第六四話 悪い人
「イップス……ですか?」
「そうだね」エナの問いに、ボクは答える。「結論から云えばボクがもう、生物を攻撃することができない」
「どうしてですか?」
「さあ、恐らくはなにか、ストレスだとは思うけど」
「ストレス……?」
「うん」
ストレス――。
その要因となっているのは、間違いなく彼女……ユーフだ。彼女の意志がボクの中で渦巻き、鎖のように重く巻きついている。その所為でこの躰は思うように動かなくなった。なにかを傷つけること、攻撃すること、そういうことに対して、ひどく臆病になっている。
呪いだ。
そう思った。
けれども、それが彼女の呪いであるならば、すこし、嬉しい。
ボクの中で、彼女が生きている。
そういったことを実感できるから、心がすこし、温かくなった。
しかし状況が悪い。
スカイを助けるために、ボクはなんとしてでもこのクエストをクリアしなければならないというのに、攻撃手段が失われてしまったことはかなりの痛手だ。既に証言メモを手にしてしまっているから戦闘に巻き込まれる可能性が高いというのに、これは本当に困った状況になったと思った。
思った?
本当にボクは、困っているのか?
切羽詰っているのならば、ユーフの呪いなんて、発動しないと思うけど。
スカイを救うために、容赦なく剣を振うと思うけど。
スカイとユーフ。
ボクが、大事にしているのは、どっちなんだ?
決まっているのに。
そんなことは、判りきっているはずなのに……。
「そこまで分析できているのに……どうしてお師匠様は攻撃できないんでしょうね?」
「分析できることと実行することとにはかなりの差異がある、ということなんだろうね。ほら、云うは易く行うは難しってよく云うだろう」
「……そうですね。たしかに、踊りが得意なムカデが自身の踊りを分析して踊れなくなった、っていう寓話があった気がします。お師匠様の場合、分析しすぎてダメになっている可能性もあるかもしれませんね」
「ともかく、結果として攻撃ができない以上、これからボクたちがとれる行動はさらに制限されるね」
一応で状態異常をかけることはできるみたいだから、ボクが補助にまわってエナがアタッカーとして機動することも考えられるけど、どう考えてもそれは愚策だ。エナには悪いけれど、エナを戦力としてボクは数えられない。そこまでの余裕は、ボクにはない。
「地道にウサギ狩りをするしかないのでしょうか……」
「それしかないだろうね」
肯定しつつも、それが絶望的なものであることはすぐにわかった。
そんな悠長な時間、あるわけない。
あるかもしれないけど、それは相手のミスを待つことに等しい。
自分の手ではどうすることもできない状況。
そんな状況にどんどん陥る。
落ちて行く……。
「……お師匠さま? どこに行くんですか?」
「ごめん、もう一度試す」
「試す?」
「もう一度だけ、敵に攻撃してみる」
そう云って、ボクはスカイを強く想いながら剣の柄を強く握りしめた。
けれども、結果は同じだった。
押し寄せる苦悩と後悔がボクから行動する意欲を削ぐ。躰が鈍くて、重い。もう、動きたくないし、やる気も出ない。しかしそういった感情は理性で御し、合理的な判断なもとボクたちはひとまず捕まえたウサギを判別するためにエルフの村へと戻った。急ぎクエスト主のもとへと駆け寄るとボクは捕まえたウサギを手渡す。一応でこれが正解ならばボクの懊悩なんてすぐに消えて無くなるのだけど、結果は外れ。最初に手に入れた証言メモは嘘の証言であるということが判ったことだけが唯一の好材料と云えた。あくまでもポジティブに考えての話だ。
とどのつまり、ボクたちはまた振出しに戻った。
次にボクはエナからメモを入手できるという村人の居場所を訊いて、そこを訪ねた。
入手できた証言メモは以下の通りである。
◆防具屋『武器よさらば』店員、ノグリチスの証言◆
―― 赤毛で 青目で 短毛で 片羽で 何事にも動じない のが幸運のウサギだ ――
―― 勇敢なるエルフの息子、それがノグリチス。私は断じて嘘は許さない。私は断じて嘘を吐かない ――
「この人が本当に嘘つきじゃなければいいんだけどね」
どうも、ここまで熱心に嘘は吐かないと云われると、不信感の方が先にきてしまう。しかし思えば、それはいったい、それはどういう感情なのか。必死になっている人ほど怪しく思えるというのは、仮にそれが事実であった場合に相手の心意を踏み躙るひどい行為だというのに。もしかしてボクは、嘘を肯定しているのか? 嘘は嫌いなはずなのに、深層心理で嘘を肯定しているから、嘘を吐かないという人間が信じられないのか?
