ローズフィードへの帰還
街道の両端に青い薔薇が咲き誇る。白亜と青の都、ローズフィート領首都城塞都市ロズレイド。
王都を出立して数日、公爵一行は自領に帰還した。都市を守る城門が開くと、王都にも負けない美しい街並みが広がっていた。正門から見える一番奥には無骨ながらも堅牢な城見える。更にその後ろにはそびえる城よりも更に大きな絶壁があった。この絶壁は自然の要塞であり、これまで数多くの敵兵の侵入を阻んできた。かつての隣国との戦においてもロズレイドが戦火に呑まれたことはない。まさにこの都市は攻略不可能、難攻不落の要塞であった。
公爵を乗せた馬車は城の正門を通り城内に招かれる。手入れをされた中庭の奥には優に百人はくだらない燕尾服とメイド服を着た使用人が出迎えていた。
「お帰りなさいませ旦那様」
白い髪をオールバックにした初老の執事が、馬車から降りた城の主に代表として挨拶をする。
「ふう……ようやく帰ってこれたか我がし――ぐはぁッ」
顔色の悪い公爵が天を仰ぎ目を細めちゃ瞬間、吐血しその場に膝をつく。当主の突然の不調、普通ならば一気に騒然とするような場面であるが、執事たちはいたって冷静に対応していた。
「すぐに担架を」
「かしこまりました」
初老の執事が支持を出すと、あらかじめ近くに用意されていたのか、救急箱、担架、清潔なハンカチ、掃除用具を持った使用人がすぐさま現れた。古くからローズフィート家に仕える彼ら使用人にとって、これはよくある事なのだろう。対応が手馴れている。
「お帰りなさいませお嬢様」
「お久しぶりね。みんな元気にしていたかしら?」
父親が担架で運ばれる傍ら、イザベラは昔馴染みの使用人たちと挨拶を交わしていた。
公爵とイザベラが急遽帰還した大まかな事情は早馬により既に伝わっている。当然、婚約破棄の件もだ。されど、使用人たちは一切のその話題に触れなかった。それどころかなんの違和感もなく昔と同じようにイザベラに接している。教育が行き届いているのだろう。
執事の案内で城の玄関ホールに入ると二階に続く階段が見えた。そして、力強くも優しい声が降って来た。
「――待ちわびたぞイザベラよ!」
「おじい様!」
階段の上から降りて来たのはイザベラと同じ青い髪に白が混ざりはじめた壮年の美丈夫は、前ローズフィート公爵でありイザベラの祖父だった。笑顔のイザベラは祖父の待つ二階に向かって階段を駆けていく。そのまま胸の中に飛びつくと、こちらも笑顔の祖父はニッと笑みを浮かべイザベラを優しく抱きとめくるくると嬉しそうに回転し始める。
「よくぞ帰って来た! 知らせが届いてからずっと待っていたのだぞ!」
祖父の年齢は既に60を超えている。普通の貴族なら足腰に問題を抱え始める歳だというのに、鍛え抜かれた鋼の肉体は衰えを一切感じさせない。華奢な女性とはいえ、成人に近いイザベラを振り回してる姿は異常の一言に尽きる。しばらくして満足したのか祖父はイザベラを下ろし会話を始めた。
「久しぶりだな我が孫よ。旅の疲れもあるだろう。今日はこのまま湯浴びをしてゆっくり休むといい。それと、アイツはどこにいったのだ?」
「お父様なら先ほど吐血をされ、医務室に運ばれて行きましたわ」
「……相も変わらずアイツらしいな。仕方ない、本当は可愛い孫娘を構いたいところだがまずは愚息の見舞いに行ってくる。それではまだ夕餉の時に会おうぞ」
「はい。かしこまりましたおじい様」
好々爺然とした祖父は笑顔のままイザベラを見送る。そしてイザベラの姿が見えなくなると同時に顔から表情を消した。
「……行くぞ」
「かしこまりました」
無表情の祖父が踵を返して向かうのは、公爵が運ばれた医務室である。見舞いという和やかな雰囲気ではなかった。
・・・
「ふむ。貧血、吐血、発熱、筋肉痛、その他こまごまとした症状が数個ほど……いつも通りですな!」
