第十三話 冬来たりなば春遠からじ ~未だ蕾のぼくたちは~/A;ccol❀aders [Official Music Video]
対バンライブ五連戦の翌々日、『A;ccol❀aders』はファン投票で三位に躍り出た。
四位のグループとの票差は僅差だが、ついに上位三グループの牙城を崩すことが出来たのは大きな成果だった。
この調子でいけば、一位を獲得することだって夢じゃない。
そんな風に二人で喜んだのも束の間、翌日の投票で逆転され私たちは再び四位に転落。
このままじゃマズイと、いつもの投稿動画の他に生配信を行うなど対策を打つも、一時的に順位が上がるだけでその翌日には再度逆転される——そんなもどかしい日々が、投票結果が発表される三日前まで続いた。
イベントで新規ファンを獲得したこともあり、上位三グループの牙城を崩すことはできた。けれどこの数日、二位には届いても一位になれたことは一度もない。
……クリスマスライブは厳しいかもしれない。
結果発表まで残り二日——あと二回の投票を残すのみとなって、そんな絶望的な空気が私たちの間にも漂い始めた。
ただこの日の投票結果で、流れはガラリと変わることになる。
「……うそ」
翌朝。寝起きにパソコンでランキングをチェックしていた華燐はあからさまに狼狽しており、どこか様子がおかしかった。
「華燐? どうしたの? もしかして、このタイミングで大差を付けられたとか——」
「……違う。ううん、違わないわ。違わないけど、そうじゃなくて……」
何事かと横から画面を覗き込む。当然、表示されていたのは人気投票のページだ。
ただ、ランキングの結果がいつもとは大きく異なっている。
「……一位、『A;ccol❀aders』 。二位の『RustiRe:ca』。と七百票差で、私たちが一位……? 昨日、寝る前に見た時は僅差の三位だったのに、どうしていきなりこんな……」
「し、知らないわよ。私だって、今気付いたんだから!」
「くじらさんは? 何があったか知ってるかも」
「今日はライブの準備で朝からいないわ。いつ帰ってくるかも分かんないって」
昨日は、私も華燐もレッスンとゲリラ配信で疲れて九時頃には寝てしまっていた。
なので、昨日の最終的な投票結果は誰も見ていない。
けどまさか、寝ている間にこれだけ票が伸びているなんて……。
「で、でも、このまま行ってくれれば……」
「クリスマスライブに出れるの? あたしたち……本当に?」
互いに顔を見合わせる。二人とも一位になれた喜び以上に困惑が勝っていた。
けれど、画面上に表示された数字は、いくら見直しても揺るがない。
結局、最終日の投票でも私たちは大量の票を獲得し、人気投票で一位を獲得。
『A;ccol❀aders』は、クリスマスライブへの出演権を手に入れることになる。
……私たちが突然一位になった理由が判明するのはその翌日、クリスマスライブ開催まで残り一週間となった十七日の朝のことだった。
【今明かされる虹坂桜花引退の真実! 元トップアイドルが胸の内に秘め続けた複雑な家庭環境と、姉が失ったトップアイドルの座を奪わんとする妹との確執とは……⁉】
・フリーライター:鞍瀬カヨ 20XX年12月15日 23:30
虹坂桜花——今から四年前のクリスマスイブ。人気絶頂の最中に電撃引退した伝説的なアイドルの存在を覚えている人は今でも多いだろう。
二万人に一人の確率と言われるアルビノ体質由来の美しい白髪とさそり座アンタレスのように輝く赤い瞳を持った奇跡の容姿。「ぼく」という一人称と掴みどころのない神秘的なキャラクターとで人気を博し社会現象にもなった国民的トップアイドルは、何故〝これから〟というタイミングで姿を消したのか——。
当時、引退の理由に関して虹坂はその一切を語らず、様々な情報が飛び交っていたが、どれも憶測の域を出なかった。
しかし、本誌では執念とも呼ぶべき地道な関係者への聞き込み調査の結果、四年越しに新たな事実が発覚した。それは虹坂桜花の妹の存在だ——。
「妹と言っても本当の妹ではないんです。正確には彼女の母の妹の娘……従妹にあたる子なんですけど、幼い頃に両親を失い叔母の家で育った彼女にとっては、本当の妹のような存在だったんだと思います」(知人女性)
