襲撃
二日後。
ローズフィート傘下の領地まで残り僅かといった所の道中。俺たちは周りを木々に囲まれた林の中を進んでいた。
「ふむ……予想よりも早いな」
ふと窓の外を見て呟く俺に侍女は訝しむように小首を傾げた。
「どうかなさいましたか公爵様?」
「どうやら周囲を囲まれてるようですわね」
俺の代わりに答えたのはイザベラだった。イザベラは俺とは反対の窓を見ている。
「我々を囲むような陣形だな。広範囲に広がっていた歪な円が段々と小さくなっているイメージだ。足並みを揃えられているのなら相手も騎乗しているのだろう。正規の訓練を受けた軍隊だな」
「ええ!?」
侍女は驚きに目を見張るが、俺とイザベラは冷静だった。
このご時世、一歩でも町の外に出ると治安の悪化は目に見えている。貴族が移動中に襲われることもしばしばあるほどだ。
代表的な脅威は魔物か賊。この辺は海がないので現れる賊は盗賊や山賊主流だろう。奴らは人が立ち寄らない山の中や人気がなく遮蔽物が多い場所に好んで出没するほとんど魔物のような連中だ。
商人の馬車や旅人が襲われ物流を混乱させる困った輩である。それに武装してそこそこの人数がそろえば平民にとっては魔物以上に脅威となるだろう。
とはいえ、所詮連中は訓練を受けていない素人。食うに困った村人、町に住めなくなった犯罪者、時折ではあるが騎士や兵士崩れの脱走兵なんかが混じっていることもあるが、基本的には正規の訓練を受けた軍隊とは比べるまでもない。
腕利きの騎士ならば一人で数十人の賊を相手にしても勝利は容易である。つまり俺たちを取り囲む連中は賊や魔物以上の脅威と言っていいだろう。
「王都からの追手でしょうか?」
「可能性は低いな。ここら周辺の貴族の私兵だろう。無断で領地侵犯をした我らを捕えに来たかもしくは足止めが目的だろう」
流石にこれだけの日にちがあれば追手も差し向けられるだろうが、俺たちはなるべくそういう奴らに捕捉されないように通常とは異なる道筋で進んでいる。
少数精鋭で広範囲を索敵すれば見つける事もできるだろう。だが、その場合は戦力的に心もとない。かといって王都からの援軍を待つ時間の余裕もない。そういった場合は周辺領主の私兵を借りるのが常套手段である。
「こ、公爵様もお嬢様もなぜそのようなことがわかるのですか?」
「ただの探知魔法だ」
「ただの感知魔法よ。それよりお父様領地侵犯とは? ……まさか領境を超えるのに連絡をしてないのですか?」
侍女の疑問をあしらいながらイザベラは鋭い視線を向けてくる。俺はそっと視線を外した。
貴族の移動は大所帯になるのが常である。その為、領地の境を超える際は相手側に事前連絡が必要となる。多くの騎士や兵士を受け入れるには準備をも必要であるし、武装した戦力を内に迎えるのは侵略の危険が付きまとう。
不幸なすれ違いがないためにも事前連絡と交渉は必須である。それを怠れば他領の侵略と誹りを受けて攻撃されても文句はいえないだろう。
「王都の追っ手に経路を知られたくないからな」
しかし、今回の旅は隠密だ。向かう先々の貴族に自分の居場所を知られるのはリスクが高い。検問でも用意されれば無駄に時間を浪費するだけだろう。なので自然と無断侵入、無断通行するしかないのだ。
「……」
娘が無言で「正気かこいつ」みたいな顔をしてくるが気にしてはいけない。蛇の道は蛇。
「失礼します。敵襲の恐れがあります。いかがいたしましょうか?」
コンコンと御者のいる方向の小窓がノックされ開かれると、そんな声が聞こえてきた。
俺の探知魔法やイザベラの探索魔法は中級レベルの難易度の魔法だ。戦闘系の魔法使いの多くは細部の異なる独自の探知や探索魔法を取得している。当然、我が騎士団の中にも取得者はいるだろう。
探知できる範囲は当人の魔力量に比例するので俺とイザベラがいの一番に気が付いたけどな。
「戦力分析は?」
俺の探知魔法は、自分を中心に円状の魔力を波紋のように広げ相手の場所に表面的な魔力量を測定できるというものだ。等間隔に魔力の波紋を広げてる為、探知できる範囲は広いが相手の細かな動きが分からないし、隠密に長け魔力を抑えられていると実力の把握できない。
正直に言うと直接的な戦闘向きではない。事前に危険を察知できる程度の有用性しかないだろう。
ここら辺は確か子爵が納める土地のはず。子爵家程度の私兵ならばさほど脅威にはならないだろう、というのが俺の予想だ。案の定、御者から帰ってきた返事は俺の予想通りだった。
