王子と婚約破棄
歴史に名を残す。それは男にとって何よりの名誉であり、ロマンだ。時の為政者が人生をかけて挑んできた。その結果は……今のそしてこれからの君たちが知る歴史上の偉人の数に由来するだろう。ただこれだけは覚えていてほしい。これまでの長い歴史の中には僕や君たちが知らないけれど、偉業をなした名もなき英雄がいるということを。
では、歴史に名を残す国の条件とはなんだろうか?
時代における中心、栄華を極めた理想郷、はたまた何かしらの理由で悲劇的な末路を辿ってしまった亡国?
どれもこれもらしいと言えばそれらしい理由だ。ただ面白いことに、または残酷なことに歴史という奴は個人に対しては偉業を求めるが、国という不特定多数の集団には悲劇を求めがちだ。まあ、わからない訳でもない。人は成功よりも失敗からより多くを学ぶ。成功を収めた理想郷の安息より失敗した亡国の数万人分の屍のほうが後の人々にとっては価値があるのだろう。
もっと言えば、数万人の名もなき国民の死よりも、たった一人の為政者の失敗談の方がお好きなようだ。そこに無様な結末なんてものが付けば爆笑待ったなしだね。
……やれやれ、栄えあるメルベーユ王国の第一王子であり王位継承権第一位の正真正銘生まれた時から為政者になることが宿命づけられたこの僕、リチャード・メルベーユからしたらまったく笑えない話だ。
それでも、それが僕に課せられた運命ならば甘んじて受け入れようじゃないか。
人よ、国よ、歴史よ、この僕を見ればいいさ!
どのような終わりが待っていようとそれが、僕が選び進み実行した結末なら威風堂々と胸を張って歴史でもなんでも名前くらい残してやる。そう、例えそれが――
「この僕、第一王子リチャードの名のもとに貴様に婚約破棄を言い渡す!」
――国を滅亡に追い込んだ忌むべき記録だったとしてもね。
・・・
メルベーユ王国・王立学園。
貴族の子弟のみ通える由緒ある学園には、歴史のある時計塔がある。もう間もなく時計の針は真上を向き鐘の音を鳴らすだろう。
もうすぐ終わりの時がやってくる。そして始まりが訪れる。
僕の名はリチャード。この国の王子だ。僕たちは3年間通った学園の卒業記念パーティーに参加していた。生徒会長であり王族の僕はこの名目上は王家主催の学園のパーティーの設営や準備の指揮をしていたので参加者というより主催者側の意識が強いけれど、主役の一人であることには違いない。
我が国の王侯貴族はこの王立学園を卒業しなくては貴族として認められない。卒業を期に、学生は社交界への参加を許され、また自領や宮廷に士官できるようになる。学園の卒業とは貴族にとって成人を意味しているのだ。
「みんな準備はできているな?」
そんな晴れやかな舞台にて、僕は会場の中心で仲間たちに声をかけた。チラリと後ろを振り向くと自信に溢れた表情の友たちが視界に映った。
「勿論です。打てる手はすべて打ち後は決戦に備えるだけです。例え相手が彼女であっても言い逃れは絶対にさせません」
シーザー・ローズフィートが眼鏡の位置をくいっと直し答えた。淡い青髪に知性的な顔立ちが特徴で、彼の父親は現在の宰相を務めている。実家は西の諸侯をまとめる大貴族ローズフィート公爵家であり、僕の幼馴染だ。
「勿論、俺が皆を守る! だから安心してほしい。俺は誰が相手だろうと絶対に負けない!」
ラルフ・モーガン。燃えるような赤髪にワイルドな顔立ち、鍛え抜かれた肉体が印象的な武人だ。数多くの騎士見習いの中でも最も強く学園では負けなしの実力者で、騎士団長を父に持つ。彼の実家、モーガン侯爵家はここ数百年の間で最も出世した家で、父親である騎士団長は先の戦争では獅子奮迅の活躍をした我が国の英雄である。
心強い二人の言葉に満足して、最後に隣へと視線を向ける。
「アリス」
「リチャード様……」
アリス・カータレット男爵令嬢。ピンクブロンドの美しい髪に可憐な顔立ちの少女。生まれと育ちが市井という貴族の中でも異色の存在で、我が国を建国した始祖と同じ聖属性の魔力を宿す現代によみがえった聖女である。