消毒の匂いが立ち込める医務室で、昔からの主治医である男はハハハと笑っている。並の貴族、いいや、平民であろうと大事を取るような症状の数々であるが、この俺にとってはいつもの事である。別に驚く必要もないし、もはや領地の人間は俺が倒れようと誰も驚きもしない。王都ならもう少し騒ぎになるのだが、少し物足りない気持ちだ。
「お薬を処方いたしますので、本日はよく休まれてください。さすれば明日には、『すこぶる悪い体調』が『普通に悪い体調』に回復しているでしょう」
「それのどこが回復してると? どっちにしろ悪いじゃないか」
「逆にお聞きしますが、公爵様のこれまでの人生に体調が優れた日などございましたかな?」
「……そういえばないな。毎日どこかしら悪い日が続いている」
医者の男はニコリと微笑み頷いた。何気に酷いことを言われてる気がするが、これでもこの男は国中を探しても5本の指に入るほどの名医なので不敬罪に問うことはできない。
というより親の顔よりよく見る主治医の顔を処断するなど流石の俺も躊躇する。
「それでは、わたくしめは薬の調合をしてきます。何かありましたら枕もとのベルを鳴らしてくださいませ。扉の前には護衛と看護師がいつでも待機しているので」
「わかった。それと、調合が終わったらイザベラの方も見てくれ」
「お嬢様がどうかなさいましたのか? まさか怪我でもなさったのですか!」
人を診察する時とは打って変わって、血相を変えすぐにでも飛び出していきそうな様子だ。このヤロウ。
「別に怪我はしていない。だが、長旅の疲れもあるだろうしどこか不調があるかもしれん。念のために診察をしてくれ」
「なるほど。確かに承りました」
主治医は頭を下げ部屋を出て行った。
イザベラの婚約破棄はすでに城に伝えている。だが、ことは貴族令嬢にとって死活問題になりかねない大事だ。主要の者以外には伝わっていないだろう。主治医とはいえ、街に館を持つ男にも伝えられてはいない。だが旅の最中にイザベラの心のケアには失敗してしまったので、そういう専門の者に見せて話を聞かせた方がいいと判断した。飄々としてる男だが、アレでも感は鋭い方だ。もしイザベラが思い悩んでいるのならそれとなく話を聞くなり相談に乗るなりしてくれるはずだ。
そう一息ついた所で部屋の扉がノックされる。ノックされた扉は返事を聞く前にどこか乱雑に開けられた。
「生きているか愚息よ」
「……ええ、かろうじて。お久しぶりですね父上。お元気そうで何よりです」
「お前は相変わらずいつみても死にそうな顔をしておるな」
どこか呆れたようなため息を吐き、かつての戦争の英雄と名をはせた我が父が姿を見せた。父は、ベットの横に立ち俺を見下ろした。
「大まかな事情は聴いているが、一体何があったのだ。イザベラが婚約破棄されたとは誠の話か?」
戦場をかけ数々の武勇をはせた父の鋭い視線が俺を射抜く。嘘は許さない。誤魔化しは許さない。正直にすべてを話せという圧を感じた。そんなに脅かさなくても事情は話すつもりである。
「半分は本当です。正確にはまだ婚約破棄はされていません。しかし、こちらとしてはあの王子に我が娘はもったいないので出来れば婚約解消をしたいと考えています」
考えているだけで実行するとは言っていないが嘘も言っていない。ピクリと父上の眉が動いた。
「……噂によれば原因は王子の不貞であるという話だが?」
「正しくもあり間違いでもあります。確かに王子には我が娘以外に思いを寄せる娘がおります。されど相手は男爵家の娘。はるかな格下であり王家と縁を結ぶなど決してありえません。貴族は誰も噂を好みます。それは時に真実を孕み、時に荒唐無稽な与太話であると。学生の内は親に反発し一時の0劇場に身を任せることもあるかもしれません。ただ、それはあくまで火遊びであり、王侯貴族として生まれ育てられた我らはいずれ正しく家の為に尽くすのです。それは父上もご存じでしょう?」
ピクピクと父上の眉が数度動いた。
「ではなぜこうも急に帰省してきた?」
「根も葉もなくとも噂とは流れるもの。一時的な混乱を避けるために帰って来ただけです。混乱が収まればまた王都に向かうでしょう」
