第五三話 月
魔力を帯びた大剣は消え入りそうな悲鳴を上げて遮るもの総てを引き裂き、黒い一条の線を描いた。線の始点はユーフの手元にあり、終点はキングタートルの後方に聳える岩壁まで伸びている。大剣は、コアとなる宝石を跡形も残さずに破壊したあと壁に穴を穿って静止した。キングタートルは最期の断末魔をあげるでもなく、ただゆっくりと倒れて光となって消えた。取り巻き達も同じように、光となって消えた。
洞内に、水を打ったような静けさが押し寄せる。
その静けさを享受できるのはボクたちだけ。
ここに残っている、ボクとスカイ。
それと――
ユーフ。
ただ、それだけだった。
「わあー!」
ユーフは快哉を叫び、こっちに駆けてきた。恐らく、このままだとまた体当たりにも似た勢いで抱きつかれるだろうから、ボクは正直逃げたかったのだけど、躰がいうことを訊かない。本当に、疲れていた。いっそのこと、スカイと一緒に空へと逃げてしまおうかとも思ったけれど、横目で確認したスカイの表情もどこかお疲れの様子だったから、ボクは嘆息して覚悟を決める。
ばたん。
途中でユーフが倒れた。
ボクに抱きつく前に倒れた。
ボクは焦って駆け寄る。
躰を起こして、肩を叩く。
反応はない。
「すう、すう」
「……」
寝てる。
ユーフは寝息をたてて眠っていた。
嘘だろう。
というか、顔面から地面にぶつかっていたけど、どうして寝れるんだろう?
不思議だった。
「困ったね」
ボクはユーフを膝枕しながらスカイに同意を求めた。
スカイはがるると鳴いて、どちらともわからない返事をした。
低い声で。
大人の声で。
「スカイ」
ボクが改めて名前を呼ぶと、スカイはそっと屈んでボクに頭を寄せた。
座ったままボクはその頭をゆっくりと撫でる。
何度も。
何度も……。
急に、スカイの躰が発光を始めた。
それは少し、ボスたちが消えたエフェクトと似ていたからボクは思わずその躰を強く抱きしめようとした。
けれども、それは失敗する。
スカイを包みこむ光は徐々に小さくなって、最後にぱちんと弾けた。
光が弾けた後、
そこには小さなスカイがいた。
ボス戦前の姿の、もとの姿のスカイがいた
「ギャブ」
スカイが鳴く。
抜けた声で。
幼い声で。
ボクは、その小さな躰を両腕で抱きしめる。
「良かった、もとに戻って」
「ギャフ?」
「もうずっと、あのままかと思ったよ」
「ギャブー」
ボクはスカイの両脇に手を差し込んだ。
なんだかとても、高い高いをしてあげたい気分だったから。
だからスカイの躰を持ち上げた。
だけど。
「……あれ」
なんだろう。
重い。
それに、躰もちょっと、硬くなっている。
そこでようやく、ボクは、スカイがもと通りに戻っていないことに気づいた。
すこし大きくなっている。
体格自体もそうだけど、爪や牙も伸びている。
それらはたしかに小さな違いではあるけれど、それでも変わったと断言できるほどの差異があった。
クリスタル――。
恐らくスカイは、クリスタルを食べることによって成長していくのかもしれない。だからスキルを覚えるというのは副次的なものであって、成長するしたがって自然と獲得していくものであって、クリスタルの役目というのはスカイを大人へ成長させることにあるんじゃないかと、ボクは考える。
「……メロディアススカイ、ね」
なるほど。
そっか。
きっと、このクエストを終えた時にスカイは本当の大人になる。
今回の一時的な急成長はたぶん、その片鱗をプレイヤーに見せるために存在していたのかもしれない。
青写真として。
この先、スカイはこうなるということを伝えるために。
ボクに。
教えるために……。
「ねえ、起きて」
ボクはユーフの肩を揺する。
しかし、やっぱり起きない。