その知人女性の話によると、叔母や従妹と虹坂の関係性は本当の家族のようなものだったらしい。しかし、この叔母と従妹の存在こそが、虹坂の芸能界引退に大きく関わっていた。
【叔母夫妻を襲った悲劇と虹坂桜花に残された従妹の存在】
虹坂が引退を表明した年の八月。都内である交通事故が起きている。
飲酒運転による死亡事故で、会社員の一宮拓也さんと妻の彩華さんが死亡。一人娘の華燐さんは打撲などの軽傷を負った、痛ましい事故だ。
そして、この事故で亡くなった一宮夫妻こそが、幼くして両親を失い身寄りがなかった虹坂を引き取った叔母夫妻だった。
当時十歳だった華燐さんは、両親を目の前で亡くしてしまったことで心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症。日常生活が困難となり、介護が必要になってしまったという。
タイミングから考えて、虹坂が人気絶頂の最中で芸能界引退を決意したのは、一人残されてしまった従妹の面倒を見るためだったのだろう。
と、……ここまでなら虹坂の深い家族愛を感じられる美談なのだが、この話には続きがある。 次の音声データは、本誌が極秘に入手したものだ。
《——、——……華燐はアイドルをやるべきじゃない》
《……わざわざそんな分かり切ったことを言いに来たの? そんなに——……自分からアイドルを奪ったあたしが憎い?》
《うん。そうだよ……アイドル……——卒業したから……》
《——うるさい! あたし……——トップアイドルになる……——から》
《わたしは——、……華燐が……——出る幕なんて、どこにもないと思うけど》
《だったら帰って! あたしの邪魔ばかりする……——お姉ちゃんなんか大嫌いよ!》
このデータは、とある地下アイドルのライブ会場で入手した若い女性と中高生くらいの女子の会話音声だ。
既にお気付きの方もいるかもしれないが、若い女性の方は元トップアイドルの虹坂桜花。そして、中高生くらいの女子の方は、彼女の従妹の一宮華燐さんであることが判明している。
さらに驚くべきことに、華燐さんは現在『ブルーオーシャン』というアイドル事務所に所属し、二人組アイドルユニット『A;ccol❀aders』のメンバーとして活動中なのだそうだ。
【崩壊した家族。姉妹愛はどこへ】
従妹の介護のためにアイドルの夢を諦め、芸能界引退を余儀なくされた虹坂。
彼女としては、ある意味では自分の夢に引導を渡した存在である華燐さんが、元気になった途端にアイドルを始めたというのは非常に複雑な心境になる出来事だろう。
少なくとも、面白くはないはずだ。
会話の内容も、それを証明するかのように虹坂が華燐さんのアイドル活動に反対し、反対された華燐さんがヒステリックに叫び返して激しく言い争うようなものだった。
良好だったはずの姉妹関係は、痛ましい事故と苦しい介護生活をきっかけに修復不能なほどに壊れてしまったのだろうか?
……いや、もしかするとこの問題は虹坂の心情のみに由来した物ではないかもしれない。
この事実を知った本誌は、華燐さんのアイドルとしての活動を追いかける中で、『一宮華燐』というアイドルが抱える致命的な問題を発見した。
というのも、この会話データを入手した会場で行われたライブにて、彼女はライブ中に『A;ccol❀aders』のメンバーに対して暴力騒ぎを起こしていたのだ。
また、その際に一宮華燐というアイドルが有するキャラクターにそぐわない暴言を吐いたという証言もあり、実際にネット上では軽い炎上騒ぎになっている。
所属事務所は華燐さんの暴力騒ぎについて、「ライブの演出の一部として行ったドッキリ企画だったものが、一部スタッフ間での意思疎通に齟齬がありトラブルに発展してしまった」と発表しているが、本誌はその公式発表に疑念を抱いている。
普段の動画配信ではメンバー間の仲の良さや同棲している点を売り出している彼女たち『A;ccol❀aders』だが、実際はメンバー間の関係は良好とは言えないらしく、普段から何度も衝突を繰り返していることが関係者への取材で明らかになっている。
ここまでの話ならこの業界ではよくあることだが、華燐さんの背景を踏まえると事はそう単純な話ではなくなってくる。
これはあくまで可能性の話だが——両親を事故で失い精神疾患を患った彼女の心は未だに不安定で、その攻撃性を抑えることが出来ていないのではないだろうか?
