第三六話 青の価値観
目覚めは不思議と良かった。快適だったと云っていい。だけどそれはなにかいいことがあったからだとか、そんな子どもみたいな理由からじゃなくて、ただたんにバイオリズムというか、そんな感じのものがたまたま良かっただけ。基本的に夏が嫌いなボクでも、目覚めたときに清々しくて賑やかな空気が最高に素晴らしいものだと感じる瞬間があって、それが今日訪れた。それだけの話。
だけど。
何か欠けている。
そんな目覚めだった。
いや。
満ちているのかもしれない。
言葉遊びだ。
結局、欠けているのか満ちているのか、それは判然としないけれど、どっちでもよかった。とにかくぴったりじゃない。そんな気持ち悪さがあった。
ボクはベッドに腰を掛けたままアールヴブランドを手にとって、眺める。綺麗な直刀は鈍く白銀に輝いていて、どこか吸い込まれそうな雰囲気があった。鍔に凝った意匠が施されていたから、そう感じたのかもしれない。弓張状の鍔には細やかな紋章が彫られ、柄頭の中心には黄色のトパーズのようなものが埋め込まれていた。月のようだと思った。
「おはよう」と、ドア越しにユーフの声がした。「ごはん、食べる?」
「うん」
ボクは立ち上がって、台所へと向かった。
「今日もクエストに行くの?」
食事の途中、ユーフがボクに尋ねた。
ボクがクエストをしていた最大の理由であるところの武器入手が叶ったいま、特にクエストをこなす理由はなくなったんだけど、ボクは「どうしようかな」と曖昧な返答をした。ボクが曖昧な返答をする時は決まって何も考えていない場合が多いのだけれど、今回ばかりは本当にどうしようかなっていう感じだった。
「海岸洞窟に行こうか」結局、答えに窮したボクは目下の課題である一つを提案した。「ボクとスカイも、あそこに用事があったから」
「ううん」だけど、ユーフは首を横に振った。「海岸洞窟は……後がいい」
「ダメ」
「……」
「冗談だよ」
「ほんと?」
「ほんと。ごめんね」
それはちょっとした冗談のつもりだったけど、予想以上にユーフはしゅんとしてみせたものだからすぐに謝罪した。
すこし、日和すぎだろうか。
人に取り入ろうとする自分に嫌気がさしたけれど、しかし、彼女にならばべつにそれでもいいような気もした。
自分がよくわからない。
気持ち悪さと心地よさとが混淆している。
ボクはちらりとユーフをみる。
ユーフは黙って固まっていた。
ボクが思っている以上にさっきのはひどい冗談だったのかもしれない。
どうしたものかと考えているうちに、沈黙が続いた。
「自分でも、よくわからないの」と、ユーフが切り出した。「海岸洞窟にはほんとにね、行きたいんだけど……いまはまだ、その時じゃないと思うから」
「そう。それじゃあユーフが行きたくったその時がきたら、教えてよ」
「うん」
「ところでだけど、ユーフはやりたいことってある?」
「やりたいこと? ……うん、わたしはいっぱいあるよ」
「たとえば?」
「一緒にお買いものがしたい」
「一緒にって、ボクと?」
「うん」
「それくらいならべつに構わないけど、他には?」
「他には一緒にご飯を食べたりとか」
「今してるけど」
「もっとしたいの」
「ふうん……」変わった趣味だな、とボクは思った。「他にもあれば」
「いいの?」
「訊くだけならタダだしね」
「じゃあ……本を読んでほしいな」
「怪談とかでもいいの?」
「できればもっと、穏やかなのがいいけど……」
「そう。ボクも、その方がいい」
怖いのは苦手だから。
怪談は、あまり読みたくなかった。
小学生のようだ、とボクはボク自身を評した。
そういえばでユーフは何歳なんだろう? そんなことを再びボクは考える。雰囲気的にはボクと同じくらいか、下のようなきがするけれど、仮に小学生だとしてあそこまでの大金を工面できるだろうか? ボクには小学生プレイヤーがあそこまでお金を貯められるとは思えないのだけれど、それは偏見なのだろうか? いや、まあ、偏見だった。ボクより優れている小学生なんて、ごまんといる。冗談ではなくて、ほんとに。小学生の論文を読んで、へこんだことがあったし。少なくともゲームに関する知識量ではボクよりもユーフに分があるみたいなので、そういった観点でみればユーフはボクよりも年上なのかもしれないけれど、ボクがただ無能で自年齢以下の知識しか持ちえていない可能性を考えると年下である可能性も排除できなかった。まあ、知識量で年齢が上か下かなんてことは半部地できないことなんだろうけど。
というより、
人付き合いにおいて年齢なんてどうでもいいことなのに、どうしてこんなくだらないことを考えているんだろう?
