と怯えが、あたしの鼓膜を震わせる。
あたしの鼓動を狂わせる。
「どうしてよ……なんであんたはそんな風に立ち向かえるのよ」
だって、あたしは知っている。
——『……私は、一度は手に入れたはずの翼を、どこかに落としてしまったから』
メグムは、独りでステージに立つことが怖いと言っていた。
恐怖で身が竦み頭が真っ白になって息もできなくて、手足が痺れて動けなくなる。
だからずっと、ソロから逃げていた。そのはずなのに。
「こんなに、痛くて辛くて苦しいのに……」
過去は、傷は……目を背けて見えないふりをして、強がっても消えてはくれないのに。
「あんただって、あたしと同じはずなのに……」
『伝えたい言葉……想いは、歌いに込めます』
「……なのに。あんたは、どうして——」
絞り出す吐息のようなその声には、隠し切れない怯えが震えとなって滲んでいるのに。
『……だから、聞いてください——『少女偶像、桜色』」
「……くじら。メグのこと、止めないでいいの? あの子、ライブを乗っ取る気だよ」
「桜花ちゃんこそいいの? 自分たちに関わるなって言ったんでしょ、メグちゃんに」
「……ぼくは欲張りだからさ。ぼくはぼくが笑顔でいられることしかしないし、できない。だからぼくはさ、ぼくが大好きな人たちにもずっと笑顔でいて欲しいんだよ」
「だから……二人にアイドルをやって欲しくなかった?」
「呪いになるくらいなら。でも、呪いの先の祝福に手が届くなら——」
光が遠い。
鼓動が近い。嫌な汗が噴き出して止まらない。震えているのは寒いから?
……分からない。頭が揺れる。心が割れる。無意味な言葉が頭の奥で渦巻いて思考が全てを放棄する。舞台上、スポットライトに照らされ影は踊り歌う。沢山の目が影を見ている。
私は一人。ひとり。独り。ひとりぼっち。ひとりきり。
なら、大観衆の前に立つ影は……私? 一人の私が立っている。
独り、踊り、歌を歌っている。
……どうして? なんで私はここにいるの? 怖い。嫌だ。独りは嫌だ。ステージに独りで立つなんてどうかしてる。
だって、私は誰にも求められていない。誰もが私を無価値と否定した。誰もが無意味だと私を嗤った。誰も私をアイドルだなんて認めない——っ。
俯瞰するような他人事の視界に、当然の疑問を抱く。
疑問は恐怖と恐慌を呼び、パニックに陥りかけた私は眼前の悪夢を全否定し一蹴しようとして……いいや、違う。そうじゃなかったはずだ。
私だ。他の誰が望まなくとも、私自身が私がここに立つことを求めたんだ。
私がそう望み、そう選択した。
その結果私は今、ステージの上でスポットライトを一身に浴びて、この場の全ての視線を独り占めしている。
まるで、アイドルみたいに。
「——。————、…………!」
響く歌声が、紡ぐ歌詞が、頭の中でようやく意味を成す。
それでも、まだ意識がはっきりとしない。
私は震える声で音を紡ぎながら、自分がここに立つ経緯を少しづつ思い出そうとする。
予定調和を覆すと決意したあの日、私が真っ先に行ったのは……確か、ライブへ出演するグループへの交渉。
私たちがステージ上で歌う時間を確保することだったはずで——
『——ライブ当日に時間が欲しい、ね。直球な物言いをするヤツは好きだよ、私は。でもそれってさ、くじらの姐さんの許可は取ってるの?』
『それは……』
言葉に詰まる私に彼女——『RustiRe:ca』のセンター、片凪なぐもさんは少し不機嫌げに呆れ混じりのため息を吐いてそう言った。
『……ま、そうなるよね。許可取れるなら、わざわざ私に会いに来る必要はないわけだし』
とはいえ、彼女が不機嫌になるのも当然だ。いくら事務所の先輩後輩とはいえ、私となぐもさんは殆ど面識がない。私の入寮日に事務所前で少し話したくらいの間柄だ。
そんな相手からの自宅へのアポなし訪問なんて、門前払いするのが普通の対応だろう。
