第一五話 青い耀き
手を伸ばした。
指先まで意識を研ぎ澄ませた。
その先にはエリクシール。
希少蘇生薬。
それを手にした刹那、音がした。
岩が砕ける音。
トワイライト・ロード。
赤き姫君の覚醒。
ボクは剣を構える。
赤い剣戟が走った。
車のテールランプみたいに軌跡を描いて、光がボクを襲った。
躰が吹き飛んだ。
腕がもげそうだった。
だけど、生きている。
ミラーボディのおかげだろう。
ボクはいま、彼女よりも強くはないが。
常人よりははるかに強い。
勝てなくても。
負けない手段はある。
スタンアンクルを発動させる。
ボクは止まれと念じる。
赤き姫君の足に、枷が生じた。
スキルの成功。
だけど、目の前には疾風。
スキルディレイの間隙を縫って、風の刃がボクの躰を切り刻んだ。
膝が崩れる。
地に伏せる。
ボクは口に含んでいたエリクシールを飲み込む。
痛覚で躰に抑制はかかっているけれど、ボクは駆けだす。
スタンアンクルはもう解けている。
赤き姫君の疾風刃を躱しながら、距離を詰める。
その距離、およそ一〇メートルほど。
須臾。
赤き姫君の刀身が、炯々と鈍く輝いた。
ブラッディ・レイン。
大剣による高速連斬。
その予備動作。
明確な殺意。
それが、世界を赤く染め上げようとしていた。
赤い雨で。
血の雨で。
だから、ボクは叫んだ。
「やってみろ!」
赤き姫君は笑う。
不敵に。
無敵の彼女は、頬を吊り上げる。
その背後にスカイ。
空のように青く澄んだ瞳の、スカイ。
「ギャフー!」
ばくん、とスカイは赤き姫君の片腕を食いちぎった。
彼女の手にしている大剣が地面に落ちた。
空手。
手ぶら状態の赤き姫君に、ボクは剣を振り下ろした。
込める力を総て注ぎ込んだ一撃。
命を賭した一撃。
それを赤き姫君は躱して、ボクの頬に一発。
素手による強打。
地面に叩きつけられたボクに、彼女はいった。
「宣言したよね。ボコボコにしてやる、って」
それから彼女は背後で呻るスカイへと距離を詰めていく。
「やめて……」
ボクの言葉は、当然受け入れられなかった。
赤き姫君はスカイをぶん殴った。
世界が赤く染まっていく。
黄昏色に染まっていく。
「お願い、やめてよ」
スカイを殴り続ける赤き姫君に、ボクは懇願する。
だけど、彼女からはやめる気配がない。
よろよろとボクは立ち上がろうとする。
だけど、体が動かなかった。
手足に枷が嵌められている。
スタン・アンクルだった。
ボクは、世界を眺めることしかできない。
赤い彼女が青いスカイを殴り終えるまで。
見ていることしかできない。
視界が歪む。
悔しい。
悔しい。悔しい。
なんだこいつ。
むかつく。
なんで、こんなことできるんだよ。
非道。
外道。
ありえない……。
ありえない……。
虚ろな瞳のボクの前に、朱き姫君がスカイの首根っこを掴んでやってきた。
スカイは生きているのかどうかも怪しかった。
すくなくとも、息はしていないように見えた。
「まだ、生きてるよ」
そう、赤き姫君はいった。
嘘つけよ。
お前の言葉なんか、信用できない。
「選択肢をあげる」
「選択肢……?」
「このブルークラウドと、レリカちゃん。好きな方を選んで」
「なにを、するの?」
「選ばれなかった方を殺すの」
「…………」
「どっちも選ばなかったら、お前以外を殺す」
「…………」
「あと二六秒でレリカちゃんは死んじゃうよ」
「…………」
レリカ。
レリカ、レリカ。
レリカ、レリカ、レリカ。
「……スカイ」
「もう一度」
「ブルークラウドを、助けて」
「わかった」
赤き姫君はニヤりと笑ってから、ペット用の回復薬を取り出して、スカイに浴びせた。
スカイの瞳に、青が宿った。
そのスカイを払い退けて、ボクは赤き姫君に肉迫した。
手には剣。
その切っ先を、彼女の躰に突き刺した。
姫君は黙っている。
「どうした」ボクは叫ぶ。「反撃しろよ!」
それでも、彼女は動かない。
ボクは彼女から距離をとる。
その剣を今度、自分自信の首へと突きたてた。
瞬間、ボクの剣は遠くに飛んで行った。
姫君が、弾き飛ばした。
「殺して」ボクはいう。「死なせてよ」
涙が溢れだした。
どうしようもなかった。
姫君がゆっくりと近づいてくる。
ボクは期待した。
期待してしまったけれど、彼女はボクの涙を指で拭った。
それだけで、終わった。
姫君がボクに耳打ちをした。
その身を反転させて、彼女は消えた。
どこかに消えた。
ボクは立ち上がる。
ゆらゆらと歩いて、藪に入る。
レリカが横たわっている。
その周りには、アイテムが散乱していた。
ボクはそのアイテムを全部拾った。
持ちきれない分は消費してボクの躰に取り入れた。
レリカを土葬して。
それから、その場を離れた。
スカイを強く抱きかかえて、森の中を歩く。
ただ歩いた。
ずっと歩いた。
歩いた。
歩いていた。
歩き続けていた。
前方に男の子が見えた。
走って、どこかに逃げようとしていた。
だけど、それは徒労に終わった。
男の子は動かなくなった。
周りに人はいなかった。
モンスターもだ。
なにもないのに、男の子の躰は変形してしまった。
囁きが想起した。
赤き姫君の言葉。
赤き姫君の?
姫君の。
姫君の……。
炎だ。
ボクの心に、青い炎が揺らめいた。
静かに燃える、青い耀き。
ボクはフェリティシール薬を飲む。
そして、剣を抜いた。
――八つ当たり。
ボクはそれを、これから行おうとしていた。




