豹変
生まれて初めて父上に怒られた。身に覚えが全くないのに一体なぜと考えた結果、アリスの魅力が伝わっていなのかもしれないと思い至った。
「ですのでアリスは素晴らしい女性で僕の天使」
「お前の惚気など聞いておらんわ!?」
「惚気ではありません! 僕はただ父上にもアリスの魅力を理解してほしいだけなんです!」
「そんな得体の知れないものよりもっと言うべきことがあるだろ!?」
「え、なんでしょうか……? あ、3年前と比べて背がだいぶ伸びました!」
ブチリと何か紐状のものが切れたような音がした。何の音だろうかと疑問に思っていると、おもむろに父上は立ち上がり拳を振り上げて駆け出した。
「この馬鹿息子があああああああ!」
「落ち着いてください陛下!?」
「陛下をお止めしろ!!」
「ご乱心だ!!」
「離せお前らああああああああ!!!」
父上は玉座から数歩進んだ所で騎士たちに止められ、両脇の下に手を入れられやんわりと羽交い締めにされた。
なんだろうか凄いデジャブだ。
父上が何をそんなにお怒りなのかはわからないがこれ以上興奮させてしまうのはまずい。父上を宥めるために声をかける。
「何があったのかはわかりませんが一旦冷静になってください。でなければお体に障りますよ父上」
「うがあああああああああああああ!!」
僕の奮闘虚しく父上は更に激高した。
「お、落ち着いてください陛下!」
「殿下! 陛下を煽らないでください!?」
「別に煽ってないが?」
「があああああああああああああああああああああ!!」
真面に会話のできる状態ではなく謁見は一時中止された。しばらく騎士と家臣に宥められどうにか冷静さを取り戻した父上がお戻りになられた。
体力の消耗が著しいようだが、先ほどと比べるとまだマシだろう。
父上は、側仕えから水の入ったコップを渡されそれを一気に飲み干し息を整えた。
「ふう……リチャードよ、改めて問おう。お前はなぜイザベラと婚約破棄などしようと考えた?」
片手で頭を押さえている父上に問われ、ようやく僕は一つ合点がいった。父上がなぜこのような仰々しい形をとって話をしようとした理由が判明した。
「お前とイザベラの婚約は王命だ。当事者であとうとも儂の許可なく解消など、ましてや破棄などできはしない。当然理解はしているな」
「はい。勿論です」
「……ではなぜ、実行しようと思った?」
怪訝な顔をする父上。
王族教育と学園のカリキュラム。我が国最高峰の教育を修了させた僕は当然のことながら法律にも詳しい。特に王族が関わる法は法律の書を開かなくとも空で言えるほど熟知している。
だがそんなもの、アリスの魅力の前では無意味だ。
「すべてはアリスの為です。父上はまだアリスと会ったことがないからお分かりいただけないのかもしれません……ですがいつかきっと理解できる日がくるでしょう。イザベラではなくアリスを選んだ事を僕は一生誇りに思うでしょう」
「……ローズフィートを敵に回し国内が荒れるかもしれないというのにか?」
「確かに父上の懸念も理解できます。しかし心配はいりません。イザベラを排しても問題がないようにシーザーとの友好を結んでいます。公爵の跡をシーザーが継ぎいずれは宰相となり僕の治世を支えるのなら文句は出ないでしょう」
「……」
僕だってなんの策もなしに四代公爵家の一つを敵にするつもりはない。婚約破棄をすれば、両家の関係が悪くなることくらい理解している。
重要なのは損失と収入だ。イザベラを次期王妃に据える公爵の計画は潰えた。それを補う為に罪を犯したイザベラの連座に問わず、僕からシーザーを次期宰相として推薦することを提案する。収入としてはマイナスだが、少しでも損失を補う為に公爵は必ず僕の提案を受け入れるだろう。
公爵との関係悪化は免れないが、それもシーザーが家督を継ぎさえすれば何ら問題はない。
僕の計画に穴はないのだ!
・・・
頭が痛くなり頭部を触る。もしかしたら気が付かないうちに殴られたのかもしれない。しばらくあちこちを触り外傷がないかを確認するがたんこぶひとつできてはいない。ならこのどうしようもない頭痛は物理的な要因ではなく精神的なものか。
三年前に信じて送り出した息子が目も当てられない状態で帰ってきた。これも物理的な意味ではなく精神的にだ。
その豹変ぶりは姿形こそリチャードそのものだが、まるで中身が別の人間と入れ替わってるんじゃないかと疑いたくなるような、頭の中がお花畑の馬鹿になっていた。
どうしてこうなった……?
