15 睡眠特訓と土下座おじさん①
《え~、核撃ってよ》
《撃たないの知ってたw》
《まぁ、玲奈ちゃんってエムだし、自己犠牲好きだよね。仕方ないね》
核を撃って人類を半ば滅ぼせば私は幸せになるらしい。そして、未来人に核発射の決断を迫られ、冗談とも思えなかった。なにせ、未来人なんだからコンピューターとか乗っ取って本当に核兵器撃てそうだったから。結果として私は人生で最も重たい決断を迫られた。体は汗だくで下着まで濡れた。
なのに…。
「そもそも、ハッキングで核撃てるほど過去のセキュリティーも甘くないですけどね」
(こっちは真面目に考えたんよ!)
「それで、母さんはあくまでも自助努力で幸せになる決断をしたわけですから、私もそれに応えねばなりません」
「何かくれはるの?」
「はい、母さんには『睡眠学習装置』をお預けいたします」
「えっ、すごい! 何かようやっと未来っぽい夢のあるやつ来たやん」
「来週には特訓の成果を『収録』しますのでよろしくお願いいたしますね」
「ありがとう。それで、どんな訓練をすればええん?」
「母さんは『断る力』が弱いのでそのメンタルトレーニングです。それが、眠っている間にできます」
「へー、すごいやん。これって他に勉強とかにも?」
「できますよ」
「おー!!!!」
「ですが、一つ注意があります」
「なんや」
「睡眠学習装置を使った後は、必ず睡眠をとってください」
「んん??」
睡眠とはストレスを回復し、脳に休息を与え、記憶を整理する時間である。しかし、この時間を学習に宛ててしまうと人間はどうなるのか? 体は休まっても脳は休まらず、ストレスはどんどん溜まっていく。睡眠時間を削って睡眠学習装置を使うほどに日中の脳の活動はどんどん低下して、ストレスも気づかぬうちにどんどんたまっていく。
「毎日二時間、睡眠学習装置を使うと二週間後には脳の機能が日本酒一升を飲んだ時と同じくらい低下します」
「それ、あかんやつや」
21世紀の人類を最もダメにした発明ベスト10にランクインするもの。それこそが睡眠学習装置である。睡眠学習装置は名前の通り睡眠中に学習をする装置であり、学習に際しては起きているときと同様のストレスを受けてしまう未来の珍道具である。
「それ、使って大丈夫なん?」
「節度を持って使えば、メンタルトレーニングには有効です。いつもより1時間早く寝て、これを使って1時間トレーニングをしてください。来週にはその成果を視聴者に発表いたします」
「は、はい…」
特訓は一週間続くが、私にその特訓の記憶はない。正直、いつもより1時間多く眠ているだけである。
(まぁ、これで特訓ができるなら儲けもんやな)
そして、一週間。また終末がやって来る。
ゲストが来るらしく、左衛門はスタジオのレイアウト変更の指示を出していた。今日は珍しく収録だから台本も存在している。私、はじめて一生懸命働く左衛門の背中を見た気がする。
「左衛門、今日は収録にするんやね。珍しい」
左衛門の背中がピクリと反応する。そして、ゆっくりと振り返る。
「えぇ、こればっかりは母さんを信用しきれなくって収録にしています」
「はい?」
またしても原因は私らしい。
「ところで、ゲストってどんな人?」
「あぁ、『土下座おじさん』という未来では有名なユーチューバーですよ」
「ふーん」
私は土下座おじさんとの戦いに挑むことになった。
(きっと、めっちゃ土下座してくるんやろうな。そんで、無理難題を言うんやろうな…)
そんな私の予想はずばり的中し、そして、彼の要求は服を脱いでほしいと言う単純明快でかつ、到底受け入れられないものであった。
そして、いくら私でもそんなに甘くはない!
