第七話 【密着】メンバーで同棲生活はじめたらカオスすぎて楽しすぎたww
ステージ袖にはけた途端、激昂する一宮さんに胸倉を掴まれた。
そのまま叩き付けるような勢いで手近な壁へと背中を押し当てられる。
「……あんた、一体どういうつもりなのよ」
抵抗するつもりも気力もない私はされるがまま。断罪を待つ咎人のように、一宮さんの怒りの眼差しをただ粛々と受け止めていた。
本日のプログラムは全て終了しました——場内に虚しく響くアナウンスが、私たちのライブが大失敗に終わったことを無情に突き付けていた。
「……なんなの、アレ。ふざけてる? やる気がないの? それともあたしへの嫌がらせ?」
あの後、観客席のざわめきに我に返った一宮さんと共に、私たちは大慌てでライブを再開したんだけど……一度冷め切った会場の空気は酷いものだった。
楽曲後のMCも二人でこなして、最後にトークイベントに出演してくれた先輩方と一緒にファンの方々に挨拶をして……自分がそこで何を話したか、何も覚えていない。
全部、私のせいだった。
私が一宮さんを見くびって余計な真似をしたせいでライブを台無しにしてしまった。
「……ごめんなさい。私の責任だわ。私が余計なことをしなければ、あんなことには——」
「——違う!」
瞬間、私の胸倉を掴む華奢な手に、壊れてしまいそうなほどの力が籠った。
怒りに見開かれた大きな瞳が揺れて、真っ正面から私を射抜くように見据える。
悔しげに歯を食いしばる彼女は、雨に打たれる迷子のように声を震わせて、
「……ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな! この期に及んで馬鹿にするのも大概にしろよ! あたしが……あたしが本当に気付いてないとでも思ったか……っ⁉」
「……一宮さん? 一体、なにを——」
「最後に余計なことをしなければ? 違うだろ? あんた、ライブが始まってからずっと……いいえ、合同練習の時から今日までずっと、手を抜いていたじゃない!」
「……!」
「あたしが知っている叶メグムはっ、虹坂桜花と並んでステージに立っていたあんたは!こんなものじゃ……! 絶対に、こんな……っ」
それは、私にとってあまりにも想定外の糾弾だった。
確かに私は、ライブを成功させる為にわざとパフォーマンスの質を落とした。
でもそれは、あくまで一宮さんの体力が切れる最後の楽曲での話であって、他の楽曲では自分の持てる力を全て出し切っていたつもりだったのだ。
ましてや、練習の時点で手を抜いていたなんて……そんなつもりは欠片もなかったのに。
「本気じゃないならステージに立つな! やる気がないならアイドルなんて辞めちまえ! あたしは、何があっても絶対にトップアイドルにならなきゃいけなかったのに……なんで、なんでよりによってあんたが、こんな……っ!」
「……、」
「何とか言えよ……そんなことないって、いつもみたいに反論してみなさいよ!」
それなのに私は、一宮さんの言葉に反論できなかった。
心のどこかで彼女に指摘されたことを事実だと認めている私がいたのだ。
その事実に遅れて気付いて、一宮さんの言葉の内容が頭に入ってこないほどに動揺する。
でも、だって。それじゃあ私は、無意識のうちにずっと手を抜いて……。
「……ごめん、なさい」
「なによソレ」
震える謝罪の言葉に、一宮さんは心底呆れたように鼻を鳴らして胸倉から手を離す。
「……最悪。だからあんたとユニットなんて組みたくなかったのよ」
吐き捨て去っていく一宮さんにかける言葉なんて、今の私にあるわけがなかった。
「……最低だ、私」
ずるずると。私は壁沿いに背中を滑らせ、その場に膝を抱えて座り込む。
「……これじゃあ、裏切り者って言われるのも当然じゃない……」
呆然と膝を抱えてうずくまって、いつまでそうしていただろうか。
何時間もそうしていた気もするけど、多分、実際にはほんの数分の事でしかなくて、
「——それで? メグちゃんはいつまでそこでそうしているつもりなのかしら」
「……くじらさん」
声に顔をあげると、そこにはいつもの笑顔を浮かべるくじらさんがいて、
「メグちゃん、まずはライブお疲れ様でした。華燐ちゃんの言う通り、最初から最後まで見るに堪えない酷いライブだったわ~」
「……聞いてたんですね、さっきのやり取り」
「ええ、ごめんなさいね。お姉さん、実は初めから全部盗み聞きするつもりだったの」
「あはは。なんですか、ソレ……」
