親の心子知らず
僕の名はリチャード。栄光あるメルベーユ王国の王子だ。いずれは父上の跡を継ぎ、王として国に君臨するはずの尊い存在だ。はずというか、今のところ十中八九そうなるだろうし、むしろそうならない未来なんて想像できないけれどね。
僕は今、とんでもない理不尽に晒されていた。
ここは城の一室で、僕は見たことのない部屋だが、調度品の質から見て客室だと思われる。あまり広くない部屋には窓もなく、唯一外部と繋がる扉の前にはいかつい騎士が2人待機している。そんな非常にむさ苦しい部屋に僕は軟禁されていた。
発端は、卒業パーティーで憎きイザベラを断罪し、愛しのアリスと心を通わせ、念願だったファーストキスをしようとしたまさにその瞬間に邪魔が入った。
普段は生真面目な家臣たちがパーティーで酔っ払ったのか意味不明な言動で乱入し、こともあろうにこの僕をその場で担ぎ上げ、学園の外にあった誰のものかも分からない馬車に押し込められ、あれよあれよと城に連れてこられ、この部屋に軟禁されているのだ。
「……」
部屋のソファに座り腕を組みながら、改めて振り返ってみるが、不敬が過ぎるのではないだろうか? というかもはや無礼だ。いくら祝いの席はある程度無礼講が許されるからって限度がある。
連中は、僕をこの部屋に閉じ込め部屋から出ないように言ってどこかにいなくなったが、あんな無礼者の言うことを素直に聞くのもバカバカしい。
「……」
立ち上がり部屋から出ようと扉に向かって歩いていく。すると、扉の前にいた騎士たちが僕の行く手をふさいできた。
「なりません! 殿下をこの部屋から出さないようにと厳命されています!」
「どうか、どうかお戻りください!」
城には多くの騎士が常駐している。彼らもそんな夜勤騎士たちなのだろう。騎士にとって上からの命令は絶対だ。部署は違えど酔っ払い共は国を代表する重鎮だ。嘆かわしいことに。この騎士たちとってまさに雲の上の存在だろう。
連中が酔い正常な判断ができないとしても一度命令されたら忠実に任務を遂行するしか下っ端の騎士たちには選択肢がない。だから彼らが僕の邪魔をするのもわからない訳ではない。けど、こっちもいつまでもここに居るわけにはいかない。
「いいからそこをどけ。これは命令だ!」
パーティーは途中だし、引き離されたアリスも心配だ。やらねばいけない事が山積みである。
酔っ払いが雲の上の存在ならば、次期国王である僕は夜空に浮かぶ月も同然。上からの命令に忠実ならより上空からの命令で上書きすればいい。
左右の騎士たちを一瞥して再度扉に向かって歩き出す。
「なりません! ここをお通しするわけにはなりません!」
「どうかお戻りを! どうか!」
「なん……だと……!?」
また止められた。しかも今度はやや強めに止められた。これには流石の僕も驚愕する。
「貴様らなんのつもりだ!?」
僕を誰だと思っているのか。僕は次期国王だぞ。我が国唯一の王子だぞ。その僕の命令を無視するなんてどんな了見なのか。しったぱどもがふざけているのか。
諸々の感情を乗せ強くにらみつける。けどやはり騎士たちはテコでも僕を通そうとしなかった。
「ならば無理やりにでも押しとおる!」
「おやめください!」
「どうか、どうかお戻りを!」
「ええいうるさい! 邪魔をするな! というかそっちの貴様さっきから同じ言葉しか言ってないぞ!?」
強行突破を決め、たいあたりするように向かってく。けれど、相手は身分的には下っ端だが数千といる騎士の中でも城勤めを許された実力だけなら精鋭だ。それが2人もいるとなれば、流石の僕も太刀打ちできない。
やんわりと跳ね返された。
こんな時ラルフさえいてくれたら!
「くっ……!」
しばらく同じようなやり取りが繰り返され数えること5度目のトライが失敗し、片膝をついた。
これほど強固に僕の邪魔をするなど普通ならばありえない。少なくともあの酔っ払い、大臣や父上の側近程度の身分の命令ではここまで頑なにはならないはずだ。
なら、奴らより上の者が命令している?