本来なら従妹である虹坂の夢を奪った罪悪感に押し潰されてもおかしくない状況で、虹坂が引退したことで空席となったトップアイドルの座を狙う——恩を仇で返すような行為やヒステリックで攻撃的な言動の数々は、とても仲がいい姉妹への仕打ちとは思えない。
心的外傷後ストレス障害を専門とする心療内科医に尋ねたところ、華燐さんには解離性同一性障害が併存している可能性もあるとして————
「……何なのよ、これ。こんなデタラメなふざけた記事、一体誰が——っ」
画面上に表示された読むに耐えない文字の羅列から目を逸らし、絞り出した私の声は怒りと動揺に震えていた。
握りしめたスマホを衝動的に床に叩き付けなかったのは、我ながらよく我慢したものだと思う。
それと同時に、「頭に血が昇るってこういう感覚なんだ」と他人事のように今の自分を俯瞰している自分もいて、それが目の前の現実から酷く現実味を損なわせていた。
「……一昨日の深夜十一時半ごろにこの記事がSNS上にアップされていたみたいなの」
私が記事を読み終えたタイミングで、くじらさんがそう話を切り出す。
社長室兼応接間の簡素な椅子に腰かけたくじらさんの顔には憔悴の色が濃く浮かんでいて、私を呼び出す直前まで今回の件への対応に追われていたことが容易に推測できた。
「記事のタイトルに桜花ちゃんの名前が使われていたこともあって、昨日の夜頃にはバズり始めてしまったみたいで、そこからは凄い勢いで拡散されてて……」
「こんな記事が、そんなに前から……」
遅すぎる後悔に思わず唇を嚙む。
私が異常に気付いたのは今朝のことだった。
華燐がいつまで経っても部屋から出てこない。朝食に遅れるだけならともかく、ライブ本番が三日後に迫っているこの状況でトレーニングに出てこないのはおかしい。
そう思って華燐の元を尋ねると……おそらく荷物を置いてバリケードを築いていたのだろう、襖が全く動かない。いくら呼び掛けても華燐からの返答がない。
困惑し、途方に暮れている私の元に、ライブの準備で外を駆け回っているはずのくじらさんから連絡があって——そうしてここで件の記事のことを伝えられ、今に至っている。
「この記事がバズリ始めたあたりから、SNS上で華燐ちゃんに対しての批判的な書き込みが急増してるわ。勿論、華燐ちゃんを擁護する書き込みもない訳ではないけど——」
——@ひろろ:シンプルに性格がゴミ、死んで詫びろ @もりそば:ゴミ過ぎワロタ @ナッツ:臆測だけで人を叩くべきじゃない。俺たちにそんな資格はない。 @虹ぽ:俺たちの桜花を返せよブス @ブルオ箱推しP:こんな信憑性のない記事信じるなんてどうかしてる @赤二才:信者乙 @お祭りキリン:自分を悲劇のヒロインとか思ってそうw @ター子:これが妹とか桜花ちゃんかわいそう @リョウマ:ママとパパの所にさっさと行け @REO:アイドル辞めろ——
ほんの数時間前までは好意的なコメントで溢れていた『A;ccol❀aders』の動画チャンネルは、今や誹謗中傷と罵詈雑言で埋まってしまっていた。
華燐を擁護する好意的なコメントも幾つか付いてるけど、絶対的な数が違い過ぎる。
「どうして皆こんな残酷な事を言えるの? あの子はまだ中学生の女の子なのよ……?」
ただでさえ、悪意あるコメントは好意的なコメントよりも目につきやすいものだ。
これだけの悪意に晒された華燐がどれだけ傷ついたかなんて、想像もしたくなかった。
「華燐ちゃん個人のSNSの方も似たような状況だったわ。それできっと、騒ぎに気付いて芋ずる式にこの記事にも……」
苦々しげな表情で状況を説明するくじらさんも、酷く動揺した様子だった。
でもそれは、華燐のショッキングな過去を不意打ちのような形で叩きつけられた私のソレとは少し種類が異なっているようにも見える。
「……くじらさん、この記事に書かれている内容って……あの子のご両親は本当に——」
くじらさんは私の質問に口を噤んで何も答えなかった。
けれど、否定でも肯定でもないその沈黙が、言外に全てを語ってしまっている。
「そう、ですか……」
当然と言えば当然の話だった。
桜花から華燐を預かる身であるくじらさんが、華燐の事情や過去を知らない訳がない。
……知っていたなら、どうして私に何も話してくれなかったんですか——そんな思いがない訳ではないけれど、ここでくじらさんを責めるのはお門違いだ。
