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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄されましたが、時を遡ったので、ヒロインを夢中にさせたいと思います。

作者: 三歩ミチ

「リリア・サランディーノ公爵令嬢。あなたとの婚約を、破棄します」


 それは学園の、卒業舞踏会。私をエスコートするはずだった婚約者──第二王子のリカルドは、冷たい表情で言い放った。


「……なぜですの?」


 わかっている。それでも私は、敢えて問うた。

 案の定彼は、傍の女生徒を引き寄せる。この一年、彼の寵愛を一身に受けていた可愛らしい生徒。エリス・トランテ伯爵令嬢である。


「僕が、真実の愛を見つけたからです。僕の婚約者は、この方以外考えられません」


 やっぱり。私は俯き、横目で辺りの様子を確かめた。注がれる、好奇の視線。あるいは、心配そうな眼差し。こんなに注目される中で、婚約破棄を言い渡されてしまうなんて。


「なぜ……なぜそれを、こんなところで仰るの? 婚約は、家と家の約束です。あなたのお父上を通して、お伝えいただければ良かったのに……」

「愛の証明です。僕は皆に、エリスが僕の愛する人であることを、伝えたかった」


 胸の奥に、冷たいものがずーんと沈むのがわかった。なんて、自己中心的なんだろう。

 エリスは可愛らしく、言い寄る男子生徒がたくさんいることは知っている。他の男子生徒への牽制のためだけに、私の名誉は奪われたのだ。


「婚約の破棄は、承りました。私はこれで……失礼します」


 とにかく、この場から去りたかった。私は駆け出す。走るなんてみっともないけれど、それ以上の恥を晒した今、そんなことはどうでも良かった。


 婚約破棄に、異論がある訳ではない。そもそもが体裁上決められたもので、真に愛する人が現れれば、破棄しても構わないと言われていた。リカルドがエリスに愛を注いでいたのを見て、婚約破棄は時間の問題だと思っていた。

 だからと言って。

 だからと言って、他の生徒たちの前で、こんな恥を晒させる必要はないでしょう!


