第十六話 アーコレード ~冬に咲くぼくらの~/A;ccol❀aders [Official Music Video]
師走。
十二月の和風月名であるこの単語の語源は、師匠である僧侶がお経をあげるために東西を走り回るところから来ている……というのは有名な話だと思う。
ただ、実際にはその語源には諸説あって、正確な語源は未詳とされているらしい。
例えば、年が果てるという意味の「年果つ」が「しはす」に変化しただとか、四季の果てる月を意味する「四極」を語源とする説だとか。一年の最後に為し終えるという意味の「為果つ」から来ているという説もある。
なら、私にとっての「師走」とは、一体どんな月だっただろうか。
忙しく東へ西へと駆け回っていた気もするし、四季の季語である桜を名前の由来としている『A;ccol❀aders』が果てるか否かの終わりの月であったかもしれない。
一年の終わりに大きなライブを成すという意味での「為果つ」だった可能性もある。
とはいえ、私の十二月がどのようなものだったにせよ、結論を出すにはまだ早いだろう。
今日は十二月二十四日、クリスマスイブ。
年末年始の真っ只中にありながら他とは一線を画す存在感を示す一日。今日という特別な日が終わるまでは、その判断を保留にしても良いはずだ。
「——おはようございます。くじらさん。皆さんもお疲れ様です」
諸々の支度を終えて事務所へと降りた私は、慌ただしく打ち合わせをしているくじらさんとスタッフさん達にそう挨拶をした。
「あら、おはようメグちゃん。随分と早いのね~。まだだいぶ時間はあると思うけど……」
「そうなんですけど……なんだか目が覚めちゃって」
事務所の壁掛け時計を見るくじらさんが言うように、時計の針はまだ早朝に該当する時間を指し示している。窓から差し込む明かりもまだどこか薄暗く、かすかに頭を覗かせ始めているらしい太陽は濃く伸びた灰色の雲の中に閉ざされてしまっていた。
どうやら今朝は今冬最大の冷え込みを見せているらしく、付けっぱなしになっている事務所のテレビからは、もこもこの防寒着に身を包んだ人気美人アナウンサーが寒さに顔をしかめながら天気のレポートを行っている声が聞こえてくる。
彼女によると、東京は昼過ぎから雪が降りだすらしく、明日は久しぶりのホワイトクリスマスになるかもしれない。
「昨日はよく眠れた? 久しぶりのお仕事だからって夜更かしして勉強してたんじゃ……」
「流石に昨日は早く寝ましたよ。だから、この時間までぐっすりです」
「……そう。なら、安心ね~」
顔の横でぐっと拳を握って元気をアピールすると、くじらさんは安心したように笑う。
けれどすぐに、私を慮る心配の色を顔に浮かべて、
「でも……本当に良かったの? 今のメグちゃんにとって、クリスマスライブに関わるのは辛いことなんじゃ……」
「心配し過ぎですよ。今は何かに没頭している方が気も紛れますし、私なら大丈夫ですから」
「……分かったわ。そういうことなら、お姉さんも遠慮はしないわね。今回のライブ、PAの仕事はメグちゃんに完全に任せちゃうから、しっかりとお願いね~」
「はい、任せてください」
くじらさんの言葉に元気よく頷いてみせながら、私は「外の空気を吸ってきます」と一言残して事務所を後にした。
向かう先はブルーオーシャンの専用劇場『Blue Garden』、クローズドの札が掛かった扉の前で待っていたその人物に私は声を掛けた。
「……すみません、こんなに朝早くから呼び出してしまって」
「構へん構へん。叶ちゃんの頼みやし、ウチにも仰山メリットがあるわけやしな」
「それで、お願いしていた件に関してなんですけど……」
「SNSの方の仕込みはバッチリや。じわじわと、ええ感じに話題になっとると思うよ」
「ありがたいです。なら後は——」
——私が選んだこの答えがどんな結果を招くのか。それは、私自身にもわからない。
だけど、やるしかない。
「……華燐、起きてる?」
だってこれは私の選択。
「返事はしないでいいわ。勝手にここで喋ってるから、そのまま聞いて」
走り出したこの道の先が、選んだ答えが正解なのか間違いなのかは誰にも分からない。
だからこそ、他の誰でもない私自身が私の答えを信じて進むしかないのだ。
「私が再生数勝負で初めて華燐に勝った時の罰ゲーム。まだ使ってないの、覚えてるわよね? ……あの時の命令権。今、使うから」
特別な一日も、そうじゃない一日も。すべて等しく、同様に。
