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第十四話 冬来たりなば春遠からじ ~未だ蕾のぼくたちは~/A;ccol❀aders [Official Music Video]

 翌日。

 『ブルーオーシャン』は公式サイトで一宮華燐に関する記事の一部を否定すると同時に、記事を公開した会社と記者へ正式に抗議をする旨を発表。さらに、所属タレントの体調不良を理由に『A;ccol❀aders』の活動休止が発表されることになった。

 当然、『A;ccol❀aders』のクリスマスライブ出演も見送られる形となり、人気投票で二位だった『RustiRe:ca』が繰り上がりでクリスマスライブへ出演することも告知された。


「——くじらさんからもメッセージが来てると思うけど、今の状況はだいたいそんな感じね。……あ、こっちのことは心配しなくていいわよ。今、事態を収束させるためにくじらさんが動いてくれてるし、私も最近は忙しくて碌に休めてなかったから、いい機会だと思ってゆっくりするつもりなの。折角なんだし、華燐もそうした方がいいわ」


 自室での待機を命じられた私は、なるべく華燐に話しかけるようにしていた。

 私たち『A;ccol❀aders』の置かれた現状や、くじらさんの対応。私に変に気を遣われても腹が立つだろうから、気休めの嘘は言わずにありのままを伝えるように意識した。


「……でもほら、人の噂も七十五日って言うでしょ? 案外、思ったより早く活動再開することになるかもしれないわよ。それに、私たちがトップアイドルになったら、今以上に忙しくなって休む時間も取れなくなるんだから、むしろ好都合くらいに思わないと」


 それでも、いつになく饒舌に口を突いて出る言葉がやたら楽観的になってしまうのは……私もきっと、先の見えないこの状況が不安だったのだろう。


「……華燐、起きてる?」


 華燐が部屋に閉じこもってから三日が経過した。

 あれからずっと、華燐からの返事はない。

 それでも私は華燐に話し掛け続けている。


「ねえ、華燐。覚えてる? 私たちが劇場で初めて会った時のこと」


 どんな言葉でも構わない。


「ステージの上であれだけ〝アイドル〟だったあなたが、私に気付いた瞬間に被ってた猫を一瞬で脱ぎ捨てて人が変わったみたいに容赦なしに罵ってきてさ……」


 ほんの一言二言でいい、華燐の声が聞きたいって強く思う。


「ほんと、今思い出すと笑っちゃうくらい酷いこと言ってたわよ、あの時のあなた。相手が私じゃなかったら、手を出されてもおかしくないレベルだったんだからね?」


 その思いの源泉は、華燐への心配や同情? あるいは情や寂しさ、庇護欲や憐みからくるものなのだろうか? ……いいや違う、きっとそうじゃない。

 今まで当たり前に隣にあった存在が、日常が欠落しているようなこの感覚がただただ気持ち悪くて、不安で、不快で、不可解で、心がざわついて落ち着かなくて——


「でも、そんなあなたとユニットを組んで、共同生活しながら配信もするようになって、毎日本当に色々なことがあって……いや、色々って言っても殆ど言い争ってばかりだった気もするけど、まあそこも含めて今となってはイイ思い出感もあるって言うか……」