 バルコニーに出ると、初夏の爽やかな夜風が吹き抜けていた。空に浮かぶ月は美しく、まろやかに光っている。

 感情もなく、ただ光るだけの月。今日の月は、いやに近い。触れそうだ。手すりに手をかけ、右手を差し出す。

 ギシ、と音がした。私の体が、ぐらりと前に傾ぐ。


「──え」


 バルコニーの手すりが、ばきりと折れる。私の体は、宙に投げ出された。

 舞踏会場は、学園の最上階にある。落ちる時間が、妙に長く感じる。ああ、私は死ぬのだ。

 もっと上手くやりたかった。人生を、やり直せたらいいのに。──


「エリス・トランテです。よろしくお願いいたします」


 新年度が始まったあの日。特待生として編入してきたのが、エリスだった。白磁の肌。薄桃の頬。桃色の髪に、美しい青の瞳。はにかむ表情の、可愛らしさと言ったら。

 あまりの美しさに、皆見入った。私もそうだった。本当に、抱きしめたくなるほど可愛らしい女の子。ぜひ、友人になりたいと思った。


「……凄い可愛い子ね」


 隣の席のシルヴィアが、そんな風に話しかけてきたっけ。私は頷き、「仲良くしたいわね」と返事をした。


 それにしても、ずいぶん長い走馬灯だ。この調子で、私の人生を振り返る気だろうか。バルコニーから落ちるあの一瞬で、こんなに事細かに記憶を再生できるものなのか。


「編入したばかりで、不安も多いでしょう。どなたか、トランテ嬢を案内してくれる方は──」


 ミルゼ先生が、教室を見渡す。

 そうだ、この時婚約者のリカルドが、名乗りを上げたのだ。彼は一目惚れだと言って、それからもあれこれと世話を焼き、そうしてあの婚約破棄に繋がった。

 あんな恥を、二度とかきたくない。どうせ走馬灯ならば、自分の思うようにやり直したい。

 エリスに愛を注ぐリカルドを見ながら、私は何度も後悔したのだ。最初に、リカルドがエリスの案内役になっていたら、こんなことにはならなかったのではないか、と。


 視界の端で、リカルドの肩が動く。それに先んじて、私は高く手を上げた。


「おお、サランディーノ嬢。お願いいたします」

「はい」

「では、席もサランディーノ嬢の隣にいたしましょうか」


 エリスの席は、私の隣になった。


「よろしく、お願いします」


 控えめにはにかむエリスは、嬉しそうに目を細めている。


 ほんっとうに、可愛いのよねぇ。

 私が会釈を返すと、頬を染めて照れるエリスは、ますます可愛らしかった。


 休み時間と放課後を使い、エリスに校内を案内する。ひとつひとつの場所でいちいち感嘆する素直なエリスは、本当に可愛かった。リカルドが一日にして心を奪われた気持ちが、よくわかる。同性の私ですら、もっと喜ばせたい、もっと可愛がりたいという気持ちがどんどん大きくなる。


「ありがとうございました、リリアさん」

「こちらこそ。エリスさんと親しくなれて、良かったですわ」

「私たち、お友達になれたのですか……?」


 エリスの潤んだ瞳が、きらりと輝く。なんて嬉しそうに光るんだろう。


「お友達ができるか、心配していたんです。特待生は私ひとりなので、皆さんの輪に入れないんじゃないかと……」

「そんなこと心配してらしたの? 私が協力するから、大丈夫ですよ。……お友達だから、私のこと、リリアと呼んでも構わないわ」

「……リリア」

「よろしくね、エリス」

「うん!」


 ぱあ、と花開く笑顔は、胸がきゅんきゅんして苦しいほどに可愛い。


 翌日登校すると、エリスは既に級友に囲まれていた。その輪の中には、リカルドもいる。嬉しそうな顔でエリスと話す姿には、既視感があった。


 リカルドは、やはりエリスに一目惚れしたのだ。そのまま二人の時間が増えれば、私はまた、衆目の前で婚約破棄を言い渡される。

 なぜ彼がわざわざ人前であんなことをしたかと言うと、エリスが自分の愛する人だと知らしめるため。エリスはあまりにも人気で、狙っている男子生徒がいくらでもいたのだ。彼らへの牽制のために、私の名誉は奪われる。

 私が友達になっただけでは、結末は変わらない。せっかくの走馬灯なら、私は、もっと思い通りの結果を得たいのに。


「あ! おはよう、リリア!」

「おはよう、エリス」


 こちらに気づいたエリスが、輪の中から出てくる。眩い笑顔に、くらくらしそうだ。

 先程は口々にエリスに話しかけていた生徒たちが、羨ましそうに私たちを見ている。リカルドもだ。わざわざ近寄ってきて、話しかける様子は見られない。


 こういう状況を、作り続ければいいんだわ。


 エリスがいつでも、笑顔で私に話しかけてくれるようになれば、リカルドは声をかけるのを諦めるだろう。「愛する人」と呼べるほどの関係にならなければ、私は人前で恥をかかされなくて済む。


「今日も元気なエリスが見られて嬉しいわ」

「えぇ? えへへ、私もリリアに会えて嬉しい」


 私がエリスを夢中にさせれば良いのだ。視線を合わせて微笑みかけると、エリスははにかむ。ちなみにその姿は、本当に可愛かった。


***


「あ、あの、エリスさん」

「ねえエリス、選択授業は、私と一緒に取らない? お茶会の授業は、美味しいものを食べながらお話ができて、楽しいのよ」

「私、リリアが一緒なら安心だわ」


 リカルドがエリスに話しかけたところを、横から割り込んで持っていく。素直なエリスは、私の勧めに応じてお茶会の授業を選択した。


「リリアは、お茶会にするの? なら、あたしもそうしようかな」

「ぜひ。皆がいたら、楽しいわ」


 私の友人が、輪に加わる。女友達が多いぶんには、なんら問題はないのだ。

 そういえばあの時は、エリスが一瞬で男子生徒に囲まれるせいで、ろくに話もできなかった。私はてっきり、エリスは、男子に囲まれる状況を喜んでいると思っていたのだけれど。