「隊長曰く脅威度は低く、このまま戦闘に移行しても問題なく迎撃できるそうです。しかし、土地勘の優れた相手ならば罠や奇襲の恐れもあり後手に回ると厄介かもしれないとのことです」
隊長の使う探索魔法は俺と違い相手の潜在能力まで把握できる部類だったはず。その隊長が脅威度が低いと豪語するのならばその通りなのだろう。先手を取れれば勝てる勝負。ならばこちらの対応は決まっている。
「迎え撃つ。野営の準備をする振りをして襲撃に備えよ」
敵の優位など関係ない。罠が仕掛けられるならそれごと食い破ればいいだけの話。後の先をもってローズフィートの武勇を示せ。……とはいえ、相手が攻めてこなかった場合も検討せねばならないだろう。見合い状態の足止めなど本末転倒である。
「攻めてこない場合は逆にこちらから討ってでよ。最低一人確保できれば他は殲滅してよい」
「はっ!」
小窓が閉じられると、外が俄かに騒がしくなる。その後すぐに馬車の速度が上がっていった。
戦いの前の高揚感は幾つになっても心躍る。この体のせいで戦場に出たことは碌にないが血に刻まれた記憶は如何ともしがたいものだ。
「……大丈夫でしょうか?」
そんな根っからのローズフィートの男である俺と違い侍女はひどく不安そうな声を吐露する。すると、震える侍女の手に白くしなやかな手が重ねられた。
「心配いらないわ。ローズフィートの騎士は強いもの。それにお父様が大丈夫と判断されたのですし間違いは起こりません」
そう断言するイザベラには確かな信頼があった。あったと思う。あったらいいな。少なくともニコリとほほ笑む程度の余裕はあるのでそういう感情があるのは間違いない。
父親冥利に尽きる。
「……ですが相手が追手ではなく領土侵犯の取り締まりの為にこちらを警戒してるだけなら殲滅はやりすぎではないでしょうか」
おっと?
先ほどまで上がっていたと思った信頼が一気に地に落ちたぞ? なぜそうなるのか。やはり年頃の娘の感情は複雑怪奇で理解不能だ。
理解はできなくとも一応言い訳くらいはしたほうがいいな。お父さんはこの旅の中で学んだのだ。娘に対する言い訳とご機嫌取りは思い立ったらすぐ実行しないと意味がないと。
「目的がなんにせよ道中の危険は排除せねばならん。何よりこの私を、ローズフィート公爵を付け狙った時点で命を失う理由としては十分すぎるだろう。身分社会とはそういうものだ」
イザベラが納得したのかどうかはわからないが、それ以降この話題があがることはなかった。
・・・
目標確認。林を抜けた平場にて野営の準備に取り掛かっているようだ。
俺は、この地を治める子爵様に仕えてる、平民で構成された兵団の部隊長をしてるしがない兵士だ。ちなみに、今年で30になる独身で絶賛彼女募集中である。
それは置いといて、俺たちは特殊任務の真っ最中である。任務の内容は領地に無断で侵攻してきた武装集団の討伐だ。
……だが、どうにもきな臭い。
俺たちは昨日の昼にこの任務を文官のお貴族様に命令された。まずここからおかしい。
お貴族様って奴は基本的に俺たち平民を見下していやがる。それは別にいい。イラつきはするがそういうもんだし、あっちが俺らを嫌ってるように俺たちも連中を嫌ってるしな。問題なのは俺に任務を伝えたのが文官だってことだ。
お貴族様の中でも騎士の旦那たちは、俺らと同じく命をかけてこの土地を守るってことで上下関係は明確だが、それでも良好な関係を作れている。
だから俺たちに命令を伝えるのは普段騎士の旦那たちなのに今回に限って文官どもがしゃしゃり出てきやがった。
それに俺たちの目標である武装集団だ。
俺たち兵士にとって武装集団て奴は山賊や盗賊たちのことだ。それ以上の相手、正規兵とかだな。そういう奴らの相手は騎士団が矢面に立って、俺らは町の警備や後方支援に回される。
だが、相手はどこからどう見ても正規兵……いや、下手をすれば他所の騎士様かもしれない。
確定はできないがもしそうなら勘弁してくれ。騎士相手の戦闘とか命がいくらあっても足りやしねえ。ぶっちゃけ今すぐ回れ右して逃げ出したい。連中の進路を見ても、うちの領で悪さするんじゃなくて通り抜けるだけっぽいし、わざわざ虎のしっぽを踏みにいかなくてもいいだろう。
「目標は野営の準備をしてるようです隊長」
「……ああ」
俺一人なら逃げだしていただろう。任務失敗を責められても減給とか降格で済むだろうし。けど俺には仲間がいる。苦楽を共にした兵団の仲間だ。
声をかけてきたのはまだ若いのにしっかりしている副官だ。