不安そうに揺れる瞳は今にも大粒な涙を零しそうで思わず抱きしめたい衝動に駆られてしまう。身長差のため僕を見上げるアリスはとても可愛い。自制できただけでも僕の理性はよく働いているが、たまには休んでもいいのにとつい思ってしまう。
可憐なアリスは春の日差しのような笑顔と出生故かそれとも天性のものか無邪気で天真爛漫な姿は花々を飛び回る妖精を彷彿とさせる。
少女と女性の丁度中間の儚くも美しい美貌は学園にいる多くの貴族子弟の心を魅了した。何を隠そう僕たちもその中の一人だ。
僕たちは皆アリスの事が大好きだ。けれど立場や家といったしがらみが僕の恋心の邪魔をする。
僕たちのような高位の家に生まれた者は、悲しいことに自由に恋愛することもできない。結婚相手すら時制や家同士の関係に左右されてしまうのだ。かくいう僕にも親が決めた婚約者がいる。……非常に遺憾だが。
それでも、たとえこの初恋が叶わなくとも大好きなアリスを助けるために僕たちは立ち上がった。
「まだ、不安なのかい?」
「すみません。頭ではわかっているんです。でも、でも……っ」
悲しそうに揺れる瞳はまるで大きな宝石のように美しい。けれど、悲しむ彼女の顔は見ていて辛い。なぜ彼女が悲しまなくてはならないのか、すべての元凶は学園に巣くう悪鬼、イザベラ・ローズフィートのせいだ。性からわかる通りイザベラはシーザーの義理の姉で、遺憾ながら僕の婚約者である。
イザベラは嫉妬深く執念深い。婚約者である僕とアリスの仲を邪推し、アリスを陰で虐めるようになった。誓っていうが、当時の僕はまだアリスに対して恋心を抱いていない。完全なイザベラの早とちりだ。
イザベラの虐めを知った僕は学園の平和を守る生徒会長として、イザベラの婚約者として虐めをやめさせようと、同じく生徒会のシーザーとラルフと力を合わせて立ち向かった。
けれど、陰湿で卑怯な奴は自らの取り巻きに虐めをやらせ自分の手は汚そうとしなかった。虐めの現場を見つけようと、証拠を突きつけようとも知らぬ存ぜぬで罪を認めようとしない。
だからこそ今日という日を断罪の日付に選んだのである。僕たちはこれからイザベラを断罪する。
卒業パーティーには卒業生の親はもちろん国中の重鎮が一堂に集まる。この場で断罪をすればさしものイザベラも言い逃れは不可能だ!
……だがそれも、被害者のアリスが力を貸してくれないと前提が崩れてしまう。心優しいアリスは自らにひどい虐めを行ったイザベラを許そうとしているのだ。
「ああ……悲しいね。僕も心が痛いよ……でもしょうがないんだ。彼女は超えてはならない一線を越えた。今正さなければ後の世に必ず禍根を残すだろう。これは国のためなんだ。民のためなんだ。いいや世界のためなんだ! だからお願いだアリス。僕に力を貸してくれ」
「……」
僕はアリスに懇願する。僕たちには君の力が必要なんだ。
アリスは一度瞑目するとぎゅっと胸の前で両手を組み合わせゆっくりと瞼を開けた。そこには、強く気高い戦乙女の輝きが宿っている。
「わかりました。大したお役には立てませんが全力でリチャード様を、皆を応援します!」
「ありがとうアリス!」
心の底からの笑顔を向けまぶしい彼女を優しく見つめる。
王侯貴族の女性には優しさだけではなく時には戦う意思も必要だ。やはり彼女は素晴らしい。アリスと共に国の頂に立てばきっと、今よりももっともっと素晴らしい国を作ることができるだろう。
「……時が来たようですね」
シーザーの呟くような声に反応してバッと正面に向き直る。それと同時に天からは荘厳な鐘の音が響いた。
パーティー会場は学園の講堂で行われる。開けられたままの会場入り口に人影が見えた。それは豪華なドレスに青髪を幾つもロールさせたきつい印象の鋭く尖った瞳をした派手な女、イザベラ・ローズフィートだった。
「……」
イザベラは静かに会場を見渡し、中心にる僕たちを見つけると静かに歩みを進めた。