「リリアのおかげで、友達がたくさんできたわ」


 そう言って笑う彼女を見ていると、私の勘違いだったかもしれない、と思えてくる。


***


「……まあ、学年1位! さすが特待生ね」

「兄に教わった内容だったので」

「お兄様に?」


 貼り出された試験結果を前に、エリスは照れたように笑う。


「私、体が弱くて……。いつかは学園に通いたくて、お兄様に勉強を教わっていただけ。こんなことより、今、リリア達と学園に通えて、本当に嬉しいの」

「エリス……あなた、なんて健気なの!」


 感情のおもむくままに、エリスを抱きしめる。驚いたのか、一瞬緊張した彼女の薄い肩は、すぐにふわりと和らいだ。


「いいの? リリア、殿下が見てるよ」

「いいのよ。私たちの仲を、見せつけてやりましょう」


 腕に力を込めると、エリスが抱き返してくる。


 いくら同性同士だからって、人前で抱き合うなんてスキンシップは、あまりにも過剰だ。だからこそ私は、これ見よがしにエリスの頭を胸元に引き寄せた。


「リリアは、本当にエリスが好きねえ」

「ええ。こんなに可愛らしいんですもの」


 答えながら、私はリカルドに視線をやった。


 見なさい、リカルド。

 エリスは、私に抱かれても喜ぶくらい、私に夢中なのよ。

 あなたの入る隙なんて、ひとつもないんだから。


***


「リリアって、殿下とは仲良くないの?」


 お茶会の授業の終わり際、紅茶を嗜みながら、エリスがそんな質問を投げかけてきた。


「仲が良いも、何も。私たちは婚約者であって、それ以外の何者でもないわ」

「婚約者なんだから、好き合っているんじゃないの?」

「そんな風に見える?」


 エリスは、ぶんぶんと首を振る。小動物みたいな動きに、思わず頬が緩む。


「好き合ってはいないわ」

「へえ……リリアは、殿下のこと、どう思っているの?」


 どう思っているか?

 婚約を結んだばかりの頃は、爽やかだし、何より第二王子という身分があるから、真っ当な婚約者だと思っていた。しかし、人前で婚約破棄されて以来、彼を丁重に扱おうという気持ちは失せている。


「こんなこと言ってはいけないけれど。……配慮に欠けるところがあるから、そういうところは、好ましくないわね」

「そうなんだ……私と殿下、どっちが好き?」


 とんでもない質問だ。私は我が耳を疑ったが、エリスは真剣な顔をしていた。


「そういうこと、大きな声で言っちゃ駄目よ。殿下と自分を同列に扱うのは、いけないことだわ」

「でも、知りたいのよ。リリアの幸せには、何が必要なの?」


 私は手を差し伸べ、エリスの頬をなぞる。一生懸命な顔をした彼女は、必死で可愛かった。


「あなたと親しくできていることが、私の幸せよ」


 嘘ではない。私にとっては、リカルドよりも、エリスとの友情の方が大切になっていた。


***


 ある昼休み、エリスの姿が見えないので探していたら、廊下でリカルドと話し込んでいた。

 目を離すと、すぐに捕まるんだから。近寄った私は、聞こえてきた言葉に、思わず身を隠した。


「お付き合いいただけますか?」


 間違いなく、エリスの言葉だった。嬉しそうに頷くリカルド。


 どうして、いつの間に、リカルドはエリスの心を奪っていたんだろう。


 並んで廊下を歩く二人の姿を、私は呆然と見送った。結局、こうなるのだ。私は、皆の前で婚約破棄され、恥をかくことに……。

 それはなんだか、ぼんやりとした焦燥感だった。それよりも、強い焦りが胸を支配していた。

 このままじゃ、エリスを取られちゃう! あの子は──あの子は、私のなのに!


