王は悩めど最良を求めて決断する
「はあ……なぜ玉座というのはああも堅いのだろうな? せめてクッションでも敷ければよいが、慣習好きの賢人共がうるさいしな……腰に悪くて仕方ない」
アルベルトの裁判を終わらせた夜。
自室のロッキングチェアに揺られながら儂は今日を振り返り愚痴る。
「明日にはアルベルトの断罪の話が広まるだろう。そうすれば、騒いでる連中もしばらくは静かになる……最もそれほど長くはもたないだろうがな」
我が国には連座という刑罰がある。罪を犯した当人だけでなく一族や主従などその罪に直接関係ない者にも刑罰が及ぶというものだ。
貴族社会において連座とは難しい。血をたどれば新興の貴族以外はほとんど血縁関係があるし、派閥だって不変ではない。昨日の敵が今日の友となり明日の敵となり明後日には親友となる。そんなふざけた現象が当たり前に起こるのが貴族社会だ。舌の数は当たり前のように二枚三枚とあるし、心のありどころなんて女心やコウモリの羽よりフラフラとしてる。
今回は大事なだけあって連座の可能性も高い。ただ、連座が適応されるのが断罪されたローズフィート側か騒動を起こした王子側か悩みどころだろう。
人の悩みはやがて不安に変わり、不安を抱えた人間は攻撃的になりやすい。攻撃的な人間は不和を起こす。それが今の王都の現状だ。それらを緩和するには不安を取り除いてやるしかない。つまり、見せしめと指標だ。
「アルベルトはよくやってくれた」
アルベルトの断罪は見せしめとして効果を発揮するだろう。そして、刑罰の内容から連座が適応された時の度合いが図れる。処刑や投獄でなかったことから怯えて騒いでる連中も多少は安心するだろう。
「後はローズフィートへの対応だ。これさえどうにかなれば山は越えられる。問題は奴らの気性を考えると絶対に自分たちからは折れない所だ」
リチャードに謀反の意思がないと判明した今、どうにかしてこれまで通りの地位と立場を確保して起きたい。頭の中に愉快で不愉快なガーデンが出来てるようだが、そこは再教育でどうにかする。
不当な断罪で名誉を傷つけられたローズフィートは当然リチャードの排斥を望むだろう。この機に乗じて元々リチャードを排斥したかった連中も動き出すと予想できる。両者が接触する前に宰相と話をつけなければならない。
「それからリチャードがああなった原因も調査せねばならんな」
原因は未だ不明だ。リチャードが学園にいた三年間、担任だったアルベルトにも一因はあるだろうが、それだけではああはならない。もっと他に直接的で決定的な要因があるはずだ。……少なくとも儂の知る三年より前のリチャードは親のひいき目なしでも品行方正を絵にかいたような非の打ち所がない王子だった。
「一番怪しい容疑者は件のアリス何某だが……行政から暗部まで出動させ情報を集めさせたが今のところ怪しい点はない。疑わしくはとりあえず罰しろ(身内以外)というのが王家の習わしだが、彼女の後ろには教会がいる」
身分としては、準男爵クラスの学園教師と男爵令嬢ではほぼ同等だが、二人の決定的な違いは後ろ盾の存在だ。
断罪する前にアルベルトの実家の伯爵家に確認したが伯爵家からの返答は「十数年前に出奔した弟はもう我が家とは関係ない」というものだった。逆にアリスの場合は、失われた聖属性の魔法の真偽は未だ判明しておらず、教会が庇いだてしている。恐らく偽物と判明するまで庇護は続くだろうし、仮に本物と判明すれば何が何でも取り込もうと躍起になるだろう。
「教会は始祖崇拝の大元であるし無下にはできん。それにリチャードも未だあの娘を好んでいる。下手に罰してしまうより身柄を手元に置き人質にしたほうが有用か」
ついこの間もリチャードは謹慎されてるにも関わらず突然「アリス成分が足りない!」とかなんとか意味の分からない事を言い出し騒ぎを起こしたと報告が届いている。
うん、意味が分からん。なんだその成分とは? お前はヤバい薬でもしてるのか。医者が検査した所、至って健康だったけど、やってる事は麻薬常習者と大差ないぞ。
「……それでもまだ修正は可能なはずだ。親である儂が諦めたらそこで全てが終わってしまう! 信じるんだ儂!」
痛む頭を押さえながら自分を鼓舞する。
テーブルにあるグラスに手酌で酒を流し込みグビっと一気に飲み干した。……酒でも飲まなきゃやってられん!