……少なくとも儂が知る、三年前のリチャードは、親の前で女性の素晴らしさを恥ずかしげもなく熱弁するような、異常な行動をした記憶はない。
むしろ、本当は何かしらの真意を隠すため道化を演じていると疑った方がまだ信ぴょう性がある。
「お前は本気でそんな事を言っているのか?」
「もちろんです! アリスの魅力の前にはいかなる事象も詮無きことです!」
「……」
最早どれだけ信じられたものかわからないが、儂の親としての直感が告げている。今の言葉に嘘はないと。
「イザベラを害した事も小事だと言うのか?」
「もちろんです。ですが害したとは言い方が悪いですね。僕たちは巨悪を正義の名のもとに断罪したのです」
意味が分からない。なぜ、イザベラを不当に害することが正義となるのか。現場にいた大臣からの報告では、イザベラがそのアリス何某という令嬢を虐めただが殺そうとしたそうだが身分と立場を考慮すればさしたる問題はない。人道としてどうかと思うが、貴族社会で生きているのなら当たり前の価値観だ。
リチャードが何を考えているのか儂には全く理解ができない。
情報が、情報が足りない。
「……では、仮にイザベラを悪としよう。だが同時にイザベラはうら若き令嬢である。それなのになぜ暴行を、暴力をもって相対した」
「ローズフィートの影響力を考慮した結果、致し方のない処置でした」
「致し方がない……だと?」
「はい。我々に協力してくれたイザベラの取り巻きたちは脅されればすぐに寝返るような不心得者たちです。あそこでイザベラが何かを言えば、連中は僕たちを裏切る可能性があったので」
「……」
その報告は聞いていないが、どうやらリチャードたちに協力した者がいるようだ。それもどうやらイザベラのすぐ近くの者で、恐らくはローズフィート派閥の者達だろう。なぜ派閥の者が主であるイザベラを裏切るのか……ああ、そういえばもう一人のローズイートがリチャードの側にいたな。そっち経由か。
その者の出所はどうでもいい。派閥の裏切りを容認してしまったのはイザベラの落ち度だが、それを抜きにしても、協力関係にあるのに信頼関係が構築されていない者を協力者に選んだ采配が最悪だ。
「そのような信用できないものを自陣に取り込んだのか、お前は?」
「心配はなにもありません。あくまで事件の証人であり僕たちの仲間ではないのです。連中はアリスを虐めた実行犯であり、この証言でそのことは水に流しますが、アリスを苦しめた罪を許した訳ではありません。シーザーも別件でローズフィートの派閥から追い出すと言っていました。これから先、奴らが僕たちの前に現れることはないでしょう!」
「……」
最悪である。何が最悪かって……もう、説明するのもめんどくさいほどいろいろと最悪だ。
どうやらリチャードはその裏切り者たちに甘い言葉を囁き唆したようだ。確かに短絡的にイザベラを排除するという目的を達成するのなら、最善ではないが最良だったのかもしれない。
だが、そんな真似をしたらお前の信用がだだ下がりだ。
王家にとって信用とは重要で、約束を守り成果を上げたら褒美を与えるからこそ家臣は王の命令を聞き時には命をかけて働くのだ。中には愛国心や自分の家族や領地のため王家に対して本物の忠誠を誓ってる者もいるかもしれないが、あくまで少数だろう。
信用のない王の命令を唯々諾々と聞く貴族は少ない。つまりは、リチャードが即位した後、リチャードの治世の為に働く貴族が激減するということだ。しかも、裏切り者とはいえ、国王派筆頭貴族にして大派閥ローズフィートに与す者にした対応だ。
せめて、当人以外がそれを知らなければ知らぬ存ぜぬで言い訳もできたが。
「……」
チラリと周囲を見回してみる。近衛騎士に重鎮たちが唖然とした顔でリチャードを見つめていた。
こうも人の目がある中で堂々と宣言してしまえばもう取り返しがつかない。
「お前は……いいや、もうよい」
これ以上この場でローズフィート関係の詮索をすればただでさえ危ない息子の立場が自爆で崩壊してしまう。
唯一の救いは宰相がこの場にいないことだ。少し前の自分に心の底からよくやったと褒めてやりたい。
