『日常』、まもなく開幕します
「ここが院長室だよ」
エレベーターを出て右に進むとすぐそこでベルたちを迎えたライオンと六芒星を模した花の模様が描かれた鉄製の武骨な扉を指してジルキッドは言った。扉には院長室のプレートの他にも『兼臨時理事長室』のプレートがとってつけられたように掛けられていた。
「随分――シンプルなんですね」
廊下を見回してもどの部屋も装飾や細工を施された扉――院長室だけ鉄の扉。
学院全体の厳格さと高貴さを併せ持った造りとは違う味がある。
「質素な人でね」
そう言ってジルキッドは扉をコンコンと叩いた。
「失礼します、ジルキッドです。転入生のベルトチカ・ウィント・ヘクタールを連れてきました」
「――待ってなさい」
扉の奥から聞こえる柔和な声――だがハッキリと耳に届くほどの力強さ。
直後、鉄の扉ががくんと震えた。そして軋みながら内に向けて扉が開いていき、院長室の中身を露わにした。
武骨な扉とは一変してこの学院特有の鮮やかだが強かさを感じさせる部屋――その中央奥の机の向こう側から初老の男――院長がベルのことを優しそうな眼付きで見つめていた。
「私がこの魔総院の院長兼理事長、ミッドチェスト・フォルフガングだ」
そう言っておもむろに立ち上がり、手招きするように言う。
「入ってらっしゃい」
ベルは言われるまま部屋の中に入る――後ろを振り向き一歩も動いていないジルキッドを見やる。
「僕は外で待っているよ」
そう言って後ずさり、一礼をする。その後扉がひとりでに閉まった――この時ベルは初めてこの扉が完全に防音になっていることを悟った――部屋に二人分の息以外の音が一つもしないのだ。
ミッドチェストがこちらに向かって歩いてくる。
「さて、ベルトチカ君。私は君の処遇を知っている――のは聞いているかな」
頷く――設定書の注釈に“何名かは正体を知っておりお前の学生生活を監視もといサポートするぞ”的な内容が書かれていた。
そして、院長がその内の一人。
「君も察しがついていると思うが、ここは君を隠し通すのに絶好な場所だ」
柔和な笑みを崩さずに話す――非常に掴み所がないとベルは感じた――ポーカーフェイスだ。
ただの見た目通りの物腰柔らかそうな男ではない――『理事会の決定』の話になんとなく納得。
「自分と外見年齢が似ている少年少女の中に一般生徒として紛れ込ませればもしかしたら諸外国のスパイの目から私という負の遺産を隠せる――という話でしたっけ」
あっけらかんと答えた――そんな『大人の事情』なんてどうでも良かった。
「ほほ、自分がどういう立場かその年で良くわきまえているね」
感心するように目を細めて微笑むミッドチェスト。
「君の言う通り、将に木を隠すなら森の中――しかもつい最近戦争賛成派の前理事長であるハイルドクトン・ベッケンゼンを追い出したばかりだから国際的な信用もそこそこある。積極的に霧を出しているようなものだね」
にこやかな顔のまま淡々と述べていく。この男は一体何がしたいのか――ベルは背中にいやな汗が浮かぶのを感じた。
不気味そのものの体現者。
「……つまり、何が言いたいのですか」
我慢できず、核心を突く問いを口走った。
その問いを聞いたとき、老人は歯が見えるくらいの笑みを浮かべた。
「要するに」
飛び切りの優しい微笑みになる――ベルの前に立つ。
「君の平和な学生生活を全力でサポートさせて貰う――という事だよ」
手を差し出された。
ベルは半信半疑の釈然としない顔でその手を掴み握手する。
ミッドチェストは何故か嬉しそうにうんうん頷いていた。
そして急にベルの手を放して背後を振り向き自分の机へと向かっていく。そして身を乗り出して机の引き出しを開けて書類を取り出した。
「ええと、そうそうこれだ」
「?」
手にした書類をベルに手渡す。表紙には『入学証明書』と書かれていた。
「すこし準備をするのに手間取ってしまってね、送り損ねた品だ」
「あ、ありがとうございます」
「ところでどのクラスに配属されるか聞いたことは」
「ああ、はい、あります――確か、『特殊体質専門クラス』、でしたっけ」
入学証明書に視線を落とす――『特殊体質専門』の字が。
「そうだ、我が院が去年立ち上げたばかりの新しいクラス――特別な体質や、身体的特徴に難があったりする子を扱うクラス――ジルキッド先生が担任をしている」
え、マジ――目を見開くベル。