こうして玄関前で話を聞いて貰えるだけ、彼女の心がいかに広いかが分かる。
『……無茶も無礼も承知しています。でも、そのうえでお願いします。なぐもさん——私たちにはもう、この方法しかないんです』
『……おおよその事情は分かったよ。アンタがやりたいことは理解した、気持ちもね」
内心怯えながら答えを待つ私に、なぐもさんは考えるように一度目を閉じて、
『確かに、炎上中の「A;ccol❀aders」が一発逆転を狙うならここしかないだろう。問題なのは、その申し出を受け取るメリットが「RustiRe:ca」には微塵もないってことだけど——』
『そう、ですよね。ただでさえなぐもさん達には、私たちの尻拭いをお願いしているような状況なのに……こんな図々しいお願い、聞いて貰えるわけが——』
『——やりなよ、ライブ。面白そうじゃん』
いたずらっぽく片目を伏せたまま、茶目っ気たっぷりにそう言った。
『……ですよね。やっぱり、ダメに決まって……って、え?』
会話の流れからは想定できない返答に困惑する私に、なぐもさんは不敵な笑みを見せる。
『気合が入ってるヤツは好きだよ、私は。姐さんの決定に逆らってライブに乱入——いいじゃん、ロックでさ。その片棒を私に担がせようって図々しさも含めて気に入ったよ』
『い、いいんですか……⁉ か、かなり無茶なお願いだと思うんですけど……ほ、本当に?』
『ああ、存分にやりな。ロックに二言はないからね』
『あ、ありがとうございます! ほ、本当になんてお礼を言えばいいか……!』
『礼なんていい。単に私が愚直に走り続けるヤツが好きってだけで——……いや、これは違うか。アンタに自分の願望を押し付けてるだけで……ロックじゃないな、我ながら』
『あの、えと……なぐもさん?』
言葉の途中で顔を顰め、突然苦笑いを浮かべたなぐもさんに困惑していると、
『悪い、こっちの話だ。ただ……アンタみたいなヤツを見てると、つい思ってしまうんだ』
『……私を見ていると、ですか?』
『——努力が必ずしも報われるとは限らないこの世界で、それでも報われる努力は確かにあるって信じたい。何もかも無意味だった訳じゃないと証明して欲しい——』
どこか遠くを見るような、寂しげですらある瞳で自嘲するようにそう言って、
『……分かってる、そんなの絵空事だって。でもね、この世界で一度でも現実を見てしまった人間にとって、アンタはもうそういう存在なんだよ。だから私はアンタを勝手に応援するし、アンタはアンタでアイドルらしく、私らに勝手に応援されていればいいんだよ』
そう言ってなぐもさんは私に背を向けると、ひらりと手を振り自宅へ戻っていく。
『……ライブ、成功させなよ。叶メグム——』
——光が近い。
意識のピントが過去から今へと帰還する。
私の決意を、選択を。
スポットライトの光の中、取りこぼしかけた痛みを取り戻す。
……ああ、そうだ。
それは全部私のものだ。始まりも過程も結末も未来も私が負うべき全てを私は誰にも渡さない。誰に委ねることもない、私だけの〝答え〟だから。
意識も思考も鮮明になる。
俯瞰の視界と私の視界がようやく重なって、目の前に広がるのは色鮮やかに輝く星の大海、たくさんの笑顔が闇に瞬く、まるであの日の空のよう。
——歌。独り歌う、ぼくらの歌。
二つの足で、この空を踏みしめている。鼓動のようにビートを刻む。音楽が鳴り響く。
もう寒くはない。怖くはない。だって、心を揺るがす誰かの熱が、私を包むたくさんの声が、臆病な私の心を支えている。
だから、一人だけどもう独りじゃない。
——届くようにと祈りを込めて、届かない願いを秘めて歌う、私の歌。誰がための歌。
私はあの日、私の理想を星の海の果てに見た。
ずっと、ずっと。いつかきっとあの理想へ届くようにって、約束に縋って空の端にしがみついて……ボロボロに傷つき翼を失い地に墜ちて、それでも。