「ぷはあ……勝負は明日だ!」
明日の昼に宰相と直接話せる時間を設けた。アルベルトの断罪により浮足立つ城内の隙をついての対談だ。もしかすると一対一で話せる最後の機会かもしれない。最大で関係の修復、最低でもリチャードの身の安全は勝ち取らねばならない。
「……」
数日の疲れかそれとも酒精にあてられたか段々と瞼が重くなっていく。
……不安要素はまだまだ多い。それでも儂は王として父として、そして友として最良の結果を求めなければならないだろう。
「はあ……王なんてなるもんじゃないな……」
意識がまどろみに落ちていく。願わくば、せめて夢の中だけでも不安のない世界であらんことを望もう。
・・・
翌日。
「……」
「……」
宰相との対談はまだ始まっていない。儂の執務室に宰相が来てから今のところ睨みあいしかしていない不毛な時間が過ぎていた。
「……」
チラリと自身の後ろと対面する宰相の後ろを見る。我々の後ろには剣呑な雰囲気のそれぞれの側近たちが睨みを利かしていた。
宰相とのさしでの話し合いをしようとした所、側近が猛反対した。リチャードが謀反を疑われた件でも分かると思うが、王侯貴族はたとえ血のつながった親子でも殺し合いが発生する。なので、問題が起きたときは周囲の警戒が非常に厳しくなる。
ぶっちゃけ、どう足掻いても身体的な意味で儂が宰相にやられる事はないので側近の心配は杞憂でしかない。心配してくれるのは有り難いが今回は一刻の猶予もない。これ以上の遅延は無意味だ。
「宰相を残し退出せよ。全員だ」
「陛下!?」
悲痛な叫び声を上げる後ろの側近たちを無視して退出を促す。けれど、杞憂の心配からか中々命令に従おうとしない。そんな捨てられた子犬のような目で見てきてもダメだ。さっさと出ていけ。
「陛下のご命令に従いましょう」
こちらの側近が出ていくよりも前に宰相の一声により向こうの側近が部屋を出て行った。
……別にこれは忠誠心とかの話ではない。ただ単に、儂は自分の側近とギスギスした関係になるのが嫌で出来るだけ部下の心に寄り添い人望により組織を形成していた。だから人望があるからこそ、儂の側近は儂を危険に晒す命令を聞かなかったのだ。逆に宰相の方は完全な恐怖政治で命令違反=粛清みたいな恐ろしい組織形態をしている。それだけの話だ。
向こうの側近が出て行った事で、後ろ髪を惹かれながらこちらの側近もとぼとぼと退出する。そんな迷子の子供のような顔をしてもダメだ。いい子だから大人しくしてなさい。
「久しぶり……でもないな」
「顔を合わせるのは昨日ぶりですね。こうして人の目がない環境で話をするのは卒業パーティーの日以来でしょうか」
「……ただ話をするだけだというのに窮屈になったものだ」
「分裂しそうな派閥のトップ同士ですから。いたし方ないかと」
分裂しそう、「しそう」と宰相は言った。「した」や「させた」ではなく「しそう」だ。宰相の認識ではまだ我々の関係は破綻していないということだ。つまりはまだ交渉の余地が大いにあるということだ。
「これよりは宰相ではなくローズフィート当主として正式な苦情を申し立てまつる。我がローズフィートは先の戦にて多大なる功績を残し国家に貢献致しました。王家はその褒賞として我が娘とリチャード王子との婚約を確約いたしました。これは文章にも残る正式な契約です。にもかかわらず一方的に、それもこれほど強引に契約を破るとはどのようなお考えがあってのことでしょうか? また、我が娘が婚約破棄された場合、先の戦の褒賞並びに報償をどのように支払うおつもりでしょうか」
案の定、宰相の口から出たのは決別の言葉ではなく交渉だった。それは儂にとっても願ったりだが、流石に痛いところを突いてくる。
リチャードとイザベラの婚姻は高度な政治的判断により結ばれた政略結婚である。一番の理由は宰相のいう通り先の戦の褒賞並びに報償の代用だった。