「アリスと言ったか。その者を次の婚約者にするとはどういうつもりの発言だ?」
次も頭が痛い問題だ。
時間が少なかったこともあり、その令嬢に関する情報は本当に少数だった。かろうじて分かったのは、実家は王都周辺に騎士候クラスの小規模な領地を持つ家であり、我が国の始祖が扱ったとされる失われた聖属性の魔力性質を持っており出自に問題があったが学園に特別編入した生徒ということだ。
ただ、聖属性の魔力に関しては、失われて久しく詳しい文献も建国神話くらいしかないので、本当かどうかは経過観察中らしい。
「決まっているではないですか! アリスはまさに地上に舞い降りた僕の天使――」
「お前の聞くに堪えないポエムはどうでもいい。簡潔に、要点をまとめて、速やかに述べよ!」
「もう、父上はせっかちですね。そんな事では母上に呆れられてしまいますよ?」
我慢だ我慢。今すぐに息子の顔面を殴りたい衝動に駆られるが我慢だ。
ボキッ、と玉座の肘掛けが砕ける音がした。木製なので経年劣化でもしてたのだろう。
「いいから述べよ!」
「はい。父上も承知でしょうが、僕は学園を卒業したら正式に王太子の位を継承し結婚する予定でした。しかし相手のイザベラはもういません。いくらイザベラの落ち度とは言え、決められた予定を変更するのは大変でしょう。王太子の就任には結婚が必須ですし、滞りなく予定を進めるためには新たな婚約者の選出が急務です。かといって今更新たな婚約者と関係を深めるのも時間が足りない。その点アリスならばすでに相互理解もできてますし、何より僕は彼女を愛しています! これ以上の理由が必要でしょうか? いいやない!」
「……」
こんな事をしでかして今まで通りの生活ができると思っている精神がわからない。当初決められた予定などほとんどが実現不可能で、そもそもイザベラの落ち度ではなくお前の不祥事というか……うん、もう考えるのもめんどくさい。
眩暈がして座りながらフラリと倒れそうになった。
「陛下!?」
「お気を確かに!?」
両隣にいる宰相代理と騎士団長代理に支えられどうにか意識を持ち直すが、正直に言ってしんどい。
「父上!? いったいどうされたんですか!?」
リチャードも儂を心配している様子だが、全部お前のせいだバカ息子。
まだ聞かなければいけない事は山のようにあるが、これ以上はどうも無理そうだ。精神的にも辛いが、ここ連日の徹夜が仇となった。視界が擦れていく。意識が朦朧として……くっ、せめて最後の指示を出さなければ。
「……国王の名において、第一王子リチャードに無期限の謹慎を言い渡す。リチャードに与えているすべての権限も一時停止とする。離宮で頭を冷やしてこいバカ息子!」
「父上!? いきなり何を言っているんです! 御乱心ですか!?」
「乱心したのはお前だ馬鹿者!!」
「ならばせめて離宮にアリスを連れていく許可を――」
「さっさと連れていけ!!」
どうして謹慎先に愛妾を連れていけると思うのか。息子の思考が理解できない。
「はっ!」
近衛騎士たちは、世迷い言を言い続けるリチャードを数人がかりで担ぎ上げ連行していく。
「うお!? またこれか! 僕は神輿ではないんだぞ!! おろせええええええええええええええ!!」
頭痛の原因がいなくなった謁見の間には、なんとも言えない気まずい空気が立ち込める。
とにかくリチャードの真意は判った。……いや、全然判ってないけど、とにかく謀反の意思がないのは理解できた。……それ以外はまったく理解できないが。
あの調子では頭の中の花畑が完全に枯れるまで真面な話ができるとも思えない。ならばいっそ息子のことは後回しにしてそれ以外の問題に対処しよう。
「……数日中に此度の騒動に関わるすべての情報を集めよ。学園の責任者を招集し、騒動の経緯と息子があのようになった原因を調べ、責任の所在がどこにあるかを見つけ出せ」
「はっ! 直ちに!」
ひとまず時間稼ぎの意味を込め、それと、このやるせない憤りをぶつける為に見せしめを用意するとしよう。
仄暗い計画を胸に、儂の意識は暗転した。
「陛下? ……陛下!? す、すぐに医者をよべええええええええ!!」