なんて。
嫌なことがあると、ボクの思考は明後日の方向へと飛ぶ。くだらないことで悩み、つまらないことで挫けそうになる。勝手に、独り善がりで。こういう時、誰かが近くにいてくれればそんなこともなくなる。近くに誰かがいるだけで、そういった思考が取り除かれる。それを、ボクはユーフと一緒にいて学んだ。彼女といる時は、あまり、こうした考えが浮かばなかった。生きる意味や意義なんてものに悩んで、一人溜息をつくこともなくなっていた。ボクは思う。やはり、ボクの中で彼女の存在が大きくなっている。彼女が死んだことによって、その存在が徐々に膨らんでいてることに、気づく。
このままだと、ボクは本当にダメになる。
そう思った。
「お師匠さま」
誰かがそう云った。
ボクは前を見据える。
虚ろな瞳の少女。
三白眼の少女。
誰だ、こいつ?
どうしてボクは、こいつと一緒にいるんだ?
何故。
なんの理由で。
ボクは、一人でいるべきなのに。
一人でいようと、考えていたのに。
そんなことを思っていると、少女はにへらと笑った。
笑って、短刀を自身の手首に突き刺した。
流れる血。
赤い、血。
彼女は云う。
「お師匠さま。エナをみてください」
目を逸らさないでください。
「エナは、ここにいます」
いるんです。
「だから、どうか、忘れないでください」
その存在を。
その意義を。
「……悪かったよ」
「本当にそう思ってますか?」
「思ってる」
「本当に、本当ですか?」
「いや、実はそうでもない」
「ですよね」
ぐさり、とエナはもう一度笑顔で自分の腕にナイフを突き立てた。
ボクは慌てて冗談だと云った。
「本当ですか?」
「ほんとだよ。だから、自傷行為はやめてよ」
「本当に、エナのこと、わかっていますか?」
「わかってる。わかってるから」
「適当なこといってませんか?」
「いってない」
「本当ですか?」
「……」
どうして、ここまで執拗に問うのだろう?
もしかして、ボクの答え方は実は違っているのか?
肯定することは、間違っている?
熱心になればなるほど不信感が募るように。
ここは、嘘でも否定することが正解なのか?
考える。
考えて、ボクは云う。
「いや、実はそうでもない」
ぐさり。
エナは自傷した。
「やめて!」
◆◆
「次自傷したら、ボクは君の師匠をやめるから」
「はい」
「絶対だからね」
「……」
「返事」
「……」
「返事は?」
「……はい」
しゅん、と項垂れるエナ。一見してそれは落ち込んでいるように見えるけれど、しかしどうだろう。たぶん、この子はまたなにかあれば自傷すればいいやと考えているような気がする。その証拠に彼女の後ろに回した手には未だ短刀が握られていて、手遊びにしているのが見え隠れしている。それを尻目にボクは溜息を吐いて、目を瞑る。なんだか、性質の悪いスカイを見ているようだった。スカイもスカイで怒られても平然としていたし、まあ、そこがスカイのものすごく可愛いのところなのだけど、しかしこの子はどうだろう? 考えてみると、ボクをお師匠さまと呼んで慕う姿はどこかスカイと通じるようなところがある気がして、そうなるとどことなくではあるけれども愛嬌があるような感じがしてきた。じゃあエナが可愛いかと云われれば、そんなことはないけれど。自傷癖のある面倒な奴としか思えないけど、だけどしかし、やっぱり悪いやつではないという認識がボクの中で確定し始めてきたようだった。とはいえ、ただでさえ時間がないというのにこんなくだらない茶番で時間を潰してしまったことはかなりの痛手だと思った。もう無駄話をしている時間も惜しいと思ったボクはひとまずエナを連れてエルフの村を離れる。
けどその時、エルフの村の入口でなにやら賑やかな声が響いて来た。足を止めて目視すると、数にして八人ものプレイヤーがぞろぞろと歩いてくるのがわかった。同時に相手もボクのことを認識したようで、その団体の一人が大きく手を振ってきた。ボクがそれに応えるべきか悩んでいると、彼女は長いツインテールを揺らし近づいてきた。
「こんにちわなのです!」
ボクは答えない。
面倒だったから、代わりにエナを差しだして一人森の中へと移動しようとした。
けどいない。
エナは忽然と姿を消している。
あいつ、ボクよりも人嫌いなのか?
