第四四話 ありがとう
誰が、という疑問は浮かばなかった。不思議だったのはどうして部屋が荒らされているのかということ。なにか目的の品があってそれを探していたのだとしても、ここまで家の中をめちゃくちゃにする必要はない。それにこの世界ではアイテムに所有権があるのだから、他人からアイテムを盗んだとしても使用できないし売却もできない。加えて銀行で手続きすればいつだってアイテムを所有者の手元に戻せるサービスがあったから、盗むという行為自体に意味はない。だからこそ、本当に不思議だった。どうして家が荒らされているのか。どうしてそんな意味のないことをするのか。
意味があったとしても、
どうしてこんなことができるんだろう?
ほんとに。
ひどいと思った。
「せっかく掃除をしたのにね」
「…………」
「とにかく、離れよう」
ボクはユーフの手を掴んで踵を返した。
だけど彼女はボクの手を払った。
払って、家の中に這入ろうとした。
ボクはもう一度、彼女の手を掴む。
「だめだ。離れよう」
「…………」
「ユーフ」
「……うん」
わかった、と彼女は頷く。しかし、それでもユーフは後ろ髪を引かれるように何度も家のなかに目を遣った。
陽はすでに昇りかけていた。こうなると黒いマントを羽織っている方が目立つため、ボクはマントを脱いで、それからあてどなく町を彷徨った。その間、ボクたちは何も喋らなかった。ボクに引かれるがまま、彼女はただ黙って歩いた。それでもやっぱり、時々振りかえっては何度も家の方向を眺めているようだった。あの家に、なにがあるというのだろうか? そんなことを考えて、少し、心当たりにぶつかった。
ユーフは毎夜、誰かに手紙を書いていた。それはつまりでユーフもその誰かから手紙を貰っていた可能性は高い。手紙のやり取りは一人じゃできないのだし、恐らくあの家には相手側の手紙が残されているはずだ。たぶん、ユーフはその行方が気になっているのかもしれない。よくよく思いだすと、家を出るときにユーフが凝っと眺めていた場所はいつも手紙書いていた机だった。
そんなに大事な手紙なんだろうか。
まあ、考えるまでもなく大事な手紙なのだろう。
毎夜したためている手紙が大事じゃないわけがない。
「…………」
急に、ボクはまた落ちそうになった。
手紙のことを考えると、気分がどんどん落ちていく。
たぶん、ボクは嫉妬している。
それがなんだか笑えた。
本当に、自分がまだ子どもなんだなって思った。これでもすこしは大人になれたような気がしていたのだけれど、ボクはユーフに構ってほしいと思っている。
それを強く自覚して、笑って、悲しくなった。
本当に。
滑稽だと思った。
それなのに今、ボクはもっと最低なことをしようとしていた。
このまま――。
このままユーフの手を引いて町の外に出れば、彼女はボクについてきてくれるのだろうか?
それとも、この地にとどまるのだろうか。
それを知りたいという理由だけで、ボクは彼女を試そうと思った。
人を試すだなんて、何様だと思いながらも。
判りながらも。
「わたしを置いていって」
そんな矢先に、彼女は足を止めてそう云った。
ボクにはその言葉の意図が読めなかった。
本心からそう云っているのか。
或いは、ボクから離れたくてそう云っているのか。
判別できなかった。
「いやだ」と、ボクは答える。
「だけど迷惑だから」
「迷惑?」
「わたしのせいで迷惑をかけてるから」
「それを決めるのは君じゃない」
「それでも、もういやなの」
離れよう、とユーフは云った。
ボクは答える
「君がたとえ悪いのだとしても、その悪さにどんな理由があったとしても、ボクは君を迷惑だなんて思わない」
絶対に。
なにがあっても。
「それはだめ」伏し目がちに彼女は云う。「絶対に、だめだよ」
「なにがだめなの?」
「その言葉は本当に嬉しいけどね、ちがうの。それだけは、絶対に」
「だから、なにが?」
「その考え方は、誰かを傷つけることになるから」
「傷つけつる? どうして?」
「だって私が悪いなのに、その私が開き直ったら、罪を――忘れたとしたら……被害をうけた人たちは絶対にもっと悲しい気持ちになると思うの。だから、だめ」
「それは……」
そうかもしれないけど……。
「人は、悪さをしたら罰を受けないといけない。少なくとも、わたしはそういう考えを持っているから。だから、わたは自分に罰を与えないといけないの」
「まってよ」
「なに?」
「この一連の件に関して、本当にユーフに非があるの?」
「うん」
「相手に落ち度はなかったの? ユーフ一人が悪かったことなの?」
「そういうのも、だめだよ。それは仕方ないだとか、人間はそこまで強くないだとか、罪を犯さない人間はいないとかって、君は悪くないとかってそういう言葉を使うのは」
「してない!」
ボクは、そんなこと。
考えてもない。
思ってもない!
