第二七話 厄日
日本人だった。
ボクは忸怩たる思いからこのまま海へと還ろうと、入水を試みてみたけれど、スカイがそれを頑なに制止するものだからボクは間一髪、一命を取りとめた。
少女の名前はユーフというらしい。彼女はプレイヤーなので、名前を視認すれば一発で登録名がわかるというのになぜ、らしい、なんていう助動詞をつけているのかというと、ユーフは自分のことをユーフと名乗ったからだった。もちろん、登録名はユーフではない。しかし、本人がユーフと名乗っているのに無理に登録名を呼ぶのは無粋というか、まあ何かしら理由があるのだと考えるのが普通だろうから、ボクは少女のことをユーフと認識して、ひとまず登録名は意識から除外した。
「ありがとうございました」
ユーフはそう云って、くの字に躰を折った。
とても深々としたお礼だった。
ボクはあまり、お礼を言われることに抵抗というか、慣れていないからつっけんどんな態度をとった。するとユーフはずっと頭を下げたまま硬直したから、仕方がなく、ボクはユーフの頭を撫でた。なぜ撫でたのかはわからないし、撫でるという行為はかなりボクらしからぬ行動だとも思ったけれど、一度撫でた手前、止めるに止められなかったから計三回ほど頭を撫でた。お地蔵さんを撫でる気分でやった。
「もう、いいよ」
ボクがそう云うと、やっとでユーフが顔を上げる。
しかしどうしたのだろうか。少女はじっと、ボクの顔をみつめている。それは本当に子どもみたいな動作だったから、ボクは嫌な気分になった。
人にじっと見つめられるのには、本当に、嫌いだ。
ボクは意図的に視線を合わせないよう、外した。
それでもユーフはボクから視線を切らなかった。
なにか、ボクに変なところでもあるのだろうか。或いは、ボクになにかを期待するところがあって、見つめているのだろうか。そういった人の機微はちょっとわからないから、ボクはそのまま、じゃあねと云って、歩き出した。
ユーフは少し、名残惜しいような雰囲気を醸し出していたけれど、ボクの背中にむけて、「またね」といった。
ボクは返答をせずに、デルパエを目ざし始めた。
そんなボクに代わって、スカイがギャブーと鳴いた。
鳴いて、ユーフにさよならを告げた。
またね、という声がまた、聞こえた。
ボクは振り返らず、ただ歩いた。
ボクがデルパエに着くころには大分、辺りは明るくなっていた。ボクは急いで昨日、見つけていた武器屋に入る。お店の中にはいかにも武器屋店主といった、むくつけな男性しかおらず、他のプレイヤーの姿はなかった。ボクの予想通り、こんな早朝から武器防具といった装備品を扱うお店に来るプレイヤーは皆無みたいだ。
「先に、アイテム屋の方に行けば良かったかな」
そんなことを小さくつぶやいてみたものの、ボクはさっさと用事を終わらせようと、武器コーナーへと走った。
武器コーナーには本当にたくさんの武器があった。ここのお店の規模はかなり大きいようで、全職業分の武器がずらりと並ぶその光景は圧巻という他なかったけれど、それはあまりボクの好きな光景じゃなかった。ボクにとって武器は個であるべきというか、一つであるべきというか、まあ、単純に、武器がたくさんある光景というのはそれだけで暴力的に見えたから、苦手だった。
「……あれ」
剣がない。
いや、あることにはあるけど、ボクの装備できる片手剣がレベル五二武器までしかなかった。
まあ、ボクが折った剣というのはレベル五二武器なのだから、べつにいいんだけど、ボクとしてはレベル六〇になったことだし、次のレベル帯の武器を買おうかな、なんて考えていたんだけれど、どうやら売れ切れらしい。
いや。
装備品が売れ切れるなんてことが、ありえるのだろうか?
ここはゲーム世界なんだし、在庫は、無限にあるはずだろう。
とりあえず、ボクは違う武器の棚も眺めてみる。
そこにもレベル五二までの武器しか置いてなかった。
ばあん、という、けたたましい音が店の入り口から響いた。ドアが乱暴に蹴り開けられたみたいな、そんな物騒な音だった。
ボクは棚の影からこっそりと入口方向を眺めてみると、長い白髪を後頭部で結ったポニーテールの女性がいた。着ているものは白い無地のシャツに、サスペンダーのついた黒のショートパンツという、かなりラフな格好だったけれど、羽織っているマントは高レベル帯アクセサリのなかでもとりわけてレアな品物だった。身なりから推察するに、職業はモンクであることはまず間違いないだろう。彼女の近くにはドアの残骸が散らばっていたので、きっと、本当にドアを蹴り破ったのだと思われた。
顔は見えない。
というか、ボクは基本的に人の顔は見ない。
間違って視線がかち合ったとき、どうリアクションしたらいいのかわからないから、絶対に人の顔を直視することはなかった。
かつ、かつ、という足音がどんどん近づいてきた。
軍靴のような、そんな威圧感のある音だ。
彼女も武器を探しにこの店にきたのだろうか。
その時、ふと、嫌な可能性が思い浮かんだ。
彼女がワールド・リストラクチャリングである可能性。
まあ、そんな可能性は低いとは思うけれど、ボクはもう一度、こっそりと彼女を視認して、所属ギルドを確かめる。
「……ん」
いない。
彼女の姿はもう、どこにも見当たらなかった。
どこにいったんだろう?
まさかもう、退店したのか?