 ——ああ、だめだ。自分でも何を言いたのかよく分からなくなってくる。

 心が処理落ちしてしまうような高密度の情報を短期間に多量に叩き付けられたからなのか、思考も感情もあちこちに引っ張られて散乱している感が否めない。

 でも、多分これはそう難解な話じゃなくて……ただ私は単純に、いつもあんなに隣でうるさかった華燐の声が突然聞こえなくなったから、それで調子が狂って仕方がないのだ。


「あれだけ毎日言い争ってばかりだった私たちが、ユニット結成から三ヶ月で人気投票一位を獲得することになるなんて、あの時の私たちに言っても絶対に信じないわよね」


 だって、三ヶ月だ。

 それだけの時間を、私と華燐とはひとつ屋根の下で共に過ごしてきたのだ。

 そうやって明確な数字を口にしてみると、今日までの日々が瞬きの間のうちに過ぎ去っていったようにも、物凄く長い道のりの果てにここまで辿り着いたようにも思えてくる。

 それでも、一つだけ確かなのは、私たち『A;ccol❀aders』はまだ道半ばだということだ。


「……ねえ、華燐。桜花との約束の事なら大丈夫よ、心配ないわ。こんな状況なんだし、桜花だって鬼じゃないんだから期限を伸ばしてくれるわよ」


 だから、こんな所で諦める訳にはいかない。


「もし仮にダメでも私が絶対に説得してみせる。こう見えても私、あの子の親友なのよ?」

だって、私も華燐も、アイドルとしてまだ何も成していない。

「だからさ、しばらくして騒ぎが落ち着いたらもう一回ライブをしましょう。私とあなた……私たち『A;ccol❀aders』で、今度こそ」


 クリスマスライブで華燐と一緒に最高のライブをして、桜花に華燐のことを認めさせて、


「ファンの皆は勿論、桜花もアンチも黙らせるような、最高のライブを……」


 同じ頂を目指すライバルとして切磋琢磨し合い、時には反発してぶつかり合って、二人三脚でトップアイドルへの道を駆けて往く——そうなるはず、だったのに。

 握りしめた拳が震える。

 悔しさに声に涙が滲みそうになる。

 でも私が泣く訳にはいかない。華燐の方が私なんかより一〇〇倍辛くて悔しいはずだ。


 そんな時だった。

 襖の向こうから声が返ってきたのは。


「てよ……」

「……華燐? 今の、華燐よね? ……ああ、良かった! あなたったら、人にこれだけ心配かけて、やっと返事を——」

「——もう、やめて」


 私の声を遮った少女の声はあまりにか細く弱々しくて、


「……もう、いい。もうどうでもいいの。これ以上、あたしに構わないで……」


 私のよく知る傲慢で我儘で勝気な少女は、もうどこにもいなかった。


「ライブなんて……アイドルなんてやりたくない」

「……華燐? どうしたのよ。そんな、急に。弱音なんてあなたらしくないじゃない」

「……急なんかじゃない。あたしは……一宮華燐って弱虫は、最初からこんなだったわ」

「華燐が弱虫って……そんな訳ないわ。私が知っているあなたは、強くて負けず嫌いの努力家で……確かに口が悪い所はあるけど、誰より真摯にアイドルに向き合って——」


 自嘲するように鼻を鳴らし自らを卑下する華燐の言葉を、私は必死で否定しようとして、


「——そんなヤツ知らない!」


 襖越しに叩き付けられたのは、喉を裂くような拒絶だった。


「……誰よりも強くて負けず嫌いの努力家? 真摯にアイドルに向き合ってる? 誰よソレ、そんなヤツ知らない! あんたが言ってる一宮華燐って一体どこの誰なのよ……⁉」


 嘲るように。鼻で嗤うように。自暴自棄に。衝動的に。嫌悪し侮蔑し軽蔑するように。

 堰を切った一宮華燐の感情の奔流が、濁流のように押し寄せてくる。


「華燐……ねえ華燐待ってお願い。一回落ち着いて私の話を——」

「あんなの本当のあたしじゃない。本当のあたしは弱くて噓吐きで最低で——だから一宮華燐はあんたにそんな風に言って貰えるような子じゃないの……っ」


 止まらない。

 届かない。

 私の声は、想いは、けれど全てが少女の激情に飲み込まれ汚泥の底へ沈んでいく。


「あたしは……華燐は、〝本物〟じゃない。華燐がステージに立って歌うのは、夢や理想を叶える為でも応援してくれるファンの為でもない。そんな紛い物のアイドルに、ステージに立つ権利なんてある訳ない……!」


 そう独白する華燐の声は、今にも壊れてしまいそうな危うさを孕んでいて、


「華燐が本当になりたかったのはアイドルなんかじゃないわ。華燐は、華燐はただ……」


 その先を言わせてはいけない。直感にも似たその一心で、私は叫んでいた。


「——華燐聞いて!」

「……っ」

「今のあなたは冷静じゃない。こんなことになって自暴自棄になる気持ちも分かる、なんて……私には軽々しく言えない。でも、自分をそんな風に否定するべきじゃないってことはわかる。だって、そんなの誰も幸せにならない。あなたもその周りの人も、みんな……」

「……みんな?」 


 どうにか押し留めたはずの華燐の声が、再び妖しく軋む。


「……ふふ、そうね。みんな言ってるわよね。お姉ちゃんを返せって。おまえなんかいらない、誰も求めてない。アイドルなんて辞めろ、消えてしまえって……」

「ち、違うっ、それは……! あの記事で私たちのことを知った人たちが面白半分で言ってるだけで、私たちのファンはちゃんとあなたのことを——」

「——噓よ! 最初から知ってた! ぜんぶ分かってたの! みんなが求めてるのは華燐じゃなくてお姉ちゃんなんだって、そんな当然のこと、最初から……ッ!」


 心に爪を立てるような不協和音。

 辺りに響いたそれは真に華燐の心の悲鳴だった。


「華燐が一人じゃ立ち直れない弱虫だったかったから……華燐の弱さが、お姉ちゃんからアイドルを……みんなからお姉ちゃんを奪った……!」


 ——〝当時十歳だった華燐さんは、両親を目の前で亡くしてしまったことで心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症。日常生活が困難となり、介護が必要になってしまったという〟——華燐の言葉に、あのふざけた記事の一文が脳裏を過る。