「逆なんだよ」
「逆?」
「ボクにはユーフが望んで罰を受け入れようとしているようにしかみえないんだ。誰かの分まで罪を背負っているようにしかみえない。ねえ、ユーフは本当に自分が悪いと思ってるの? 全部自分が悪いとかって云って、それで終わりにしようとしているだけなんじゃないの?」
「わたしの所為で誰かが悲しんだのは、本当のことだから」
「ほら! じゃあどうしてそんな曖昧な返答しかしないんだよ! 本当に悪いなら濁さずに云えばいいだろ。そういうの、本当にうんざりだ。誰かを庇って自分を卑下し続けることがそんなに上等なことなの? ボクにはわからない……。ねえ、本当は! 本当は自分が全部悪くないって判っているんだろう?」
「それはね、もちろん、全部が全部わたしのせいだとはいえないと思うよ。だけど、だからってそれでわたしは悪くないとは云えないから……」
「じゃあどうしてそこまで自分を蔑むんだよ! 変だよ、なんでちゃんと判断しようとしないの? なんできちんと物事を見極めようとしないんだよ!」
「ごめんね」
「それはなに? 悪いことは全部一人で抱えて、それで謝れば良いってことなの? そう思ってるってことなの? そんなの、間違ってる。絶対に! ユーフは! 子どもだ!」
「ごめんなさい」
「――っ!」
「そんな顔しないで。これでもわたし、結構自分勝手に生きてるんだよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。だってわたし、まだやりたいことがあるからって理由でここまで逃げてきたんだよ。本当なら、きちんと彼女に謝るべきだってわかっているのに……」
「…………」
「…………」
「やりたいことって、なに」
「わたし、もっと買い物がしたい」
「買い物?」
「そう。それに料理もしたい。美味しいご飯だって食べたいし、お掃除だって、お散歩だってしたいの」
「そんなの、ずっとしてたよ」
「まだ足りないよ」
「足りない?」
「うん。もっと頭を撫でてもらいたいし、もっと言葉を交わしたい。眠ることが怖いときは一緒にいて欲しいし、なにかあれば手を繋いでいてほしい」
もう一人はいやなの。
と、そう小さく、ユーフは呟いた。
「……ほら。やっぱりわたし、自分勝手だ」
「そんなことないよ」
それは。
本当に……。
「お願いがあるの」
「……なに?」
「やっぱりわたし、逃げたい」
「うん」
「それに、料理をちゃんと配り終えたい」
「料理を?」
「……うん。この町のみんなに」
「それがいま、ユーフの一番にやりたいことなの?」
「はい」
「あいつらに見つかるかもしれないけど、ほんとにいいんだね?」
「大丈夫」
「わかった」
そう、ボクが頷いた時だった。
視界の先で、こちらに視線を注いでいるグループが見えた。誰だろう? まったく見覚えがないのだけれど、なんだかとても、嫌な感じがした。
ボクたちはそのグループから遠ざかるために歩いてきた道を引き返しはじめると、向こうも急にそわそわとし始め、じりじりと距離を詰めようとしてきた。
間違いない。
あいつらがきっとユーフの家をめちゃくちゃにしたやつらだ。
ボクは身をひるがえし、ユーフと共に駆けだした。
途端に怒声が響いて、ボクたちは追われ始めた。
まずい状況だった。
日は完全に昇っていて、町には他のプレイヤーも散見できた。そんななか大声で叫ばれながら追いかけられていては悪目立ちは防ぎようがなかった。向こうには他にもギルドメンバーがいるというのに、こんな状態が続いていればいずれ他の仲間と合流されて、ひどいことになりそうだった。
ボク細路地に逃げ込み、適当な家の中に身を隠した。
とりあえず、ここでやり過ごそうという魂胆だった。