「まさか貴様ら宰相の差し金か!」
可能性に思い至った瞬間に立ち上がり、警戒心を露わにして騎士たちから距離をとる。
地位、身分、出自、動機そのどれをとっても宰相であるローズフィート公爵ならばありえる話だ。恐らく、奴は僕が学園で娘を断罪した事を知り、僕を軟禁したのだ。
揉み消しか、説得か、それとも……とにかく僕が父上に直接婚約破棄の話をするのを邪魔しているに違いない。
奴は野心家で、権力に固執している。それは、王家を例外とすれば貴族の最上位である公爵家の出でありながら、領地を統べるのではなく王都で政治の実権を握るため宰相職に就いてることからも明白だ。それだけではなく、奴は自分の一人娘を次期国王である僕の婚約者にあてがった。全ては後の世まで己の権威を高める為だろう。
公爵が動いているというのならアリスの身に危険が及ぶかもしれない。こうしてはいられない。
「最早手加減はできん! 怪我をしても僕を恨むなよ! うおおおおおおおおお!」
待っていてくれアリス。僕が今助けに行くぞ!
・・・
王城の廊下を一人の青年が歩いていた。
「……」
その表情は暗く規則正しい足音もどこか重い。
「殿下……」
青年は窓から夜空を見上げ物憂げにいずれは自身の主になるはずの人物を想う。
学園の卒業パーティーでリチャード王子が不祥事を起こした。不祥事の内容は知らされていないが、その事実が城へ知らされた時、城内には大きな動揺が走った。
城勤めの長い者は皆王子のことを昔から知っている。父君や母君に似て利発で勤勉で聡明な少年だった。
青年は、王子の乳母を務めた貴族夫人の息子であり、王子の遊び相手として共に育った間柄である。
「一体何があったというのですか……」
青年は王子より年上で、王子が入学する前の年に学園を卒業した。そしてそれから3年、青年は城で勤務し王子が卒業したのちは従僕として側で仕えることが内々に決定していた。
だからこそ此度の騒動は寝耳に水で、幼い頃からともに育った兄弟のような間柄だからこそ衝撃は人一倍大きい。
「……」
王子が待機している部屋の前に到着する。青年はその経歴を買われ王子を陛下の待つ謁見の間まで案内する任務を申し付けられていた。
一度大きく息を吸い、吐き出す。
悲痛な心情を包み隠すポーカーフェイスで無表情を装い扉をノックする。王子を心配する気持ちは強いが与えられた任務をこなすのも大切だ。
殿下の起こした不祥事が何かの間違いであった場合、陛下との謁見で誤解は解けるだろう。その時に、自分のミスで殿下に不都合があってはならない。気持ちを引き締め中からの部屋を返事を待つ。
「……?」
しかし、いくら待っても返事が返ってこない。中には王子以外にも監視の騎士がいるはずだが。
「……失礼します」
少し悩んだ後、青年はもう一度ノックして返事を待たずに扉を開けた。
無作法は承知の上だが、もしも遅刻などして殿下の心証を悪くするよりも後々自分が叱咤されたほうがいいという判断だ。
「殿下お迎えに……何をしているんですか?」
部屋の中に入った青年が見たものは監視の騎士に羽交い絞めにされ、それでもなお無駄な抵抗を続ける幼い頃から聡明だった王子の変わり果てた姿である。
思わず疑問符を口にすると、その声を拾った騎士たちの表情が明るくなった。
「おお、丁度良い所に! 殿下が部屋を出たいと暴れているところを諌めてるのだ!」
「其方も手伝ってくれ!」
「ええい離せ! この無礼者ども!! 僕はアリスのもとに向かうのだ!!」
「……っ」
青年は一瞬気を失いそうになった。どうにか両足で踏ん張り首を何度も振って気を取り直す。
「陛下からの勅命です。これより王子殿下を案内いたします」
「なに? 父上だと?」
ピタリと暴れるのをやめた王子が青年の言葉に反応した。
抵抗が収まったことで、騎士たちは静かにそれでいて一切の油断なく王子の拘束を解除する。
「はい。これより殿下には謁見の間にて国王陛下と直接お会いしていただきます。これは勅命です。……くれぐれも抵抗や逃走をしないでくださいませ」
「? 父上と合うというのになぜ僕がそんな真似をしなくてはならない?」
心底不思議そうな顔をする王子に姿に青年は内心で安堵する。王子は陛下に対して謀反を企んでいる可能性があると根も葉もない噂がまことしやかに囁かれていた。もしそうなら、いくら陛下唯一のご子息で極刑は免れないだろう。