彼女はすうすうと眠り続けている。
いつもは起こせば割とすぐに起きるのに。
起きて、よだれをつける癖に。
つけてまた眠る癖に。
今回に限ってはわりと本気で疲れているのかもしれない。
たしかに、ボクだってスカイだって満身創痍なのだから、一番の功労者でる彼女が疲れていないはずがない。
しかたがないとボクは、日頃の感謝も兼ねてしばらく寝かしたまま彼女の頭を撫でることにした。
ついでにじゃないけれど、おいでとスカイの躰を引き寄せて、ユーフとかわりばんこに頭を撫でた。
「ふわあ……」
なんだか、ボクも眠くなってきた。
座ったり横になったりするとHPもMPもSPも少量ずつ回復していくから、ちょっとボクもここで微睡んでしまおうかな。
そんなことを考える。
だけどちょっと、もったいないかも。
いまはとても気分がいいから、あんまり眠りたくもなかった。
うつらうつらとしつつも眠気を我慢していると、最高に気持ちが穏やかになって、世界が淡く、柔らかな陽光に包まれた。
たぶん、夢だろう。
その時ボクは、たしかに青空を仰ぎ見た。
隣にはユーフがいて、一緒に空を眺めている。
その空は綺麗で、透き通っていて、どこまでも、どこまでも続いていた。
果てのない、美しい青空だった。
ボクは目を覚ます。
たぶん、眠っていた時間は五分か一〇分ほどだろう。
寝ぼけた視界の焦点が合うと同時に、ボクの膝で横になったままのユーフと目が合った。
彼女はなにも云わずににこりと笑って、天上を見上げた。
ボクも彼女の視線を追って顔を上げてみると、悪くない光景が広がっていた。
プラネタリウムみたいだった。
天井にはいくつもの輝く鉱物が剥きだしになっていて、疑似的な星空のようだった。
しばらくの間、ボクたちは言葉を交わさずに天井を眺めた。
「そういえばここ、密室のようだけど……どうやって頂上に出るの?」
ボクは辺りを見回し、昇り階段などがないことは事前に確かめている。本当に、どうやって頂上に出ればいいのか疑問だった。
「あそこに杖が落ちてるの見える?」ユーフはフロアの中心あたりを指差し、答える。
「うん。あれはキングタートルのドロップ品だよね? 大分、ほっといちゃったけど」
「あれを台座に突きさせばいいの」
「台座に?」
聞き返すと彼女はまた別の場所を指差しして示した。
たしかにそこには一メートル四方の台座が見えている。
ボスを倒した後にでてきたんだろうか?
最初に探索した時にはあんなの、なかったと思うけれど。
「あそこに杖を突きさすとどうなるの?」
「それはお楽しみ」
そう云って、ユーフはふふ、と笑った。
どこか悪戯っぽい笑みだった。
恐らく、ろくでもないことが起きるんだろう。
とはいえ、このままこうしていてもしょうがないし、ボクはスカイを起こして杖を拾い、さっさとそれを台座に突きさした。
地鳴りが響いた。
ボクは音のでどころを探すけれども、よくわからない。
ただ、どんどんと音が大きくなっている……。
不安になってユーフの顔を眺めてみるけれど、まだ彼女は笑っていた。
本当に、いじわるだとボクは思った。
大きな音がした。
壁が壊れる音だった。
その方向を見てみると、大量の水がフロアに注ぎ込まれていた。
「なるほどね……」
そういうことか。
ボクは一人頷き、スカイを左手で抱きかかえた。
それからユーフを見遣ると、先に彼女が左手を差し出していたのでそれを掴んだ。
ボクたちは全員、目を閉じる。
一瞬だった。
フロアの水位が急上昇し、洞窟は水で満たされ、天井へと向かって押し流された。
ボクたちは鉱物でできたプラネタリウムのパイプを通って――
ざばん。
本物の星々が広がる夜空へと、水流とともに放たれた。
「わあ……!」
ボクたちは皆、感嘆の吐息を洩らした。
