シーザー
シーザーの過去編です。感想誤字報告皆さまありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いします!
夢を見た。それは遠い昔の夢。
・・・
蝶が踊る花畑。可憐な女性が声をかける。
「シーザーご飯よー!」
「おかあしゃん!」
ひょこりと顔を出したのは舌足らずな男の子。花畑の中を潜りながら女性の元まで駆けだした。
「フフ、今日もいっぱい遊んだのね。こんなに泥だらけになって、手を洗って着替えたらご飯にしましょう」
「はーい!」
頬についた泥を拭われ、二人は仲よさげに手を繋いで家に帰った。
白く小さな家。その家の周りを囲むように花畑がある。まるで絵本から飛び出してきそうなメルヘンチックな出で立ちだ。
日が暮れて食事をして就寝時間になると母は語りか掛ける。
「愛しているわ。可愛い可愛い私のシーザー」
頭を撫でられながら愛情を全身に受けて目をつむる。それが幼いシーザーの日常だった。
シーザーの母の生い立ちは残念な事に幸福な物ではなかった。
生まれた家は豪商で街でも古くから続く老舗だった。けれど、ひょんな事から経営は破綻。家族は借金のせいでバラバラとなり、彼女自身も売られる寸前だったという。
そんな彼女を救ったのは、通りすがりの貴族だった。
美しい水色の髪に透き通るような白い肌。そんな儚げな少女が連れ去られようとしているのを貴族が見初めたのだ。
後のシーザーの父親である貴族、男爵は借金を肩代わりする代わりに彼女を囲った。
けれど男爵には当時すでに奥さんも子供いた。彼女は男爵の愛人となったのだ。
やがて彼女は子供を身ごもるが、男爵はそれを咎めた。
愛人の子供なんて御家争いの火種にしかならない。彼女の事は愛しているがその子供まで愛してはいない。
男として最低ではあるが、貴族として男爵は模範的な男だった。
「男爵様お願いがございます」
男爵が半ば本気で腹の中の子供の処分方法を考えていると、愛しい人が懇願してくる。普段あまり甘えてくる事の無いそっけない彼女が真剣にお願いをしてきたのだ。
男としてこれは叶えたい。いいや、叶えなければならないと謎の使命感に突き動かされる。
「私に家族をください子供を産ませてください」
幼い頃に家族と生き別れ天涯孤独となった彼女は、家族が欲しかった。だからこそ、この機会を逃さないために本気で願う。仮令どのような事があってもお腹の中の子供を産み落とすのが自分の役目だと信じて。
「……」
男爵は悩む。メリットとデメリットを天秤に乗せると答えはノーだ。けれど、チラリと懇願する彼女の顔を見た。やはり彼女は美しいと男爵は思う。
「……いくつかの条件を呑むのなら許可しよう」
模範的な貴族である男爵は、模範的なダメ男だった。
男爵の出した条件は、自分の用意した箱庭に母と子を住まわせる事。これまで住んでいた町から遠く離れ不便な町はずれに引っ越しを要求する。
許可なく出る事を禁じ外から人を呼ぶ事も禁止した。彼女を誘惑しそうな異性との接触なんてもってのほかだ。
気持ちの悪い独占欲に晒された彼女は、けれど笑顔でそれを受け入れる。
彼女は自分だけの家族に飢えていた。
「私には貴方だけよ。大好きよ。愛しているわ私のシーザー」
月日は流れる。
・・・
「ゴホッゴホッ……シーザー」
「おかあさん……」
「大切なお話があるの。とても……とても大切なお話よ」
「おはなし?」
「お母さんはこれから病気を治すために病院に行かなければならないの。入院しなければならないの」
「にゅういん?」
「ええ、そうよ。入院すればしばらくはお家に帰れない。お泊りをしなくちゃいけないの」
「ぼくもいく!」
幸せな箱庭の崩壊を肌で感じ取ったシーザーは涙ながらに訴える。
離れるのはいやだ。ずっと一緒にいたいと。
けれど、母はゆっくりと首を横に振った。
「私もシーザーとずっと一緒にいたい。でも、それはできないの。だから貴方はその間別のお家に行かなければならないわ」
「そんなのいやだ! おかあさんとずっといっしょにいる!」
「ごめんなさいシーザー。どうしてもそれはできないの。お願い」