「ではこれよりすぐに参りましょう。もうすでに皆様がお待ちです」
「これからすぐにか? それに皆さん? ……僕はアリスの元に行かねばならないのだが」
「残念ながらなりません。陛下は今すぐに殿下とお会いすることを望んでいられます」
青年はアリスという名を初めて聞いた。誰かは知らないが女性の名前だろう。もしかするとその女性がこの騒動の原因ではないだろうか? ……なんにしても女性と会うために陛下との謁見を遅らせるなど普通に考えてありえない。そんな愚行、それこそ謀反の気でもなければ……。
「とにかく参りましょう!!」
「う、うむ」
ほんの一瞬だけありもしない妄想を考えてしまった青年は、それを誤魔化すように声を張り上げた。普段とは違う雰囲気に王子は気おされた様子だ。
ありえない。ありえない。ありえない。そんなことは断じてありえない。そんな考えをしてしまう自分はなんと愚かで不忠者なのだろうかと、青年はありもしない妄想をした己を恥じた。殿下に限ってそんな事は決してありえない。ありえていいはずがない。
「こちらです」
冷たい汗が頬を伝うのすら気づかない振りをして、青年はありえない妄想に蓋をした。
「……そう、ありえないはずなのです」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ何も……先を急ぎましょう」
・・・
僕は昔からの知り合いに案内され謁見の間までやってきた。寮住まいだった為こうして会うのは久しぶりだが、昔と変わらないようで何よりだ。少しばかり雰囲気が昔と違う気がしたが……まあ、きっと気のせいだろう。もしかすると、イメチェンでもしたのかもしれない。
それよりも父上と謁見だ。
これまで学園に在籍してる間も国の行事で幾度か顔を合わせたが、あくまでそれは公務でこうしてプライベートで父上と会い語り合うのも実に3年ぶりである。
アリスの事は心配だが、よくよく考えるとあそこにはシーザーもいたし、邪魔者を片付け終えたらラルフだって戻ってくる。少なくとも今夜くらいは任せても大丈夫だろう。
逆に多忙な父上とこうして話ができる機会は貴重だ。婚約破棄のことやあの酔っ払いたちの事で言いたいこともあるが、何よりもアリスのことを紹介したい。
父上はきっと祝福してくれるだろうけど問題は母上だろうか。優しいアリスと気高い母上なら心配はいらないと思うが、学園で聞いたが世間では嫁姑問題というものがあるらしい。油断はできない。
それにアリスとの結婚を円滑に進めるためにも早い段階で父上に根回しいたほうが何かといいだろう。
「リチャード殿下ご入室!」
扉の前で昔馴染みたちと別れると謁見の間の扉が開き、同時に鼓膜に響く大声が聞こえてくる。
謁見の間の中を一言で表すなら、物々しいだ。
全身武装した騎士が立ち並び、何十人という国の重鎮たちがそろい踏みだ。中にはパーティーで乱入してきた酔っぱらいの姿もあった。随分と顔色が悪いが、きっと今更になって自分たちのしでかした愚行に築いたのだろう。
「……」
赤い絨毯が敷かれた道の先には玉座に君臨する父上の姿があった。無言で僕を見据える瞳はもの言いたげだ。
父上の気持ちもわかる。僕だって久しぶりに父上と会うのだしつもり話もある。アリスのことだけじゃなくて学園での生活とか色々と語りたい。
……とはいえ、こうも人の目があると落ち着いて話もできないが。
「そこでお止まりください」
赤い絨毯の上を進んでいると、父上の隣にいる文官から静止を呼びかけられた。文官のいる位置はいつもは宰相がいるはずの場所だが、どうやら今日は不在のようだ。反対側にいる護衛も普段は騎士団長が務めているのに今日は別の騎士だった。
「……」
静止した場所で膝をつき首を垂れる。
本当は父上と2人で積もる話をしたかったが、人の目が多い公の場なら礼儀作法はしっかりしないといけない。
そういえば、僕が跪いた場所は随分と父上から離れているな。話をするには多少不便だが、まあ、大した問題ではないか。
「この様な形で其方と会う事になるとは夢にも思わなんだ……申し開きはあるか、リチャードよ」
跪きしばし静寂が支配する中、父上から声をかけられる。面を上げる許可がなかったので顔は上げられないが、気のせいか父上の言葉には棘がるような気がする。というか、なんか怒ってる?