「……こんにちわ」
ひとまずここにボクしかいない都合上、ボクは已む無く返事をする。
すると恐らくテイマー職の彼女はにこりと笑った。
「あなたもクエスト参加者なのですね?」
「そうだけど……」
なんだか、特徴のある言葉遣いだな。
そう、ボクは思った。
「ちょうど良かったのです。私たちもいま、ちょうどに来たばかりなのです!」
「ふうん……」
「メモ、入手してるのですね?」
と彼女はボクの頭上を指差して問いかけてきた。
頷き、ボクも彼女の頭上を確認する。
そこにはボク同様、証言メモを保有しているというマークが表示されていた。
来たばかりなのにメモを入手してあるということは、この人は意図して村人からメモを受け取ったということだろうか。ということは、戦闘をしてメモを入手していこうと考えている人たちなのだろうか?
そんなことをボクは考える。
「取引しませんか?」唐突に彼女が云った。
「取引? なにを取引するの?」
「証言メモをなのです!」そう云って、彼女は振り返り他のメンバーを指差した。「実を云うとですね、あそこにいる人たち、ギルドはバラバラだけどみんな私のお仲間なのです!」
「……それで?」
「簡単な話、私たちは仲間内で証言メモをやり取りしているわけなのです。だけど今回、あんまり運が良くなくて、もう被りまくり。結局、四組で二種のメモしか入手できなかったのです。さてさて、それじゃあどうしたものかなーって考えているとそこに! あなたがいたわけなのです! というわけで、あなたが持っているメモは表示をみる限りに二種なのでしょう? だから、等価交換を申し込むのです!」
「等価交換?」
「つまり見せ合いっこしましょうってことなのです」
「…………」
ボクは考える。
まず最初に、彼女がボクのことを騙している可能性。だけどそれは、あり得ないかも。だって、メモを入手したければ最悪、武力でボクをやっつければいいのだから。ボクは現状一人で相手は八人もいるのに、実力行使をせずに交渉を持ちかけてきているというのは、恐らくで非戦闘民。戦うことが嫌いな人のような気がした。きっと、和気藹々としたほのぼのグループなのだろう。この手の集団はわりと自分を吐露するというか、信用に足る人が多いとボクは考えている。ということで次に、この交渉がボクにとって不利になるかどうかを考える。二種と二種との情報交換……一応で最悪、ボクたちで交換するメモすらも全部被る可能性はあるけれど、そうなったとしても痛み分けというか、こっちにはなんのダメージはない。そして逆に、被りが一枚もなかったとしても、双方入手できる情報の最大入手量は四種なのだから、総てを集めきるまでには至ることがない。つまり、交換した瞬間に即謎解きが始まるなんてことや、ウサギ探し競争になるなんてことを危惧する必要はない、ということだ。仮にそうなった場合、単純に相手は八人もいるので、同じスタートラインからウサギ探しを始めてもボクが勝てる見込みは相当に少ないだろう。というわけで現状、この取引はボクにとってかなり良いようなものだと思えた。第一、ボクは所持するメモの内一枚は外れであることを知っているのだから、クエストを受けたばかりだという彼女たちと比べたら優位な立ち位置にいるわけだし。
「取引しよう」
ボクが答えると、彼女はにこりと微笑んだ。
「えっと、それじゃあさっそくメモをだけど……」
「待つのです」と、彼女はメモを取り出そうとするボクを制止した。「云い忘れていたけど、メモは普通に見せ合っても意味はないのです。メモが見えるのは同一パーティの人だけで、私たちが見せ合っても文字は読めない仕様になっているのです!」
「そうなんだ。それじゃあ口伝えで、ってことかな」
「それも無理なのです」
と彼女は突然に口をぱくぱくとし始めた。
なにをしているんだろう?