「勿論彼は君の設定以上のことは知らないよ」
そーじゃなくてあの犬みたいに人懐っこいイケメンが私の担任かよ――嬉しいのか嬉しくないのか良くわからない複雑な気持ちになる。
「……まあ君が何に憂いているかは分からないけど彼の人の良さだけは保証しておくよ」
微笑み――てめえの保証なんざその怪しさ満点の笑みのせいで信じられねえんだよタコ――心の中で毒づく。
「えーと、それじゃあ……私はこれからこの『特殊体質専門クラス』へ?」
「ああ、外で待ってるジルキッド先生が連れていってくれる」
そう言ってミッドチェストは“これで話すことは終わった”といった調子で自分の院長席に戻る。
「では――楽しい平和な学生生活を。私たちはさっきも言った通り全力でサポートする」
「ありがとうございます」
半眼で答える――ぜってえ信じないからな。
ミッドチェストはにこりと笑うと机の上にある半球状の装置に手を当てた。するとベルの背後の扉が音を鳴らして開き始める。
一礼した後、ベルは一刻も早くこの不気味な老人の視界から外れたい一心でそそくさと部屋から脱出。ふと振り返ると相変わらずの笑顔でこちらを見つめていた。ゾッと血の気が引く――同時に扉が閉まった。
ああ、苦手だ――。
「どうしたんだい」
「いや、ちょっと疲れたなーと思いまして……ハハ」
天真爛漫に聞いてくるジルキッドから目をそらして皮肉な笑みを浮かべた。
「まあ、いい人だけどちょっと怪しいところはあるよね」
肩を竦めつつベルに同情――いや、ちょっとどころじゃないでしょというツッコミはあえてしなかった。代わりに誤魔化すように笑う。
「じゃあ、話も聞いただろうから、改めて自己紹介させてもらうよ――僕はジルキッド・スタグフォース、『特専クラス』――『特殊体質専門クラス』の担任をやっている」
求められるように差し出された手――ベルはそれを掴み、力強く握り返した。
そして浮かべる向かところ敵なしといった笑み。
「私はベルトチカ・ウィント・ヘクタール――サウスブルデン出身の、田舎娘です」
設定を述べる――本当の私ってなんだろうな――そんな考えが頭を過った。
♰♰♰♰♰♰
「おい、聞いたか」
「なんだよ」
ベテンダース王立魔術総合学院第四学習棟の地下教室――そこが特専クラスの場所だった。
いつも騒がしいクラスだが今日は更に上回る熱気がこもっていた。
なぜならば。
「転入生の話だよ、どうやら女みたいだぜ」
金髪の刺々しい髪形をしたいかにも悪ガキといった男が言った。
転入生――ベルトチカ。
どうやら女らしいという情報を聞いてクラス中は更に大騒ぎに――『マジか』『どんな子だろう?』『本当に女かよ、聞き間違いじゃねえの』『本当だって』エトセトラ。
「仮に女だとしてさ」
くすみがかったブロンドのロール女――いかにもお嬢様然とした雰囲気。
「どんなやつなのかしら」
「さあな、そこまでは分からねえよ」
金髪の悪ガキが両手を上げてお手上げのポーズ。
「つっかえねえなフッド」
あーあと興味を失ったように椅子にもたれかかるスポーツ刈りの男――東側の血統を引き継ぐ黄色いの肌の色。
「なんだとコラ、文句あんのかタカノリ」
立ち上がる金髪男のフッド。
タカノリと呼ばれた男は気怠そうに手を振って
「だあってよお、可愛い子ならいいけどさ、げんなりするほどのぶすだったらいっそ『女の子』なんて情報聞きたかねえよ」
周囲にもっともだという空気が形成される。
言葉に詰まったフッドは分が悪そうに座る。
「でも、どんな子なんでしょうねえ」
ぽわぽわした感じの少しふっくらとした女の子――黄色の髪を後ろに両サイドに束ねている。
「お、じゃあ賭けでもしてみるか?」
赤い髪のポニーテール男――醸し出されるギャンブラー気質。
「負けた方は一週間パシリでどうだ」
「さーんせー!あたしは可愛くない方に賭けるわ」
面白がって赤髪ポニーテール男の意見に乗る青いツインテール女――性悪そうな笑みを浮かべて楽しんでいる。
「ちょっと、そんな事しちゃいけませんって」
過熱しているクラス全体を何とかして宥めようとしている眼鏡の黒髪の長髪女――クラスの委員長といった風情。
「いいだろ委員長、そんなお堅いこと言わずにさ」
ポニーテール男が片目でウィンク――楽しめよと言外に通達。
「貴方はいっつもそうなんだから……少しは人を賭けの対象にするのを辞めたらどう、ジーク君?」
