第十五話 アーコレード ~冬に咲くぼくらの~/A;ccol❀aders [Official Music Video]
時折、人生には模範解答のない問題が出題される。
そんな時でも私は、いつものようにペンを取り出題された問いに答えようとするけれど、答えたところで正答が明かされることはなく、自分の点数も分からない。
そんな、理不尽な問いが。
『私、いつか桜花みたいなトップアイドルになる』
『——今のメグにも、アイドルを続けて欲しくないかな』
幼い頃から大人の言いつけや約束事を守る聞き分けのイイ優等生だった私は、昔からテストの点数は良いほうだった。
でもそれは、あくまで従うべき基準……模範解答が存在する問題での話だ。
『……メグ、ごめん。くじらさんもすみません。こんな大事な時に、疲労骨折だなんて……』
『——メグが流した涙の分まで、ぼくが歌うよ』
答えのない答えを自らの力のみで導き出さなければならない——そういう場において私が選んだ解答は、はたしてどれだけの正しさを有していただろうか。
『正直言って誰も求めてないんだよね、君のことなんて』
『——でもね叶くん。アイドルの仕事はファンを楽しませ笑顔にすることだ。教師じゃない』
『ソロのチャンスを自ら拒むなんて……そんなの、トップアイドルを目指してる人間の言葉じゃない』
『華燐ちゃんの言う通り、最初から最後まで見るに堪えない酷いライブだったわ』
……分からないし、自信はない。
その悉くを間違えてきた。今となってはそんな気さえする。
『あんなの本当のあたしじゃない。本当のあたしは弱くて噓吐きで最低で——だから一宮華燐はあんたにそんな風に言って貰えるような子じゃないの……っ』
『——噓よ! 最初から知ってた! ぜんぶ分かってたの! みんなが求めてるのは華燐じゃなくてお姉ちゃんなんだって、そんな当然のこと、最初から……ッ!』
……いや、多分それは私の気のせいなんかじゃなくて、事実そうだったのだろう。
『——華燐たちのこと何も知らなかったくせに、いまさら理解者面しないでよ……!」
だって、全部華燐の言う通りだ。
私はあの子のことを、あの子たち姉妹のことを何も知らない。
ううん、知ろうとすらしなかった。
私はあの子と向き合った気になって、あの子の心に踏み込めた気になっていただけだ。
本当に大切なことからは目を背け、怯えて震えて逃げ出して……結局私は、聞きわけの良いイイ子ちゃんのまま。
掲げたルールを言い訳に、華燐が何かを抱えていると知りながらあの子の方からルールを越えてくれるのを待つばかり。
核心には、本当に大切な部分には怯えるばかりで踏み込もうとすらしなかった。
華燐は……あの子は私の心に、一歩踏み込んでくれたのに。
『……はじめから、虹坂桜花の代替品に価値なんてなかったのよ』
——模範解答に従うしか能がない叶メグムでは、一宮華燐を救うことはできない。
それがはっきり示された以上、きっと私は何もかもを間違えてここにいる。
『だからって、その誰かが夢を見ちゃいけないなんてことはないって私は思う……けど』
『……そうね。その誰かも夢見ることを許されるなら、良かったんだけどね』
私にやれることはない。できることも、何も。だからカーテンを閉ざして明かりも消した真っ暗な部屋で目を瞑り耐えるように時間を浪費する。
なのに、結局眠ることもできないから、ふとした瞬間に思い出してしまう。
『……お姉ちゃんがアイドルを辞めた理由、さ』
華燐と二人で桜花の思い出を追いかけたあの日、帰り道を往く華燐の小さな背中を。
『いつか……あんたにだけは話すから』
あの時、華燐はどんな思いで私にそう言ってくれたのだろう。
自らの中の罪悪感と対峙して、自らの胸の内に抱え続けた秘密を私に打ち明ける決意には、どれだけの勇気と覚悟が必要だったのだろう。
そして、その決意を踏み躙るような告発は、彼女の心にどれだけの痛みを与えたのだろう。
悔しかった。
腹立たしかった。
怒りのあまり頭がおかしくなりそうだった。
華燐が抱える重すぎる十字架を思うとやり切れない想いに胸が張り裂けそうになる。
華燐が苦しんでいると気付きながら結局何もしなかった自分が許せない。そんな今更すぎる後悔を抱えて苦しんでいる自分自身が、何よりも。