そう思っていると、彼女はにこりと笑い「聞こえたのです?」と云った。
ボクは問う。
「なにが?」
「いま私、ウサギに関する情報を口にしたのです」
「ほんとに?」
「はいです」
「……ボクも試していい?」
「もちろんなのです!」
ということでボクはメモを一枚取り出し、発声を試みた。
が、不思議なことにボクがメモの内容を口頭で説明しようとすると声が出なくなって、ボクも口をぱくぱくとした。
大分、滑稽な姿だったと思う。
「と、いうわけでこういった現象が私たちの間では起きてしまうのです!」
「それじゃあ情報交換のしようがないね」
「だから暗号化が必要になるのです」
「暗号化?」
「五十音順に沿って文字をずらして伝える方法なのです。たとえば三文字ずらしなら『アイス』は『エオタ』、『くるみ』は『サワモ』とかってなるのです」
「濁音や拗音とかはどういう順番になるの?」
「無視するのです! 濁音なら濁点をとって、小さい文字なら大きい文字に直して伝えるのです」
「使うのは五十音だけ、ということだね?」
「なのです!」
「なるほど」
一応でボクは頭の中で彼女が例として出した『アイス』と『くるみ』を三文字ずらしにしてみて、きちんと成立するかを考える。
とりあえず、大丈夫そうだとボクは思った。
「それじゃあ証言メモも三文字ずらしで書くってことでいいかな?」
「いいえ、ダメなのです」
「どうして?」
「それじゃあ面白くないからなのです。もうひと手間加えるのです!」
「ひと手間?」
「はいです。言葉をずらした後に文字をシャッフルして書く……たったそれだけなのです! さっきの例分を引用するなら、『エオタ』は『オタエ』、『サワモ』は『ワサモ』とかって表記するわけですね!」
「べつに、それくらいのことならしなくてもいいと思うけど」
「ちょっとした遊び心なのです! こういった小さな遊びが人生を豊かにするのですよ?」
「……」
「嫌なら、この話はなかったことにしてもらっても結構なのですけど……」
「……わかった。いいよ」
もとより、ここまで時間を浪費して断るという選択肢はボクにはない。
というわけでボクたちは証言メモを暗号化し、それを互いに交換し合った。
「ばいばいなのですー!」
手を振る彼女たち一行を見送り、ボクは一人、その場に座ってメモを解読し始める。暗号自体は三文字ずらしなのですぐにその変換作業は終わって、次にシャッフルされた文字を並び替える作業へと入った。これが存外、楽な作業だった。意外と人は文字をシャッフルさせても読めるようにできているようで、すぐに答えは見つかっていった。しかし、どうしてもわからない箇所が出てきた。それは、ウサギの性格的特徴の部分。身体的特徴は多くても五文字程度だし、ある程度言葉の予測がたてられるので良かったのだけど、性格的な特徴に関しては文章になっているので非常に厄介だった。一応で総ての組み合わせを試すという方法もあるけれど、例としてノグリチスの証言にある『何事にも動じない』という文章の場合には一一文字なので、一一の階乗で組み合わせは三九九一六八〇〇通りになる。いや、嘘だろう? 考えて、正直無理だと思った。仮に、ボクがウサギの性格的特徴の総てを知っているならばまだ推理する余地はあるけれど、それを知らないボクにこれを解読することはできるのだろうか? 人間の持つ閃きに賭けるという手もあるけれど、そんなことをするくらいなら諦めてさっさとウサギ探しにでも出かけた方が……。
「あと一分だけ……」
ボクは、思考する。
ボクが解読すべき証言は九文字と一〇文字。
その順不同の文字列から、答えを推理する。
推理する……。
「無駄です」
背後から声が聞こえた。
ボクは振り返り、答える。
「エナ、どこにいってたの?」
質問に、エナは答えない。
ともかくと、ボクはエナにもメモを手渡して解読を手伝ってもらおうとした。
けど、エナは受け取らない。
それどころか、エナはメモ用紙を汚れたゴミかのように扱い、身を引いて距離をとった。
「エナ?」
ボクは彼女の名前を呼んだ。
彼女の手は小刻みに震えている。
「悪い人……」
エナは云う。
「あの人たちは、悪い人なんです……っ!」
「悪い人? それってどういう……」
その直後のことだった。
微かにではあるけれど。
僅かにではあるけれど。
森の中から悲鳴が聞こえた。
悲鳴が、風にのってここまで響いた。