流石にこいつらを見捨てて逃げることもできまいよ。
気乗りはしないが覚悟を決めなければなるまいよ。それに相手はまだ俺たちに気づいていない。奇襲を仕掛ければ多少の格上相手でも混乱は必至。被害を最小限に抑えての討伐もできないわけじゃない。
その為にも頼りになるが経験が浅く、未だこの任務の異常性が理解できていない様子の副官にそれとなく危険性を言い含めておこう。
「見たところ奴らの動きは素人のそれじゃない。商人が雇った護衛とか私兵なんてレベルじゃねえな。間違いなく相手は正規の訓練を受けてやがるな」
「な!? じゃ、じゃあ相手は正規兵!?」
「それにあの中央付近にある馬車が見えるか? あのやたら派手でデカい馬車は相当な金持ちかお偉いさんが乗ってるはずだ……もしかするとどこぞのお貴族様かもしれねえ」
「え!?」
見るからに副官の顔色が変わった。ビビらせるつもりはないが、相手と自分らの力量差を把握してねえとマジでヤバい相手だ。むしろ多少ビビったほうが慎重になっていいだろう。
「つ、つまり我々は今からどこかのお貴族様を襲おうとしてるってことですか!? そんなの……」
次の言葉が出てこない。気持ちはわかる。俺たち平民がお貴族様を害そうものなら問答無用で打首獄門だからな。つっても、領主様から命令が下された時点で俺たちには選択肢なんかないけどな。
「勘違いするなよ。俺たちは今から事前申請もなく領地に侵入した正体不明の武装集団を討伐するんだ。相手の身分がどうとか関係ない。そういう話は上の連中がどうにかするだろうよ」
「……大丈夫なんですかそれ?」
「さあな。頭のいい連中がどうにかするだろうよ。俺たちがない頭をいくら使おうと無駄だ。無駄。そんなことより目の前の格上相手にどう立ち回るかを考えたほうがなんぼか建設的だぜ」
「……了解しました。ですが、相手が貴族の兵団……騎士団なら厄介ですね。魔法使いが複数いたらいくら奇襲を仕掛けようとも形勢は不利ですよ?」
「まあ貴族もピンキリだからな。せめて相手がどこの誰だかわかれば戦力の予想もできるんだがな……連中の鎧の紋章がわかるか?」
携帯式の望遠鏡をのぞき込むと、相手の鎧の全てに同じ紋章が刻まれているのがわかる。色は青。けど何が書かれているのかはわからない。騎士の鎧に書かれてる紋章は、仕えてる貴族の家紋であることが多い。貴族の家紋は力を誇示するためなのかドラゴンやオーガみたいな強い魔物か、獅子や熊みたいな猛獣を象っている。けど、奴らの紋章はそういう感じじゃなかった。
「あれは……何かの花でしょうか? 少なくとも生物ではないと思います」
「花か……詳しく知ってるわけじゃないが子爵様と交流がある家じゃないな……俺の気のせいかなんとなく見覚えがあるようなないような……?」
俺たち平民の兵士がお貴族様と接するのは稀だ。その稀も大体は自領の貴族様か隣の貴族様くらいしかいない。兵団でも初期にそういう教育もしてるが普段の生活に根付いていない知識なんていつまでも覚えていられるはずもない。
「わからんもんはしょうがない。なに、心配するな。俺も一応は魔法の心得はあるし、格上の魔法使いと戦った経験もある。何よりここは俺たちの領地だ。余所者なんかに遅れはとらんよ。それよりいつでも動けるように準備を徹底させておけ」
「はっ!」
副官の返事は力強い。どうやらうまいこと不安は消せたようだ。……逆に俺は内心ガクブルだ。魔法を使えるって言ったて初級くらいしか使えないし、格上の魔法使いと戦った時も仲間と一緒に全力で逃げたら俺だけ運よく生き延びただけだしな。部下の手前顔には出せないが今すぐ吐きたい気分だ。
「す、すみません隊長」
俺が内心の不安で胃痛を感じていると、背後から遠慮がちな声が聞こえた。
副官と共に振り向くと部下が二人向かってきた。俺と同じか少し上くらいの年齢の兵士とまだ若く恐らく十代の兵士だ。
「お前たち何をしている! 持ち場はどうした!」
副官が怒声を浴びせた。俺たちは目標を取り囲むように配置して合図と共に一斉に奇襲を仕掛けるという作戦の真っ最中だ。こいつらは陣形を崩して自分の持ち場から離れて来たのだ。
「も、申し訳ありません。ですが彼がどうしても隊長に話があると……」
年長の兵士はペコペコと頭を下げながら、若い兵士を見やった。
年齢差から見るに新人とその教育のためのベテランというコンビだ。新人の言うことを聞いて持ち場を離れ任務中にも関わらず指揮官に直談判に来るとかこいつは何を考えているんだ!?