少女の過去を無遠慮に暴き面白半分に晒しあげるメディアとそれに群がりエンタメとして少女の人生を消費する大衆のグロテスクさに眩暈と吐き気がする。
今まで私が必死に目を背け忘れようとしていた世界の悍ましさを改めて突き付けられて、自分がその世界を構成する一員であることが恥ずかしく、絶望すら覚える。
……この世界は、まるで悍ましい怪物だ。
山のように大きく醜悪な、渦巻く欲と業の怪物。
だけど、本当はずっと昔から、私は知っていたはずだった。
あの日夢見て、憧れ——そうしてたどり着いたこの世界は、幼い私が理想としたような美しいだけの場所じゃなかったなんてことくらい。
……輝かしい夢や理想は眼を曇らせる。
その眩さはこの世界の悍ましさを、夢見る私たちから覆い隠してくれるけど、輝きに目が眩めば人はあっけなく道を踏み外し、気付けば四方を現実という名の壁に塞がれている。
その壁を前に、私たちが掲げる夢や理想、身を守る才気の鎧はあまり儚く諸いから。
だからそれ以上進むことも元の道へ戻ることもできずに辺りを彷徨い擦り切れて……疲れて躓き転べば最後、大口開けた怪物に吞み込まれて二度と地上へは戻れない。
辺りを見渡せば夢破れた誰かの屍が無数に転がっていて、自分もその有象無象の一人だったんだって、なんの疑問も抱かず多数決に従う優等生みたいに納得させられる。
たった一握りの本物に——自分が〝何者か〟になんてなれる訳がなかったんだって。
誰もが自分にそう言い聞かせて、この世界から去っていく。
そうして置き去りにされた無数の夢と理想の屍が怪物を肥え太らせるから、山頂までの距離は
さらに遠く、頂に立つ一握りの本物たちを眩い光が誘蛾灯のように照らし出す。
輝きは足元の闇を覆い隠し、目が眩んだ誰かの夢がまた一つ怪物の顎に散っていく。
ここはそういう地獄だ。
そういう世界だ。
息苦しい現実と地続きの重く淀んだ灰色の空は、私の背中から翼を奪っていった。
憧れた空に求めていた自由はなく、もう一人では羽ばたくこともできない。
現実を知った。
嫌というほどに自分の無価値を突き付けられた。
自分は誰にも求められていないのだと思い知らされた。
それなのに私は、未だに夢を諦めることもできず、親友との『約束』に縋ることで無様にみっともなくこの世界にしがみついている。
「いい加減、終わらせるべきなのかな……私も」
これもきっと、模範解答のない問いかけなのだろう。
悩み考えたその先に何をどう選択した所で、最終的な正否も分からない。
理不尽で不条理で真面目に考えるのがバカバカしくなるような、そんな問い。
……ならいっそ、もう考えるのなんて辞めてしまえばいい。
正しい答えがないのなら、思考も理屈も葛藤も懊悩も何もかもを放棄して答案の裏にラクガキでもするように、自由に思うがままにペンを走らせてしまえばそれで——
——『ね、すごいでしょ? アイドルって』
——『ねえ、メグ。アイドルってすごいね』
自暴自棄の思考を重ねているうちに、ふいに、ある情景が脳裏を過った。
「……そうよ。そうだったわ」
それは、私にとってのはじまりの空。
誰よりも自由に咲き誇っていた私の憧れは、この世界で最後まで笑っていた。
彼女だけじゃない。
あの日見つけた私の理想は……ステージで歌って踊る『ナナイロサクラ』は、どこまでも自由に楽しそうにきらきらと輝いていた。
そして、誰もいない劇場で私の目と心を奪っていった小憎たらしい〝アイドル〟も——
「——憧れたこの世界に自由なんてなかった。でも……」
自由なんてない嘘と欲望としがらみに塗れたこの虚栄の世界で、彼女たちは笑い、誰よりも自由に空を飛んでいた。
「……呆れた。なんで私、こんな……あぁ私って馬鹿だ。大馬鹿だ」
これは本来、悩む意味のない理不尽な問いだ。
何をどう考え答えたところで、絶対の正解はない。
未来永劫、答え合わせが行われることも。点数が開示されることも。
「……なのに私、どうして従うべき決まり事なんて探してるの?」
自らの意識の死角に気付いた。
気付いた瞬間、目の前の世界がだまし絵のように急速にその景色を変えていく。
「……叶メグムに一宮華燐は救えない」
思い出せ。最初の想いを、思い出せ。
私の夢は何だ。
あの日、輝く星の大海に見た理想像は——私はどんな私になりたかった?