どう考えたって、当事者である華燐や桜花以外の人間が勝手に話していい話じゃない。
「……ごめんなさい、メグちゃん。昨日の朝の時点で、私が異常に気付くべきだった。完全に私の対応ミスよ。申し開きのしようもないわ」
「……くじらさんのせいじゃありませんよ。華燐も桜花も悪くない……悪いのはこんな記事を書いた人間に決まってます。こんな酷いやり方、人間のやることじゃない」
ライブ開催の一週間前に出演グループが決まる狂気のスケジュールに追われていたくじらさんに、この件に即応しろというのは無理がある話だろう。
「それに、それを言うなら私だって同罪です。投票数のおかしさには気付いていたのに、原因を探ろうともしなかった……っ」
『A;ccol❀aders』にとって、何より私にとって好都合だったから何もしようとしなかった。
不正の可能性もあったのに見て見ぬふりをした。
黙っていればクリスマスライブに出演できる、そんな確信犯めいた考えがあったことは否定しようがない事実だ。
「それにしても、炎上しているのに投票数が増えるなんて……」
悪質なのは、これだけ華燐のことを面白おかしく悪し様に扱っておきながら、記事終わりにはご丁寧に『ブルーオーシャン』のクリスマスライブが紹介されていたことだ。
『A;ccol❀aders』が人気投票で一位になれば、あの虹坂桜花の妹がクリスマスイブの夜にステージに立つ伝説的な瞬間が拝めるかもしれない——そんな煽り文句と共に、だ。
「……多分、罪人の処刑を見世物にするのと同じ心理なんだわ」
クリスマスライブのことを記事で知った人達が書いたのだろう。『華燐をステージに立たせた上で桜花の件を問い詰める』——みたいな内容のコメントも幾つか見かけた。
「……こんなの、人の発言を悪意を持って切り貼りした作り物の音声だって、少し考えれば分かるはずなのに……こんなものを根拠に、こんな魔女狩りみたいな……っ」
自分たちから虹坂桜花を奪った悪を自らの手で断罪したい。この目で見たい。とにかく話題に便乗したい当事者になりたい面白そうなお祭り騒ぎに参加したい……そんな人間の下卑た好奇心を煽り浅ましい欲求を刺激するその文章からは、一宮華燐という一個人の人生を金儲けの見世物か何かとしか思っていないような歪で醜悪な肌の粟立つ筆者の人間性が透けて見えるようで——こみ上げてくる吐き気と怒りに頭がおかしくなりそうだった。
「とりあえず、サイトを運営する会社には記事を取り下げて貰うよう抗議したけど……」
……正直、この状況では焼け石に水でしかないだろう。
仮に記事が取り下げられたところで、一度ネット上で燃え広がった炎はそう簡単に消えはしない。
むしろ参照元の記事がなくなった場合、より過激で刺激的な大衆好みの〝真実〟とやらが憶測のみで語られ、世間に流布される恐れすらある。
「……とにかく、今は華燐ちゃんを守ることを第一に考えましょう。まずは、何とかして華燐ちゃんと一度話をして……それから、申し訳ないのだけれど、メグちゃんも指示があるまでは自室で待機して貰うことになると思うわ」
「それは……『A;ccol❀aders』としての活動を完全に自粛しろって意味ですか?」
くじらさんは申し訳なさそうに眉根を寄せながらも私の言葉に迷わず頷いた。
「ええ。配信やSNSの更新は勿論だけど、メグちゃん個人のレッスンも控えて欲しいの」
……当然の対応だろう。
華燐を、そして『A;ccol❀aders』を守るためにもそうするべきだって私も思う。
「こうなってしまうと、いつどこからカメラのレンズがあなたたちを狙っているか分からない。だから、ある程度騒ぎが沈静化するまでは、外出を控えて寮の中に——」
「ら、ライブは……っ」
なのに私は、気付いた時にはくじらさんの言葉を遮るような勢いでそう尋ねていた。
「私たちの——『A;ccol❀aders』のクリスマスライブは、どうなるんですか……?」
私の問いにくじらさんは悲しげに目を伏せてかぶりを振って、
「メグちゃん。残念だけれど、今の状況では厳しい判断を下さざるを得ないわ」
顔をあげたくじらさんは強い意志を宿した瞳で私を見て、こう断言した。
「今回のクリスマスライブに、あなたたち『A;ccol❀aders』の参加は認められない」