そんなばかな、とボクはきょろきょろした。
「おい」
背後から、声がした。
途端、ボクの世界はぐるんと一回転して、真っ白になった。
背中がずきずきと痛かった。
どうしてかは、わからない。
状況分析してみると、ボクは仰向けになって天井を見上げているようだった。さっきまで立って武器を眺めていたはずなのに、どうしてそうなったのか、その過程はさっぱり思いだせなかった。
ただ、ボクのことを見下ろしているやつがいることに気づいた。
ラフな格好に、派手なマント。
さっきのモンクだった。
「てめえ、なに見てる」
「なにって、べつに」
「じゃあなんでこそこそ見てたんだよ」
「……怖かったから」
「は?」
「怖かったから、見てた。見て、距離を置きたかった」
「てめえにはあたしが怖くみえるのか?」
「お店のドアを乱暴に開ける人を怖いって思わない人はいないと思うけど」
「ふうん……まあ、それもそうだな」モンクがボクに手を差し出した。「起きられるか?」
「ありがとう」と、ボクは彼女の手を払った。「でも一人で起きられるから」
「そうか」モンクはそういって、立ち上がったボクのことを品定めするみたいに目で吟味しはじめる。
今日は厄日かもしれない。
人にみられるのは、本当に、嫌いなのに。
「お前、ギルド入ってないの?」
「ええ、まあ」
「なんで?」
「今は入ってない、ってだけです」
「というと?」
「あとで友達のギルドに入れてもらう予定なんです。だから、今はその途中というか、空白期間中って感じ」
「ふうん……」
「どうかしたの?」
「嘘だな」
「なにが?」
「全部」
「全部?」
「ああ」
「ボクの存在が全部、嘘ってこと?」
「存在が全部嘘って、てめえは一体どんな存在なんだよ。ダークマターかなんかなのか?」
「それじゃあ何が嘘なの?」
「ギルドだよ。お前、ギルドに入れてもらうとかなんとかって、あれ、嘘だろ」
「嘘じゃないし、仮に嘘だとして、なんの問題があるの?」
「まあ、問題はないわな。ないけどよ、こっちはこっちで色んな思惑があるわけよ」
「思惑? ボクをギルドに勧誘するつもり?」
「あたしはあの<拳星>様だぜ? だれがてめえみたいな陰気くさいやつを誘うかよ」
「……ケンセイ?」
「あん? 知らないのか? んじゃ今、覚えときな。このワールド最強のモンク、リジエールというその気高き名をな」
「覚えました」
「物わかりがいいやつは好きだぜ」
と、リジエールはボクの肩をぽんと叩いた。
悪い人ではないのかもしれないけれど、こういった人によく絡んでくるタイプの人はかなり苦手で、溜息がでそうになった。だけど、とりあえずリジエールの所属ギルドがワールド・リストラクチャリングでないことがわかったから、最終的にボクは安堵の溜息を吐いた。
「それで? お前はここに、武器を買いに来たの?」と、リジエールはかなりフランクな態度で云った。
「そうだけど」ボクはこくり、と首肯する。
「なんで?」
「剣が壊れたから」
「壊れた? まじで? 武器壊すやつ、初めてみたんだけど。すげーな、おい。あはは、まじ? 笑えるな!」
「…………」
「拗ねんな、拗ねんな。えっと、んじゃあお前っていま、レベル五三とか、五四らへんなわけ?」
「六〇だけど」
「は? 六〇ならもう、次のレベル帯の武器買えよ」
「……? その予定で来たんだけど」
「……ん?」
「……え?」
沈黙。
それが数秒ほど続いてから、リジエールはぽん、と手を叩いた。
「わかったぞ。お前、このゲーム詳しくないな?」
「どういうこと?」
「レベル六二武器以降は全部、敵ドロップでしか手に入んないんだよ」
「店で売ってないってこと?」
「そうだよ。いやまあ、買える店も別の街にいけばあるにはあるけどさーあ、補正が最低値なんだよね。だからレベル六二以降で武器防具を揃えようと思ったら普通、露店一択なわけ」
「そうなんだ」
と、ボクは目の前にあるレベル五二の片手剣を手にとった。
その行動を訝しんで、リジエールが尋ねた。
「おいおい、そんなの持って、どうするつもりだよ」
「買う」
「買う? なに? お前、話きいてたの?」
「聞いてた」
「じゃあなにか? 余分な武器を買えるぐらいにお金、いっぱいもってるわけ?」
「ないけど」
「んじゃ六二武器を買えよ」
「これでいい」
「次のレベル帯の武器防具はどうするつもりだよ」
「ドロップするまで、戦う」
「はあ? まじでこんなゲーム音痴って存在するんだな。非効率的すぎてびっくりだわ。露店で買えよ」
「露店は使わないって決めてるから」
「まさかとは思うが、お前、コミュ障だから露店を使いたくないってことじゃないよな?」
「べつに、そんなんじゃないけど」
「……まじ? どんだけ人嫌いなんだよ。笑える」
「勝手に決めないでよ」
「しょーがないなあ」
そういうとリジエールはいらいらとなのか、がしがしと頭を掻いて、ボクの首根っこをがしりと掴んだ。
ボクはそのまま、店内をずりずりと引き摺られる。
離して、とボクが云うと、彼女はあたしが一緒に買い物に付きあってやるよ、とそれしか云わなかった。
だから、人は嫌いだ。
話を聞かないから。
勝手だから。
本当に、厄日だと、ボクは思った。