僕たちとイザベラの間にはパーティー参加者の卒業生たちがいたが、イザベラが目の前に現れるとそれまで談笑していた卒業生らは緊張の面持ちで道を開けた。
人の垣根が誰が何を言うでもなく自然と左右に分かれ僕たちの前まで続く道を作る。その道を進むイザベラの姿はなんとも傲慢で見ているだけでも気分が悪くなる。
「まるで始祖の逸話ですね」
シーザーの苦々し気の言葉は、我が国の始祖は虐げられた奴隷たちを救うため、海を割り道を作ったという。始祖の逸話になぞられた皮肉だ。
「フン! あれがそんなものかよう。世界の中心が自分みたいな面しやがって気に入らねえぜ」
ラルフの言葉にはおおむね同意しかないな。
しばらくしてイザベラは僕たちの前にやってきた。一度僕らの顔を見渡し隣にいるアリスの所でピクリと眉目が動いたのが分かった。
咄嗟にアリスを庇い前に出ると、イザベラは僕を見つめ目を細め、そして笑顔を向けた。
「これはこれは殿下、ご機嫌麗しく。わたくしずっと殿下を心配していたのですよ。何せ、いくら待てども殿下がお迎えに来てくださらないのですから。何かあったのでは、心配で心配で……」
イザベラは一度言葉を区切るとより一層笑みを深め続けて言った。
「お元気そうでなによりです」
その瞬間、室温が一気に下がったような気がした。僕らの前方、イザベラにしてみれば背後からは息をのむような小さな悲鳴が聞こえてきた。
誰がどう見てもイザベラは怒っている。理由は簡単だ。それは僕がイザベラをエスコートしなかったからだ。正式な貴族のパーティーは基本的に男女ペアで参加しなくてはならない。相手は家族や親せきが多く、僕らのような年頃ならパーティーにエスコートする異性は婚約者かはたまた恋人である。
パーティーにおけるエスコートは周囲に自分の婚約者や恋人を紹介する目的があり、相手がいない場合は一目見てお相手ではない年の離れた女性をパートナーにする。逆に婚約者や恋人がいるのにそうではない異性のエスコートは不貞を公言しているようなものだ。
本来なら僕は婚約者のイザベラをエスコートし共に入場しなければならなかった。けれど僕は決戦に備え会場へは仲間たちと一緒に一人で来た。
ならば自然と婚約者も義弟もいないイザベラは一人で入場しなければならない。貴族の女性にとってパーティーへ一人で訪れるのは大変な醜聞だ。不貞を疑われるよりはましだが、それでも屈辱的だろう。
目の前のまったく笑顔じゃないのに微笑むイザベラがその証拠だ。
「イザベラ、貴様にはいくつか聞きたいことがある!」
「……あら、なんでしょうか?」
あえてイザベラの言葉を無視して僕はさっそく本題に入る。一人の紳士としては僕の態度は失格だが、目の前の悪を成敗する正義としては仕方がない。むしろ、怒りで冷静な判断ができない今が好機なのだ。
「貴様はここにいる彼女のことを知っているな」
一歩横に体をずらし、本当は嫌だが、イザベラにアリスが見えるようにした。
「カータレット男爵家のアリスさんでよかったかしら? 生憎と学園では直接お話したことがありませんでしたので人づてに聞き及んだだけですけれど……なんでも少々特異な生い立ちをしているとか」
こいつは……っ!
どれだけ面の皮が熱いんだ。内心ではイザベラの言い様に対して怒りがこみ上げそうになるがまだ我慢だ。
「……貴様が彼女に対して虐めを行っていた事を僕が知らないと思っているのか? 僕はずいぶんと舐められているようだな」
「わたくしめが殿下をなめている? とんでもございませんわ。それに虐めですか? はて、わたくしにはまったく身に覚えがございません。もしかすると殿下は誤解をなさっているのではなないでしょうか? いけませんわね、真に信ずる情報はしっかり精査しないと……我が愚弟が側にいながらなんとも恥ずかしいこと」
イザベラは僕の後方にいたシーザーを鋭くにらみつけた。
シーザーは次期宰相と目される優秀な文官だ。文官の仕事には情報の精査も含まれている。そして、確かにアリスが虐められている情報を持ってきたのはシーザーである。ただし僕はシーザーのもたらした情報を疑ってなどいない。