泥沼化し国力をただただ低下させた戦争は勝者がいないまま終戦した。敗戦国からの慰謝料が手に入らず財政難に陥った。けれど、そんな事情をくみ取ってくれる者はほぼいない。当たり前だが、戦により疲弊したのは何も王家だけではなく、どこも生きるために、家を持ち直すために金を必要としていた。
特に実際に戦場となり領民に多くの被害者を出し、その上で数々の戦果を挙げたローズフィートへの対応が急務だった。
これが騎士候や平民出の兵士なら爵位や勲章を授け適当な土地でも与えれば満足するだろう。それか秘宝の剣でも与えれば諸手を挙げて喜ぶはずだ。けれど、大貴族ローズフィート公爵家にそんな誤魔化しは利かない。が、払いたくても払う金がない。散々悩んだ結果、儂はまだ見ぬ息子を質に入れることにした。
次期国王となるはずの息子の婚約者の座を褒賞として渡したのだ。これだけ聞くと儂が最低の父親のように思えるが、これは誰にとっても損のない素晴らしい方策だった。
ローズフィートは将来的に王妃の実家という政治的地位を手にれられ他の四大公爵より抜きんでた存在となれる。
息子は、ローズフィートの姫という最高峰の血筋と家柄を保証された嫁が手に入り、更に頼りになる忠臣として大貴族ローズフィートの支援を受けられる。息子の治世は盤石になるはずだ。
ローズフィートの姫も、貴族女性として正真正銘の頂点に立てる。そして将来的には次期国王の母として名誉とほまれが確約されるのだ。
最後に儂、王家も、身銭を切らなくて済むし否応なしにローズフィートを味方として抱き込める。
まさに誰も損のない完璧な計画だった。……完璧なはずだったんだ。
……嘆くのは後にしてまずは交渉だ。
「その件に関しては儂も憂慮すべき問題だと考えている。建国よりの盟友である其方らと争うつもりはない……できるのなら今後も良好な関係を築いていきたい」
「ならばこそ、まずは古き問題から片付けるのが最良かと。こちらの計算によりますと、契約不履行となった場合の賠償金と我が娘が受けた非道なる扱いに対する慰謝料、そして此度の件で私どもが受けた損害を計算しますと――」
「物事とは常に流動するもの! 人の世とは複雑怪奇! 最良を選び続けるだけでは人と人の関係はダメになってしまう。そうは思わぬか!?」
危ない所だった。正確な数字を出されては困る。生憎と我が国は未だ復興の最中で多額の資金を捻出することが出来ないのだ。特に卒業パーティーに多額の資金を投じたので財政は厳しいのだ。いや、流石に払えないわけではないが、払ってしまうと経済が致命的な打撃を受ける。
「人のつながりを維持するにはけじめと覚悟が必要かと。問題は問題にするまで問題とはなり得ません。けれど一度でも問題として浮上したのなら解決するが重要かと」
「……」
「……」
交渉を始め数分、さっそく難破しそうだ。
今までの会話を簡略化すると、契約違反で賠償と慰謝料を払え。払えないなら責任をもって王子を罰しろと要求する宰相に対して、儂は、金は払えないけど仲良くしよう。原因の息子の事はどうか許してはくれ! とお願いしたところ、ふざけるなと突っぱねられた。
このまま続けても平行線は変わらない。いや、このまま続ければ間違いなく儂が負けるだろう。殴り合いならともかく、口で宰相に勝てる人間は国内にも数人いるかどうかだ。最初からまともな交渉なんて成立するはずがない。頭のいい奴と口喧嘩なんて馬鹿のすることだ。
よって、当初の予定通り最終手段を取ることにした。このために側近たちを排したのだ。
儂は徐に立ち上がり両手を机に付く。そして――
「頼むこの通りだ!!」
全力で頭を下げた。