「あ」
拳骨でも食らわせてやろうかと俺が思っていると、副官が何かに気が付いたようで俺の耳元に寄ってきた。
「隊長、彼は例の」
「……!」
少し考えて思い当たった。少し前の話だが、どうやら子爵様の寄り子である準男爵の家でちょっとした騒動があったらしい。なんでも準男爵様の第一夫人(貴族出身)と第二夫人(実家が豪商)の間で諍いが起きたとか。しばらくすると第一夫人に不幸が起きてお亡くなりになったそうな。明言はされていないがおそらく第二夫人かその実家が何かしたのだろう。
第一夫人には息子が一人いて、彼は王都の学園に通っていたから難を逃れられた。けれど学園を卒業して実家に戻れば命が危ない。そこで準男爵は子爵様に息子の保護を頼んだらしい。
ほとぼりが冷めるか色々なことに決着がつくまで第一夫人の息子は身分を隠しうちで預かることになった。それが目の前の若い兵士だ。
過去はどうあれ彼はただの新人だ。けど、元の身分が高く、流れによっては復権できる立場にいるので無下にもできない。彼はそんな風に扱いにくい立場の人間だった。
「……なんだ。もう少しで作戦を開始する手短にしてくれ」
少し悩んで結果、俺は話を聞くことにした。
もし彼が臆病風に吹かれて逃げたいと言うのならそれはそれでいい。というか死なれても困る。じゃあ、初めから連れてくるなって話だが、この任務は本当に突然だったんだ。出撃準備に手一杯で兵士の選別とかする暇も余裕もなかったんだよ。そもそも相手がこんな連中だって知らなかったし。知ってたら無理してでも強力な魔術具の一つでも用意してたわ。
彼の経緯を考慮した結果、真実を知ってる奴は少ないほうがいいって事で俺と副官以外には騎士団長と子爵様くらいしか知らないトップシークレットだし命令を出した文官も恐らく知らなかったんだろう。
教育係兼護衛につけた年配の兵士は、詳細を知らせてはいないが経験豊富な奴だしなんとなく察しているっぽいけどな。
「あ、ありがとう、ございます。実は僕、相手が誰だが知っているんです」
「なに?」
一瞬訝しんだが、彼は王都の学園に通っていた貴族だ。貴族の事に関しては俺たち以上の知識を持っているだろう。若干青ざめているのが気になるが、体調でも悪いのだろうか。それを理由に後方に下がらせるのもいいだろう。なんにしても情報はあるに越したことはない。そこらへんは話を聞いた後で考えればいい。
続きを促すと彼はゴクリと生唾の飲みこみ震える唇でとんでもない爆弾を放り込みやがった。
「あ、相手は、ローズフィート家です! あの青薔薇の紋章はローズフィートの中でも精鋭のみが着用できる近衛の鎧です!」
「……なに?」
「ローズ、フィート……?」
バッと振り返り望遠鏡をのぞき込んだ。
ローズフィート。それは我が国において最も恐れられている最強の戦闘集団だ。俺がまだ若いころ、戦争をしていた時代でその名を知らない男はいなかった。あの頃はガキもジジイも関係なく戦場の武勇伝に胸を躍らせていた。中でも「狂戦士憤怒のモーガン」「傭兵王ガイルと戦士長アブサルの決闘」「ローズフィートの北十字の計略」を知らない奴はモグリもいいところだ。
あれがローズフィート!
あのローズフィートだというのか!
マジで!?