「うぅ……」
箱庭の世界でシーザーの誇りは母との約束を守りお願いを聞く事だった。お願いされれば断る事はできない。
「びょうきなおる?」
「……ええ。きっとよくなるわ」
母が浮かべる笑顔はいつもと変わらない笑顔。なのに、なぜかその笑顔は寂しそうだとシーザーの瞳には映った。
「愛しているわ。私だけのシーザー。私が一生守ってあげるの。大好きよシーザー。愛しているわ」
力いっぱい抱きしめられ泣きながら母との別れを決意する。
・・・
「おおきい……」
シーザーは大きなお屋敷を見上げて呟く。あの後すぐに男爵は母を町の病院に連れていったが、シーザーの事は使用人の老人に任せていた。
その老人も馬車を戻すので不在である。
「おいお前!」
突然、屋敷の扉が暴力的に開かれる。そこから現れたのはシーザーよりも体が大きく勝気な顔立ちをしている少年だ。少年はなぜか憤怒の表情を浮かべている。
「お前がアイジンの子だな! お前らのせいで母上は毎日泣いているんだぞ!」
少年はシーザーにとって異母兄弟の兄だった。
彼の怒りは愛人の息子に向ける物としては正しい憤慨だった。けれど、一方のシーザーには身に覚えのない理不尽な怒りだ。
「?」
当然小首をかしげる。
その反応が兄の更なる怒りを買った。
「無視するな! なんとか言ったらどうなんだ!」
「ッ」
振るわれる暴力。といってもちょっと強めに肩を押した程度だ。けれど、安穏と箱庭の中で生きてきたシーザーにとってそれは初めて受ける暴力だった。自分を傷つける強烈な害意に自然と涙があふれだす。
「わああああああああ!!」
あまりに弱く抵抗なく押されて倒れて尻もちを付き泣き出したシーザーに兄の方も困惑するように目を泳がせる。
「お前なんかを弟なんて認めないからな! フン!」
そんな捨てセリフを吐いて逃げる様に立ち去った。
何はともあれ、シーザーの男爵家での新生活が始まった。幸先の悪いスタートだけれど、シーザーの生活は一応保障されている。
愛人の子供でも男爵の子供である以上使用人は無下にできない。下手をすれば実子を追い抜き彼が家を継ぐかもしれないのだから。
実子の兄と同じだけの生活を保障される。尤もそれがシーザーにとって幸せな事かと聞かれれば素直に頷けるものではない。
「さぁ、テストの時間です。半分より上だったなら遊びに行ってもいいですよ~」
家庭教師の女性はシーザーと兄の前にテストを配る。学力の差もあるため内容は異なるがおおよそ年齢相当のテストだ。
粗暴な兄は生徒としては優秀な部類ですらすらと問題を解いていく。一方のシーザーは配られたテストとにらめっこをしている様に微動だにしない。
「できた!」
テストを終わらせた兄が採点を要求する。
家庭教師は上から赤色のインクで丸を付けていった。
「はい。全問正解です」
「やったぜ! それじゃあ遊びに行ってくる!」
「お夕飯前にお帰りくださいね」
兄はシーザーを無視して一人で遊びに向かった。そしてシーザーは。
「さて、シーザーさんはできましたか?」
「えっと……」
答案は白紙。簡単な計算問題と基本文字を数個書けば合格できる簡単なテストだ。なんなら自分の名前すら書けていない。
「……前回も教えましたがここにはご自分の名前を書けばいいのですよ? もうシーザーさんの年なら基本文字をマスターして簡単な算数もできていなければ可笑しいのです。これまでいったいどのように生活をしてきたのですか!?」
貴族の家庭教師とは子供が基本の文字を習得している前提で勉強を教える。まともに文字すら書けないシーザーにどう教えればいいのか家庭教師には頭の痛い問題だ。
別の日。
シーザーと兄は木でできた小さな剣を構えて対峙する。
「始め!」
「やぁぁ!」
二人の中間にいる男性が合図を出すと両者は同時にかけ出した。
まだ声の高い雄たけびを上げながら力任せに剣と剣がぶつかり合う。
「わあぁぁッ!?」
その瞬間、シーザーの体は宙に浮く。持っていた剣は遥か後方に吹き飛ばされる。
「そこまで!」
シーザーがどさりと地面に倒れた所で男性は勝敗を断じた。
「フン! 弱っちい奴め」
