第二八話 価値観
露店というのはプレイヤーが歩道上に設けることのできるお店のことで、各都市に配置されている商工会にお金と申請書を届け出れば審査もなにもなく即日営業を開始することができた。そのメリットを簡単に説明すると、売り手側ならアイテムを店売り価格よりも高値で売りさばけることで、買い手側であればお店では取り扱っていないようなレアアイテムを購入することができる、という感じ。基本的に、商工会から発行される営業許可証さえあれば承認を得たエリア内ではどこにでも自由に露店を開くことができるのだけれど、プレイヤー間規律というのか、よくわからない不文律によって、どこそこのあの辺りじゃないと露店を設けてはならないという決まりがあるらしい。
とりあえずそんなわけで、ボクとリジエールはデルパエの北西端にある大きな広場へと来ていた。
広場の中央にはなんの鳥かわからないけれど、とても大きな鳥の石像があって、いまにも飛びたちそうな迫力があった。飛び立とうとしている方向には広大な海原が広がっている。その海面は朝陽に照らされて、黄金色に瞬いていた。とても朝らしい、健全とした光景だった。欲を言えば、この広場に露店が煩雑していなければ、もっと素敵な景色になっていたんだろうな、とボクは思った。
時刻はまだ午前の六時前だったので、そこまで人もいないと高をくくっていたのだけれど、わりと多くの露店が軒を連ねていたからボクは少し、びっくりしていた。皆は意外と早起きなんだな、と感想をもらすと、それは違うとリジエールは云った。というのも、露店というのはプレイヤー自身が直接売買を行っているわけではないのだそうだ。どうも商工会に提出する申請書類に売り子の選択希望欄があるらしく、プレイヤーは露店を開く際にはそこで登録した売り子が現れ、代わりに売買をしてくれるらしい。ボクが昔プレイしたMMOではプレイヤーが直接お店を営業していたのだけれど、この方式ならプレイヤーと直接交渉しなくてもいいし、買うのも売るのも気軽に利用できそうだと思った。
「えっと、探してる武器はなんだっけ?」
そう、リジエールが訊いてきた。
ちなみに、完全に余談ではあるけれど、ボクはリジエールのことをリジェと呼んでいた。それは彼女がそう呼べといっていたからなんだけど、その理由はたぶん、ゲーム時代の名残なのだろう。リジエールを呼ぶとき、リジエとタイプするよりもリジェの方が入力文字数が短くなるから、きっとそういった過程でこの呼び名が定着したのかもしれない。
リジェの問いに、ボクは答える。
「レベル62用の片手剣だけど」
「いや、だからその剣の名称はなんだっけって訊いてるわけ」
「知らないけど」
「なんでしらねえんだよ」
「ドロップ品をお店で買おうしていたボクが、どうして知ってると思うの?」
「まあ、それもそうだよな」
そう云うとリジェは後頭部を掻いてみせた。
どうやら、なにかある度に後頭部を大げさに掻くのが彼女の癖らしい。
金田一耕助の影響でも受けているのだろうか?
なんとなくたぶん、違う気がした。
ともかく、ボクたちは二手に分かれてひとつひとつ露店を眺めていくことにした。
その際、逐一片手剣のステータス情報を開いて、レベル条件を確認しなければならないので、少し余分に時間がかかったけれど、一〇分くらいでボクはお目当ての品物を見つけることができた。
アールヴブランド。
それが、ボクの探している剣の名前だった。
値段を確認してみる。
絶句した。
レベル62武器のくせに、10Mもの値がついていた。
もしかして補正が最高値なのだろうか? その場合、蒐集品としての価値も付加されるから、たしかに高値がつけられてもおかしくないのかもしれないけれど……ともかく基準となる相場もよくわからなかったし、ひとまずボクは露店を離れることにした。
遠くで、リジェの姿が見えた。
「リジェ」
と、ボクは彼女の名前を呼んだ。
リジェは不機嫌な態度で返事をした。
「なんだよ」
「武器、見つけた。アールヴブランドだって」
「なにが?」
「アールヴブランド。探してる武器の名前」
「え?」
「ん?」
「あ、そういやそうだったな!」