——真っ直ぐ。愚直に。あるがままに。誰に縛られることもなく。誰を縛ることもなく。
憧れた空に私が求めた自由なんてどこにもなくて、嘘と欲としがらみに塗れた虚栄の世界はいつだって私の背中から翼を奪っていくけれど。
もう、迷わない。
だって、あの日私が憧れた理想像たちは、この世界で笑っていた。
その歌声はこの薄汚れた世界の閉塞感を打ち砕く希望に満ちていた。
だから私は歌う。
自由に。
——自由を、謳う。
メグムの歌い出しは、あたしから見てもお世辞にも上手いとは言えないものだった。
緊張ゆえの硬さを感じる歌声はノビや安定感に欠けており、音程を外すばかりかそもそもの声量すら足りていない。
端的に言ってしまえば聞くに堪えない酷い出来で、案の定その時の配信のコメント欄はメグムのパフォーマンスへの酷評で溢れ返っていた。
『RustiRe:ca』の圧倒的な熱量で昂っていた会場のボルテージが、頭から冷や水を掛けられたように一瞬で冷めていく。
配信画面を見るまでもなく、劇場に集まったお客さんの白けた表情が目に見えるようで……あたしは暗闇に消えたスマホを探すのも諦めて、耳を塞いでその場に蹲り、大好きだったメグムの歌からも逃げようとする。
でも、耳を塞いだ両手の隙間から僅かに漏れ聞こえる歌声は、何一つ諦めていなくて、
「……良く、なってる?」
暗闇を藻掻くように。分厚い灰色の雲に隠れてしまった星の灯りを、それでも必死に探すように。徐々に、少しずつ。メグムの歌が本来の輝きを取り戻してく。
冷めきっていた会場のボルテージが、荒れていたコメント欄が、興味のない不人気アイドルを嘲笑する流れそのものが、メグムの歌声の変化につられるように——何か、自分たちは今、とんでもない伝説の瞬間の目撃者になっているんじゃないかという期待と高揚で、その悉くを塗り替えていく。
「——っ、メグム……っ!」
その歌声を道標に、気づけばあたしはどこかに消えたスマホを必死になって探していた。
……ライブを観てくれとメグムに言われた。
守る気なんて欠片もなかったその約束を、今のあたしは守りたいと思っていて——
「……ああ、なんだ。そこにいたんだ」
——星の見えない夜に、歌が星を灯す。
「……お帰りなさい、あたしのカナメグ」
拾い上げたスマホの画面いっぱいに色鮮やかな輝きが満ちていて……降り注ぐ光の雨の真ん中で、可憐な衣裳に身を包んだ女の子が跳ねるように踊り歌っている。
透き通るようなファルセットで紡がれる儚く繊細で柔らかな歌声は、まるで一人一人に語りかけるよう。
聞く人の心に優しく寄り添って、その表情を変えていく。
歌に想いを込める。そんな漠然とした言葉があるけれど、彼女のソレはその理想形なのだとあたしはいつも思っていた。
——ああ、これはきっと〝あたし〟の歌だ。
多くの人にそう思わせる経験と技術に裏打ちされた表現力。聞き手の共感を得る説得力……いや、それもきっと要素の一つなんだろうけど、彼女の本質はそこじゃない。
言葉にするのは難しいのだけど、彼女の歌う言葉は誰かの借り物じゃない。嘘がない。
だから、真っすぐに届く。
——@シロクロ:思ったよりイイじゃん @豆太:アイドルあんま興味なかったけど……いいな @ゆた:掌返しするヤツ多すぎww でも分かるwww @dull:普通に歌うまくね? @ナッツ:納豆パン:信じてて良かった…… @もりそば:てかこれ、炎上含めて演出だったんじゃね? いろいろ出来過ぎで引くわ @ポテト:まだなんか言ってるヤツいるな @赤二才:逆張り乙 @シュガー:お前みたいのが一番つまんね @ブルオ箱推しP:ぼろぼろ泣いてる……——
好奇と悪意で埋まっていた画面が、メグムに対する好意的なコメントで埋まっていく。
ずっと不遇だったカナメグが、ようやくその歌をたくさんの人に聞いて貰えて、正当な評価を受けることができた。
それだけであたしは涙が溢れそうなほど嬉しかったのに、