「童話を、読んでほしいの」閑話休題といわんばかりに、そうユーフが云った。
「童話っていうとイソップとかグリムとか、そういうの?」
「それでもいいけど……できれば幼児や小児が読むような、そんな絵本がいい」
「絵本を読んで聞かせればいいの?」
「はい」
「絵本は見るものだと思うけど」
「大丈夫」
「ユーフがいいならそれでいいけど、だけどボク、自分の声が嫌いだから絶対には約束できないけど、それでもいい?」
「うん」
「了解。じゃあそうだね、とりあえず今日は買い物にでも行く?」
「いいの?」
「まあ、それくらいはしないとね……」
結局、アールヴブランドの所有権はいま、ボクにあったから。
だから、今のボクには彼女のやりたいことを叶えることしかできなった。
少なくとも、ボクがいいと思うまで。
この恩は返さないといけないと思った。
「ごめんね」
と、唐突にユーフが頭を下げた。
たぶん、ボクの言葉を変な意味に捉えたのだろう。たしかに、さっきの云い方じゃすこし嫌味っぽく聞こえるし、ユーフからすれば意思を強制させているように感じてもおかしくはない。ボクの手落ちだ。そう思ったから、ボクも頭を下げた。
顔を上げる。
まだユーフは頭を下げていた。
だからボクはまた頭を下げる。
そのタイミングでユーフは頭を上げた。
それからまだ頭を下げているボクをみて、彼女もまた頭を下げた。
エンドレスになった。
太陽が完全に昇りきった頃、ボクたちは買い物をするために家をでた。思えばこうして誰かと一緒に玄関を出るということがなんだかとても久しぶりのことだったので、どこかちょっと懐かしくなった。ただそれだけのことで、町の景色がいつもと違って見えた。ボクはユーフの前を歩こうとして足を踏み出した。すると突然ユーフが手を繋ごうと云ってきたので、ボクはスカイを真ん中に配置し、互いにスカイの手を繋ぐ恰好を妥協案として提案したのだけれど、いざそれを実行してみると絵面が宇宙人捕縛のアレになったからやめて、普通に手を繋ぐことにした。スカイは自発的にボクの頭にではなく、ユーフの頭に乗っかった。ちょっと寂しい気もしたけれど、それほど気にはならなかった。
「そういえば買い物って、なにを買いに行くの?」ボクはユーフに尋ねた。
「とくにそれは決めてないの」
「それじゃあ買い物っていうのはウィンドウショッピングでいいわけ?」
「うん。ただ、最後は食料品店に行きたいから、それ以外はお任せ」
「了解」
と頷いて答えたものの、ボクはちょっと困った。なんだか、こういう時に選ぶ店によってセンスが判断されそうで、そういうのが怖かった。
ただの自意識過剰。
だけど、そういうことにこだわる人間も割といるのも事実だから。
結局、ボクはずっと町を練り歩いた。その途中、ユーフがちょっとでも関心を示したものや、好意的な発言があったらそこから話題を広げていって、そこのお店に立ち寄って行くという感じを繰り返した。
責任逃れの行動だった。
へつらうことしかできなくて、ただ黙っていることしかできなくて、ようやく、今になってボクがそういう人間だったことを思いだした。
劣等感。
人と絡むと、色んな面で自分が嫌になった。
そういった思考がフィードバックしてきて、一瞬、吐き気がした。
なんか、もう、帰りたい。
死んだ目でボクはユーフをちらりと一瞥する。
ユーフも同じような目をしていた。
自虐的な目。
死んだ魚のような目。
だから、ボクは笑った。
それから少しして、ユーフも笑った。
やっぱり、ボクたちは似ているのかもしれない。
ボクはボクのことが大嫌いだけど、ボクに似ているユーフはなぜか好きになれそうだった。
同じと似てるは別だから。
ボクが下弦で、君が上弦でなんてことじゃなくて。
相補関係とかじゃなくて。
二人で一つとかじゃなくて。
違うけど、別々だけど、方向性が似ている。
向かう先が一緒だから。
だからボクは、ユーフに惹かれた。
そういうことを、ボクは思った。
ボクはユーフの手を引っ張った。
スカイに触れるように。
スカイと戯れるように。
それからボクたちはまた町を彷徨った。今度は途中、お店でお菓子を大量に買って、まるで往時を再現するかのように探検家になった気分で、ボクとユーフ、スカイは町を駆けた。
誰もいない美術館に入って回廊に飾られた作品を眺めて歩いたり、漁港で働く人達の作業を遠くから観察してみたり、あとはユーフが美味しいという喫茶店でラムレーズンのアイスを食べて、宝石店に行って綺麗にカットされた鉱石なんかも眺めたりした。
ボクは青春を知らずにここまで育ってきたけれど、こういうことを青春と呼ぶんだとすぐにわかった。
ボクは今までその言葉を否定してきたけれど、青春というだけで嘘っぽい、上辺だけのものだと決めつけてきたけれど、その認識を改めようと思った。たしかに、傍目から見ればボクたちの行動は子どもっぽくて、青臭く見えるのかもしれないけれど、それでもいいと思った。たとえ見るに堪えないほど青臭かったとしても、贋物みたいな青春だったとしても、それらをボクは、否定することはしたくなかった。
だってボクは青いものが好きだから。
青臭さも、青春も。
それだけで充分だと思った。




