国王
リチャード王子の父親である国王様のお話です。
王城・執務室。
城下の町を見下ろせば、そこには美しい夜景が広がっていた。
「夜だというのに活気の溢れる街並み……この光景を見ると感慨深く思わないか宰相よ?」
メルベーユ王国を統べる国王である儂は、背後に気配を感じ問いかける。チラリと首だけで振り向けば、案の定そこにはよく見知った死神のような顔をした男が立っている。我が国の宰相であるローズフィート公爵だ。
色白というよりは青白い肌、こけた頬、目の下には深い隈が刻まれ、瞳はまるで虚空のように影が差している。正直に言ってこの男のまとう雰囲気は不気味であり不吉だ。家臣どもから畏怖と揶揄を込められて死神宰相などと呼ばれるのも納得のいでたちだ。
儂とて、こいつお幼馴染でさえなければ好きこんで近くに置きはしなかっただろう。
男はどんな絶世の美女が相手でも5年も結婚生活を送れば男女として相手を認識しなくなる。女の方はわからないがきっと似たようなものだろう。
つまり何が言いたいかっていえば、人という生き物はどんな環境でも時間の経過と共に慣れるということだ。
儂は、この死神のような男の不気味と不吉に慣れてしまっているのだ。
「どうでもいいので働いてください陛下」
「……」
そして、それはこの男も同じなのだろう。本来なら敬い尊び媚びを売らなければいけない上司に対してこの言い様だ。いや、言葉だけではない。向けられるシラーとした視線には敬いとか畏怖とか、とにかく家臣が王様に向けるべき感情が欠落してやがる。
「見ての通り、机からはみ出すほどの書類が溜まっているんです。感慨なんかに浸ってる場合じゃありませんよ」
宰相が指をさすのは儂の執務机だ。
普段なら側使いにより整理整頓された机には、大量の書類が山のように置かれていた。軽く2,3人用ほどの大きさの机の上にこれでもかというほど、馬鹿みたいに書類の山は積み重なり、もはや山脈の体をなしている。
ほんと、馬鹿なんじゃないか? どこの世界に手の届かない高さまで仕事を積み上げる馬鹿がいるのだ。儂の国の儂の家臣どもだよ。……馬鹿なんじゃないか?
こんなものお前、もし雪崩でも起きたら仕事に押しつぶされて儂死ぬぞ。いいのかよ、ただでさえここ最近は忙しすぎて寝台にも碌につけていないのに……儂死んじゃうよ? いいの? 王様死んじゃうよ?
家臣と政務のせいで死んだなんて偉大なるご先祖にどう説明したらいいんだよ……。
「くっ……そもそもなんでこの時期にこれほどの仕事があるのだ!? どう考えてもおかしいだろう!」
王というのは基本的に多忙だ。けれど季節によって忙しさにも波がある。本来ならこの時期は収穫もなく気候も穏やかで平和なものだ。だから、学園の卒業式などの各種イベントを執り行えるのだし。
それがなぜこうも忙しいんだ? おかげで儂は息子を祝いに行くこともできないじゃないか!
「なぜも何も陛下が唐突に学園の式を盛大にしたいとこちらが止めるのも聞かずに予算を増額したせいではないですか」
「……」
「おかげで年始に定めた予算案を見直し、各所と協力して資産を捻出、再分配をしなければならないのですからこれくらいは仕方ありません。それに、各所から進捗の報告と共に陳情も寄せられています。……陛下の行った事なので直接的な文句は出ていませんが家臣一同思うところはあるのでしょう」
ジトっとした目で睨まれた。ばつが悪かったのでそっぽを向いて守備を固める。
「いや、でも、あれはだな、ほら……お主の子の晴れ舞台でもあるわけだし、何より儂は学園の生徒たちのことを思ってだな!」
「大義も名分も必要ありません。現状を見てください」
コツコツと宰相は自身の執務机の縁を叩いた。そこには儂の方に負けず劣らずの紙で出来た山々がそびえていた。
「……すまん」
「はあ……謝罪の結構なので仕事をしてください。明日明後日とは言いませんが、季節が変わる前には終わらせたいので」
宰相の言いたいことはわかる。儂の子供たちを思っての優しさや真心のせいで関係各所に被害が出ている自覚もある。……ほんのちょっぴりだが罪悪感も抱いている。けど、だけどもだ!