「心外ですね。まさか義姉上からそのような言葉を受けようとは……私は私の精査した情報に絶対の自信を持っています」
「あら、絶対なんて言葉を軽々しく使うものではありませんわ。そのような無様を晒すなんて同じローズフィートとして情けなく思いますわ」
「そのお言葉はそっくりそのままお返しします。義姉上、義弟として最後の忠告です。今すぐ罪を認めアリスに謝罪をし、反省してください」
「謝罪? 反省? なぜわたくしがそのようなことをしなくてはならないのかしら?」
狡猾なるイザベラは、自分の采配に自信を持っているのだろう。実際、イザベラはアリスのいじめに関して一切の手を汚さず派閥の取り巻きに実行させていた。学生が命令書を作るはずもなく、実行犯を捕えても口を割らせることに意味はない。たとえ実行犯がイザベラが黒幕だと証言しようとそれだけだと言い逃れだと言い逃れされてしまう。
「理由ならばここにあります。この事件の調査報告書が貴方の罪のすべてを物語っているのです」
シーザーが懐から取り出したのはシーザーが今日まで集めたアリスの虐めに関する調査資料だ。僕も一度目を通したが細かく詳細に記録されている。
「そのような紙屑がなんだというのですか?」
しかし、イザベラは資料を見るまでもなく一刀のもとに両断した。
僕たちは未だ学生の身、どれほど精確で詳細な資料でもそれだけでは断罪する証拠になりえない。貴族の罪を裁く憲兵が改めて調査して資料を制作すれば話は変わるが、現段階では確かにシーザーの資料は紙屑同然だ。
憲兵に提出すればそれを元に調査をしてくれるかもしれないが、望みは薄い。その理由は貴族の裁判制度によるものだ。通常の法で貴族は裁けない。けれど、貴族であっても罪は犯すし犯罪に手を染める物もいる。よって貴族の罪は3つの工程と組織を経由して裁かれる。
事件を調査解明する騎士団と憲兵団。調査された内容を精査する政府。政府から挙げられた資料を参考に罪を決める国王といった流れだ。
問題は2番目の政府の長がイザベラの実父である宰相ということだ。イザベラがどのような悪事を働こうと宰相がもみ消してしまえばそれで無罪放免である。本来なら許されないが、それがまかり通るのが貴族社会の恐ろしい所だ。
「いくら貴方がわたくしにありもない罪を着せたくとも捏造など無駄ですわよ。我が国の憲兵は優秀です。嘘などすぐに見破られますわ」
故にイザベラは絶対の自信と余裕を持っているのだ。忌々しいことに。
だが、もみ消すことも口止めもできないほど証人がいるのなら話は変わる。
「あくまで知らぬ存ぜぬを貫くおつもりですか……では、こちらも奥の手を出すとしましょう」
キラリとメガネが光り、シーザーは大きく手を挙げた。それが合図となり群衆の中からおずおずと3人の令嬢が進み出てきた。
「貴方たち……!?」
「……」
「……」
「……うぅ」
出てきた令嬢を見て今日初めてイザベラの表情から余裕と怒り以外の感情が見て取れた。
さしものイザベラの彼女たちの登場は予想していなかっただろう。何を隠そう彼女らはアリスを虐めた実行犯であり、イザベラの取り巻きである。イザベラは権力にものを言わせ学園で一大派閥を築き上げた。彼女らはその派閥の中でもイザベラに近しい幹部たちである
「さあ、こちらで証言を」
そんな取り巻きがシーザーの命令に従い、これまでの自身の罪とイザベラの罪を告発する。
先ほど僕は実行犯の証言に意味はないと表現したが例外はある。まず、犯人が自分の罪をしっかり認めること、次にその犯人たちの立ち位置が黒幕を簡単に裏切れないほど高位であることが重要だ。
彼女らは派閥の幹部でイザベラと近しい。そんな彼女たちからの告発とシーザーの集めた調査資料が合わされば断罪の理由として十分すぎる力を持つ。
「貴方たち――」
まずい状況だと理解したのかイザベラが令嬢らの告発を止めるために動こうとした。
そんなことはさせない!