「だから、今日のクリスマスライブ……配信でもなんでもいいわ。必ず観て。約束」
確かな答えなんてないこの現実で、不確かなものをそれでも信じて。私は——
——ライブがはじまる。
「なあ聞いたかよ、例の話。ほら、あの虹坂桜花の妹の……なんだっけ、とにかくその虹坂桜花の妹が、今日秋葉原でやる地下アイドルのライブに出るかもしれないって話」
「あー。でもそれって確か、所属グループが辞退したんだろ? 人気投票で一位は取ったけど、その妹の体調不良とかでさ……ま、あんな風に炎上したら当然だろうけど」
「アタシは虹坂桜花本人が出てくるって聞いたけど」
「え、マジ? 流石にそんなのありえんくない?」
「なんか、そこのアイドル事務所の社長が実は虹坂桜花の知り合いらしいって話でさ……」
「え、ガチならヤバない⁉ 伝説の桜花サマに会えるとかマジテンション上がる……!」
「てかさ、一宮華燐って本当に虹坂桜花の妹なん? 全然似てなくね。ブスじゃん」
「ブスってか、それ以前に性格終わってるのが最悪でしょ。アイドル辞めてまで看病してくれた姉に対してあの言い方はないわな。恩を仇で返すにも程があるだろ」
「な、こんなヤツのせいで虹坂桜花が引退したとか、マジで許せねえよ俺……!」
「はいはい、お前は巨乳が好きなだけだろ。でもさ、今日のライブにマジで出るなら一目拝んでみたさはあるよな。いやオマエどんだけ分厚い面の皮してんだよって話じゃん」
【一宮華燐とかいう大罪人について】
891 名前:名無しさん@以下省略:20xx/12/24/(Z)16:38:49.36 ID:PlgmDvwt0
おまえら、どう思う? 俺はいろいろえっちだと思う
892 名前:名無しさん@以下省略:20xx/12/24/(Z)16:48:44.24 ID:kjTlbJXTE
えっちなのはダメなので死刑。
893 名前:名無しさん@以下省略:20xx/12/24/(Z)16:05:12.21 ID:kHPGyjx0a
まじめな話、世界すら狙える器だった虹坂桜花が芸能界引退しなきゃいけなくなった時点で日本芸能界に与えた損失があまりにも大き過ぎるし、その後にちゃっかり自分で姉の椅子狙ってるしで情状酌量の余地なし、死刑。
894 名前:名無しさん@以下省略:20xx/12/24/(Z) 17:12:15.08 ID:c4H0uPCw0
>893 アイドルで世界すら狙える器ってなんだよ
895 名前:名無しさん@以下省略:20xx/12/24/(Z) 17:21:43.57 ID:hWu3GAjn0
……脱げば許そう、すべてを……。
896 名前:名無しさん@以下省略:20xx/12/24/(Z) 17:24:13.01 ID:I9LZQq5oE
>895 死刑になんのこのロリコンだろ
「まあでも、全部噂話だろ?」
「絶対に許さない」
「どうでもいいよ」
「死ねばいいのに」
「興味ないわ」
「アイドル辞めろ」
「けどさ、マジでなんかあったら伝説になんね?」
「伝説見てー」
「虹坂桜花には会いたいかな」
「……ワンチャンに賭けて今からチケット取っちゃう? アリ寄りのアリじゃね?」
「配信くらいは見てみるかな」
「炎上する様を眺めに」
「暇だし」
「時間潰しに」
「退屈凌ぎに」
「笑えそうだし」
「叩けそうだし」
「面白ければなんでも」
「「「所詮、たかがアイドルでしょ」」」
「——あ、雪!」
イブの夜に白が舞う。
幻想的な光景に街を往く子供は声をあげ、誰もが空を見る。
頭上、見上げた天穹は分厚い雲に覆われて、星々はその輝きを隠しているけれど。
「みんな、ライブの前に一つだけ……今回、あなたたちが出演することについて、文句を言う人がいるかもしれない。的外れな誹謗中傷をする人や、面白がって騒ぎに便乗する人。嫌がらせをされることだって、もしかしたら——」
「——安心しなよ、姐さん。私たち『RustiRe:ca』の音楽が、ノイズ諸共全部まとめて吞み込んでやるさ」
どんな夜にも星は灯る。
様々な思いを乗せて歌は紡がれる。
誰かに届けと祈るように/誰にも届かない願いを秘めて。
夢を、理想を、憧れを——たとえ、そのすべてが虚栄に塗れているのだとしても。
「……馬鹿みたい。アイドルがすごいってことくらい、言われなくても知ってるわよ」
世界が暗転し、闇に色鮮やかな光が浮かぶ。
ざわめきは刹那の沈黙を経て煌びやかなスポットライトの光が闇を切り裂くと、割れるような歓声と共に伝播する熱が肌を震わせて——行こう、さあ。開演だ。