『——聞いてくださって、ありがとうございます。次の曲は私たちにとって……ううん、きっと皆さんにとって、すごく特別な曲だと思います。私たちがコレを歌うことを、すごく怒る人もいるでしょう。だから、はじめに謝っておきます——ごめんなさい』
「……メグム?」
『でも、私たちは歌います。赦されなくても、届かなくても、愛されなくても。何もかもが間違いで、私のこの選択がいつの日か過ちとして裁かれる日が来るとしても……歌うべきだって、この歌を歌いたいって、私がそう思うから』
あたしは、その歌を知っていた。
「さぁ、笑って——「サクラフブキ、ユメメブキ」』
……いいや。きっと、このライブを観ていた誰もが知っていただろう。
——@虹ぽ:これ、桜花の曲じゃん @豆太:え、それ歌っていいの? @赤二才:虹坂桜花のデビューライブとラストライブでしか歌われなかった伝説のソロ曲! @シロクロ:いやダメだろ @お祭りキリン:はいアウト~ @ゆた:権利関係どうなってんの? @REO:でも、聞いたことある。この曲、『ナナイロサクラ』関係者が共同で著作権持ってるって話 @もりそば:だからなんなんだよ @ブルオ箱推しP:皆さん知らないんですか? そもそも叶メグムは——
流れ始めたイントロに、コメント欄が再び加速しはじめる。
会場に集まったファンの顔にも戸惑いの色が浮かんでいるのが配信からでも分かった。
突然の事態に困惑する皆を置き去りに、メグムはステージ中央から三歩右へと立ち位置を変える。
まるで、その隣に誰かが立っているかのように。
そうこうしている内にイントロが終わりAメロに突入する。
けれど、メグムの歌声は何かが欠けたように酷く不完全で未完成で……いや、ちがう。メグムは特定のパートだけをわざと歌っていない。
歯欠けのように感じるのはそのためだ。
——@虹ぽ:は? 桜花の曲歌っておいてふざけてんの? @シロクロ:ちゃんと歌えよ @もりそば:歌詞わすれたのかよグダグダじゃん @お祭りキリン:歌うのか歌わないのかどっちだよ @ゆた:視聴者舐めてる? @豆太:ファンになりかけてたのに、がっかりだよ…… @ゆた:中途半端が一番最悪 @お祭キリン:もういいや帰れよ @赤二才:虹坂桜花を穢すな―—
「……ち、違う! メグムはちゃんと歌ってる。少しもふざけてなんか……!」
だってこの曲は……『サクラフブキ、ユメメブキ』は、本当は——っ。
「——くそっ。ダメ、分かって貰えるはずがないわ……」
会場に集まったファンや配信を見ている人たちが、あの事実を知っている訳がない。
当然だ。だってそれを知るのは旧ナナイロサクラの元メンバーと、もう一人……
「……あたししか、知らない」
虹坂桜花の……お姉ちゃんの妹である一宮華燐だけが、そのことを知っている。
あたしだけが、叶メグムを——
「——……なんなのよ、あんた」
今もなおメグムは不完全な歌を歌い続けている。
客席のざわめきも、再び荒れだしたコメント欄も、このままじゃ収拾がつかなくなる。
——『私たち、「約束」したわよね。クリスマスライブ、絶対に成功させようって』
「……一宮華燐がどうしようもない弱虫だって……嘘つきの紛い物で、あたしなんかじゃお姉ちゃんの代わりにはなれないって、あんたは知ってるのに……っ」
本当に苦しいのは、痛いのは、誰かに助けて欲しいのは、あたしの方なのに……。
——『あたしがなってやるっつってんの! ……あんたの、翼……!』
画面の中、どこかの誰かを信じ切ったような瞳には、迷いの欠片さえ見つからなくて。
「——ぁあああああああああああ! もう……!」
髪の毛を掻き乱しながら、女の子らしからぬ咆哮をあげる。
あたしは何故だか無性に負けたような気分になって、悔しさに唇を嚙みながら衝動のままに部屋を飛び出す。するとそこには……。