「ラルフ!」
「きゃあああああああ!?」
僕ははっきりと大きな声で仲間の名を呼んだ。
僕とシーザーがイザベラの気を引いている間、ラルフは気配を消してイザベラの背後に移動していたのだ。
僕の合図と同時にラルフは背後からイザベラを組み伏せ力づくで奴を黙らせた。片腕を捻り頭を押さえ床に組み伏せる。
まさに瞬く間の出来事だった。
突然の強行に周囲から悲鳴が上がる。
「静まれ!」
僕の一喝により悲鳴は消えた。まだ本番はこれからなのだ。ここで騒がれても困る。
「くっ、無礼者!? 今すぐ離しな――」
「黙れ!」
床に組み伏せられながらも気の強いイザベラは自分に覆いかぶさるラルフを睨みつけた。けれど、そんなもの日々鍛錬を欠かさず騎士見習いとして現場に赴いたこともあるラルフには効かない。抵抗するイザベラを黙らせるためラルフはイザベラの後頭部を思いっきり殴った。
「がっ!? ……」
殴られたイザベラは顔をあげていたのが災いして、殴られた勢いのまま床に衝突。ボールのように大きくバウンドして再度床にたたきつけられた。先ほどまでが嘘のように静かになった。
……体がわずかにピクピクと動いているから生きてはいるだろう。
令嬢たちの告発はまだ途中だったが、周りも静かになったしそろそろ幕引きといこう。
「イザベラ、貴様には心底愛想が尽きた。僕の婚約者という立場にあるにも関わらず見当違いな醜い嫉妬に狂い悪に手を染めた。それも自らの手を汚さず目下の者を利用する悪辣で卑しい手段を使ってだ!」
手を振り上げ身振りを加え声を張り上げる。この場に集まったすべてに聞かせるように。
「このような者が王族に名を連ねるなどあってはならない! よってこの僕、第一王子リチャードの名のもとに貴様に婚約破棄を言い渡す!」
ここに僕たちの完璧なる断罪計画が成功した。僕たちは愛と絆の力で悪を成敗したのだ。
・・・
物語ならここで一旦終わりだが、現実だとそうもいかない。後始末の時間だ。
婚約破棄を言い渡されたイザベラは、どうやら気絶してるらしい。それが婚約破棄のショックからなのか先ほどの一撃が原因かなのかはわからない。
とにかく、このまま残していても邪魔だったのでラルフに命じて会場の外に連れ出させた。ラルフは意識のないイザベラを引きずるように会場から退出していく。最後の最後まで面倒のかかる女だ。
僕たちは騒然となった会場に残り、卒業パーティーを開催させた。進行がだいぶ遅れてしまったので早いところプログラムを進めなくては。
パーティーの最初は僕とイザベラによるファーストダンスのはずだった。けれどイザベラはもういない。なので、僕はアリスをエスコートして所定の位置に移動する。
「アリス僕と踊ってもらえませんか?」
「……はい、喜んで」
アリスのほほ笑みと同時に音楽が鳴る。見ればシーザーが音楽隊の近くにおり、やれやれと言いたげに複雑な笑顔を向けていた。
……シーザーは恋敵である僕との友情を選んだのだろう。シーザーの気持ちを汲むためにも今ここで僕は覚悟を決めた。
ファーストダンスを最中、僕はアリスと学園での思い出を語り合い、そしてダンスが終わると同時に告白をした。
「アリス……僕は君のことが好きだ。愛してる。どうか僕の伴侶として共に生きてほしい!」
胸の鼓動がうるさいくらいに鳴り響いている。
アリスは一度驚いたような顔をすると顔を伏せてしまった。どれくらいの時間が過ぎたのかわからないが、まるで永劫の時の中にいるような気持で彼女の答えを待つ。
「私もリチャード様をお慕いしています」
そして、顔を上げたアリスはこれまで見たどんな笑顔よりも素晴らしい笑顔を僕に向けてくれた。
心の赴くままに彼女を抱きしめる。細く柔らかな躰を押しつぶしてしまわないよう優しくそれでいてもう話さないと言いたげに力強く。
すると、アリスも僕の背に手をまわし抱きしめ返してくれた。
彼女の甘く柔らかそうな唇に目を向けた。両想いになれたのだ、もう我慢する必要はない。
僕はアリスと幸せなキスをーー
「なーにをしてるんですか!! 殿下あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
――することはできなかった。野太い声に邪魔され、次に鼻息の荒いおじさん連中が僕とアリスを物理的に引き離した。
「無礼者なんだ貴様ら!?」
せっかくのファーストキスを邪魔され怒り心頭の僕は邪魔者どもを怒りのまま叱咤する。よく見れば下手人は父上の側近と一部の大臣だった。連中は僕の叱咤をものともせず血相を変えて詰め寄ってきた。おじさん特有の加齢臭と香水が混じった不快な臭いがアリスのフローラルな香りを押しのけ実に不愉快だ。
「なんだはこちらのセリフですよおおおおおおおおおおお!」
「なんで、なんでこのような、ゲホゲホッゴフンッ!?」
「一体何をしてくれやがりましたんですかあああああああ!?!??!」
酒でも入っているのか全員顔を真っ赤にさせて言葉にならない絶叫を繰り返す。
……え、なにこいつら、こわ。
咳き込みながら息も絶え絶えに悲痛な叫びをあげ続ける大臣たち。唾が飛ぶのが見えて非常に不愉快だ。というか、こいつら本当に走ってきたのか、滝のごとく汗をかいて、それが香水の匂いと混じってめちゃくちゃ臭い。不快だ。しかも言ってることも支離滅裂でとにかく不快だ。不衛生だ。汚い。くさい。最悪だ。
「……貴様ら少し落ち着いたらどうだ」
「殿下がそれを言わんでください!!!」
なぜか怒られた。理不尽である。しかもそれを言った父上の側近は地団駄を踏み頭を掻きむしり続けている。ただでさえ髪の量が少ないのに禿げるぞ?