「……まだ君には坊ちゃんの相手は早すぎたようだ。基礎トレーニングから始めよう。庭を三周走ってきなさい」
体も小さく力もないシーザーと日ごろから訓練をしている兄とでは圧倒的な力の差があった。
貴族男性の義務として剣術の訓練は必須である。
日が暮れると剣の素振りをしていた兄に男性が声をかける。
「ふぅ……それでは坊ちゃん今日はこのくらいでいいでしょう」
「おう! ……そう言えばあいつはどうしたんだ? 途中から見当たらないけど?」
汗を拭いながら周囲を見るがシーザーは見つからない。
「あそこに」
「はぁ……はぁ……」
ヘロヘロになりながらまだ走っているシーザーを見つけた。すでに普通に歩くよりも遅いスピードだったが本人は全速力のつもりらしい。
「まさかまだ終わってないのかよ……?」
「うーむ……これは予想以上に難儀ですな」
「あ、転んだ」
これまでの積み重ねがない分、シーザーは同年代の子供より劣っている。初めは様子見をしていた使用人達もここまでの醜態を見ればおのずと態度が変わってくる。
噂話に花を咲かせるのも人の性なのだ。
「例の『あの子』碌に勉強もできないらしいわよ。自分の名前も書けないんですって」
「うちの子供はあの子より小さいけど、簡単な文字くらい普通に書けるわ」
「運動もできないし、体力もない。なんの才能もないのよ」
「お庭を走って倒れるなんて貧弱過ぎる」
「あの子、まともに話せないらしいわ」
「舌足らずで、何を言っているのか分からない。見てる分には可愛いけれど、貴族の子供でアレは駄目でしょう」
「のろまな子」
「愛人の子」
「よく転ぶ」
「服を汚して迷惑」
「すぐに泣く」
「弱虫」
「泣き虫」
「鼻水が汚い」
「出来損ない」
「不出来な子」
「いらない子」
・・・
暫くたつとシーザーは夜な夜な部屋を抜け出し人知れず泣くようになった。
「うぅ……おかあさん」
兄の前で泣くとうるさいと怒られる。涙や鼻水をたらすとメイドに嫌な顔をされ文句を言われる。人目を憚り泣くことで心の平穏を保っていた。
「おかあ……さん、おかあさんッ」
「誰だ!」
「ッ」
普段なら屋敷の人間は寝静まっている時間。暗闇の中から怒鳴り声が響く。
コツコツと足音を立て闇に浮かんだ火の玉が近づいてくる。
「お前は確か……シーザーだったか? こんな所で何をしている?」
でっぷりと太った腹にちょっとだけ生えた髭の男。男爵だ。
明かりを片手にシーザーを見つけた男爵は怪訝な表情を向ける。
「えっと、えっと……」
「ふむ」
言葉が出てこないシーザーの顔をのぞき込むとそこには涙で腫らした跡がある。母の元を離れた子供が夜泣きをする事は珍しい事ではない。自分にも幼い時行儀見習いで他家に行った時に経験した記憶があると男爵は思った。要するに気に留める必要がない。よし、無視しよう。
「……」
そう思った矢先に男爵はとある閃きをする。
「母に会いたいか?」
「おかあさん……!」
男爵の言葉にシーザーは飛びついた。優しい母に愛する母に会える。心が不安定なシーザーにとって断る理由はない。
翌日。
男爵に連れられ町中の病院にシーザーはいた。白く清潔な内装にベッドが置かれ、窓辺には色とりどりの花が生けられている。
「おかあさん!」
母の姿を見つけたシーザーは駆けだすが、抱き着く事はしなかった。母の姿は記憶の中よりも大分やせ細っている。昔の様に抱き着けば折れてしまうと思うくらいに。
「……ああシーザー。私のシーザー!」
シーザーを見つけた母は昔と変わらない愛情深い笑顔を向けた。
「愛しているわ。愛しているわシーザー。シーザーシーザー!」
抱き寄せ抱きしめ頭を撫でられる。母子は再会の涙を流す。
そんな美しくも儚げに微笑む彼女の姿を男爵は満足そうにニンマリと見ていた。シーザーには一瞬たりとも視線を向けずに。
母に会えたシーザーはこれまでの生活を語る。慰めてもらいたかったのだ。
「シーザー。私のシーザー。辛いかもしれないけど頑張るの。とにかく頑張って努力をするの」
「どりょく?」
「ええ、そうよ。……本当は私が貴方を守ってあげたい。でもまだ病気が治らないの。私が元気になるまで貴方は自分の身を守るために努力をするの」