リジェはどうやら、完全にボクのことを失念して、私用に走っていたらしい。
ボクはボクで平素より無視されたり忘れられたりすることには慣れているものだから、あんまり気にはしなかった。
ボクはリジェに尋ねる。
「片手剣の相場、分かる?」
「片手剣の相場ねえ……まあしらんけど、7M前後だろ。安くてもせいぜい4、5Mってところかなあ」
「10Mってどう思う?」
「べつに、普通だろ。最高補正だったら、18Mぐらいでもおかしくないし」
「18M? 高すぎない?」
「そうか?」
「だって、52武器の平均が700kとかなんだよ?」
「ほら、レベル62武器の次って、いきなりレベル80武器になるわけじゃん? つまり、結構長く使うことになる武器ってわけ。それじゃあ少々値は張ってもいいから、良い補正の装備を買いたいって思う人が多くでてくるのは普通のことだろう? レベル62から80の途中、必要経験値がぐんと多くなるわけだし、そうなると背伸び狩りする時期ってのが重要になってくるから、武器のステータス補正って狩り効率や安全性にかなり影響するんだよね。その結果、需要が高まるのはしょーがないことだろ」
「それにしたって高いよ」
「神の見えざる手ってやつじゃないの? 規制も誘導もなく市場原理に任せっぱなししてみたら、このワールドじゃこの価格まで吊り上げられちゃったってだけだろ」
「そういえば、全サーバーでドロップ率は同じって聞いたことがあるけど、各サーバーでどれくらい相場に開きがあるんだろうね? やっぱり、自然とどのサーバーでも同じくらいの相場に収束するのかな? それとも、大きく価格に差がでることもあるのかな?」
「知らねえよ」
「ところでボク、お金ないんだけど」
「全財産いくらなわけ?」
「1.1M」
「レベル60の貯金額じゃねえな。普通、そのくらいのレベルなら10Mくらい貯まってるだろ。どんだけ金ねえんだよ。貧乏か、てめえは」
「…………」
この時ボクは、気軽に他人の給料を聞いちゃいけない理由を学んだ。
これでまたひとつ、ボクは大人になった。
ギャブ―とスカイが鳴いた。
大人なボクはスカイの頭を優しく撫でた。
そうしていると気分が少し、すっきりとした。
「お仕事の時間だな」と、リジェが云った。「金がないなら、働けばいい」
「マリー・アントワネットみたいなこと云われても」
「いや、至極まっとうな意見なんだけど」
「お仕事って?」
「ワークだよ、ワーク」
「ボク、イズ、ワーク!」
「はあ?」
「ボク、イズ、ノットワーク!」
「だからなんだよ!」
ぼか、と頭を叩かれた。
まあ、言葉の意味が不明だったし、全面的にボクに非があったことは否めかなかった。
仕方ないので、叩かれた痛みは我慢することにした。
我慢は大事なことだ。
「それで、仕事って具体的になにするつもりなの?」
「クエストだよ」
「……ああ、クエストね。なんだ、それならそうといってよ」
「お前、クエストの達成率は?」
「わかんないけど、ちょくちょくやってるから五割とか?」
「この町のクエストはどれくらい消化してんの?」
「全然だけど」
「え?」
「全然やってない」
「一個も?」
「うん」
「お前嘘つきだな」
「嘘吐きって、自分にメリットのある嘘しかつかないと思うけど」
「うーん、一理あるな。まあとにかく、クエストを消化してないっていうなら好都合だからべつに、いいんだけどさあ」
「この町にお金が稼げるクエストがあるの?」
「あるよ。それに、経験値も稼げるクエストも」
「そっか。……それじゃあリジェさん、どうもありがとうございました」
「まてーい」ぐい、と今度、リジェはボクの袖を引っ張った。「どこにいくつもりだ」
「クエストショップだけど」
「いや、そうじゃなくて、なに? 一人で行くつもりなわけ?」
「うん」
「あたしは?」
「ありがとうございました」
「いやいやいやいや、まてーい!」
「…………」
「…………」
「ありがとうござ「いやいやいやいや、まてーい!」
「…………」
「…………」
なんだろうこの人……。
今日はボク、スカイとゆったり海辺を見て回る予定なのに……。
何かの言葉を発し続けるリジェを横目に、ふわあ、とボクは欠伸をする。