「貴様らがなぜこのような蛮行に及んだのかは知らないがまだパーティーの途中だ。即刻立ち去れ!」
「本当に何を言ってるんですか!?」
「この状態でパーティーなんて続けられるはずがないでしょう!!」
「お父上は、国王陛下はこのことを知っているのですか!?」
がちゃがちゃと意味の分からない事をまくしたてる大人の姿に困惑を通り越して恐怖を覚える。
普通の分別のある貴族は酔ってもここまで取り乱すことはない。普段から王族と接するような彼らがここまでの痴態を晒すなんて酒というのは恐ろしいな。
「ええい! こうしていても埒が明かん! ひとまず殿下を城へお連れせよ! ……陛下のご判断を仰ぐのだ」
「しかし、それでは我らの身が」
「そんなことを言ってる場合ではない! 下手をすると国が割れる一大事だぞ! ……最悪、我らの命は諦めよ。国の平穏のためだ……!」
「くっ……了解しました。外に馬車をまわします!」
「ああ、それと周囲の警備をしている騎士団に連行……もとい護衛の依頼もするのだ!」
「馬車は数台必要か。殿下以外の関係者も一緒に連れて行かなくては」
「い、イザベラ様は……ど、どうしましょうか? ……もしもがあった場合、あの宰相殿がどう動くか……」
「……関係者は全員連れていく。もちろんイザベラ様もだ。むしろ、早急に救出するのだ……本当にもしもがないように! 一緒にいる者が抵抗するようなら最悪殺害しても構わない! 急げ!」
何やらわちゃわちゃとやっていた集団からおじさん数人が走り出し会場の外へ向かっていく。普段は碌に走りもしないし、不摂生の影響か下っ腹が出ているというのに物凄い速さで駆けていった。
そして残った面々も円陣を組み、何やら小声で話し合っていると思ったら、一斉に振り向き凄い形相で僕を見つめてくる。
「な、なんだ!」
思わず一歩下がると、逆に奴らはジリジリと距離を詰めてきた。
そして、最も位の高い大臣が叫んだ。
「確保!」
「「うおおおおおおおお!!」」
「何をする貴様ら!?」
大臣の叫びを皮切りに連中は僕に襲い掛かってきた。
運動不足で腹部あたりの皮下脂肪が目立つ大臣らを1人や2人いなすのは難しくはない。実際に、襲い掛かってきた最初の3人までは華麗に回避できていた。だが流石に多勢に無勢でそれ以降の連中に捕まり胴上げのように持ち上げられた。
「離せ貴様ら! 酔っているからと言って無礼のも程があるぞ!?」
「申し訳ございませんがその命令には従えません」
「お叱りは此度の騒動の全てに決着が付きましたら改めてお聞きします! ……その時までに我々のうち誰が残ってるかは不明ですが。……首より上でもよろしいのならご存分に何なりと」
「むしろ誰か残っていられたら奇跡ですな!」
「悲観は後にしろ! このまま殿下を馬車までお連れするぞ!」
「やめろこの無礼者ども!! 僕を担ぐな!!」
「進め!!」
「「「おおう!!」」」
誰も僕の命令を聞こうとせず、上下に揺れる視界の中に愛するアリスの姿が見えた。
「アリス!」
「リチャード様!」
段々と遠ざかるアリスに手を伸ばすと、彼女も同じように僕に向かって手を伸ばした。けれど、アリスの両隣には女騎士と思われる連中がおり、僕の元へ向かうのを邪魔している。
「アリーースッ!!」
「リチャード様!」
それでも僕らは届かぬ手を伸ばし続け扉が閉まる瞬間までお互いの名を呼び続けるのだった。