「……そんなの、救えなくて当然よ。だって、私がなりたかったのは誰かを救うなんて崇高な存在じゃない。私は——」
ただ憧れたんだ。
降り注ぐ光の雨の中、煌びやかな衣装を纏ってきらきら輝くアイドルの姿に。
可愛くて、きれいで、かっこよくて……そして何より、ステージの上で笑顔を振りまき躍動する彼女たちが、背中に翼が生えているみたいにどこまでも自由に見えたから。
「——ずっと、きらきら輝くアイドルになりたかったんだから」
夢見て憧れ、自由だと思って飛び込んだこの空にも私を縛るしがらみはあった。
存在を無視されて、誰からも求められていないのだと突き付けられて、己の無価値を証明してしまうのが怖くて……結局、誰よりも私を縛っていたのは私自身だった。
ルールで。しがらみで。約束で常識で規則で契約で責任で義務で使命で偏見で慣習で良識で倫理で道徳で善意で同調圧力で——私は私を優等生という殻の中に押し留め続けてきた。
だからこそ、一度は掴み手に入れたと思った翼を私は失った。
けれど私は……あの日夢見た理想へ手を届かせる為の背中の翼を、確かにもう一度この手に掴んだのではなかったか?
『今回のクリスマスライブに、あなたたち『A;ccol❀aders』の参加は認められないわ』
……分かっている。くじらさんの判断が限りなく正答に近いなんてことくらい。
だけど、それは限りなく正答に近いというだけでしかなくて、
「……本当に大切だったのは……どうすべきかじゃない」
私たちの前に立ち塞がる理不尽な問いかけに、模範解答が存在しないと言うのなら。
何をどう選択した所で、未来永劫答え合わせすら行われないと言うのなら。
このさき一生、自らの意思で選択した答えこそが間違いなく正しかったのだと、そう自分自身に嘯いて胸を張って生きていくしかないと言うのなら——
「……ねえ、華燐」
独り言は、いつしか襖の向こうの華燐へと意思を持って届ける言葉に変わっていて、
「私たち、『約束』したわよね」
言いながら、今更のように気づく。
「クリスマスライブ、絶対に成功させようって」
……ああ、そうか。『約束』したから、叶えなきゃいけないんじゃない。
私たちは、叶えたいことがあるから『約束』をするんだ。
そんな簡単なことすら気付けなかったなんて……我ながら自分の愚かさに笑ってしまう。
「正直さ、人気も実力も実績も私は何もかも足りなくて……『A;ccol❀aders』がここまで来れたのは華燐の力が大きかったって思ってる。腹立たしいし悔しいけど、事実だから」
いつか華燐が私を最悪だと罵ったように、もしユニットを組む相手が私じゃなかったら、華燐はもっと早くに成功していて、こんな事にもならなかったかもしれない。
「それでもさ。そんな最悪で頼りない私でも、あなたの相棒で、先輩なのよね……」
あの日夢見て憧れたこの世界は嘘と欲としがらみに満ちていて、幼い私が理想としたような美しいだけの場所じゃなかったけど。
「……だからさ、一宮華燐。アイドルに絶望しているあなたに見せてあげるわ」
だからこそ、この絶望的な状況からでも私たちに勝機はある。
「私やあなたが憧れたアイドルが、どれだけすごい存在なのかってことを」
予定調和を覆すハプニングほど大衆を熱狂させる祭りはないのだから。