「……最悪だわ。なんの根拠もないくせに、大事なライブでこんな無謀な賭けみたいなことをして……これだからあんたとユニットなんて組みたくなかったのよ……!」
綺麗にアイロンがけされた衣装が、「待ちくたびれたぞ」とばかりにあたしを待っていた。
「本当に、意味が分からない。なんで、こんなあたしを信じるのよ、あんたは……!」
歪みそうになる視界を振り切って、強がるように笑みを浮かべる。
あたしは急いで衣裳に着替え、途中転びそうになりながら事務所への階段を駆け下りた。
一階の事務所には誰もいない。鍵もかけずに外に飛び出すと、途端に息が白く染まる。
外は雪が降っていた。
あたしにはそれが、空から舞い落散る桜の花びらのように見えた。
十二月二十四日、クリスマスイブ。
真冬の桜吹雪の下を、あたしは走った。
大好きなアイドルの元へ、大切な相棒のピンチを救うために。
だって、あたしは——
——だって、私は信じている。
美しいものばかりじゃないこの世界で、けれどそれは嘘偽りのない美しさに見えたから。
私はアイドルが好きだ。
ファンの皆からの声援が、みんなで一つのモノを創り上げる感覚が、会場が一つになる瞬間が、かわいい衣装が、カッコいい振付けが、キラキラしたステージが。
歌うことが好きだ。踊ることが好きだ。ライブが好きだ。
アイドルであることが大好きだ。
……でも、アイドルに憧れるただの私は、弱くてちっぽけで誰かの言葉に従って自分を守るだけの臆病者でしかなくて、理想像になんてまだまだ手が届かないから——
私の視線の先、固く閉ざされていた劇場のドアが開く。
私の不完全な歌唱へのざわめきが、別種のざわめきへと変わっていく。
まるで海を割るように、客席に一筋の道が出来て——その道を一人の少女が駆けてくる。
「——信じてた」
ステージに上がった彼女に、私は笑った。
「……勝手に信じないで。押しつけがましいのよ、あんた」
彼女は瞳に涙を滲ませながら、拗ねたように唇を尖らせる。
「いやよ。だって、ファンってそういうものでしょ」
「……最悪だわ。これだからあんたとユニットなんて組みたくなかったのよ。ユニットを組む相方が自分の厄介ファンだなんて、そんなの……最悪よ。最悪にもほどがあるわ」
「ふふ、確かにそうね。気持ちはわかるわ。最悪よね、本当に」
結局、ファンなんて生き物は、いつか彼女が言ったとおりの存在だ。自らが作り上げたフィルターを通して、いもしない理想の誰かを勝手に〝アイドル〟に重ね見ている。
押しつけがましく、はた迷惑で……でも、そんな人たちの愛が、私たちを支えている。
弱くて臆病でちっぽけな私たちを、アイドルにしてくれている。
「だからさ、独りぼっちが怖い臆病な私に力を貸してよ——アイドル」
「……し、仕方ないわねぇ……あ、あたし。が、……なっ、て。あげるわよ……っ!」
ぼろぼろと。アイドルどころか、女の子としてどうなのってくらいに、少女は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに歪め泣き笑って、
「……あんたの、翼に……!」
二人手を繋ぎ、前を向く。
目の前に広がる色鮮やかな星の瞬く大海に、あの日夢見たステージに私たちは並び立つ。
『サクラフブキ、ユメメブキ』——私と桜花のデビュー曲となるはずだったデュオ曲を、あの子の妹と歌う……その不思議な巡りあわせに、運命めいたものすら覚える。
だからきっと、私たちはここからだ。
あの日、はじめることすら出来なかった夢に終止符を打ち、もう一度。
「例え、独りじゃ怖くても……」
「……ええ。『A;ccol❀aders』なら、飛べるから」
——だから、歌を歌おう。
届くようにと祈りを込めて、届かない願いを秘めて歌う、私の歌。
ぼくらの歌を。
桜吹雪き夢芽吹く。
おわりとはじまりを告げる歌。
昨日と今日と明日を繋ぐ希望の歌を。
冬に咲くぼくらの——『A;ccol❀aders』を。