そういえば、もう少ししたらココアを飲んで、それからどこかで仮眠する予定だったんだけど、どうしようか。とてもじゃないけど、そんな予定は遂行できそうにない状況だ。
ちょっと面倒になってきた。
もう、このまま逃げちゃおうかな……。
「話聞いてんの?」
「……ごめんなさい。聞いてないです」
「なんだか眠そうだな?」
「昨晩に洞窟に入って、それからずっと起きてたから」
「徹夜してたのか?」
「……うん」
徹夜はしてないけど。
そういうことにしてみた。
「寝る場所あんの? お金、ないんだろ?」
「そこらで寝るよ」
「やめとけよ。風邪ひくぜ」
「風邪ってひくの?」
「ひかねえけどさ、ベッドで寝た方が精神的にずっと良いのは間違いないだろ」
「そんなこと云われても、ベッドはそこらにないよ」
「あ、そうだそうだ。あたしさ、いまホテルの一室を借りてるんだよね、長期プランでさ。もしよかったらだけど、あたしの部屋に来てもいいんだぜ。もちろん、そこのドラゴンちゃんも一緒に」
「ギャブ―!」
「おお、ほら、なんだかすごく喜んでるぞ? 遠慮しないで来てみろって」
「リジェさんはどこで寝るんですか?」
「あ? ソファで寝るけど」
「それじゃあ迷惑になるので、お気持だけ受け取っておきます」
「お前今、どう答えても断る気だったろ」
「まさか」
「しょうがないなあ……」
と、リジェが呟いたと同時の出来事だった。
目の前が突然、暗くなった。
意識がなくなったとかじゃなくて、視界に蓋をされた感じ。
それからなにか重い衝撃を受けて、気がつけばボクは、どこかの部屋にいた。
ふわふわベッドの感触。
それがボクの意識を暗いところへ沈めようとするけれど、その誘惑を断ち切ってボクはベッドから起き上がった。
なにが起きたのか、よくわからない。
ただ冷静に分析すると、たぶん、リジェの羽織っているマント。あれでボクの視界を塞いで、それから殴られたんだと思う。それでボクは気絶か、石化か、なにかしらの状態異常にされたあとでこの部屋に運び込まれ、ベッドに寝かされたのだろう。
ボクはベッドを一瞥する。
さっきまで、ボクが横になっていたすぐ近くで、スカイがゆっくりと寝息をたてていた。
「よお、起きたか」
リジェが、そういった。
宣言通り、どうやらソファで寝ていたらしい。
彼女は眠そうに目を擦ると、白い大理石に彫り細工されたテーブルの上から、水の入ったボトルを手に取ってみせた。
「喉乾いてない?」
ボクは答えなかった。
ただ、黙って壁を眺めていた。
「ほらよ」と、リジェはボトルをボクに向かってふわりと投げた。
ボクはそれを手で払って、壁にぶち当てた。
ガラスの割れた音が部屋に響いて、壁と床が液体でびしょびしょになった。
音に反応して、スカイが目を覚ました。
ボクは、一瞥もくれない。
ただ、荷物をまとめようと動いた。
「おい、まてよ! こら!」
リジェが叫んだ。
それも無視して、ボクは荷物の確認をする。
忘れ物もなさそうだったから、次に、ボクはスカイをベッドから下ろした。
目の前にリジェがいた。
「てめえ、どういうつもりだ?」
「どういうつもり?」
「折角ホテルにまで連れてきてやったっていうのに、なんだその態度は」
「…………」
「聞いてんのか! あ!?」
「いつ?」
「は?」
「ボクがいつ! それを頼んだ?」
「あたしの好意だろうが!」
「そんなこと訊いてない!」
「はあ?」
「ボクは泊めてくれとも、連れてきてとも、なにも云ってない」
「へえ、それが一緒に露店を歩いてやった恩人に対する言葉なんだ。すげえな。すごすぎてムカつく」
「…………」
頼んでないのに。
それも、頼んでないのに!
こいつの頭の中では、恩を売ったつもりになってるのか?
勝手に人の首根っこを掴んで、引きずって。
無理やりボクを連れ回ったくせに。
どういう構造してんだよ、こいつ。
狂ってるのか?
どんな理屈なのか、ボクには理解できない。
なにが、すごすぎてムカつくんだろう?
どんな理屈で、ムカつかれたんだろう?
わからない。
わからない、わからない!
「勝手なんだよ!」
ボクは叫んだ。
叫んで、剣を。
テトラムーンを握った。




