外部サイトでは「なろうのゲーム小説ってクソゲーしかないよね」という評価があるようです
やあ、クソゲーはクソゲーとして楽しめるけどクソゲーの定義によっては許してはならないクソゲーってあるよね?な、くまだよー!
まずは「つまらないゲームがクソゲーではない」ことを明記したい。
とあるまとめサイトの記事に興味深いのがあった。
「なろうのゲーム小説ってクソゲーしかないよね」
というものである。
これを読んでいる読者の中にはゲーム物作品を好きな人も、書いている人もいるかもしれない。
なのでこの記事タイトルをみて不愉快に思う人は大勢いると思う。
くまもなろうのゲーム物作品はとても好きなジャンルだ。
だからくまはこの記事タイトルを見て思った。
「うん、(大半の)なろう小説のゲーム物のゲームってクソゲーしかないよ!」
と。
おっと、怒らないで読んでほしい。
ゲーム物作品が面白くない、クソだといっている訳ではない。
それは全く別の話になるのだ。
ゲーム小説作品と、作中ゲームは別で考えてほしい。
前述の「~クソゲーしかない」という記事も、ゲーム物作品がつまらないと言っているわけではない。
「ゲーム物作品の作中ゲームってよく考えるとクソゲーだよね」
という主旨なのだ。
基本主人公が物語を動かすので、主人公有利(もしくは不遇)で話が構成されているわけだ。
読者としては主人公視点で作中ゲームを見るわけなので、あまりクソゲー感というものを感じる人が少ないのかもしれない。
そもそも「(なろうの)ゲーム小説ってこういうもの(テンプレ)だよね!」という意識があるから、違和感を感じない、感じても甘んじてしまうのであろう。
くまは後者である。
別媒体で例えるならば、
クソゲーで有名な「スペ○ンカー」(個人的には否定したいが)などのプレイ動画を見て楽しむ
のと同じ感覚なのではと思っている。
プレイ動画をみている分には面白いが、実際にプレイしてみらどうだろうか?
プレイ動画=なろう作品であり、「スペ○ンカー」=作中ゲームなのである。
自分でプレイしたときにあの理不尽さに耐えられるのかどうか……?
それを踏まえて、あなたのお気に入りゲーム作品を主人公視点ではなく、モブ視点で考えてみてほしい。
……限りなくクソゲーだと思いませんか?
没入型VRゲームという空想カテゴリーにおいて、リアルスキルが反映されて俺ツエーする作品ありますよね?
これなんかは特に顕著にクソゲー判定されていいと思ってます。
いやだって、主人公以外どうやってクリアすんのさ?
みたいなバランスじゃないですか?
作品としては自分では出来ない爽快感を得られるので面白いのですが、いざ同じゲームを自分がやってみたらと思うとかなり微妙に思える人が多いのではないでしょうか?
この辺はまあ、良ゲー(難ゲー)を神プレイしている動画を見て思うのと同じ感覚を覚えるのではないかな。
なので正確にはクソゲーと呼んでいいのか微妙な所ですが。
ここまでは「個人プレイゲーム」としての「笑って許せるクソゲー」「愛すべきバカゲー」といえます。
が、不特定多数のプレイヤーが同じ環境でプレイする「MMO型」は完全にクソゲーです。
最もなのが……
・キャラメイク時にゲーム内で唯一の種族になる
・譲渡できないゲーム内で唯一の武具、アイテム、魔法が存在する
です。
物語としてはキャラ立てにとっても楽な設定ですけどね。
実際にプレイするゲームプレイヤーとしたらたまったもんじゃありません。
特にオンラインゲームなんていう、現実のリソースを費やした人ほど強くなれるという実状をガン無視してますからね。
現実のリソース(時間や現金)をつぎ込めば入手できる可能性(0.0000002%落ちでも)があればまだましですが、そのチャンスすらないのであれば不具合としか言いようがありません。
それを提供する運営が認めているというのであれば、クソゲー以外の何者でもないでしょう。
ゲームにはゲームを始めるに当たっての絶対的な前提条件が存在します。
これはデジタルなTVゲームでも、アナログなボードゲームなどでも、はたまたスポーツにでも共通する前提条件です。
それが何だかわかりますか?
全てのプレイヤーはルールに置いて平等であること。
これの前提が崩れている物が真なるクソゲーであります。
ゲームとして成り立たないからね。
例えばサッカー。
ある選手が得点すると3点になる。
あるポジションの選手じゃないですよ?
しかも相手チームのある選手のみに適用されてるとか。
例えばトランプゲームのポーカー。
ある一人だけ全員の手札を見て勝負できる。
そしてTVゲーム。
出荷した1万本のゲームの内、1本だけ普通では絶対に入手できない伝説の武器が初期装備です。
さてこんな前提条件で同じゲームをプレイした場合、あなたはなんと思いますか?
プレイ経験やフィジカル要因によって個人差はでます。
それはもちろんプレイヤーの向き不向きによって変わる要素です。
これはもうどうしようもない事です。
ゲームの結果というのは全プレイヤーに対して均等ではありえないのですから。
ですから、ゲームの前提条件としてルールは全プレイヤーに対して平等じゃなければならないのです。
ちょっとした段差から落ちただけで死亡判定が発生する。
不条理だけど、全プレイヤーがそうならばそれがルールです。
一見するととてもじゃないけど回避不可能な攻撃をしてくる敵がいます。
がんばれば倒せるのであれば、それはプレイヤーにとって平等です。
それを覆すのがイカサマ……いわゆるチート行為です。
ゲーマーを名乗るならば唾棄すべき行為……なのですがなろうでは容認されすぎてますが。
チート=ちょっとした有利な特典という感じに使われているように見受けられます。
おっと話がそれたかな。
長々と語りましたが、くまの「なろうゲーム小説の作中ゲームはクソゲー」論は如何だったでしょうか?
簡単にまとめると、作品を読んでいて少しでも「ありえない」と思ったらそれはクソゲーだと思います。
一般的にクソゲーと呼ばれるゲームでもそれを楽しめる人は何割か存在します。
その何割かにはいっているのがなろうゲーム主人公とその取り巻きたちです。
そのゲーム動画を見て面白いとおもっているのがなろう読者なんでしょうね。
もちろんくまもその内のひとりだと胸を張って明言できます。
ゲームにリアリティを持ち込む作品が多いけど、リアリティを重視しすぎるとクソゲーにしかならないと思うんだ