悪びれもせず堂々と言うことじゃないのに、この人が言うと様になるから不思議だ。
「……でも、聞いていたなら話は早いですね。全部、一宮さんが言った通りです。今回のライブの失敗は、全て私に責任があります。ですから——」
「——クビでも何でもどんな処分でも受け入れます? あらあら。そんな簡単な逃げ道を私が許すって、メグちゃんは本気で思ってるのかしら~?」
くじらさんは私の心を読んでいるかのように先回りして、そんな言葉を口にする。
「少なくとも、華燐ちゃんはメグちゃんから目を背けなかったわね。あなたの実力を信じ、あなたに追いつくための努力を重ね、最後にはソロを託そうとした……ある意味、叶メグムを誰よりも信じていたのはあの子だった。本当に、メグちゃんとは正反対ね」
「……っ」
その通り過ぎて返す言葉もない。
私がやろうとしていたことは、ユニットとしての完成度……協調性を重視しているようでいて、その実相棒を信頼しない独りよがりのスタンドプレーだったのだから。
「失敗の責任を負うと言うのなら……うーん、そうね~、とりあえず『A;ccol❀aders』がメジャーデビューできるよう、引き続き華燐ちゃんを引っ張って貰おうかしらね~」
「メジャーデビューって……そんなの、私にはとても——」
「——無理です、って? どうして? トップアイドルになる。桜花ちゃんとそう『約束』したんでしょ? なら、メジャーデビューなんて通過点でしかないはずだけれど?」
「それは……」
「ねえ、メグムちゃん」
後ろめたさに俯く私の手を、くじらさんの両手が優しく包んだ。
柔らかくて温かいその小さな手は、けれど私に諦めを許してくれなくて、
「前にも言ったでしょ? メグちゃんには華燐ちゃんみたいな子が必要で、華燐ちゃんにもメグちゃんみたいな子が必要だって」
覚えている。私なりにその言葉の意味を考え、裏に潜む暗黙の了解とやらを考えた。
『A;ccol❀aders』の叶メグムに求められていること、やるべきことをやろうとした。
でも、それすら失敗してライブを台無しにして、一宮さんの足を引っ張ることしかできなくて……そんな私が一宮さんに必要だって、くじらさんは今でもそう言うのだろうか?
「随分と荒療治になってしまったけど……ねえ、メグちゃん。あなたも、もう分かったはずよ。華燐ちゃんとなら大丈夫だって」
「……大丈夫? 何が、さっきから一体何の話をしているんですか……?」
分からない。困惑のまま尋ねる私に、くじらさんは一人得心したように笑う。
「メグちゃんが遠慮する必要なんて欠片もないってこと」
「遠慮……私が?」
明確な答えを求める私に、しかしくじらさんは真っ当な答えなんて返してくれなくて、
「お姉さんね、今回の失敗の責任はあなたたち二人に平等にあると思っているの」
「でも、ライブを台無しにしたのは間違いなく私で——」
「それでもよ」
くじらさんは座り込んだままの私の手を引いてその場に立ち上がらせると、戸惑う私の肩に手を置き、くるりと反転させながら、
「あなたたちは〝相棒〟なんだから。どれだけ意見が合わずぶつかり合おうとも、対話から、相棒から逃げちゃダメ。だからほら——もう一度、逃げずにぶつかってきなさい」
躊躇う私が一歩目を踏み出せるよう。背中を押して、そう言った。
「……! くじらさん、あのっ。私——」
「今すぐに答えを出す必要はないわ。悩んで迷って苦しんで、沢山失敗しながらでいい。でもそれは、一人じゃなく二人で、ね?」
いつものことだけど、勝手に一人で納得して強引に話を進めてしまうくじらさんの言葉の意味なんて、たぶん半分も分かってない。
「……私、行きます。一宮さんのところに」
「ええ。行ってらっしゃい」
それでも、私が間違っていたこと。くじらさんが間違ってしまった私をそれでも信じてくれているってこと。それだけは分かるから。
「……私、本当に最低だ。くじらさんはそんな人じゃないって分かってたはずなのに。勝手に卑屈になって落ち込んで、一宮さんの足を引っ張って……本当に馬鹿。大馬鹿よ」
一宮さんにも酷いことをしてしまった。私を信頼してソロパートを任せようとしてくれた一宮さんの期待を裏切って、そればかりか彼女を信用しようともしなかった。
一宮さんにちゃんと謝りたい。
ライブで手を抜いてしまったこと……ううん、それもだけど。私が一宮さんを信じず、理解不能と決めつけ対話を諦めて、向き合うことから逃げてしまったことを。
一宮華燐を勝手に諦めてしまったことを謝らなきゃいけないんだ、私は。
