タマとクロエと3
タマとクロエと
街を出て2時間ほど北に歩くと、その森に差し掛かる。
ルフスは慣れた様子で森に分け入ると、自分にしか分からない目印をあてに、目的の場所へと向かった。
細長い洞窟を抜けると、陽の光がわずかしか差し込まない開けた草地に出る。そこには一面に目当ての薬草が茂っていた。
「さてさて」
周囲に気配は感じない。ルフスは一人きりだと思い、無意識に声を出してしまう。
「何がさてさてなんじゃ?」
「!?」
心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらい驚いた。
そこには、忘れもしないあの少女が…クロエなんとかがいたのだった。
「おお〜!奇遇じゃの、我が友タマよ」
クロエはあどけない笑顔を浮かべながら言った。
ルフスは困惑する。なぜ、何のためにこの少女がここにいるのか…。口封じのために自分を始末しに?いや、それならあの時に殺されていたはずだ。なら他に理由は…
「く、クロエさん、どうしてここに…?」
考えても何も思いつかなかったルフスは、そのまま疑問を口にした。忘れるな、この子は見た目こそ可愛らしいが紅の双鷹を皆殺しにした化け物だぞ、と自分に言い聞かせながら、機嫌を損ねないように注意する。
「タマは何してるんじゃ?」
質問で返されてしまい、ルフスは答えに詰まる。もしこの場所がこの少女の物なら、ルフスはこれまで薬草を勝手に取っていった罪人だ。間違いなく殺される。
「い、いや〜散歩ですよ、散歩」
我ながら誤魔化しが下手だ。散歩でこんな所に来る人間はいないだろう。予期せぬ恐怖と緊張で、いつもの冴えがない。クロエはふうんと答えると、ルフスの方に近づいて来た。
「ひぅ」
思わず情けない声を上げてしまう。まただ。またこの状況だ。今度こそダメかも知れない。そう思ったルフスに、少女は手を伸ばし手の平の中に握っていた物を見せて来た。
「ワシはこれじゃ」
「…球根?」
恐る恐る覗き込んだルフスが目にしたのは、何かの植物の球根らしき物だった。
「そうじゃ。これは珍しい花の球根でな。あの城で育てておったのじゃが、花が萎れてしもうてな。それで種から育てていたのじゃが、大きくなって来たのでどこかに植えようと思っての」
あの城、とは、あの惨殺事件のあった古城の事ですか?とは聞けなかった。少女の話の内容は普通の少女が話しているものと変わらないように思える。あの事件に遭遇していなかったら、ルフスはこの少女を商売の邪魔だと追い出そうとしただろう。ワシ、とか、じゃ、とかいう言葉遣いは気にかかるが、こうしていると何の変哲も無い、ただの女の子に見えてくる。
「陽の当たらない、静かなところに植えてやろうと思っての。そういう場所を探しておったのじゃ」
それがここだという事だろう。つまり今、クロエは鉢から地面に植物の植え替えをしていたわけだ。
ルフスには訳が分からなかった。冒険者たちを無残に殺した化け物が、友達になってくれだの、花を育てているだの。まるでチグハグだ。
「あと何株か残っているから、植えるのを手伝ってくれんかの?」
断れるはずもなく、ルフスは球根を植えるのを手伝うのだった。
「あの、クロエさん?この花、なんて言う花なんですかね?」
ずっと無言でいるのも恐ろしいので、ルフスは相手を刺激しないような無難な会話をする事にした。我が友とか言ってくるくらいだから、怒らせなければ殺される事は無いはずだ。
「エーベランじゃ」
その名前はルフスでも知っている。伝説に聞く幻の花、エーベラン。その花を乾燥させた粉末はどんな病気もたちどころにな治す、極めて希少価値の高い花だった。実物は見たことがないが、もしこれが本物のエーベランの球根なら、一株で一生遊んで暮らせるだけの金が入ってくるだろう。
「え、マジすか?」
「マジじゃ」
事も無げにクロエは言う。
「それよりお主、なぜ敬語なんじゃ?我らは友であろう。ワシの事も呼び捨てで構わん」
呼び捨てにした途端に襲って来ないだろうか。ルフスはビクビクしながらも
「ええと…じゃあ、クロエ…」
クロエは満足そうに微笑んだ。何故だろうか、ルフスは少女相手に照れ臭さを感じてしまう。
「あの城がお前の家だったのか?」
照れ臭くて、つい質問してしまった。あの城でのこと。本当にこのあどけない少女が引き起こしたとは思えなかったのだ。言ってから後悔して、ルフスの顔は青くなったのだが。
「いや違うぞ。あそこで花を育てていただけじゃ。ちょうどあの日花が咲きそうだったのを見に行っておったのじゃが、急に人間どもが来ての。ワシを見て何やらヒソヒソ話していたかと思うと、いきなり切り掛かってきたんじゃ。あれはビックリしたの〜」
それを全て返り討ちにしたのがビックリなんですけど。ルフスは心の声を胸に留めておく。
「そしたらタマ、お主が来たのじゃ」
何となく、おぼろげではあるが話しは分かった。真夜中、あんな人里離れた古城に少女がいれば、化け物か何かだと思ってもおかしくないだろう。事実化け物だったのだ。この少女は、多分人間ではない。人の姿をした、サキュバスか何かなのだろう。
「あーなるほど、つまり…」
「正当防衛というやつじゃの」
過度な正当防衛もあったものだ。だがクロエの言い分も分からなくもない。
ルフスは少し安心した。自分は気まぐれで生かされたのではなく、クロエは自分から人を襲う意思はなかったのだ。もちろん頭から信じる訳ではないが、それでも隣に人殺しの化け物がいるのは生きた心地がしない。理由もなく襲われはしないだろうと、ルフスは信じたっかった。
球根を植え終わると、クロエはパンパンと手についた土を払いながら
「手伝ってくれてありがとうの。ワシはそろそろ帰ろうかと思うが、タマはどうするのじゃ?」
「ん?ああ、俺もそろそろ帰ろうかな」
ルフスは植え替えの手伝いをしながら集めた薬草を袋の中に入れていた。当面の生活はできるだろう。
「そう言えばお主、どこに住んでおるのじゃ?」
「こっから南の方の街だよ。そっちは…」
言いかけて、やめた。あまり人外の子に関わるのは良くない。今回は思いがけず再開してしまったが、もうこれっきり会わない可能性が高いだろう。今は友達ということになっているが、気分次第でクロエに殺されるのはゴメンだ。
「ほ〜う、そうか。じゃあ気をつけての。またの、我が友タマよ」
そう言うとクロエは最初の時と同じ、暗闇に溶け込むように消えていった。
せっかくの穴場だったが、もうこの場所には来ない方が良いだろう。ルフスはとても残念な気持ちで、最後とばかりに薬草をありったけ袋に詰めるのだった。