 彼女の魅力にあてられて、夢中になってしまったのは、私の方なのだ。


***


 学園では、年に三度、舞踏会が行われる。初秋に行われる、新入生を祝う舞踏会。初夏に行われる、卒業記念の舞踏会。いずれも、来賓や親族を呼び寄せる、盛大なもの。

 その間に、もう一度。春の舞踏会は、学園祭の後に行われる、学生だけのものだ。そこでは、一般的な社交マナーは、少し緩む。


 普通の舞踏会では、エスコート役は、当然婚約者だ。しかし春の舞踏会だけは、それを無視して、意中の相手をエスコートすることがある。

 今回も、リカルドはエリスをエスコートするのだろう。あの時と同じ。私はひとりで、虚しく壁の花となるのだ。

 エリスはあれから、度々リカルドと共に放課後を過ごしていた。私がお茶会に誘っても、断られることすらあった。

 やっぱり、結果は変わらないのだ。リカルドはエリスを愛し、エリスはリカルドのものになる。


「大丈夫、リリア? 最近、エリスが殿下と親しいみたいだけど」

「知ってるわ。大丈夫よ、心配させてごめんね」


 友人のシルヴィアが、気にかけてくれる。申し訳なく思いつつも、私は、ため息を抑えられなかった。


***


「エリス……どういうこと?」

「だからこの花を、受け取ってほしいの」


 エリスが差し出すのは、桃色の薔薇。エリスの髪色と同じ、可憐な花だ。


「これは……」

「ふふ、ダンスの申し込みよ」

「エリスが? 私に?」


 春の舞踏会では、ダンスの申し込みのために、男性が女性に花を贈る。私の前に跪くエリスは、なぜか花を差し出していた。


「どうして……?」

「私は、リリアとダンスを踊りたかったの。春の舞踏会なら、許されるでしょう? 周りにいるのは、学生だけなんだから」

「リリアは、私と踊りたいの? 殿下は?」

「殿下には、男性のステップを教わっていたの。リリアと踊るためには、どっちかが男性役をしないといけないでしょ?」


 きらきらと輝く瞳が、あんまりに可愛くて、私は一瞬言葉に詰まる。


 私と踊るために?

 わざわざそのために、練習したの?


「嫌だった? リリアは、私のこと、好きって言ってくれてたから……一緒に踊れたら、嬉しいかなって……」


 不安げに、こちらを見上げるつぶらな瞳。


「嬉しいわ、もちろん!」


 私が両手を広げると、エリスがぽふんと飛び込んできた。桃色の髪を、優しく撫でつける。エリスの髪は、柔らかくてふわふわで、シルクみたいに心地良い。


***


 私達が会場に入ると、ざわ、と動揺が広がった。皆が驚くのも仕方がない。私の手を取るのは、婚約者のリカルドではない。同じ色のドレスを身にまとった、エリスなのだ。


「ふふ、皆驚いてるね」

「驚くわよね、女同士なんて」

「これで、私たちの仲をもっと見せつけられるね」


 エリスが花開くように笑うと、あまりの愛らしさに、私の胸はきゅんと高鳴る。


 エリスが、私の手を引く。音楽に合わせて、くるりと回る。

 ダンスは、公爵令嬢としての嗜みだ。相手の背が低く立って、ステップを謝ることはない。


 エリスは、真剣な顔でひとつひとつの動作をなぞっていた。ふと顔を上げた彼女と、目が合う。


「リリア、幸せ?」

「幸せよ。あなたと、こんなに仲良くなれて」

「うふふ!」


 はにかむエリスは、本当に可愛かった。


 踊って暑くなったので、私たちは夜風を浴びに外に出た。春の香りが、夜風に乗って届く。


「あ……」


 このバルコニーは、覚えのある場所だった。私が落ちた、あのバルコニー。


 私はここで死んだはずだ。

 今もまだ、落ち続けているのだろうか。

 死ぬ前にどうなるものなのかはわからないけれど、走馬灯にしては、随分事実と違っている。

 もしかしたら私は、人生をやり直せているのかもしれない。


「……ねえリリア、そこに、樹があるでしょ?」


 エリスが、闇の中を指さす。目を凝らすと、たしかにそこには、大樹があった。

 樹は、ざわざわと葉を揺らす。静かで、温かみのある音だった。


「あの樹のそばで、強く願うと、願いが叶うんですって。そういう噂があるのよ」

「そうなの?」


 私はあの時、落ちながら、人生をやり直したいと願ったのではなかったか。もしかしてその願いが、本当に、叶っているのかもしれない。


「……噂は、本当かもしれないわね」


 人生がやり直せているのだとしたら。

 私は随分、うまくやれていると思う。


「うん、そう思う。リリアは、幸せそうだもん」

「幸せだわ。本当に」


 惨めな思いなど、何一つしていない。

 可愛いエリスがそばにいて、にこにこしている。

 エリスの手が伸びてきたので、私はそれを受け止めた。彼女の体は薄くて、温かい。


「……今度こそ、死なないでね」

「うん? なあに?」

「何でもない! リリア、ずっと一緒だよ」


 ほら、エリスは、こんなに私に夢中。

 この状況なら、リカルドからの婚約破棄は、きっと避けられるだろう。


***


 学園生活は、あっという間に過ぎていく。卒業を迎えた私たちは、例の舞踏会を迎えていた。

 エスコート役のリカルドを待っていた私は、いつまで経っても彼が来ないので、仕方なく会場へ向かった。あの時と同じだ。

 会場が近づくにつれ、冷や汗が背筋を垂れた。


 やっぱり、変わらないのかもしれない。

 会場に入ったら、リカルドの側にはエリスがいて。

 そうして、婚約破棄されるのだ。


 ひとりで会場に入った私に、視線が集まる。そこに含まれる好奇の感情を、私は敏感に察知した。あの時と同じだ。

 会場の中心に、視線を向ける。リカルドはやはり、そこにいた。その隣には──


 ──あら?