そんな思いを胸に、一宮さんを追いかけて控え室に戻った私だったけど、
「——忘れたわけじゃないんだよね? わたしとの約束」
壁がやたら薄いのか、廊下まで漏れ聞こえてくるその声に、私は思わず中に入ろうとする足を止めていた。
「……わざわざそんな分かり切ったことを言いに来たの? だったら帰って! 約束って言うなら、約束の期限までまだ時間は残ってる。なのに、こんな所にまで来て……そんなにあたしのことが嫌い? 自分からアイドルを奪ったあたしが憎い?」
話し声……というよりも怒鳴り声と言うべきヒステリックな叫びは明らかに一宮さんのもので、その一宮さんと言い争っている人物の声にも私は聞き覚えがあった。
「あたしは今のお姉ちゃんなんか大嫌いよ! どうしてあたしの邪魔ばかりするの? あたしが、あたしがどんな思いでトップアイドルになるって言ってるか、分からない?」
「……それでも。今日のようなライブをするなら、華燐はアイドルをやるべきじゃないよ」
もうずっと連絡を取っていないけど、私が彼女の声を聞き間違えるはずがない。
桜花だ。私の親友で今や伝説となった『ナナイロサクラ』の元センター。
国民的トップアイドルの虹坂桜花が、どうしてこんな所で一宮さんと話して——
「——うるさい!」
絹を裂くような悲痛な慟哭が、そんな私の思考を遮った。
「……お願い、やめて。そんなの、言われなくてもあたしが一番分かってる」
一宮さんの叫びに意識が引っ張られ、今までうっすらと単語を拾える程度だった二人の言い合いに、私はつい聞き耳を立ててしまう。
「でも、しょうがないじゃない。お姉ちゃんがアイドルを辞めたのはあたしのせいなんだから。だから、あたしが……っ!」
「……華燐。何度も言うようだけどわたしは——」
「——年内に結果を出せなかったらアイドルを辞める」
……ッ⁉ 一宮さん、今なんて……? 桜花がアイドルを辞めたのが一宮さんのせい?
それに、私の聞き間違いじゃなければ今、一宮さんは桜花のことを姉って……突然耳に飛び込んできた衝撃的な言葉の数々に、脳の処理が追いつかない。
その時点で私はもう、居ても立っても居られなくなっていて、
「……約束は守るわ。だからお願い、今はあたしのことは放って——」
「——ま、待って!」
勢い良く扉を開け放って飛び込んできた私に、一宮さんが驚愕に目を見開いた。
「……っ! あんた、どうして……」
同時に、懐かしくも鮮烈な人影が視界に飛び込んでくる。
唯一無二の特異体質——アルビノである桜花の薄っすらと桜色がかった神秘的な白髪と、対照的な大きな赤い瞳。極端に色素の薄い白肌や小さく整った鼻梁、儚さの滲む口元。
その髪色に起因する儚げな透明感と神秘的な雰囲気を併せ持ち、ただそこに在るだけで人の目を奪う圧倒的存在感は当時のままで——ああ、やっぱり桜花だ。あの頃よりも髪が伸びて少し大人びた雰囲気になっているけど、根本的なところは何も変わってない。
私のよく知る虹坂桜花がそこにはいた。
だけど、私の存在に気付いているはずの桜花は、なぜか私と目を合わせようとしてくれなくて……ううん、今は桜花のことよりも一宮さんだ。
私はまず、二人に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。二人の話を盗み聞きをするつもりはなかったの。でも、控え室に戻ろうと思ったら声が聞こえてきてしまって、中に入るタイミングを伺ってたら一宮さんが……」
必死に言うべき言葉をまとめようとするけれど、頭が混乱していてうまくいかない。
でも、これだけは今すぐ一宮さんに聞かなくちゃいけない。
「アイドルを辞めるって、どういうこと? 桜花がアイドルを辞めたのは一宮さんのせいって……それに今、桜花のことをお姉ちゃんって呼んでたし、一体なにがどういう——」
「言葉のままの意味だよ、メグ」
私の質問から居心地悪そうに視線を逸らす一宮さんに代わって、今まで黙ったまま目も合わせてくれなかった桜花が、そこでようやく口を開いてくれた。
「桜花……」
「久しぶりだね、メグ。本当はメグに会うつもりはなかったんだけど……まあ、こうなったら仕方がないか。最低限の説明はしなきゃだよね」
桜花は諦めたように冷めた表情で笑うと、人間味を感じさせない淡々とした口調で、
「華燐はわたしの妹で、わたしは華燐がアイドルをやることに反対している——それだけの話だよ」
「それだけって……」
一宮さんが桜花の妹? それが彼女がトップアイドルに拘る理由なの?
