第五話 メロディアス・スカイ
人の気配がまったくない。
場面はすこし薄汚れている、というよりは生活感があると形容したほうがよさげな路地へと変貌していた。
メインストリートから近い住宅街はかなり綺麗な感じだったけれど、たぶん、これがリ・ミミニ住民の多くが住まう本来の場所なのかもしれない。一軒一軒に家族があって、一人一人に物語がきちんと設定されているみたいに、この住宅街はきちんと鄙びている。
「よく作り込まれているね」
云いながら、ボクはスカイの頭を撫でた。
スカイは額から顎へとかけて優しくなでてやるといつも目をとろんとさせるから、見ていて飽きない奴だった。
「ここは、どういう意図で作られたんだろう」
ボクはスカイに訊いてみた。
言葉もわからない癖に、スカイはいっちょまえにギャフーと答えた。
じつはスカイは人間の言葉をきちんと理解しているのかもしれない。
言葉をアウトプットする機能がないだけで、ちゃんとボクの言葉が伝わっているとしたら、すこし、危うい。
ボクは時々、甘ったるい声でスカイを甘やかす癖があるから、普段の大人しいボクとのギャップを内心、小馬鹿にされている可能性が浮上した。
いままでの会話を思い返して、すこし恥ずかしさがこみ上げてくる。
もう、甘えるのはやめよう……。
これからは心機一転して、鉄のように堅く冷たい心でスカイと接することを、ボクは密かに心がけたのだった。
「冗談だけどね」
そんなわけでしばらくの間、ボクはスカイとエア会話を楽しみながら路地を歩いていた。
それから恐らく一〇分ほど経ったところで、ボクたちは小さな看板のかかったお店を発見した。
クエストショップだ。
「こんなところにもあるんだ、知らなかったなあ」
何度かこの町には来ていたがけれど、この店をボクは知らない。
基本、プレイヤーにとって必要なお店はメインストリートにすべて軒を連ねているから、こうしたなにもない路地をうろつく人間はよほどの暇人か、観光目的か、イベント、または鬼ごっこなどの私的な遊び以外、存在していない。『ムーン・イクリプス』内の景色が綺麗なところを動画にしてアップロードしている同人観光課なんてのも存在しているけれど、基本的にアクセス数が稼げるのは大自然か巨大建造物ばかりだったし、ともするとここは誰も知らない隠しダンジョン的な存在なのかもしれない。
このお店限定のオリジナルクエストでもあったりするのだろうか。
すこしわくわくしながら、ボクはクエストショップに入店した。
室内はコーヒーの香りが充満していた。
ボクはコーヒーがあんまり得意じゃないけれど、コーヒーの香りは好きだった。
ボクのなかでこの香りは、静かな冬を連想させる。
店内を見渡すと、店主と思しき精悍な男が新聞に目を通している。
顔を上げる気配はまったくない。
NPCだからこその行動だと思うけれど、ボクは人に見られることが好きじゃないから、そのそっけない態度にむしろ好印象が上昇する。
店内にはボクの他にはだれもいなかった。
NPCも、プレイヤーもだ。
ここが自然美しい秘境でもあったならば隠れ家的お店だと言い張ることも可能かもしれないけれど、鄙びた街中にあったのでは場末の喫茶店とでも形容したほうがずっと似合っている。
あんまり汚れていない木製の床を踏み歩いて、店主に話しかけた。
店主は反応しない。
ゲーム時と同じように、目の前にクエスト一覧が表示された。
結論からいって、なんてことはない、ただのクエストショップだった。
そりゃそうだ。
特殊クエストがある場所なら、ネットに情報がアップされていて、逆に有名になっているはずだ。
今や現実世界でさえ、秘所や名所が失われつつあるくらいなのだから。
知識不足は検索不足。
はじめてオンラインゲームをした時に、知らない誰かにそんなことを云われたことを、ボクは思いだす。
嘆息しながら、上から順序に受注可能なクエストを眺めていく。
これからボクは特定ギルドから離れるための旅をするから、その道中で暇つぶしできそうなクエストが良かった。
大別して、クエストには条件を満たしてからクエストショップに報告し、報酬を貰うタイプのものと、条件を達成した時点で報酬がもらえるものとがあるから、ボクは後者のものを重点的に探す。
なかなか見つからない。
ハローワークに通っている人達はこんな気持ちなのだろうかと思う。
すこし萎えてきた。
とりあえず、受注できるだけのクエストをボクは全部引き受けていくことにした。
「ん?」
その途中、赤い文字でNEWと書かれているクエストを発見する。
ボクが何かしらの条件を満たしたことによって発生した、新規クエストだろう。
「メロディアス・スカイ?」
それがクエストタイトルだった。
指で画面をタップして、詳細を読む。
伝承やら神話などを交えてプレイヤーの取るべき指針が長々と書いてあったけれど、要約してしまえばブルークラウドを連れた状態でニルキリルの森に行け、とそういう内容だった。
「これ、君専用のクエストだね」
「ギャフ」
「クリアしたら、どんな報酬があるのかな」
「ギャフ、ギャフ」
「なに? もしかして知ってるの?」
「ギャフー!」
「わ、すごいね。じゃあ教えてよ」
「ギャフ、ギャフ」
「うん」
「ギャギャフ」
「日本語でしゃべってよ」
ボクはスカイの頬をぐにっとする。
よだれが指についた。
お腹でもすいているのだろうか。
そういえば、ニルキリルの森で黄金のリンゴがドロップすると訊いたことがある。
黄金のリンゴは昔、ギリシャ神話を読んだ時から食べてみたいと思っていたから、ボクとスカイのおやつがてら狩りをして、ついでにブルークラウド専用クエストも遂行しようかな、とボクはクエスト一覧表示を閉じて、ショップを後にした。
頭の中ではもう、スカイと一緒に黄金のリンゴを食べているイメージが膨らんでいた。
どんな味がするんだろう。
美味しいのかな。
甘いのかな。
想像するだけで、とってもわくわくしてきた。
「行こう、スカイ」
ボクたちはリ・ミミニを出ると、ニルキリルの森へと急いだ。
太平楽なプチ旅行。
そんな気分だった。
このクエストがボクとスカイにとって、長く辛い旅の始まりになろうとは、まだ知らない時分。
美しい旋律が訊こえてきそうなほどに、空は綺麗に晴れていた。