 あの水色の髪には、見覚えがない。少なくとも、エリスのそれではない。彼女の髪は、美しい桃色だ。


 近寄ろうとした私の手首を、掴んで止める者がいた。


「待って」

「……エリス」


 そこにいたのは、エリスだった。いつになく険しい顔をしている。

 厳しい顔をすると、彼女は凛として美しい。……ではなくて。


「どうして、あなたがここに?」

「殿下のところなんて、行かなくていいわ。私といましょうよ」

「エリスは……いいの?」

「どういうこと?」


 きょとんとするエリス。私は、リカルドを示した。


「彼の隣に、知らない女の子がいるわ」

「知らないの? あの子、最近ずっと、殿下と一緒にいるじゃない」

「見たことない……」


 そういえばリカルドの方を、意図的に見たことはなかった。私の視界には、いつもエリスがいたから。


「リリアは、私に夢中だもんね」

「……エリスが、私に夢中なんでしょ」

「それは、うん。そう」


 エリスは私の手を取ったまま、にこりと笑った。


「あそこに行ったら、きっと婚約破棄するって言われるよ。そしたらリリアは、すごく傷つくでしょう? だから絶対、行ったらだめ」

「……エリスは、いいの? 殿下のところに行かなくて」

「どうしてリリアは、私が殿下のこと好きだと思ってるの? 不敬になるから言ったことないけど、あの方強引だし、勝手なこと言うから、私は好きじゃないわ」

「そう、なんだ」


 エリスがあんまりさらりと言うから、私はそれ以上何も言えなかった。


「それよりも、お話しましょ。今まで毎日会ってたのに、卒業したらあんまり会えなくなるの、寂しいわ」

「……うん。私も、寂しいわ。またお茶会しましょうね」

「いいの? 嬉しい!」


 リリアが私に夢中になっても、リカルドは他の女性に気持ちを奪われた。でも私は、なぜか全然、傷ついていないのだった。


***


 リカルドからの婚約破棄は、後日、親伝いに申し入れられた。事由は向こうにあるため、しっかりと、礼を尽くした挨拶を受け取った。


「どうだった、リリア?」

「婚約破棄が成立したわ。ごめんね、会いに来てくれたのに、お待たせして」

「いいのよ。リリアが悲しんでなくて、嬉しいの」

「悲しまないわよ。元々、愛する人ができたら、婚約破棄する約束だったもの。別に、人前で恥をかかされた訳でもないし」

「……ああ、なるほどね」


 一瞬遠い目をしたエリスは、すぐににこりと微笑む。


「ならリリアに良い人が見つかるように、願ってるわ!」

「あの樹にまたお願いしたら、叶うかもしれないわね」

「また? リリアは何か、お願いしたの?」


 迂闊な発言だった。


 私が人生をやり直したことを、エリスに言うつもりはない。きょとんとするエリスの頭を、私は撫でて誤魔化す。


 私は人前で恥をかくのを避けるために、エリスに近寄ったけれど。

 今ではそんな気持ち、全くなかった。


「エリスと親しくなりたいって、そう願ったのよ」

「ならやっぱり、叶ったのね! あの樹は本物だわ。私の願いも叶ったもの」

「エリスは、何を願ったの?」

「リリアが、私のせいで傷つくことが絶対にないように、幸せになってほしい、ってお願いしたの」


 自分のことでなくて、他人のことを願うエリス。彼女は本当に、心根が優しい。


「なら、叶ったわね。私今、エリスみたいな友達ができて、本当に幸せだもの」

「私もよ。リリア、私たち、ずっと一緒だからね」


 どちらからともなく、指先を絡め、視線を交わらせる。


 夏の香りが、私たちの間を駆け抜けていった。

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