広い。
空が本当に、広い。
邪魔するものがなにもない。
視界を遮るものがなにもない。
三六〇度、そこには空があった。
ボクは得も云われない開放感に浸った。
感動的だと思った。
けれどもその時間はすぐに終わって、ボクたちは地面に落下を始めた。
着地。
ずりり。
顔を擦った。
ボクはまた、着地に失敗した。
ユーフとスカイは無傷だった。
ボクだけがダメージを受けた。
鼻から血が出た。
顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
だけど、広がる景色がそういった感情をすぐに吹き飛ばしてくれた。
ボクは眺める。
深く背の高い木々に覆われた大地を。
点在する、雄々しく隆起した大地を。
あそこに見える大きな山は、ボクたちがここにくる時に通ったノベージェル山だろう。
蛇行した道が続き、歩いて抜けるのに苦労した場所だったけれど、いまはその急勾配を描く稜線が美しくみえた。
ボクは、ボクが歩いてきた道を目線でなぞることにした。
険しい山道はやがて町道へと繋がり、デルパエが現れた。
町はいま、人々が燈す明かりに包まれて淡く輝いている。
白い建物群がランプシェードのような役割を果たしているみたいだった。
本当に柔らかな光で、見ていると気持ちが穏やかになった。
思えば、ボクは長いことこの町に滞在していた気がする。
ただのダンジョン前への通過点だと認識していた場所だったけれど、
ただの休憩拠点と考えていた場所だったけれど、
ボクは、この町で本当にいろんな経験をした。
思い返せばその経験のほとんどが辛くて悔しいことばかりだったけれど、それでもその起こったすべてが大切な思い出のようにも感じられた。
いまのボクにはユーフがいるから。
ユーフと友達になれたことで、そういった不幸が全部、幸せなことへと変わった。
そう思えた。
そういう気持ちになった。
本当に、
幸せだった。
彼女は一人、歩を進める。
その先。
広大な海へと伸びる突端には大きな月があった。
本当に、
大きな、大きな月。
それがぽつんと浮かんでいた。
満月だ。
昏く、底の見えない大海に自身を写しながら一人。
独り儚く、
美しい月が佇んでいた。
「綺麗だね」
ボクは呟く。
返事はなかった。
ユーフが崖端で立ちどまった。
夜空を見上げて、
月の光を一身に受けとめている。
風が彼女の髪を攫った。
靡いた髪が、月明かりに照らされている。
その姿は幻想的で、泡沫的で、
どうしてだろう?
怖かった。
背中が寒くなった。
ただ、嫌な感じだった。
彼女は振り返る。
それから、
それからボクを見て、
彼女は、
笑って、
変わらない、
笑顔を、
柔和な、
笑みを、
浮かべて、
優しく、
笑って、
笑顔で、
「またね」
そういって、
月に、
両手を、
自身を、
掲げて、
捧げるように、
ボクから、
視線を切って、
月を、
あの月をみつめて、
みつめて、
落ちた。
崖から。
その身を投げ捨てるように、
投げ捨てるように――
ボクは!
叫ぶ。
なにかを、
叫んで、
走った。
走って、
走って、
腕を。
彼女の腕を、掴む。
ぎりぎりで。
とめる。
掴む。
呼吸。
呼吸。
ボクは、
彼女の腕を掴んで、
それで、
絶対に。
今度は、
この腕だけは、
彼女だけは、
ずばん――。
彼女は、自分の腕を切った。
空いた手で。
大剣で。
迷うことなく。
躊躇うことなく。
腕を、切り離した。
切り離して、落ちた。
落ちた。
しばらくして、パーティが解散された。
引き続きギルド権限の移譲がアナウンスされた。
ボクは、それを黙ったまま訊いている。
月揺らぐ海を眺めながら。
一人。
見つめながら。




