16 睡眠特訓と土下座おじさん②
「あっ、玲奈さん。脱ぐ気になりましたか?」
さっと、土下座の構えに戻る土下座おじさん。
「ちゃいますって。みんなで何か落としどころ考えませんか?」
土下座おじさんがスッと頭をあげ、つるつるの頭がライトを眩しく反射する。
「良いのですか?」
「私が恥ずかしくない方法なら…」
左衛門の脳はまた作戦を考えるために働き始める。
「そうですね、母さんがバスローブ姿で謝罪する動画を上げると言うのはどうでしょう?」
「それに一体何の意味が?」
左衛門によれば、土下座おじさんチャンネルの典型パターンはタレントに土下座をして脱がせることである。しかし、動画サイトには投稿倫理規定が存在する。当然ながら土下座おじさんはこの倫理規定に沿うように動画を編集して投稿する必要がある。そうするとタレントさんによってはほとんどのシーンをカットせざるを得ない状態となる。だから、放送できなかったお詫びとして、脱いでしまったタレントがバスローブ姿で土下座おじさんと視聴者に土下座するシーンを添えて証拠とし、後はすべてが公開されている有料チャネルへと誘導するのである。
「それで、母さんが想像以上に騙されて、酷い脱ぎっぷりだったためほとんど放送できなかったということにするのです。私が何か適当に嘆きのコメントしておきますから。それで、有料版を一生アップロードしなければ作戦完了です。誰のお財布も傷つきません」
この業界あるある「釣り針はでっかく」作戦である。
「私はバスローブ着て謝ればいいだけね?」
振り向くと、目の前には体を小さく丸めて土下座する、おじさんがいる。
「どうか、それでお願いいたします」
「でも、左衛門。視聴者はこれでええんやろか?」
「ここは、私が責任を取りましょう。潔く私も土下座してこの企画を諦めます」
「そうなん。息子のためやから、私が土下座して済むならそうするよ」
(別に裸を見られるわけでないのだから)
瀬川さんの用意するバスローブ。私は今の涼しげな格好のまま羽織った。
玲奈「なら、すぐに土下座を…」
土下座おじさん「ちょっと、まってください。その格好でですか?」
玲奈「ほへ?」
土下座「バスローブの裾からロングスカートが見えるのはいけません」
玲奈「なんで?」
私は根本的に理解していなかった。なぜ、バスローブなのかと言えばその下が裸だからである。服を着ていたら脱いでいないことの証明。脱いでいないのに謝っているのは単なるやらせである。
土下座「せっかく、頭下げていただくのに炎上させては申し訳ありません」
玲奈「炎上?!」
左衛門「適当すぎるやらせはやばいですからね。例え私が謝罪したとして、粘着していろいろ暴かれるとは思います」
玲奈「粘着?!」
炎上。今どきはそこかしこで燃えているけれど、そんなのどこかの誰かの頭の悪い人の出来事だと思っていた。けれど、炎上は私の目の前に存在していた。
左衛門「やらせならやらせで出来ることはやらないと、視聴者は簡単に離れていきます」
それは、非常に困ることであった。お客さんを獲得するのは大変だが、一方で失うのは簡単。お父さんも言っていた。どんなに会社が成長したとしても、お客さんに感謝する気持ちは忘れてはいけない。もし、誠意が足りず、視聴者が求めているものがないと思えばすぐに彼らは離れていく。
玲奈「なら、スカートは脱ぎます」
彰「あと、ストッキングも」
瀬川「ブース裏に試着室ありますよ」
ブース裏の試着室から帰って来ると、半畳の畳が用意され土下座スペースが存在していた。
「ここで?」
瀬川さんがカメラ越しに頷いた。そして、試し撮りをする。
「あの、土下座するときインナーが映りますね」
未来のカメラというのは厄介で、基本的には二次元の動画だけど、視点を少し動かすことができるので、角度によっては見えてしまうらしい。