しかしボクの予想とは裏腹に、彼らはこの細路地を中心に彷徨いはじめた。ワルリス達はボクたちを見失ったあとそのまま町中を奔走すると高をくくっていたのだけれど、完全に裏目だった。それは、ボクたちがここに隠れていると踏んだ行動だった。
このままでは見つかるのは時間の問題だと、ボクたちは物音をたてないように家の裏口から路地に出た。
「いた! こっちこっち!」
ボクは舌打ちして、走り出した。
幸いにも見つけたと叫んだ人とは結構な距離があったから、ボクたちは必死に走って逃げた。
道程はよく覚えていない。
ただ走って、走って、走った。
息が切れそうになった頃にはボクは、この町が一つのモンスターのような錯覚を覚えた。
追い込み網のなかに引っかかったような、そんな恐怖に陥った。
出会うプレイヤー総てがボクたちを追いかけているかのように思えて、眼前の曲がり角からあいつらが飛び出してきそうだとも思えた。
限界だった。
ボクは潜伏することを選び、近くの家の戸を開けた。
ぎょっとした。
目の前にはお婆さんがいた。
あの片足を不自由にした、自由意志を持たないお婆さんだ。
どうやら偶発的に、ボクたちは再びこの家に訪れてしまったらしい。
すこし躊躇して、躊躇していることを嫌ったボクは家の中に入った。
階上に上がって身を隠そうとしたけれど、すぐに外から物騒な声が聞こえたから、ボクとユーフはどたばたと一階のクローゼットの中に隠れた。
嫌な静けさが流れている。
「怖い……」
ユーフが囁いた。
ボク息を殺して、彼女の手を握った。
震えている。
ユーフの呼吸も、乱れている。
「大丈夫」
そういって、ボクは彼女の手を強く握った。
けど、震えは止まらなかった。
ボクは思いだしたかのように頭を撫でた。
何度も撫でた。
ばきん! という音がけたたましく響いた。
多分、この家の戸が壊された音だ。
「でてこい!」
男が叫んだ。
返事は当然、しない。
物音から判断して少なくとも二階に一人上がって行ったようだった。
一階には一人。
「ここか!」
と、男は何かを蹴っ飛ばした。
破砕音が響き、休む間もなく大きな音が続いた。
その裏で、小さく声が聞こえた。
気にせず、ワルリスの一人は部屋の中を荒らし続けている。
悲しい。
本当に、悲しかった。
どうして、こんなことをするんだろう。
最悪、ボクたちになにかをするのは理屈が通るけれど、お婆さんの家を荒らす必要性なんてどこにもないのに。
どうして平気で、そんなことができるんだろう。
ボクはまた、人間が怖くなった。
ボクに理解できる思考じゃなかった。
そういう人達が徒党を組んでいることが、純粋に怖かった。
何度も。
何度も何度もユーフの頭を撫でる。
また声が聞こえた。
ボクはその声に意識を向ける。
そばだてる。
お婆さんの声だった。
お婆さんは何度も言葉を繰り返している。
数時間前に出会った時のように。
狂った機械のように。
「ありがとう……?」
ボクの、聞き間違えだろうか。
たしかにそう、お婆さんは云っていた。
なにが、ありがとうなんだろう?
家が壊されているのに。
めちゃくちゃにされているのに。
ありがとう――。
ああ。
そうか。
ボクは、理解する。
NPCの中には時間帯によってセリフが変化する場合がある。
そして今、完全に日が昇ったことによってお婆さんのセリフも変わっていたのだろう。
ボクは、彼女の言葉を小さく呟く。
「この前は、ありがとう……お魚、は……美味しくいただきました――ね」
ふうん。
なるほど。
そっか。
…………。
あれ。
どうしてだろう?
不意に、目頭が熱くなった。
お婆さんのセリフは、あくまでクエストに対して述べた言葉なのに。
ボクとユーフの手料理に対して云った言葉じゃないのに。
それなのにボクは、嬉しくてしょうがなかった。
救われた気分になった。