母は息子を憂いながらも精一杯のアドバイスを送る。はっきり言って彼女は世間知らずな人間だった。相談相手としては少々頼りない。
「でもどうすればいいの?」
小首をかしげるシーザーに母は内心で困った。
それでもどうにか絞り出すように言葉を見つける。
「……できない事をできる様にすればいいの。そうすれば、誰も貴方をいじめないわ。愛しているわ。シーザー。貴方を愛している」
屋敷に戻ったシーザーは母のアドバイスを真に受けて努力を始める。
とはいえ元々素養があったわけでもない。要領も悪ければコミュニケーション能力も低い。そんな少年がどんなに頑張ろうとも結果はなかなか実らない。
それでも努力を続ける。愚直と言えば聞こえはいいが、その有様は不格好で段々と周囲の関心も低くなる。
残酷な事にそれでも月日は流れる。
シーザーは十歳の誕生日を迎えた。
・・・
「ああ、シーザー。私のシーザー。また会いに来てくれたのね。愛しているわ」
何度目かになるのか分からない母のお見舞い。数年たっても病気は治らない。
この頃になると努力の成果も次第に現れ始めシーザーも様々な事が分かるようになる。
まず、周囲の事。
「僕は男爵家に必要のない」
男爵は確かに母を愛している。でもそれだけだった。シーザーに関してまったく興味がない。定期的に行われる見舞いすら男爵にとっては母に対するプレゼントと同じ感覚なのだろう。
「家は兄が継ぐし、少し前には弟も生まれた。僕は兄のスペアにすらなれない」
男爵と正妻の間に二人目の子供が生まれた。性別は男。下級貴族の家で必要なのは家を継ぐ長男とスペアの次男。それと、他家に嫁ぐ娘だけでそれ以外の男兄弟は必要ない。
「誰にも認められない。努力を積み重ねても褒めてくれる人は母だけだ。その母の病気も全然完治の兆しが見えない」
この国で十歳は平民でも見習いとして働き始めている年頃だった。家を継げないシーザーはいつ放逐されても可笑しくはない。漠然とした将来の不安がシーザーに覆いかぶさる。
次に自分の事。
「僕は不出来な子だ。出来損ないだ」
兄が優秀であるという事を抜きにしてもシーザーはあまりにも劣等生だった。
「これまで様々な努力をした。なのに運動や剣術は壊滅的。勉強一つに絞っても精々が勉強嫌いで外で遊び回る兄と同列程度。本気を出した兄には勝てないだろう」
悲観的になっている部分もある。けれど、それ以上に現実としてシーザーの成績は努力と比較して身になっていない。
不器用を通り越したただの非才の身である。
「これから先、どうやって生きればいいんだろう……」
おおよそ子供らしくはないが、切実な悩みだ。家は継げない当てはない手に職もついていない。居心地の悪い男爵家を出れば野垂れ死ぬ。
それがシーザーの現状だ。
「はぁ……」
鬱々とした日々が過ぎる中、ある時、屋敷の中が慌ただしくなる。
「大変よ、とにかく準備を急いで!」
「領主様は明日には到着されるのよ。失礼がないようにしなくては!」
どうやら誰かとても偉いお客人が来るようだ。
まあ、シーザーには関係ない話だ。
不出来な出来損ないはこれまで客が来ても屋敷の奥に軟禁され顔を出す事を禁じられていた。
「坊ちゃま! お急ぎでお支度をしてください! それに……シーザーさんもです」
「は!? なんでコイツまで!!」
けれど、今回は違うようだ。メイドに声をかけられシーザーもそれを聞いていた兄も驚いた。
「領主様がご子息とは全員顔を合わせたいそうです。もしも隠し立てをすれば領地に叛意ありと思われ旦那様が困る事になるのだとか」
「……でもよ、そいつに客の前に出る服があるのかよ」
「坊ちゃまの昔のお洋服なら大丈夫でしょう」
「俺の物をくれてやるっていうのかよ!?」
「坊ちゃまにはもう着れない服ですし、何より旦那様のご命令です」
「でもよう……」
「代わりに先日出来上がったばかりの新しいお洋服がございますので」
「ッチ」
舌打ちをした兄はメイドに連れられ着替えに向かう。
「さぁシーザーさんもお着替えです! とにかく時間がないのでお急ぎください!!」