「た、確かに薔薇に見えなくもないですが……そ、それは間違いないのか?」
冷汗を流す副官の言葉に彼は勢いよく首を縦に何度も降った。
「間違いないです! 昔王都にいた頃はぜっっったいに粗相をしちゃ駄目な相手と教えられました。何をされても文句を言うな。もしも不興を買ったらとにかく謝れ、死ぬ気で謝れ、いざとなったら死んで詫びろ、と口を酸っぱくして言われてました!」
泣きそうな彼の悲痛ともとれる表情には嘘や演技の気配はない。
「も、もしも、もしも本当に相手があのローズフィートだとしたら、戦力はどれくらいだと、思う?」
知らず知らずに自分の表情が引きつっていることを自覚する。
俺の中じゃ相手があのローズフィートなら勝てる可能性とか皆無なのだが、あくまでそれは本物を知らないただの平民である俺の意見だ。貴族視点の意見も知りたいと尋ねると、彼は悩む暇もなく答えを返した。
「勝てる可能性は万に一つもありません。奇襲を仕掛けようとどんなに有利な戦場だろうと人数が三倍以上いても無理でしょう。ローズフィートの精鋭ならただの一兵卒でも中級以上の魔法が使えます。見える範囲の敵の全てが身体強化の魔法を使えると考えてください」
身体強化の魔法は中級の魔法だが、魔力を注いだ分だけ身体能力が向上する戦場御用達の魔法で下手な上級魔法より使い勝手がいい。最低でも身体能力は倍になるし上級の使い手なら身体強化をしながらほかの魔法も使用できる。ちなみに俺は使えない。兵団の中で上位の魔法使いである俺が無理なんだから他の仲間も当然使えない。
……絶望しかねえじゃねえかふざけんな。
思わず両手で顔を押さえて天を仰ぎ見る。
「まさかあの文官の野郎……俺たちを殺そうとしてんじゃねえだろうな」
ふと脳裏に浮かぶのはこの任務を伝えに来たいけ好かない文官の憎たらしい顔だった。
「隊長……」
「……冗談だ。悪い失言だった」
冷静に考えれば自領の文官である奴に俺たちを殺す動機はない、はずだ。あのクソ野郎は自分が貴族の血筋であることを鼻にかけ平民を見下しこき使い俺たちが任務を成功したら手柄は自分失敗したら現場に全ての責任を押し付けるクソ野郎だが……信じていいはずだ。……たぶん。
「そういやあのクソ野郎命令書を持ってくるときに妙なことを言っていたな」
「妙……ですか?」
「この任務はさる高貴なお方から下された勅命とかなんとなか……命令書に子爵様の印があったから詳しくは聞かなかったが、直接命令を下したのは別の奴っぽかったな」
ならこの厄介ごとはそいつの企てか?
もしかすると、子爵様を陥れたい誰かが俺たち子爵様の兵士がローズフィートの縁者に手を出すように仕向けられた?
あれが本当に歌に聞くローズフィートなら、自分たちに敵対した子爵様に対しいて報復をしてくるだろう。たとえ俺たちが返り討ちにあって自分たちが無傷でも必ず報復は実行される。
ローズフィートの精鋭相手なら騎士の旦那たちがいくら強くとも太刀打ちできない。最悪領地丸ごと皆殺しもありうる。
「……一度町まで遣いを出して子爵様に判断を仰ごう。奴らの紋章を絵に描いてくれ」
「は、はい」
あのローズフィートを敵に回すなんて考えただけでも恐ろしい。めちゃくちゃ怖い。
これが子爵様の知らぬ事態なら襲撃は中止されるはずだ。十中八九そうだろう。間違いない。だってどう考えても俺たちがローズフィートの騎士と戦って勝てるはずがないだろう。
仮に、万が一にも、襲撃することになっても、その時は騎士の旦那たちや領地中の兵士を集めて動員してもらうしかない。
それにしてもよかった。襲撃する前にこの事を知れて。
隣で紙に紋章を書き込む副官を確認しながら俺はこの事を伝えに来てくれた彼に感謝を伝えるために振り返った。
「――逃げろっ!?」
俺は見てしまった。振り向いたその先に見えたのは、青い薔薇の紋章を胸に刻んだ騎士が彼に向って刃を振り下ろそうとするまさにその瞬間だった。
咄嗟に叫び声を出しながら彼を押しのけると、目前まで迫った研ぎ澄まされた刃の輝きが妙にゆっくりと見える。時間が止まったかのような世界の中で動くことも回避することもできないが、思う事だけはできた。
……ああ、今日は最悪の厄日だ。