研修生時代の私を知っている——叶メグムの元ファンなのもそういうこと?
……ううん、それよりどうして、一宮さんはそのことを私にずっと黙って……。
「……ごめん、ちょっと待って。さっきから理解が全然追いつかなくて……」
「別に、メグに理解して貰う必要はないんじゃない?」
頭を抱える私に、桜花は軽い口調でそう言った。
「……桜花?」
「これはわたしたち家族の問題。メグが出る幕なんて、どこにもないと思うけど」
冷たく、突き放すような冷笑だった。
突き付けられたそれは、迂遠ではあるけれど明確な拒絶の意思表明だ。
これ以上こちらの問題に口を出すな——桜花は私に、暗にそう言っている。
「……私が知らない間に、〝ぼく〟って言わなくなったのね、桜花」
「アイドルはもう卒業したからね。矯正したんだよ、色々と」
「そう……」
桜花は私の短い返答に、あの頃を懐かしむように口元に笑みを浮かべて、
「ふふ。メグのその顔、よく覚えてるなぁ。納得がいかないって時の顔だ」
「……納得してないもの、当然でしょ」
「いいね、メグはそっちの方がいいよ。ステージの上でビクビクしてお行儀よく押し黙ってたさっきまでより、今の方がイイ顔してる」
「……私に、アイドルの素晴らしさを教えてくれたのはあなただったわね、桜花」
「うん。そうだったね」
私の言葉にも桜花は顔色一つ変えずにいる。
私は、涙に濡れた瞳を隠すように俯いている一宮さんを一瞥して、
「なのにどうして? どうしてそのあなたが、一宮さんがアイドルをやることに反対するの? あれだけアイドルを愛していたあなたが、どうしてそんな——」
「——ねえ、メグ。卒業ライブの時、ステージ袖で二人で話したこと、覚えてる?」
私の問いかけを遮るように、桜花が問いを重ねてくる。
「……? なんで今、その話を……」
「いいから。答えて」
優しく細められた赤い瞳に一瞬で囚われた私は、少し躊躇った後にため息を吐いて、
「……覚えてるわよ。忘れられるわけがない」
歯を食いしばり握った拳を震わせながら言葉を紡ぐ。
そうしないと、色々なものが零れてしまいそうだったから。
——『私、いつか桜花みたいなトップアイドルになる』
今もまだ道半ばで、伸ばしたこの手がいつそこへ届くかも分からない。
そんな遥か彼方の見果てぬ夢ではあるけれど。
——『桜花と一緒のステージには立てなかったけど……でも、私もいつか桜花みたいなトップアイドルになって、桜花がいたセンターで、桜花の分までステージで歌い続けるから』
それでも私が、今日までアイドルであることを諦めずにいられたのは、
「トップアイドルになるっていう桜花との『約束』があったから、だから私は……」
「……ほら。やっぱり、覚えてない」
なのに桜花は、私の答えに対して乾いた笑みを貼り付けて、
「ねえ、メグ。確かにわたしは華燐がアイドルをやることに反対しているけど——」
私を支えてくれた私たちの『約束』を、
「——今のメグにも、アイドルを続けて欲しくないよ」
私を、否定した。
「……っ!」
「突然押しかけてごめん。今日はもう、帰るね」
雷に打たれたような衝撃に固まる私を置き去りに、桜花は帰り支度を始めてしまう。
「ま、待って桜花! 私が覚えてないって、どういう……っ」
控え室を出ていこうとする桜花の背中に我に返って、必死になって声をあげるけど、
「メグ。色々あったけどさ、久しぶりに会えたことは嬉しかったよ」
結局、こちらを振り返ろうともしない桜花は私の質問には答えようとせず、
「華燐」
「お姉ちゃん、あたし——」
「くじらちゃんにあまり迷惑かけちゃダメだよ?」
一宮さんに当たり障りのない言葉を掛けて、私たちの前から去ってしまった。
「わからない……わからないよ、桜花。どうして、あなたがこんな——」
——年内に結果が出なければ一宮華燐はアイドルを辞めなければならない。
「……あなたが何を考えているのか、私には何も……」
そんな、酷薄な『約束』だけを残して。
「——虹坂桜花に妹、ね。今日はほんまに叶ちゃんを応援しに来ただけのつもりやったんやけど……釣り糸っちゅうんは、やっぱ垂らしておいてなんぼのモンなんやなぁ」