 動揺する私をよそに華燐はいっそ無感情に、事実を淡々となぞるように言う。


「だから華燐は強くなろうとした。もう二度と、お姉ちゃんから何も奪わなくて済むように。お姉ちゃんから奪ってしまったアイドルの夢を、華燐が代わりに叶えられるように」


 まるで、心が欠落してそういう機能だけが残った機械のように。


『……あたしもさ、夢、だったの』


 幼い頃、確かにアイドルに憧れていた少女の夢が、無責任で愚かな大人が起こした悲劇がきっかけで歪んで捻じ曲がり、


『……くじ姉、あたしは最強のアイドルにならなきゃいけないの』


 夢を駆けるその道程が、道半ばで夢を諦めることになった虹坂桜花の代替品として、姉の夢の続きを歩む贖罪の旅に変わってしまったのだとしたら。


「それが……それがあなたがアイドルになろうとした本当の理由なの?」

「……そうよ。華燐はなりたかったの。ううん、ならなきゃいけなかった」


 それが、一宮華燐の言う虹坂桜花の偶像(トップアイドル)なのだとしたら——


「——紛い物の弱虫の一宮華燐(カリン)じゃない、完全無欠の虹坂桜花(アイドル)に」


 ……それは、何て惨く残酷な話なんだろう。


「それが、華燐が償わなきゃならない罪だから」


 自分のせいで桜花がアイドルを辞めた。

 だから代わりに、自分が桜花の分までアイドルをやらなければならない——そんな、罪悪感や義務感、使命感から生じた呪いの十字架。

 かつて夢だったはずのアイドルを、一宮華燐は自らの罪の象徴として背負っている。

 アイドルとして生きることを、ある種の罰として自らに課してしまっている。


「そんな……そんなの、あんまりじゃない」


 あまりにも悲痛な過去と目の前の現実に耐え切れなかった彼女の心が発した〝助けて〟に、けれど私は狼狽えてしまうばかりで碌な言葉を返せない。


「だって、あれだけ悲しいことがあって……それが全部華燐のせいだなんて……どうしてそんなことになるのよ。華燐は何も悪くない、悪くなんてないじゃない……っ」


 目の前で大好きな両親を失って、心が壊れるほどの悲しみと絶望を味わった。

 まだ幼い華燐が生きていく為には、桜花の助けが必要だった。


 ……そんなの、仕方がないことだ。

 幼い少女に身近な誰かの助けが必要なのは、当たり前のことのはずだ。誰が被害者で誰が加害者かなんて誰の目にも一目瞭然だった。

 なのにどうして。

 どうして誰よりも庇護されるべき華燐が責められなければならない。

 どうして何も悪いことをしていない華燐が、罪と罰を背負うことになる。


「やっぱり、こんなのおかしいわよ。華燐が自分を責める必要なんてどこにもない」

「……あんたに華燐の何が分かるのよ」

「分からないわ、分からないけど……ねえ、華燐。それでもあなたは夢を追ってもいいのよ。償う罪なんてどこにもない。桜花だって、あなたが悪いなんて思う訳が——」

「ならどうしてお姉ちゃんは華燐のアイドルに反対するの⁉ 華燐の夢が小さい頃からアイドルになることだって知ってるはずのお姉ちゃんがどうして……ッ⁉」

「っ、それは……」

「……いいの、理由なんて分かってる。お姉ちゃんは虹坂桜花からアイドルを奪った華燐を憎んでるの。そうに決まってる。だって、誰よりも華燐自身がそうなんだから」


 ……違う、絶対にそんなはずがない。桜花が華燐を憎んでるなんて有り得ない!

 そう叫びたいのに、伝えるべき言葉は私の喉を通ろうとした瞬間に霧となって霧散する。

 華燐の小さな身体を力いっぱい抱きしめたいのに足はその場を離れず、私たちを隔てる襖をこじ開けるために伸ばそうとする手は虚空を切ってどこにも届かない。

 顔も知らない誰かが定めたルールならいくらでも諳んじれる。


 なのに、華燐に伝えるべき言葉が、取るべき行動が、こんな時にどうするのが正解なのか、私には何も分からなくて。


 ……一宮華燐に、踏み込めない。


「でも、もうどうだっていいの。結局、華燐じゃお姉ちゃんにはなれなかった。罪を償う事もできないし、許されもしない。そんな当然のことが当然に分かったから。だからもう……」

「……っ! 華燐、待って。私の話はまだ——」

「もういいって言ってるのよッ! ……今まで華燐たちのこと何も知らなかったくせに、いまさら理解者面しないでよ……!」


 不可侵不干渉。そんなくだらないルールばかりが、思考の隅でちらついて、


「……はじめから、虹坂桜花の代替品(一宮華燐)に存在価値なんてなかったのよ」


 罪悪感の淵に沈んだ華燐の心を掬い上げる方法を、空を駆ける翼を失ってしまった私は持ち合わせていなかった。


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