「ま、待て! 執務はする必ずすると約束しよう。だが一度休憩を挟ましてくれ! このままではいい加減倒れる!」
人は仕事の合間に休憩を挟まなければ死ぬ。奴隷の死亡理由の多くが過労なのも碌に休みを与えず酷使するのが原因だ。
「はあ……仕方ありませんね」
文字通りの必死の嘆願によりどうにか宰相の許可をもぎ取れた。気が変わらないうちにさっさと準備をさせよう。
机の引き出しから小さなベルを取り出し3度ほど音を鳴らす。
「失礼します。及びでしょうか」
ベルの音を聞きつけ、壮年の侍女がやってきた。
「休憩だ。準備せよ」
「かしこまりました。失礼いたします」
姿勢よくお辞儀をした侍女は優雅な足取りで退出する。よし、これで準備は滞りなく終わるだろう。
メルベーユで休憩といえばティータイムが基本だ。気の利く城勤めの侍女ならば何も言わずとも軽食も用意するだろう。
「よし儂らも移動するぞ」
つまり、こんなインクの匂いが充満したむさ苦しい部屋からおさらばだ。休憩中に仕事が視界の端に転がっていては休むに休めん。心と体を癒すには休憩と食事も大切だが、それを成すための環境作りも大事なのだ。
執務室の隣には来客用の応接室がある。といっても、それほどしっかりしたものではない。あくまで国王の執務室に来れるような身内用の部屋である。逆にそんな肩肘の張らない気の抜けた空間が癒しとなる。
「失礼いたします。お待たせいたしました」
「うむ」
侍女がワゴンに乗せて茶器と軽食を持ってきた。
儂は応接室のソファーに座り配膳を待つ。ちゃっかり宰相も応接室についてきたので儂の次に宰相の前にも配膳がされた。
「またぎ入用でしたらお呼びください。失礼いたしました」
侍女が去り野郎ばかりがいる中でティータイムの始まりだ。
毒見の意味を兼ねてまず宰相が紅茶を飲み軽食のサンドイッチに手を付けた。どこぞの貴族が遊ぶのに夢中でいちいちナイフとフォークを使うのがめんどい、というふざけた理由で開発されたこの料理は出展こそ首をねじ切ってやろうかと殺意を抱くものだが、確かに食器を使わず食べられるのは楽で休憩にはもってこいだ。
しばらく休憩がてら宰相と半分仕事の話の雑談のしてると、この部屋にいる3人目の人物が動くのが見えた。
「どうかしたか騎士団長?」
外と繋がる扉の前で護衛についてるのは、我が国が誇る騎士団の長であるモーガン侯爵だ。モーガン家の直系は、赤い髪に色違いの毛束があるのが特徴だ。
「少々外が騒がしく思えます。何かがあったのではと」
「騒がしい?」
宰相に目配せをするが一度思案すると首を横に振った。原因に心当たりがないのと、そもそも騒ぎなんて聞こえないという意味だ。儂にも何も聞こえてはこない。そもそも儂の執務室は城の中でも上層階の塔の中にある。何かあればすぐに知らせが届くが、仕事に集中できるように防音対策は完璧だ。
普通ならばただの聞き間違えと捨て置くが、言っているのが騎士団長ならば話は変わる。
モーガン家は、元々下級貴族だった。それが先の戦争で獅子奮迅の活躍を見せ、特に当主である当時はまだ男爵だった騎士団長は一騎当千で敵の将を打倒した。その功績で侯爵の爵位と騎士団長の座を賜った正真正銘の英雄だ。
戦場から離れて久しいとはいえ、騎士団長が明言するのなら捨て置くことはできない。
「ふむ……確認をつかわせよ」
「はっ。御前をしばし失礼。陛下と宰相殿は念のため執務室にて待機をしていてください」
そういうと騎士団長は外に続く扉に向けて歩みを進めた。逆に儂らは執務室に続く扉をくぐりいざという時のために準備をする。仮に賊などが侵入してここまでやってきた時に素早く逃げられる用に必要最低限の重要な物を持ち出し逃げられるように。
「さて何が起きたのだろうな」
「一番可能性が高いのは酔っ払いでしょうか」
「ああ……パーティーとかあると毎年一人か二人はそういうのが出てくるな」
普段まとのな貴族でも祝いの席で酒が進むとどうしようもない連中が一定数現れる。そういうのは基本警備の騎士に捕まり一日だけ牢に入れて頭を冷かせたりするが、たまに警備の目を盗んで城の中庭に侵入する者もいる。
過去のいた例を挙げると当時の王妃が気に入っていた花壇に粗相をしでかした愚か者がいたそうだ。その時は、処刑寸前の大事になったそうだが、その者の一族が多額の賠償金を払い謝罪したことで事なきを得た。けれど、その者は後継者の座から降ろされ領地に連れ戻され二度と王都の地に足を踏みいれなかったそうだ。
「もしくは賊が侵入したか街で暴動でも起きたのでしょう。可能性は低いですが」
「なんにしても小事で済ませてほしいものだ……これ以上仕事が増えないように」
結論を言えば、そんな儂の切実な願いは最悪の形で裏切られることとなる。
「……ただいま戻りました」
騎士団長が戻ってきた。けれど、表情は浮かない。いや、浮かないというか困惑しているようだ。その様子からただ事ではないのだろうと察せられる。
「何があった」
「……私もにわかには信じられないのですが」
そう前置きをした騎士団長が語ったのは学園の卒業パーティーで我が息子がやらかしたとんでもない騒動の顛末だった。
最初に聞いた時は意味が分からなかった。それが段々と内容を理解するにつれなぜ? どうして? という疑問符が沸き上がる。
「……は?」
結局、頭の整理がつかないまま喉から漏れた言葉は虚空にへと四散する。