親の心
王城・謁見の間。
「ああ……」
信じて送り出した息子がやらかした。思わず頭を抱えてうなだれる。
知らせを聞き頭は混乱するが、長年国王という重責の担っていた身は無意識に次の行動に移行する。
まずは関係者お尋問だ。ここでいう関係者は事件の当事者たちではなくそれを見ていた者たちのことだ。幸いなのか現場には儂の側近を始め多くの大臣らがいた。情報収集はかなりの精確さが期待できる。
側近と大臣を招集し話を聞くと、以下のことが判明した。
まず、リチャードのやらかしは嘘でも間違いでも誤解でもなく全て真実だった。幼少の頃より決められ王名でもって婚約者となったイザベラ・ローズフィートに対し無体を働き儂に相談も許可もなく勝手に婚約破棄などと衆人環視の中で宣言した。リチャードは婚約破棄の理由を述べていたが、事実確認はされておらず、それが真実なのかも今のところは不明。
次にリチャードを除いた加害者側の関係者はおそらく4人。現場にいたシーザー、ラルフ、アリスの学生3人と、現場に向かおうとした大臣らの足止めをしていた学園の教師が1名。他にも数名の協力者がいたようだが、そちらはまだ捨て置いていい。
次に被害者であるイザベラの安否。リチャードらを拘束した後、側近の数名が周囲の騎士団を引き連れイザベラの救出しに向かった所、現場は乱闘状態だった。イザベラは既に保護され、暴行を行ったラルフは数十人の貴族令息に囲まれ殴り合いをしていた。令息らはローズフィート家に連なる貴族や派閥の者で自領の姫を救うべくラルフを強襲したらしい。
イザベラは意識不明だったためローズフィートお抱えの医者に見せ即時入院。多勢に無勢で囲まれたラルフは、怪我を負うも軽傷で暴行事件ということもありそのまま騎士団に拘束される。ラルフを襲った令息らは怪我人は医者の元へ、無事なものは騎士団にて拘留された。
情報収集と事実確認を終えた後、儂は現場にいた者とそうでない首脳陣らを集め緊急対策会議を行った。
会議は最初から大荒れで、現場にいた者の糾弾から始まりこれからの影響を考え阿鼻叫喚の地獄絵図だった。会議は、まずは儂がリチャードと直接相対し尋問を行い本格的な対策はその後という、結局のところ何の進展もせずに終了した。
尋問の場所は謁見の間に決まり、当事者の関係者である宰相と騎士団長を抜かした重鎮全員と十分以上の数の近衛騎士が待機している。これはつまり、もし尋問の最中にリチャードが儂の命を狙ってもすぐに対応できる布陣ということだ。
「どうしてこんなことに……」
玉座にて項垂れる儂の嘆きに周囲からの返事はない。
リチャードの婚約は儂と宰相、王家とローズフィート公爵家の間で取り決めた契約だ。当然ながら両家共ただで婚約を結んだわけではない。政治的側面もあるが金銭的にも大きな取り決めだ。故に、途中で契約が破棄されないようにわざわざ王命を使用した。
王命とは国王が下した絶対の命令で一度出された王命を覆すのは国王自身にも難しい。身分関係なく我が国の国民は最大限の努力をもって、命がけで王命は守らなければならない。仮に守れないなら死をもって償え、破るのならば処刑されても文句は言えない。それが王命というものだ。
それを踏まえ考えればリチャードの愚行は明らかに王命を蔑ろにしている。それだけなら良くはないがまだマシだった。問題なのはリチャードが王族で王位継承第一位を持っていることだ。
要するに儂を排して王位を簒奪しようと画策していると疑われているのだ。これから先、尋問の場でリチャードが少しでも反逆の意思を見せれば即刻処刑ないし投獄されてしまうだろう。
そうなれば我が国は絶対に荒れる。かつての戦争の傷がようやく癒えてきたというのに……。下手をすればここ数十年の復興にかけた労力も時間も資金もすべてが水泡に帰すだろう。
「ああー……なんでこんなことにぃいいいっ!」
それだけではない。
かつての戦争、それは我が国の西側に位置する隣国との間で起こった100年以上続く泥沼の戦だった。
きっかけが何なのかすらわからない先祖の代から続く戦争のせいで、かつては大陸最高の栄華を極めたと謳われたメルベーユは大きく力を落とした。
最初は小国規模の集まりでしかなかった隣国との戦は早期に終了するものと思われていた。当時の資料を見ればわかるが我が国は完全に敵を舐めていたのだ。小物相手に被害を最小限に抑えようとして逐次投入を繰り返し無駄に兵力を減らした。ほかにも何を考えていたのか隣国以外の西側諸侯に同時に戦を仕掛けてしまい多方面作戦を余儀なくされたりと失策が続いた。
その結果、烏合の衆は一致団結して名を帝国に変え一大勢力となってしまった。とはいえ、それでもようやく我が国と同等程度だ。双方の戦力が拮抗し、決着がつかず、いつの間にかお互いの国力を削りあう泥沼の戦争になり、儂の代でようやく終戦を果たした。
終戦する際に交わした和平条約には友好の印として人質交換が提案され、儂はそれを飲んだ。隣国から王の妹が輿入れし、我が国からも数人の貴族令嬢が嫁いでいった。
隣国の王の妹、それがリチャードの母であり儂の妻である王妃アネモネだ。
アネモネはリチャードを生むときに難産で、どうにか母子ともに命は繋いだが、次を求めることが儂にはできなかった。友好の証であり、人質でもある王妃に無理強いすることも出来ず家臣らも同意した。幸いにもリチャードは健康ですくすく育ったわけだし当時の選択に間違いはなかった。
だが、それがここにきて仇となっている。
このままリチャードが処刑ないし廃嫡にでもなろうものなら隣国から酷い文句が来るだろう。それこそ最悪は和平が破られ戦争の再開なんてことにもなりうる。
だからと言って隣国の圧力に屈し自国の家臣を蔑ろにして王命の価値を著しく下げるような選択をすれば人心は儂から、王家から離れてしまう。その場合の最悪は家臣らによる謀反、クーデターだ。
……どちらを選んでも角が立つ。それも一歩間違えれば儂の心臓に突き刺さるほど鋭利な角だ。
それにだ。王としての責務を抜きにすれば、儂は自らの子を救いたいと思っている。当たり前だ。血を分けた子供が可愛くない親などいるはずがない。政務が忙しくあまり構ってやれなかったが、リチャードは儂の大事な、愛すべき息子なのだ。親の贔屓目なしでも幼いころから利発で優秀で、将来は儂なんかよりも立派な王となるだろうと期待もしていた。
……だからこそ、此度の騒動は疑問しかない。なぜだ。なぜこのような愚かな真似をしたのだ。わからない。わからない。儂には息子が何を考えているのかこれっぽちもわからない。
「リチャード殿下! ご入室っ!」
扉の近くにいる護衛棋士が謁見の間に響き渡るような大声を上げた。
どうやらもう苦悩している時間もないようだ。
「……覚悟を決めるしかないか」
苦々しい気持ちを抑え込み、項垂れていた背筋を伸ばす。王として相応しい威厳を放ちつつ息子の到着を待つ。
願わくば、我が決断が後顧の憂いとならんことを。