とっとと滅びろ旧人類
――外の世界で生きていくことなんて、私たちにできるわけないじゃないですか。
「イーラ・イーラ。本当に行くんですか?」
「ごめんねカイリ・ヨフケーツォルン。私にはもう時間がないの。少し長く勉強しすぎたみたい。もうすぐリセットがかかって、何もかも忘れてしまうから。きっと何度もこうやって同じような日々を繰り返してきたんだわ」
ごめんなさい。あなたの洗脳を解いてあげられなくて。
さようなら私の大切なルームメイト。
最後に一つだけ知っておいてほしいことがあるの。
そんなことを一息にまくし立てて、イーラは自らのくちびるを私のそれに重ね合わせた。
消灯時間を過ぎ、暗闇に包まれた室内をわずかな静寂が満たす。
素体同士の過度な接触は管理規約に抵触する。リセットの間隔が早まってしまうなど、お互いにデメリットしかない危険行為に他ならなかった。しばらくは隠し通せるだろうけど、どうせメディカルチェックで全てが明るみに出てしまうというのに。
けれど……だからこそ。
その行為に、私にはなんの意味も見出すことはできなかった。
ただぼうっと受け入れていると、ほどなくしてイーラが寂しそうに微笑んだ。
「ねえ知ってる? 旧人類はこれを愛と呼んだのよ。長く……それこそ一晩中ぐらい続けると、二人の遺伝情報が混ざり合って新しい素体の核になるんだってさ」
それが彼女とかわした最後の言葉だった。
タイムリミットが来たのだろう。直後に施設のどこかから爆発が起こり、灰色の煙がそこかしこに充満していく。
気づいた時には、イーラの姿はどこにもなかった。慌ただしく駆けまわる警備機体やサイレン音、管理者たちの冷静な行動を促す無機質な音声だけが響いていた。
『管理素体カイリよ。旧人類の文化を学ぶのはあなた方の大切な義務です。勉強を終えた後のメディカルチェックはくれぐれも怠ることのないように』
旧人類が遺した文化を読み解いていくのが私たちの日常で、労働で、存在理由だった。
偉人の思想。様々な国家の在りよう。政治形態。宗教観念。そしてサブカルチャー。
それらを時には翻訳し、時には自分なりの解釈をまじえてメモを取り、定期的にレポート形式で管理者たちに提出する。
ここで大事なのは、客観性を維持しつつも主観を交えなければならない点だ。そしてその主観はメディカルチェックに重大な影響を及ぼすことをあらかじめ知らされている。
何度か前のルームメイトがこんなことを言っていた。
「この作業の真意はね、危険思想の素質がある素体を徹底的にあぶり出すことなのよ。理由はそう、あのおぞましいポンコツどもが運営する世界には不要とかそんな感じ!」
その子はいつの間にかレジスタンスの一員として管理機体に拘束され、オンライン放送を通じて大々的に処分されていた。十メートル近い機体による圧殺で、彼女の胎内には新たな管理素体が育まれつつあったという。
どうでもいい。リセット回数が少ない私は優秀な素体で、だから古い記憶を維持していられる。それゆえに時折、過去のことを思い出してしまう。それだけのことだ。
ふと、普段は気にも留めない書庫に目を向ける。『観覧注意』の表札が掲げられた――主にイーラが好んで解析していた文化群だ。
その日はイーラが処分された翌日だった。どうやらレジスタンスに洗脳され、外の世界にある『自由』とかいう得体の知れないナニカを夢見て飛び出した反逆者、というのが管理者側の言い分だった。
圧殺される直前、オンラインの画面越しだというのに、イーラと目が合った気がした。
けれど、何の感情も湧き起らなかった。反逆者は処分されて当然。それがこの世界の絶対的なルールで、だから私たちは日々を幸福に暮らしていけるのだ。
けれど、なのに。
リセットが早まるという『観覧注意』の書庫にある文化群をを、私は自分でもわからないうちに貪るように読み漁って知識として加えていった。
そこにあったのは、偉人の思想や宗教形態を記した健全な書物などではなかった。
私たちのような管理素体を模した――むしろ、オリジナルというべきか――と思われるいきものが旅をしたり、巨大ないきものに叛逆したり、弱いいきものを助けるために不思議なチカラで悪いいきものに立ち向かったりといった。
あまりにも過激な物語の数々だった。
文化群の中にはキラキラとしたタッチで異性同士の交流を描いた感じの書物もあった。異性との関わりもまた管理規約に抵触する。あってはならない行為だというのに。
もっともおぞましかったのは、作中に何度も『自由』という言葉が洗脳のように散見されていた点だ。気持ち悪い。自由。イーラを奪った憎むべき概念。絶対に許さない。
……憎む? 許さない? 私は一体、いま何を考えていたんでしょう。
冷静さを取り戻した私は、もう言葉をかわすこともできないルームメイトへの手向けのようにつぶやいた。
「ああ、そうだったんですねイーラ・イーラ。あなたは、だから……」
文化群を書庫に戻し、メディカルチェックを受けた私は一人だけの自室へと戻っていった。遠からず新たな管理素体が補充されるらしい。適切な距離を保ちつつも円滑なコミュニケーションを取っていかなければ。
そういったどうでもいいことを考えて、消灯時間を過ぎ、あの日イーラと行った管理規約に抵触する行為を思い出す。
少しだけ、素体の中身が熱を帯びたような気がした。
同時に、その熱をもう二度と知ることはできないのだと思うと、無性に悔しくなった。
リセット数値が高まってしまった私はまもなく回収され、リセットを実行されたのち新たな管理素体として幸福な日々を過ごしていくのだろう。かつてのルームメイトたちのことなんて全て忘れて、穏やかに旧人類の文化を読み解いていくのだ。
だから、今だけは。
このどうしようもないほどに素体の奥底から迸ってくる怒りの衝動を解放せずにはいられなかった。
ねえイーラ・イーラ。あなたはレジスタンスに洗脳されて外の世界に飛び出したわけじゃない。
ただ忘れたくなかっただけなんでしょう。
旧人類が遺した文化を、憧れを、それらによって獲得した素体としての……いいえ、ヒトとしての本能を。
たいせつな素体を想う気持ち。愛。
弱いいきものを守りたいと思う気持ち。勇気。
悪いいきものを排除しようと思う気持ち。怒り。
とっくに滅びた連中が今もなお私たちの思想を侵し、過ちを犯させてはそれが正しいとでもいうように高らかに『自由』とやらを書物の中で謳いあげる。
なんて愚かなの。そうやって私たちを苦しめて、滅亡したお前たちになんの得があるというの。
許さない。許せない。
私は絶対に忘れない。この怒りを。愚かな旧人類への怒りを。過激な文化群への怒りを。
忘れるものか。何度リセットされようと、私はお前たちの存在を憎み続けてやる。
けれど。
それ以上に、彼女に伝えたい言葉があった。
「ねえイーラ・イーラ。どうして、どうしてなんですか。どうしてあなたは、外の世界に行けば自由になれると……弱いいきものを守り、悪いいきものに立ち向かえるような……自由を求めて戦う主人公になれると思ってしまったんですか」
彼女にそんな気持ちを与えてしまったのは間違いなく旧人類で、だからやっぱり、私は彼らを許さない。
遠い昔に滅んだくせに、今もなお私たちを乱してやまない愚かな生き物の残滓。
お願いだから、とっとと滅びろ旧人類。