「……そんなの、知ってる。嫌って程に思い知らされた。だからあたしは……」
躓き転んで間違えて、手に入れたはずの背中の翼を失って……挫折と敗北を、惨めと後悔を、悔し涙ばかりを重ねてきてしまったけれど。
「……こんなの嫌だ。苦しいよ。もう、消えてなくなりたい……お姉ちゃん、助けて……っ」
今度こそ、あの日見つけた理想の私になるために。
「……助けてよ、カナメグ……っ」
——私たちのクリスマスライブが、はじまる。
そうして、『ブルーオーシャン・クリスマスライブ-Road to the RustiRe:ca-』が開演した。
毎年恒例となっているこのライブは、ブルーオーシャン専用劇場である『Blue Garden』で行われることになっている。
機材搬入の手間は掛からないが、直前に出演グループを決める無茶な企画な為にスタッフの負担は大きく、ライブ前の一週間は猫の手も借りたいような状態になるのが通例だ。
私がPAを志願して採用されたのも、そんな運営事情も影響しているのだろう。
……そう、本来ステージに立つはずだった私は今、客席からライブを眺めるのではなく運営スタッフの一員としてPAブースで開演の時を迎えていた。
「私が経験者っていうのが一番大きかったんでしょうけど。まさか、歌番組でやらかして干されて裏方をやっていた時の経験がこんな形で活きるとは思わなかったなぁ……」
PA……Public Addressとは、ライブにおける音響全般を担当するスタッフのことだ。
専門的な話になってくるから細かい説明は省くけど、簡単に言うと個々の音のバランスをリアルタイムで調整し、アーティストが届けたい〝音楽〟を観客に伝えるのが仕事。
ライブにおける生命線といっても過言ではない、超重要な役職だ。
当然、PAの仕事はライブ本番だけではない。
準備段階での各種機材の仕込みは勿論、前日にはじっくり時間をかけてゲネプロ(最初から最後まで通しでリハ)を行うし、当日も昼から要所を確認する形のリハを行っているので、開演の十八時までほとんど常にPAブースに張り付くことになる。
ライブが始まればトラブルに常に対処できるようにステージに細心の注意を払い続けなければいけないし、転換の場面に対しては素早く確実にリハーサル通りのセッティングを行わなければならない。
そして、当然と言えば当然だけど、私がPAブースにいる以上、ステージに立っているのは『A;ccol❀aders』ではなくて——
『——ぶちかませ、「Road to the RustiRe:ca!」』
ステージ中央。ギラギラとした光を浴びて一際鋭い輝きを放つのは、一重まぶたの切れ長の瞳にゴリゴリに開けられた耳のピアス、内側を刈り上げツーブロックにしたスキンフェードの黒髪を高い位置で結んだ気だるげで中性的な雰囲気を纏う長身痩躯の美女——片凪なぐも。そして、彼女率いる四人組パンクロックアイドルユニット、『RustiRe:ca』。
人気投票で二位を獲得した彼女たちは、ブルーオーシャンの中でも一、二を争う実力派ユニットだ。
特にギターボーカルを務めるセンターのなぐもさんは、その中性的かつパンクなビジュアルも相まって女性人気が高く、ライブ中は黄色い声援が途絶えない。
そんな彼女たち最大の特徴は、ロックバンドアイドルユニットであること。
アイドルでありながらアイドルへ喧嘩を売るようなアップテンポかつ攻撃的なその音楽は、けれど一度耳にした者の心を掴んで離さない圧倒的なクオリティと熱量を秘めている。
「それにしても……本当に凄いわね。本格的とは聞いてたけど、ここまでだなんて……」
ロックに詳しい訳でもない私が、彼女たちの〝音〟に一瞬で心を奪われたくらいだ。
なぐもさんに一目惚れした女性ファンが多い印象だったけど、彼女の奏でる音楽に惚れ込んだ男性ファンも多いという話も頷ける。
まるで、なぐもさんと『RustiRe:ca』が熾す熱が、彼女たちの〝音〟を至近で浴びている観客席の昂ぶりが、一体感が、PAブースにいる私にまで伝播してくるようだった。
『——オマエらァ、盛り上がってるかぁあああああああああーっ!』
なぐもさんがファンを煽れば、それに応えるように歓声があがり、
『いいね、いいぜ。けど足りない、まだまだイケるそうだろ?』
膨らみ続けるファンの期待を、なぐもさんは嘲笑うように越えていく。
『身構える暇なんて与えるかよ。畳みかけるぜ死ぬ気で付いてこい振り落とされンじゃねえぞオマエらァ!』