まあ、この混乱は俺の見立てでは相当長く続くだろうげど。あえて口にする事でもない。
「はあ……わかったわかったワシの降参だ。お前のことだ、ワシが何を言うまでもなく落とし前と尻拭いは自力でするのだろう。だが、よく覚えておけ、人の心は案外脆い。それこそお前の肉体ほどにな。気丈に振舞おうとも内心ではそうもいかんものだ。……イザベラの事をしっかり考えてやるのだぞ愚息よ」
「ええ……重々承知しております。父上」
我が父は野生の獣に人の知と体が宿ったような、とにかく直感の鋭い人だ。多くの戦場で武勇をはせ、大軍を率い、英雄譚を生み出した裏には優れた直感による危険察知能力が大きく関係している。この直感は戦場だけではなく日常生活でもいかんなく発揮され、母上曰くどんなに浮気をしようとも決してしっぽを掴ませなかったそうだ。
そんな父上がイザベラに対して苦言を呈するという事は……そういう事なのだろう。やはり旅の最中でケアに失敗したのが痛い。とはいえ、今必要なのは駄目な父親との対話ではなく領地での休息だ。できることはあまりない。そうなると、娘の為に俺が出来るのは雪辱を晴らしてやることくらいだろう。
「娘の心配おしていただき恐縮です。恐縮ついでに戦について相談をしたいのですがよろしいでしょうか? 詳しくは明後日の親族会議にて話すつもりですが、父上にはその前に話を聞いてほしいので」
「待て待て」
父上は頭を抱えるように俺の話を遮った。その顔は、昔戦場で有益な策を父上に提案した時と同じような表情だ。
「どうしてそうなる!? ワシは娘の事を考えろと言ったのだぞ。それがなぜ戦の話になる!? というか一体どこを攻めるつもりだ! ……まさか其方王都を」
「違います」
王子に手出しをしないというのは国王との密約にて確定している。非常に残念だが王子、王家、王都に対する敵対行為はできない。仮に密約がなくとも現状、王家を支持する貴族家は多く、ローズフィートが離れた今、他の公爵家が後釜を狙う可能性は大きい。無暗に手出しをすると後ろから刺されるかもしれないのだ。戦略的に見ても王家への攻撃はできない。
「イザベラの婚約破棄について父上はどの程度知らされておりますか?」
「うむ? ……学園での宴席で王子が暴虐に出たという所までだ。それ以外にもいろいろと噂が出回っているが信憑性のあるものは少い……どうせお前が情報規制でもしたのだろう」
ジトっとした眼で見られるがスルーしておく。アレだけ多くの目がある中で起きた不祥事を完璧な緘口令を敷くことは難しい。だが、限定的にぼかしたり事実をすり替えることはかろうじて可能である。情報を閉じるのではなく幾つもの偽の情報をわざと出回らせる。一時的な混乱をもたらすには重々な戦果だ。
不本意ではあるが王子たちのしでかしたことが、貴族の常識からかけ離れた荒唐無稽な行動であったのも幸いしてる。
「そちらの詳細も親族会議の時に行いますが、イザベラが貶められ窮地に立たされた原因の一端を叩きます。戦の前に諸問題を片付ける必要はありますが、これはもう決定事項です。ローズフィートの姫に辛酸をなめさせた報いを受けさせます。でなければローズフィートの威光は地に落ちるでしょう」
「……して、相手は?」
ローズフィートの現状はひっ迫している。というのも、貴族とは面子の為に死ぬ生物だからだ。実の娘がアレだけの仕打ちを受け反撃に出ない日和見の貴族など格好の獲物だ。
父上の威光は俺の虚弱さを打ち消してあまりあるが、当代の俺が度々死に体になることは王都では暗黙の了解だった。このまま穏便に手打ちにするのは我々にとって最悪の結末だ。けれど、諸悪の根源たる王家には手出しができない。そこで、国王陛下には王子の助命の代わりにとある家を差し出してもらった。
「騎士団長を有するモーガン侯爵家です」
娘を傷ものにした忌々しき赤毛のガキをひねり潰す。
次回からシーザーの断罪です。