だがポニーテール男――ジークは肩を竦めて委員長の話などどこ吹く風。
周りも面白がって賭けに参加し始めたせいで委員長も歯止めが効かなくなったと悟り『もう勝手にして』と早々に抑制するのを諦めた。
結果――委員長他騒ぎに興味を示さない数名を除いた31名の『転入生は果たして可愛いのか、それとも可愛くないのか』の賭けは可愛いに16人、可愛くないに15人という並びとなった。
「見事に半分、てとこだな」
ニッと笑うジーク――『可愛いと思う側』に立っている。
「なんてことだ、我がクラスにこんなにも現実主義者がいたとは」
愕然とした調子で呟くブロンド短髪のガタイの良い大男――『可愛くないと思う側』に立っていた。
「お前はもうちっと夢を見ようぜ、フロルド?」
「断る。ジークのように夢見がちでフラフラとした生き方をしたくない」
「正論かましてんじゃねえむっつりヤロー」
にへら顔のフッド――意地でも『可愛いと思う側』を選択。
教室が言い争いの坩堝になりかけた時、一人の女の目が教室の扉の方を向いた。
「どうやら噂をすれば影のようだぜ」
片方の目だけを露わにした紫の長髪の女が、眼光を鋭くして言った。
周囲の人間はすぐさま騒ぐのを止めて各々の席に着き始めた。紫髪の女の後ろに座った金ロールのお嬢様風は机の上に身を乗り出して耳打ち。
「いつもあんたの『地獄耳』には感謝してるわよ、クラリッサ」――可愛いと思う側。
「いつでもあたしの『耳』に頼ってくれ、マリー」――議論に参加していない。
暫くすると廊下の方から二人分の足音が響いていた。
クラス中に緊張の空気が張り巡らされる――一体どんな奴がウチのクラスにやってきたのか。
「ところでさ、マリー」
ぽしょぽしょと小声でマリーに話しかけるクラリッサ。
「何さ」
同じように小声で対応。
「いつもアンタが賭けに出るときは周りの様子を見てからにしてるけどさ、どうして今回ばかりは自信ありげにに真っ先に『可愛いと思う側』についたんだ?」
クラリッサ本人にとっては単なる疑問の域を出ていない――マリーは目を細める。
「可愛い子が来た方が色々と捗るでしょ」
肩を竦める――クラリッサは“ふーん”といった感じ。
すると足音が止み、ジルキッドの声が扉のすぐそこから聞こえてきた――『ここが特専』だとかなんだとか。
そして。
クラス中が唾を飲み込むと同時に、扉は開け放たれ――。
「えーと、みんなにお知らせがあります……その様子だと何かしら分かってそうだけど、今日は転入生が来ています」
クラス中の神妙な顔つきに少し呆れたように笑う。
背後に目を向けて、外にいる人物に入ってくるよう促す。
「えー、彼女がその転入生だ――」
少女が足を踏み入れた。
華奢で今にも折れてしまいそうな、愛らしい少女だった。
ボサボサの真っ黒いボブカットに血のように赤い深紅の眼――どことなく挑戦的な顔。
どこかがさつだが色白い肌は少女の可憐な顔立ちをより一層強調させる。
誰かが呟いた――「賭けはどうやら『可愛いと思う側』の勝ちみたいだな」――その言葉にクラス中が心の中で頷いた。
「ええと」
少女が言葉を漏らす――何から話せばいいのかといった顔。
「私の名前は――」目が泳ぐ――何も言わなければ始まらないと思いを決める「――ベルトチカ・ウィント・ヘクタール、です」
ロール女――マリーがじっとベルのことを見つめる。
その視線に気づいたベルは一瞬だけ目を見開き――居心地が悪そうに困った顔になる。
「彼女はこれから君たちと共に勉学に励む仲間だ、是非歓迎してあげて欲しい――それじゃあベル君はあそこの端っこに空いてる席へ」
あからさまに嫌な顔になる――マリーの隣。
“マジかよ”といった顔でしぶしぶ向かう――クラス中はなぜこの女の子がこんなにも不機嫌そうなのか分かっていない。
そして席に着いて、マリーの方を見た。
「こんにちは、ベルトチカさん――私、マリーっていうの、マリー・アートマン――今後とも宜しくね」
ふてぶてしい微笑みで握手を要求する。
本日何度目の握手だろうかと考えながらムスッとした顔でベルは握手に応じた。
「宜しくマリオ――じゃなかったマリーさん」
互いに手を振る――お互いに知っている手。
ベルはこれから先のことが思いやられる気分だった。
――ああ、最悪だ。私の平穏はどこへ行ってしまったのだろうか――。