地鳴りのように轟くコール&レスポンス。
雷鳴のごとく激しくかき鳴らすエイトビート、胸を劈く(つんざ)鮮烈なメッセージに頭が痺れ、会場はまるで一つの生き物であるかのように鳴動し唸りをあげる。
『いくぜ新曲——「live and let ‟Live‟」……ッ!』
ファンの不意を衝くサプライズに会場からは悲鳴のような声援が迸る。
盛り上がりは最高潮。
会場の誰もがなぐもさん達の〝音〟に魅せられ、なぐもさんの一挙手一投足を目で追っている。
きっと、この場に集まった誰もがこの時間が永遠に続けばいい、そう思っていて——
『——自由に自分の信じた道を生きろ。そう謳うのは簡単だ』
新曲の興奮冷めやらぬ中、一息つく間もなく流れ始めたある楽曲のイントロと共に、なぐもさんのMCが始まる。
『今まで数え切れない程のバンドがソイツを歌い、数え切れないほどの人間がそんな歌を愛してきた。私たちだってそうだ。そんな生き方を愛し、焦がれて、憧れて——だから今、私たちはこのステージに立っている……けど、同時に理解もしてるんだよ。しがらみだらけのこの世界で、そう生きることは難しいって』
そのうちに、MC中のなぐもさんの指先が突如として天井を指して——それは、私と彼女の間で取り決めた一つの合図だった。
「……そろそろ時間みたいです。後、お願いできますか——」
私は、私以外は誰もいないはずの無人のPAブースへ向けてそう尋ねて、
「——お、やっとウチの出番っちゅう訳やな。ええで、いい加減待ちくたびれたくらいやわ」
返ってくるはずのないその声が、緊張で震える私の背を力強く押した。
「SNSの方で噂がええ感じに広まって、配信の同接数もかなり増えてきとる。あとは爆弾一個でお祭り騒ぎのはじまりや。タイミングとしては申し分ないと思うで」
「……本当に無茶ばかり言ってすみません。それと、ありがとうございます。瀬良さん」
私が秘密裏にPAブースへと連れてきていた協力者——瀬良鏡花さんは、謝る私にグッと親指を立ててサムズアップして、
「かまへん、かまへん。ウチと叶ちゃんの仲やろ? 教わった事はバッチリ頭に入っとるし、実際に操作してるとこも見せてもろた。だからまあ何とかなるやろ! てな訳で、ここはウチに任して叶ちゃんは先に行き! ……って、一回言うてみたかってんなぁ、これ」
私は、作戦通りにPAの代役を瀬良さんに任せ、準備のためにブースを後にした。
まずは無人の控室で予め用意していた衣装に着替えて、
『——私たちの妹分にもそんなヤツらがいる。色々なしがらみに足を取られて何度も躓き地べたを転がって……それでも信じたモノを諦めきれない、そんな不器用な連中だ』
そうして関係者用通路を走る間にも、スピーカーからなぐもさんのMCが響いてくる。
『……ああ、そうさ。本来ならそいつらはこのステージに立っているはずだった。けど、世間はそれを許さなかった……いや、少し違うな。世間が求めていたのは連中のステージなんかじゃなかった。そう言うべきかもしれない』
誰も自分を求めていない——あの時、一宮華燐は私にそう言った。
『自由に自分が信じる道を生きる——私は、誰もがそう在れればいいと思ってる』
みんなが求めているのは虹坂桜花で、だから桜花からアイドルの夢を奪った自分はみんなに嫌われ、憎まれているのだと。
『けど、自由に生きることは、無責任を謳歌することじゃない。自分を信じることは、自分を疑わなくていいってことじゃない』
確かに、あのネット記事が公開されてから、私たちの動画やSNSのコメント欄には、桜花の引退の原因となった華燐への怒りを露にし、誹謗中傷を書き込む人たちが沢山いた。
目には見えないけどニュースを知った世間の空気も、「一宮華燐って子が悪者で、虹坂桜花は被害者。だからこいつは叩いてもいい」そんな風潮が出来上がりつつあった。
『己の選択とその結果を誰にも委ねず責任を持つこと——それが、それこそが自由に生きるってことなんじゃないかって私は……ああ、くそ。ダメだな。自分で自分が何を言ってのか分からなくなってきた』
……でもさ、華燐。あなたはきっと知らないわよね。
『そもそも説教なんて柄じゃないんだ。回りくどいのは抜きにして、だ』
あなたは自分を無価値な紛い物だと……本物じゃないと言うけど。私は——
『——フェアじゃないのは気に食わないんだよ、私は』
暗転。直後に会場すべての灯りが落ちて、ステージ正面のモニターに映像が流れだした。