「息子の事は本当に悪かったと思っている。だが、今お前が敵に回れば我が国はどうなる!? 国は荒れ周辺諸国に付け入られる隙を作る! 国を守るためにもどうか力を貸してくれ!!」
本来なら主君が家臣に頭を下げるなどありえない。もしも誰かに見られようものなら一生物の恥として後世にまで伝えられるだろう。
それがどうした。
儂の頭一つ下げれば最悪の未来が回避できるのだ。ならば、王として誇りをもって国の未来の為に頭くらい下げようじゃないか。
「おやめください陛下。家臣に対してそのような真似を」
「ならば! 此度のことどうか許してくれ!」
「それならば殿下を廃嫡してください。さすれば、こちらも賠償と慰謝料の請求を一旦見送ります」
「それはできん! すまん!」
「……」
最早これは交渉ではない。片方が真面に話し合う気がなければ交渉は成立しない。大事なのは勢いである。
「だが王家はローズフィートに対し精一杯の償いはするつもりだ! 何年……何十年かかろうと! たとえ今は賠償も慰謝料も払えずリチャードを排する事も出来ずとも必ず行うつもりだ!」
「こちらの要求を一切聞き入れない癖に図々しいにも程がありますね。いっそ王妃様と励まれ代わりをおつくりになったらどうですか?」
「んな簡単に子供ができる訳ないだろ!」
「冗談半分の軽口なのでお構いなく」
「半分本気だったのか……アレは昔と変わらず若く美しいが、もう高齢と呼ばれていい年齢だ。無理はさせられん!」
「どさくさに紛れて惚気るのはやめてください」
下げた頭を持ち上げ宰相の顔をチラリと盗み見れば、呆れたような表情をしていた。
「はあ……私のほうも出来ることなら穏便に終わらせたいのです。王家と争った所で特などないのですから。ですが問題なのは領地にいる父上でしょう。まだ、王都の内情は周囲に漏れていませんが時期父の耳にも届くはずです。そうなれば全面対決は逃れられません」
「前ローズフィート公爵か……」
思い出すのはかつて見た戦場を駆ける英雄の姿。
昨今は宰相のイメージが強いがローズフィートは武門の名家だ。前当主だった宰相の父君は数々の武勲を挙げた我が国の英雄である。その性質はまさに武人のそれで、政治的な判断で苦渋を舐めるくらいなら、一族総出で戦を仕掛けてくるような御仁だ。
「英雄と謳われた父の影響は根強く、父が納得するだけの何かがなければ説得もできません」
「……では、何を用意すればよい? できる限りの誠意は見せるし、全額とは言えんが慰謝料も賠償金も払うつもりだ。もちろんリチャードの首はくれてやれんけどな」
「父にとって金などあれば使うけれどなくてもいい物です。あまり効果はありません」
戦時中は、資金よりも物資のほうが尊ばれ、略奪が横行していた。前公爵世代の価値観だと珍しくない考えだ。
「重要なのは雪辱を晴らすことです。相応のけじめさえ付けられればひとまず納得するでしょう」
「けじめとは……?」
「手っ取り早いのは元凶である殿下の首でしょうが、それができないとなると……」
宰相は頭に手をやりトントンと指で叩く。宰相が何かを考えるときの癖だ。固唾をのんで見守っていると宰相は指を止め静かにこちらを見つめてくる。
「……陛下の協力があれば殿下のお命を守れ王家に不利益なく父上を納められます」
「誠か!!」
そこから宰相のが語った構想は、到底受け入れがたい物だったが、それ以外に方法もなく、苦渋の決断の末に受け入れることにした。
「それでは陛下、我々は一旦席を外します」
「……ああ、長い別れになる。精々体には気を付けるのだぞ。お前は目を離すとすぐに死にかける」
「陛下こそあまりお一人で抱え込まず周囲を御頼り下さい。それでは」
話し合いを終え、宰相は臣下の一礼をすると部屋を出て行った。その後すぐに側近たちがなだれ込み安否を確認してくる。
――これが友との今生の別れになることをこの時の儂はまだ知らない。