シーザーもメイドにまくし立てられながらさっさと着替えさせられる。兄のお古とはいえここまで上等な服を着た事はなかった。けれど、まったく嬉しくはない。
男爵家の一族が揃う。メイドも執事も緊張した面持ちで一列に並んでいた。重々しい雰囲気が部屋の中に蔓延する。
「ようこそおいでくださいました。領主様」
男爵が頭を下げながら客人を迎え入れる。頭を下げながらチラリとその人を見たシーザーは凍り付いた。
病的なまでにやせ細った顔に生気を感じさせない瞳。まるで昔母から読み聞かされた絵本に出てくる死神の様な男。
咄嗟に悲鳴が出なかったのは、単に言葉を失うほど怯えていただけだ。
男爵と領主様と呼ばれた死神は何やら話し合いを始める。さっさと逃げ出したかったシーザーにとってその時間はあまりにも長かった。
「シーザーこちらに来なさい」
やがて話し合いが終わると男爵はシーザーを呼びつける。ひぃと息を呑むがどうにか足を動かした。だってもしも死神の機嫌を損ねたら殺されるのではないかという不安があったから。
「領主様。この子が我が家の次男であるシーザーです。努力家であり領主様が望まれる条件に合う子供です」
「え……?」
初め男爵が何を言っているのか、誰の話をしているのか分からなかった。これまで生きてきた中でかけられた事のない言葉の旋律だ。
「ふむ、ではその子を私の養子として引き取るので問題はないな」
「え!?」
死神が何を言っているのか分からない。頭が理解を放棄したからだ。防衛本能の一種だろう。けれど、無情にも死神はシーザーに直接語りかける。
「私はこの地を治める領主オーウル・ローズフィード公爵だ。其方の名前は?」
「し、シーザーです」
「よろしい、ではシーザーよ其方はこれから私の子供になる。私が求めるのは家を継ぐ後継者だ其方の家の格を考えれば周囲から反対もあるだろう。だが心配は必要ない。努力をし研鑽を詰み周囲が認める成果を上げれば誰もが認める当主となりえる」
「努力が……認められる?」
突然の事で頭が破裂しそういなるが、これまで求めてやまなかった言葉を聞いてシーザーの瞳は光輝く。
「努力を続けることができれば私は私が持てる全てを其方に授けよう」
それは願ってもない話だった。領主という存在が何なのかシーザーはいまいち理解していない。けれど、将来に対する不安と誰かに認められたいという欲求を同時に解消できるという事は理解できた。
誰かに認められる。褒められる。それはとても素晴らしい事だ。
優秀な兄は多くの人から称賛される。生まれたばかりの弟はただ生きてるだけで祝福される。
いらない子供と陰口を叩かれる事もなく、誰からも必要とされる存在になりたい。抑圧された承認欲求が爆発的にシーザーの中で膨らんでいく。
「ただし、ローズフィードの当主に現在の家族は不要となる。父や母、兄弟達とは二度と家族には戻れないしもしやすると今生の別れとなるだろう」
その言葉に冷や水を被せられたような衝撃が走る。
「其方がこれから家にもたらすはずだった保証はこちらで行う。保証金の配布にこれまでの養育費も一括で払おう。他にも公共事業の支援として治水工事、街道の整備。税の減税も検討する」
「おおなんと恐れ多い! シーザーよ公爵様に付き従い誠心誠意お仕えするのだ! 私も親として鼻が高い。お前は我が領地の誇りだ!! ワハハ!」
目の色を金色に変え何かをほざく男爵の事はどうでもよかった。一時期は母の見舞いに連れていってくれる彼に感謝し認められる様に努力をしたが、あまりの無関心ぶりに心が折れた。
兄弟の事もどうでもよかった。生まれたばかりの弟と会う機会はほとんどないし兄とは相変わらず不仲のままだ。
だけど、母だけは話が別だ。
これまでずっと自分を支え守ってくれた愛する母。
母と一生会えなくなるという事にシーザーは大いに悩んだ。
思い出すのは母の笑顔。頭を撫でる優しくあたたかな手。愛を囁く声。
けれど、けれど――。
「……分かりました。僕を養子にしてください」
承認欲求という名の炎を鎮火させるのには、たまにしか会えない母の存在では水量が足りなかった。
こうして、シーザーはシーザー・ローズフィードとなる。