「申し開き、ですか? とくにございませんが……」
怒られるようなことをした覚えはない。なので素直にそう言うと、心なしか周囲の雰囲気がピりついた。
「ない、か……」
緊張感のある中、父上は大きく息を吐き言葉を続ける。
「――では、なぜだ? なぜこの様な真似をした? 何を考え何を望む……? 盤石であった己の立場を投げ捨て、後ろ盾に唾を吐きかけた。我が後を継ぐのはお前であると幼き頃より教えたであろう? それを、それを! 老い先短き我が命が尽きるまで待てぬと申すか? 国を乱そうと己の欲を満たそうというのか? 答えよリチャード! この父と矛を交える覚悟があるというのか!! 貴様の願いはなんだ!」
……え? 本当になんのことだろう? 父上の言葉の意味が少しも理解できない。
……とりあえず願いを言えばいいのだろうか? なら答えは簡単だ。
「父上!」
意を決してその場で立ち上がる。すると、周囲の騎士たちが一斉に動く気配を感じたが、今はそれどころではない。ガシャガシャと鎧がうるさいが、気にしたら負けだ。
「僕とアリスとの結婚式は国を挙げた盛大なものにしたいです!」
拳を握って力いっぱいに願いを口にする。
「っ! …………??」
父上は一瞬息を飲んだように目を見開くが、その後は目をぱちくりとさせて静かに首をかしげた。
うるさかった騎士たちの鎧の音も聞こえなくなり辺りは静寂に包まれる。
「……」
「……?」
無言で父上と見つめあうと、なぜか父上は僕の顔をまじまじと見て、かと思ったら頭痛でもするのか頭を両手で抱えだした。
体調でも悪いのだろうか。心配だ。
それにせっかく願い事を口にしたのに返事がないというのも寂しい。
「あ」
そこでふと思い至る。そういえば父上はアリスを知らないのだった。これはうっかり。ひとまずはアリスという女性の素晴らしさを父上にもわかっていただくのが先決だ。イザベラとの婚約破棄の報告もしなければならないが、アリスと比べれば後回しでいい。
「アリスというのはですね学園で出会ったとても可憐な女性です。初めは馬車の前に飛び出すような変わった女の子だという認識だったのですが、段々と彼女に興味を持つようになって、いつの間にか恋に落ちていたんです。それでこの度正式にお付き合いを――」
「待って待って」
父上が片手を突き出し僕の言葉を止める。
「え? ……なんの話?」
「ですから僕の恋人の話です。……親の前で自分の恋バナをするのはなんとも歯がゆいものですね」
「いやそんな男が頬を染めてもじもじしても気持ち悪いだけ……というか、恋バナだと?」
父上はまるで言葉の通じない不可思議な生物を見るような視線を僕に向けて首を傾げた。
なるほど、まだまだアリスの魅力を理解してもらうには説明が足りないようだ。ならば父上が納得できるまで僕は語ろう。語り続けよう。
「――という訳でアリスはすごいのです。成績だって初めは下の方だったのが並々ならぬ努力で学年主席になったのです! それに我が国の建国神話に出てくる幻の聖属性の魔法を自在に操るの聖女なのです!」
身振り手振りを加えアリスの魅力を熱弁していると、ふと父上の手が震えているのに気が付いた。やはり体調が悪いのかもしれない。かれこれ一時間ほどアリスの魅力を語ったが、本当は一晩かけても語りつくせないが、ここは一度父上のお体を休ませるのが先決だろうか。
そんな事を考えていると、父上が突然立ち上がり俯いていた顔を上げる。そこには、普段の優しい父の姿はなく、まるで悪鬼修羅のような憤怒を宿した恐ろしい表情が浮かび上がっていた。
「このばっかもんが!!!!」
この日、僕は生まれて初めて父上に怒られた。なぜだ? 解せん。