「視聴者の皆さんになんて謝ろうか…」
ごめんね左衛門。私が全然脱がないからそもそも企画が不成立になってしまって。私だって鬼じゃないからジャケットだけは義理で脱いで、ノースリーブとロングスカート姿という涼しげな格好くらいはするけどさ。その状態から戦いは膠着して2時間でおじさんはギブアップする。
私はもう疲れるほど「無理だから」と言った。土下座おじさんにどんなにみっともない土下座をされようとも、私にはこれ以上脱ぐつもりはない。ちゃんと、特訓の成果は出ているやん。
「おじさんには悪いんだけどさ…」
申し訳なさを前面に出しながら、私は内心では微笑んでいた。これは完全勝利だろう。今回こそは笑いものにされずに済む。
土下座おじさんは諦めて立ち上がり、ふらふらと用意されていたゲスト席に戻り、うなだれるように猫背でちょこんと座った。そして、つるつるの頭を抱えながら。
「どうしよう、久しぶりの投稿で視聴者のみんな楽しみにしていたのに…」
土下座おじさんは最近の視聴数低迷の話を始める。スタジオの空気は一気に曇り、誰も慰める言葉をかけようとしない。
「せめて息子は真っ当な仕事ができるように大学はかけてやりたいんだけどなぁ」
私に込み上げてくる罪悪感。同情はするが、一方で貴方のために私が脱ぐのはあり得ないという気持ちで心が固まっている。そりゃ、家族のために働くお父さんの気持ちはわかるし、協力もしてあげたいけど、それは、私が脱ぐ以外の方法での話。
「脱ぐなんてあり得ませんよね。彰さんだってそうでしょう?」
「そうね、それだけはダメね」
案外、冷静な女性陣であった。非難の声は左衛門に向かう。
彰「そもそも、安直な企画立てすぎでは?」
瀬川「そうですよ、私も未熟者ながら思いますが、これでは視聴者が離れていくかと…」
左衛門「正直、すまなかったと思っています。これまでの母さんならあるいはと思っていたのですが、安直すぎました。特訓の成果ですね」
左衛門もまた地に膝をつき土下座おじさんに向かって土下座をしはじめる。
「私の企画力不足でした。申し訳ありません」
土下座おじさんも同じように、つるつるの頭を地面につける。土下座で対峙する二人。こうして、土下座を通じた友情が芽生えたらしい。
「いやいや、私が悪いんですってば」
土下座を経験した者同士の謎の友情が芽生える中で、彰さんは冷静な意見を言う。
彰「それで、大見え切って告知した番組はどうするんですか?」
左衛門「うーん」
この場では私以外が困り顔を見せている。ちょっと勝った気持ちの私だけ仲間外れだった。
「彰さん、何か問題があるの?」
「あぁ、視聴者の低迷ってのは私たちも同じ問題なのよ…」
(なんだって?!)
だから、こんな左衛門らしくない企画が持ち上がっているのだ。かと言って、脱ぐことに付き合うほど私はダメな子ではない。と言うか、この状況で脱がされる人ってそういう性癖の人だけだと思うのだけど。
「いや、皆さんお気になさらず。土下座しか芸のない私も悪いのです。最初は土下座していればよかったのですが、視聴者は同じ動画は見ません。どんどん工夫しなければいけなかった。それをするほど私は器用ではなかったんです。世間に侍る悪徳詐欺師のごとく、あらゆる手練手管を使って女を脱がせるようなそういう悪人を視聴者は望んでいるのです。視聴者がそれをすれば悪です。しかし、私が頭を下げるだけなら視聴者の心は傷つきません。だから、視聴者の望む私になるためには、なんとしてでも貴方を脱がせなくてはならない。でも、貴方は嫌がっている。そして私は無理ができるほど悪人ではなかったのです」
「心に刺さる一言です。私も母を利用して視聴数を稼ごうとしておりましたが、どうも罰が当たってしまったようです。巻き込んでしまい申し訳ない限りです」
「いえいえ、たくさんのタレントを脱がしてきた私も、そろそろ地獄に落ちるべきなのです」
「そうですね、私たち一緒に地獄へ落ちましょうか。心残りは家族です…」
スタジオの照明を死兆星に見立て見つめる二人。このままではどうしようもない男二人が出来上がってしまう。
「あの…」
「あっ、玲奈さん。脱ぐ気になりましたか?」
さっと、土下座の構えに戻る土下座おじさん。
「ちゃいますって」
「それで、母さん。何かあったんですか?」
「せや、私にいい考えがあるんやけど」