「じゃ、上も脱ぎます」
また、私が更衣室で着替えてもう一度頭を下げるも、更にリテイク要求。
瀬川「ブラもチラ見えします…」
彰「私も気になったんだけど、この距離からでもパンティーラインが見えていて履いてるのわかるのよね…」
シルクで出来た薄くて軽い生地のバスローブ。ゆったりしているようで土下座して頭を下げると、お尻のラインにぴったり食いつくためパンティーラインが見えるのだった。
彰「ティーバックとか持ってる?」
玲奈「ぬ、脱げばいいんでしょ!」
そして、瀬川さんはグッドサインで答える。もう、バスローブの下は何もない。
左衛門「あ、脱いだものは母さんの周りに散らかしておいてください」
玲奈「え?」
左衛門「はい、では撮影します」
こうして、私は雰囲気に負けて土下座した。謝るときは誠心誠意。納得なんてできないかもしれないけど、そんな態度を見せたら謝る意味すらない。この際だから、私はお父さんの言いつけ通り心を無にして謝るのだ。
「はい、オッケーです」
私は、スッと頭をあげた。
すると、土下座おじさんは玉座に足を組んで座り、勝利の美酒に酔いしれている。なんて偉そうな態度であろうか。
「いやー。気持ちのこもったとても良い土下座だったね」
土下座野郎のハイパー上から目線のコメント。
「あん?」
一方の私は、バスローブ姿で小さく丸くなり、辺りには自分が脱いだ服が散乱している状態であった。
左衛門「全国の父親に告ぐ。娘を箱に入れて育てるのはやめてください。こうなりますから!」
玲奈「え?」
彰「はい、玲奈ちゃん史上もっとも見事に脱がされてしまったご感想をどうぞ」
玲奈「えっと、段取りは? そういうながれちゃうん?」
土下座「玲奈さん。劇団型詐欺ってご存じない? 我々は入念に計画してそれを実行したまでです」
こいつ、さっきまでめちゃくちゃ弱弱しい雰囲気のハゲオジやったのに、シルクハット被って自信満々に振舞うようになってからまるで別人である。めっちゃイラつくで!
彰「玲奈ちゃん、残念だけど貴方の完全敗北よ」
玲奈「?」
私はまるで分っていなかった。
彰「だって、バスローブの下は何も着ていない状態で、土下座して謝っちゃったでしょ? それは、敗北宣言よ」
玲奈「いや、そうやけど、そうやないやん!」
彰「なら、カメラに向かってそのバスローブの中見せて」
玲奈「!!!」
悔しい、そんなことできない。だって裸やもん。私の顔は今、真っ赤やろうな…。もちろん悔しさで。
土下座おじさんは勝利の笑顔を見せ、深々と椅子に腰かけ足を組みワイングラスを揺らす。強者の姿だった。勘違いしないでほしい、この人は偉業を成したわけではなく、単に女子大生を脱がせただけの変態おじさんなのだ。
土下座「僕の方のチャネルでは『勝利宣言』しちゃうけどいいね?」
左衛門「どうぞどうぞ。あなたの采配通りことが運びましたので」
玲奈「そ、そんな。もしかして、みんなで騙したの?」
左衛門「母さん。今回もお疲れ様です。いい動画が仕上がりました」
彰「玲奈ちゃん、ありがとう! 前祝いに子供たちと焼肉行ってくるわ」
(ぐぬぬぬ…、私を糧にしよって)
このまま、馬鹿にされて終わるのも悲しい。一矢報いねばならない。
「過去の人間やて必死に生きとんねん。他人の人生をエンタメ化せんといてくれはる」
足らぬ。こんなものでは私の腹の虫は収まらぬ。もっと言わねば! なんだ、何が心に響くだろうか? そういえば左衛門には私と同い年の娘がおったな! 娘だ、娘を使え!
「左衛門。もし、自分の娘が得体のしれない中年男性と一緒にえっちな動画を投稿しているなんて知ったらどんな気持ちになる? 言うてみいや」
最後に渾身の想いで振り絞った自虐的な言葉。左衛門と土下座おじさんに対して、少し響いたらしい。